毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
三蔵創業の巻
第七草 白日夢さめて

三 不老長生の山

一行四人は再び西へ向って旅を続けた。
しばらく平坦な道が続いたが、
やがてまた高い山に道をふさがれた。
「さあ、また変なところへ来てしまったぞ。
 お化けが出たりしなければよいが……」

三蔵法師は山へさしかからない前から、
早くも戦々兢々としている。
「お師匠さま」
と悟空がふりかえって言った。
「馬前に剛の者が三人控えていてもまだ
 安心がならないのですか?」

見ると、山は高いことは高いが、
今までのような嶮しい山ではなくて、
まんじゅうのように温和な形をしている。
林はこんもりと茂り、
路傍には色とりどりの草花が咲き乱れている。
「今まで幾山越えてきたが、
 ここは何となく気分のよいところだね」
と三蔵はホッと胸を撫でおろしながら、
「もしかしたら目指す雷音寺の領域に
 入ったのかも知れない」
「まだまだですよ」
と悟空は笑った。
「お師匠さまも案外せっかちなんですね」
「雷音寺までどのくらいあるんだろうか?」
と沙悟浄はひとり言のようにつぶやいた。
「大唐国から十万八千里。
 我々は精々十分の一も来ていたらいい方だろう」
「それじゃもう何年かかるのかね?」
と八戒がきいた。
「そうだな。お前たち二人の足なら十日間ぐらい。
 俺の斗雲なら一日に五十往復してもまだ日は暮れまい。
 しかし、お師匠さまのテクシーじゃ、
 まあ、言わない方がお互いにがっかりしないですむよ」
「悟空や」
と三蔵は言葉をかけた。
「私の足ではいつ着くと思うかね。
 本当のことを言っても決して落胆するようなことは
 ないからはっきり言っておくれ」
「お師匠さま」
と悟空は答えた。
「それは時間の問題というよりは意志の問題ですよ。
 行きつくと思えば行きつくし、駄目だと思えば、
 それっきりでしょうね」
「うん。実は私もそう思っているんだ」

一行が到着したところは万寿山と呼ばれる山で、
その山の中には五荘観という仙荘がある。
この仙荘の主は鎮元大仙、またの名、与世同君で、
この山の名物は話にきくばかりで俗人の
かつて見たことのない人蔘果という天下の珍果である。

この人蔘果は、天と地がまだ混沌として、
見境のつかなかった大昔に根をおろして、
世界中でこの五荘観にだけ育った不老長寿の霊樹、
三千年に一度、花をひらき、三千年に一度、実を結び、
更に三千年たって漸く熟し、つまり一万年に漸く
三十個しか出来ないという珍しい果実である。
果実の形は生まれ立ての赤ん坊にそっくりで、
手足もあれば五官も揃っているという具合で、
その匂いをかいだだけでも三百六十年長生きをし、
これを一個食べれば四万七千年生きると
言われているのである。

一行四人がこの万寿山に到着した日、
鎮元大仙はたまたま天界の老仙人たちばかりによって
組織されているエッセイスト・クラブへ招かれて、
「不老長寿の秘訣」
について講演することになっていた。
鎮元大仙には四十八人の弟子がいたが、
そのうち清風という弟子と明月という弟子と二人だけ
留守番に残して行くことにした。
清風は本年とって千三百二十歳、
明月は千二百歳という若造にすぎない。
「儂が留守にしている間に、
 大唐国から西方極楽へ行く三蔵法師という和尚が
 ここを通りかかる筈だ」
と鎮元大仙はことづけた。
「大事なお客さんだからよくおもてなしをして、
 人蔘果を二つだけさしあげなさい」
「人蔘果をさしあげるのですか?」
と二人の弟子は怪訝な顔をしながら、
「孔子も言っているじゃありませんか、
 道を同じくせざれは、共に相謀るべからずと。
 和尚は仏門で我らは仙道。
 言って見れば、異教徒ではございませんか?」
「いやいや、お前たちにはわからないのだ」
と鏡元大仙は言った。
「流儀はそれぞれ違っていても人間の大本は一つだ。
 お前たちには朝晩、
 老子の道徳経を講義してやっているのに、
 一体何をきいているんだね」

いよいよ、出かける間際になってから、鏡元大仙は、
人蔘果を二つ採って、弟子一同に振舞い、
更に留守番の二人にもう一度念を押した。
「三蔵法師にさしあげるのは二つきりだよ。
 三蔵は立派な人物だが、弟子どもはヤクザ者だから、
 十分気をつけろ」

そういういきさつのあるところへ
三蔵の一行がやって来たのである。
門前に馬をとめると、
「万寿山福地、五荘観洞天」と石碑が立っている。
それだけならまだよかったが、門の入口に、
春聯の色も鮮やかに、

   長生不老神仙府(ふろうちょうせいのほこら)
   与天同寿道人家(てんちょうちきゅうのやかた)

と大書されている。

それを見た悟空はカラカラと笑って、
「見ろよ、あれを。
 テレビのスポンサーたちも顔負けの宣伝文句じゃないか」
「いうだけはタダだよ」
と八戒はかまわずに、
「中へ入って休ませてもらおうじゃないか」

門を入ろうとすると、
中から二人の童子が小走りに走り出てきた。
「これは、これは。ようこそおいで下さいました」

思わぬ歓迎の言葉に三蔵は顔を綻ばせて喜んだ。

案内されて正殿の前に行ったが、見ると、正殿は南向きで、
壁という壁は花鳥の浮彫細工で出来ている。
待つ間もなく童子が格子をあけて、
三蔵へ、どうぞ、と合図した。
中には、「天地」と二字書いてあるだけで、
そのそばに黄金色の香炉が一軒並んでいる。
「ここは仙人のお住居のようですが、
 なぜ、三清、四帝、羅天をお祭りしていないのですか?」
と三蔵がきいた。
「天地をお祭りする必要も本当はないのです」
と二人の留守番は答えた。
「三清は私どもの師匠の親友で、四帝は飲み友達です。
 九曜星などは遙か後輩で、
 その他の諸天に至ってはお目通りも許されません」

それをきくと、悟空は腹を抱えて、
「アッハハハ……」
と笑いころげた。
「何がそんなにおかしいんだね?」
と八戒がきいた。
「新興宗教という奴は
誇大妄想狂の集まりだときいていたが、
なるほどつける薬はないわい。
アッハハハハ……」
「で、ご当主はどちらにおいででございますか?」
と三蔵がきいた。
「それが生憎と本日、天界のエッセイスト・クラブヘ
 不老長寿の講演に出かけたのでございます」
「嘘をつけ」
と悟空は怒鳴りつけた。
「ほらを吹くにも人を見てから吹くものだ。
 天界の連中が何でインチキ教祖に
 講演を頼んだりするものか!」
「悟空や」
と三蔵がなだめた。
「人の家へ入って毒づいたりするのは失礼だよ。
 ご主人が不在だとおっしゃるんだから、
 お前は外へ馬でも放しておいで。
 悟浄は荷物の番をして、八戒は鍋釜を借りて、
 ご飯の用意でもしなさい」

三人が出て行くと、二人の童子は漸く安心して、
「時に和尚さんは西方へお経をとりにいらっしゃる
 三蔵法師とおっしゃるお方ではございませんか?」
「おや、どうして私の名前をご存じなんですか?」
「ほかでもありません。
 うちの師匠が出かける前に、
 あなた様がおいでになられるから、
 おもてなしするようにとことづけて行かれたのです」
「これは、これは」
「ただいま、お茶の用意をしてまいりますから、
 しばらくお待ちになって下さい」

二人は御殿を出ると、
すぐ手に金撃子という棒と丹盤という盆を持って
人蔘果園へ走って行った。
清風が樹の上によじのぼって、金撃子でつっつくと、
明月が丹盤でそれをうけとめる。
やがて二っの人蔘果を盆にのせて、
恭しく、三蔵法師の前へすすみ出て来た。
それを見て三蔵はあッと叫ぶほど驚いた。
というのは色といい形といい、
生まれ立ての赤ん坊とそっくりだったからである。
「今年は三年続きの豊作だというのに、
 何でここでは人を食べたりするのです?」

和尚の奴、何も知っちゃいないなと、
清風は内心三蔵をバカにしはじめたが、
明月はいくらかお人好しで、
「これは人蔘果といって、珍しいものなのです。
 ひとつ召しあがってごらん下さい」
「いやいや」
と三蔵は青くなって叫んだ。
「生まれ立ての赤ん坊を食べろなんて滅相もない」
「これは樹の上でなったものでございますよ」
「樹の上でみのったものだろうが、
 皇宮前広場で結ばれたものだろうが、私はご免だ。
 さ、早くさげておくれ」

大へんな剣幕なので、
二人は急いで人蔘果を持って出て行った。
ところで、この人蔘果、
もぎたてを食べないでしばらくおいておくと
すぐ腐ってしまうのである。
「豚に真珠とはこのことだな」

二人は顔を見合わせて苦笑したが、
「仕方がねえ、
 三蔵法師が食べてしまったことにしようじゃないか」
「うむ。そうしよう」

二人は自分たちの部屋へ戻ると、
戸をしめて忽ちのうちに平らげてしまったのである。

2000-11-05-SUN

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