毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第2巻 三蔵創業の巻
第八章 人蔘禍

四 税務署のように

一行四人は夜を徹して懸命に走り続けた。
何日も不眠不休だったので、
三蔵法師は馬上でこっくりこっくり居眠りをしている。
「これが海の上だったら快速艇になったなあ」
と八戒が冗談をとばすと、
その途端に悟空がハクションと激しくクシャミをした。
「いけねえ」
「どうした?」
馬上の三蔵はびっくりして目をひらいた。
「クシャミをした途端に化けの皮がはげてしまったんです。
 また追っかけてくるかも知れないから、
 早くどこかへ避難しましょう」

悟空の言った通り、その日、
朝早くから大仙は弟子どもに命じて、
三蔵、八戒、悟浄の順に鞭打たせて行ったが、
昨日、六十回も打たれたので、
まさか今日は打つまいとタカをくくっていた悟空が
油断をしているところをピシャリと打たれた。
不意打ちだったので、思わずクシャミをしたら、
魔法が破れて今まで身代りに残しておいた人形が
もとの柳に戻ってしまったのである。
驚いた弟子どもが報告にとんで行くと、大仙は笑いながら、
「うむ。さすがは天界を荒した男だけのことはある。
 しかし、そうやすやすと逃がしてなるものか」

鎮元大仙は祥光にのると、
須臾にして四人が走り続けている上空へ追いついた。
「やい。ドロポー猿。人蔘樹をかえせ」
「そら。空襲警報だ。ブーブーブー」
と八戒がサイレンを鳴らした。
「お師匠さま」
と悟空が叫んだ。
「平和祈願のお念仏はちょっと
 一時預けにしておきましょうや。
 それ、突っ込め!」

三人は一せいに武器を手に持つと、
大仙めがけて打ちかかって行った。
しかし、大仙は余裕綽々たるもので、
手にもった鹿の尻ッ尾で出来たハタキをふりふり、
まるで娘でも追うように三人を追っ払っている。
やがて、彼が袖をひらくと、
またも四人は馬もろとも袖の中にしまい込まれてしまった。
再び五荘観へ戻った大仙は、
今度は一人ずつ縛って槐樹の上へぶらさげた。
「ハハン、
 西部のアメリカ人たちがよくやるリンチの手だな」
悟空がひそかに頷いていると、大仙は弟子どもに命じて、
棉布を十疋ほど持って来させた。
「見ろよ、八戒!」
と悟空は笑いながら、
「親切にも俺たちに服まで作ってくれるらしいぞ」

大仙は弟子どもが棉布を持ち出してくると、
「三蔵と猪八戒と沙悟浄をグルグルまきにしろ」

弟子どもが大ぜいで三人に繃帯でもまくように
まきつけるのを見ると、悟空はニヤニヤ笑いながら、
「さて、いよいよ御臨終だな」

大仙はさらに漆を持って来させて、
三人の身体に漆をくまなく塗らせはじめた。
「おいおい」
と八戒はあわてくさって、
「上の方はどうでもいいが、
 下の方は穴を一つのこしておいてくれ」

が、次に運び出されて来たのを見ると、大きな鍋である。
「さては俺たちに飯を食わせてから
 殺そうという算段らしいな」
「どうにでもなりやがれ」
と八戒はあきらめたように、
「どうせ死ぬのなら、
 しこたまかき込んで腹をパンクさせてから死んでやるさ」

鍋を据えると、大仙は火をおこさせ、
「油を一杯入れろ。
 孫悟空を天プラにして人蔘樹の仇を討ってやるんだ」

それをきいた悟空は、
我が意を得たりとばかりに思わず微笑を浮べた。
「しばらく風呂に入らなかったから、ちょうどいいぞ」

悟空はそう思いながら、あたりを見まわすと、
庭の片隅に石獅子が一頭おいてある。
「よし」

彼は樹の上から脱け出すと、自分の舌の先を咬み破って、
プッと石獅子に息を吹きかけて「変れ!」と叫んだ。
すると石獅子は悟空の身代りになって、縄をくくられ、
悟空白身は縄から脱け出して、上空へとのぼって行った。
「お師匠さま。油がわきました」

しばらくすると、弟子どもが言った。
「よし、孫悟空を鍋の中へ入れろ」

弟子どもは悟空を樹の上からおろした。
ところが、いざ持ちあげようとしても、ビクとも動かない。
四人が八人になり、八人が十二人になっても、
まだ動かない。
「死に際の悪い扱だ。
 チビのくせによほどこの世がお名残り惜しいと見える。
 まるで根が生えたようじゃないか」

漸く二十人がかりで持ちあげて、鍋の中へ入れると、
ドスンと大きな音がして、
煮えたぎった油がはねかえったからたまらない。
「わあッ」
と皆が逃げ出すと、
「大へんだ。鍋が漏っている!」
と火焚きの竜子が叫び出した。
薪に油をそそいだので、
あたり一面が火の海になったが、よくよく見ると、
焔の中にデンと坐っているのは庭先の石獅子ではないか。
「よくも儂の鍋をこわしやがったな」
とさすがの鎮元大仙も頭から湯気を立てて怒り出した。
「逃げるなら自分だけ逃げればよいものを
 何で儂の鍋をこわしたりするんだ!
 しかし、こう神出鬼没では、たとえ捕えて見ても、
 風や野を捉えるようなものだ……。
 よしよし。奴はともかくとして、
 新しい鍋で今度は三蔵をテンプラにしてやれ」

大仙は弟子どもに命じて、三蔵の身体を
グルグル巻きにしていた漆の布をほどきほじめた。

空の上からそれを見ていた悟空は一部始終をきくと、
「お師匠さまをあの中へほうり込まれたら、
 それこそ一コロだ。
 いくら天プラにコロモはつきものといったって、
 坊主の天プラでは尼さんでも食うまい」

悟空は雲の上からいきなりとびおりると、
腕組みをしたまま鎮元大仙の前に立ちふさがった。
「待て。俺の師匠を入れるぐらいなら、
 俺が自分で鍋の中へ入る!」

火仙はびっくり仰天して、
「悪タレ猿め! 何で儂の鍋をこわしやがるんだ?」
「ハハハハハ……」
と悟空は笑いながら、
「お前さんの飯櫃は
 俺に会えばこわれる運命にあっただけのことで、
 俺と何の係わりがある?
 俺はちょうど一風呂浴びたいと思っていたんだが、
 イカンせん、急に大便がしたくなってね、
 もしお前さんの鍋の中でウンコをたれたりしたら、
 油がよごれてしまうと思って遠慮しただけのことだよ。
 どうやら野糞を垂れて気分が清々したから、
 ではこれから鍋の中へ入ることにしよう」

大仙はそれをきくと、カラカラと笑いながら、
何を思ったか、突然、悟空の手をつかまえて、
「な、孫悟空。お前の腕が大したものだってことは、
 儂もかねがねきいているし、この通りこの目でも見たよ。
 しかし、無銭飲食をした上に乱暴を働くなんて、
 まるで銀座や新宿の愚連隊みたいな
 ケチな根性じゃないか。
 儂だってお前といつまでもかかわり合うのはご免だが、
 儂のあの人蔘樹をどうしてくれるつもりだ?」
「とおっしゃると人蔘樹をもとにもどせばいいんですか?
 ハハハハハ……。
 まるで小金をためた横町の大家さんみたいなことを
 いうじゃないか。
 そうならそうと早く言えばよかったのに……」
「儂はお前と争う気ははじめからないよ。
 お前が人蔘樹をもと通りにしてくれさえすれば
 それでいいんだ」
と鎮元大仙はもう一度くりかえした。
「じゃ俺が樹をもと通りにしたら、
 本当に許してくれるんだな」
「儂は嘘は言わん」
「それじゃまず俺のお師匠さまの縄をほどいてくれ。
 そうしたら、俺がもと通りにしてやろう」
「お前にそれだけの実力があったら、
 儂はお前と義兄弟になってもよい」
「よし。それじゃまず皆の縄をほどくんだ」

鎮元大仙はどうせ連中の縄をといても
逃げられっこないことを知っているので、快く承知した。

もう死ぬ覚悟でいたのが、急に縄をとかれたので、
三人は目をパチクリさせている。
「お師匠さま。 一体、兄貴とあの仙人の間に
 どんな密約が出来たのでしょうか?」
と悟浄がきくと、
「密約だって?」
と八戒は口をとがらせて、
「言わずと知れたこと、根のかれた樹を
 もと通りにしてやるとうまいことを言って、
 俺たちを人質において自分だけ逃げ出す魂胆さ」
「いやいや。我々をしばりつけておいても、
 借金の取り立てが出来ないから、差押えしないで、
 働かせようというのが本当だと思うな。
 まあ、近頃の税務署と同じで、
 温情のあるところを一応見せてはおくが、
 いただくものはちゃんといただきます
 というのが本当だろう」
と三蔵法師は、税金滞納で首のまわらなくなった
会社の社長のような分別顔をしている。

(つぎは「出たり入ったりの巻」)

2000-11-10-FRI

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