毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第2巻 三蔵創業の巻
第八章 人蔘禍

一 毒を食らわば

「なるほどなるほど」
と悟空はしびれた手先をふりながらも言った。
「俺のこの痛棒をくらえば石頭だって木端微塵だし、
 鋼鉄だってへこもうというのに、
 大地の奴はビクともしやがらん。
 天長地久というけれど、さては大地の奴、
 人蔘果を食って鍛えよったな。
 いや、お前を疑ってすまなかった。
 帰るがよい」

土地神を追いかえすと、
悟空は着ていた木綿の衣を脱いでその場で袋をつくり、
またも大樹をよじのぼって、
人蔘果を三つ袋の中へもぎとった。
そして、一気に地面へとびおりると、
真直ぐ台所へとんでかえってきた。
「兄貴、どうだった?」

八戒がニヤニヤ笑いながらきいた。
「見ろよ」
と悟空は袋をそっとあけて見せながら、
「沙悟浄もよんで来て一緒に食おうじゃないか」
「よしきた」

八戒が台所の戸をあけて沙悟浄を手招きしたので
悟浄はあわてて荷物をおろすと、
台所へとんで入ってきた。
「何か用事ですか?」
「お前、これを見たことがあるか?」
と悟空は袖をひらいて見せた。
「おや、人蔘果じゃありませんか!」
「へえ、お前が知っているとはね、
 以前に食べたことがあるのか?」
「いや、食べたことはありませんが、
 むかし捲簾大将をつとめて玉帝のお側近くお仕えした時、
 王母娘娘の蟠桃大会で見たことがあります。
 これは一体どうして手に入れたものですか?」
「へへへ……どうして手に入れたかきくよりも、
 まず一個ずつ毒味しようじゃないか」

そこで早速三人で一個ずつ食べることになった。
ところが八戒は人一倍食いしん坊で、
さっきこの家の留守番がむしゃむしゃ食べているのを
見た時からもう涎をたらたら流している始末である。
だから、人蔘果を手にとるや、
まるで親の仇にでも出会ったように、
口をあけると一挙にのみ込んでしまった。
そして、目を白黒させながら、
「えらくうまそうに食っているじゃないか。
 一体、どんな味だい?」
「自分の分をさきに腹の中にしまい込んでおいて、
 どんな味もあるものか」
と悟空が突きのけると、
「いや、俺もゆっくり味わおうと思ったんだが、
 人蔘果の奴が胃袋に直通してしまったんだ。
 ね、兄貴、毒を食らわば皿までというからには、
 もう二つ三つ採って来て腹の虫を抑えようじゃないか」
「冗談をいうな」
と悟空が言った。
「人蔘果を残飯とごつちゃにしては困るぜ。
 一万年に三十個しか出来ないものにありついただけでも
 冥加に尽きるというものじゃないか」

何と言ってもとり合おうとしない。
八戒は一つ食ったばかりに却って腹がグウグウ鳴り出し、
「こんなことなら人蔘果なんか食うんじゃなかった。
 人騒がせな人蔘果奴!」

ひとりごとを言っているところを、
お茶をとりに入ってきた明月と
清風にきかれてしまったからたまらない。
「おい。きいたか」
と清風が顔色を変えて言った。
「うちのお師匠さまが手下の者に気をつけろと
 言っていたが、やっばりやられたらしいぞ」
「うむ、兄貴」
と明月は思わず叫び声を立てた。
「見ろよ。金撃子が地面におちているじゃないか。
 早く裏庭へ行ってみよう」

二人が大あわてで裏門を出ると、
花園の戸があけっ放しになっている。
「この戸はしめておいたはずだが、あいているぞ」

さらに野菜畑の戸口まで来ると、そこの戸もあいている。
「大へんだ。兄貴、人蔘果を算えて見てくれ」

二人が葉っばの間に見えがくれしている人蔘果を
算えて見ると、全部で二十二個しかない。
「お師匠さんが出かける時に二個食べて、
 さっき、三蔵法師のために二個とったから、
 ええと、全部でいくつ残っていることになっているんだ?
 三十から二ひいて、また二ひくと、いくつだい?
 俺はむかしから算術は大の苦手だ」
「四つ足りんぞ」
と明月が叫んだ。
「やっぱり彼奴らに盗まれたんだ」

二人は前後を失って、御殿へ馳け戻ると、
三蔵法師に向って口汚く罵りはじめた。
「一体どうしたというのです?」
と三蔵は何が何だかさっばりわからないので、
「そんなに怒鳴らないで、ゆっくり話してくれませんか?」
「あなたはつんぼですか?」
と清風は怒鳴りかえした。
「人蔘果を盗んでおいて、仏のような面をするとは、
 それでも人間ですか?」
「人蔘果ですって? 人蔘果って何です?」
「さっきあなたに出したばかりじゃありませんか。
 あなたが子供の恰好をしていると言っていたものですよ」
「おお、神様! じゃない、仏様!」
と三蔵法師は両手を合わせた。
「あれを見ただけで私の心臓はとまりそうだったのに、
 何で私が盗んだりするものかね」
「あなたでなかったら、あなたの弟子どもだ」
と明月が言った。
「うむ」
と三蔵は唸った。
「ひょっとしたら、そういうことがあるかも知れない。
 まあ、そう怒らないで待って下さい。
 もし無断でお宅の果物を荒らしたのが本当だとしたら、
 私が弁償致しますよ」
「弁償だって? どんなに金を積んだって
 手に入るってものじゃないのですよ」
「お金で買えないものなら、謝らせることに致しましょう。
 仁義は千金に値する、という言葉もあるでしょう……
 しかし、まだあれたちがやったと
 きまったわけでもないし」
「あいつらにきまっていますよ。
 分け前がどうのこうのと
 まだ言い争っているじゃありませんか」
「悟空や」
と三蔵法師は呼んだ。
「八戒と悟空は居らんか」

その声を沙悟浄が真先にききつけた。
「おいおい。お師匠さまが呼んでいるぜ。
 こりゃ俺たちのやったことが
 バレてしまったのかも知れんぞ」
「人を殺したり放火をしたってわけでもあるまいし、
 もとを言えば、飲み食いのことにすぎないじゃないか」
と悟空は至極落着いている。
「でもジャン・バルジャンのような例もありますよ。
 腹がへってパンを盗んだばかりに
 一生祟ったんですからね」
「だからさ、知りません、存じませんで押し通すんだ。
 誰も見ていた者があるわけじゃなし」
「そうだ。そうだ。それに限る」
と八戒は膝を打って賛成した。

さて、三人打ち揃って御殿へ入ると、
悟空が三蔵に向って言った。
「お師匠さま。ご飯はもうすぐ出来ますから
 いまちょっとのご辛抱です」
「ご飯のことをきいているんじゃないよ。
 お前たちの中で誰がこの家の人蔘果を
 盗んだかときいているんだ」
「人蔘果って何でございますか?」
と八戒がききかえした。
「子供のような恰好をした果物だそうだ」
「へえ、そんなものがあるんですか。
 ひとつ見せていただけませんか?」

八戒のトポけ方があんまり堂に入っているので、
悟空は思わずクスリと笑った。
「やあやあ、笑ったぞ、笑った奴が犯人だ。
 犯人に違いねえ」

清風が悟空を指ざすと、
「何を抜かすか!」
と悟空は一喝した。
「俺が生まれつきエビス顔をしているからといって
 与しやすしと思ったら大間違いだぞ。
 お前たちがぼやぼやしている間に物を盗まれたら、
 俺まで仏頂面をしなくちゃならんという法はないだろう」
「これ、悟空!」
と三蔵は言った。
「我々出家は、みだりに人と喧嘩をするものじゃないよ。
 もし本当に食べたのなら食べたで、
 謝ればすむことじゃないか」

なるほど、そういえばそうだと思いなおして、
悟空は三蔵に向い、
「お師匠さま。張本人はほかならぬ八戒ですよ。
 あの二人の小僧ッ子が人蔘果とやらを食べながら
 話をしているのを盗みぎきして、
 私にとって来てくれと頼んだのです。
 それで三つとってきて、一人一つずつ食べたのですが、
 もう食べてしまったものを今更吐き出せと言ったって
 それは無理です」
「盗人タケダケしいとはお前たちのことだ。
 盗んだのは三つでなくて四つだぞ」
と明月が叫んだ。
「ナムアミダ!」
と八戒が手を合わせた。
「四つ盗んでおいて三つしか公開しなかったとすりゃ、
 兄貴、もう一つは役得ちゅうわけかい?」

小僧ッ子になめられた上に八戒にまで騒ぎ立てられた悟空は
歯ぎしりをして悔しがった。
三蔵法師が目の前にいなければ、
如意棒をふりあげて一打ちに極楽浄土まで
送り込んでやるんだが、
まさかそんな無謀なことも出来ない。
「よし。
 たかが果物の一つや二つのことで
 そんなに騒ぎ立てるんだったら、
 いっそのこと誰の口にも入らないようにしてやれ」

悟空は後頭部の毛を一本抜いて、そっと息を吹きかけ、
「変れ!」と叫ぶと贋者の悟空が現われた。
それをその場に残しておくと、
自分はこっそり脱け出して人蔘園へとんで行った。

こうなったらもう破れかぷれである。
耳の中から如意棒を抜き出すと、
いやはや、山を砕き嶺を移すあのバカ力を発揮して、
人蔘果の老樹を滅多打ちにしはじめた。
さしもの老樹も葉は落ち、根は土を離れて、
哀れ、仙人の丹精した人蔘果は
根こそぎにされてしまったのである。
悟空は倒れた老樹の枝を分けて探したが、
人蔘果は一つも見当らない。
それもそのはず、人蔘果はもともと金に会えば落ち、
土に会えば消えてしまう性質を持っているからである。
「さあ。これでよし。
 こうしておきゃ争いの根が絶えるというものだ」

そんなこととは知らない清風と明月は
贋者の悟空に向って悪態の限りを尽していたが、
何と言っても返事一つしないので、
しまいにあきあきして引きあげて行った。
「あいつは三つと言ったが、
 ひょっとしたらそうかも知れない。
 もう一度、勘定しに行って見ようか」
「うん、そうしよう」
二人して果樹園へ出て見ると、これはどうしたことか。
幹の太さ七、八丈もあろうという大木が根こそぎ
横倒れに倒れて、しかも丸裸になっているではないか。
あまりもの出来事に二人ともへなへなと、
その場に坐り込んでしまったのである。

2000-11-07-TUE

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