毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
実力狂時代の巻 第二章 実力狂時代

三 地球は狭し

さて、如意棒を手に持って、前に数歩、後に数歩、
風車でも廻すような勢いで回転させながら、
孫悟空は真っすぐ水晶宮に戻った。
その凶暴な姿を見ると
竜宮中のものは皆色を失ってしまった。

悟空は如意棒を手に握ったまま、
水晶宮の中にデンと坐り込み、
「素晴しい贈り物をまことにかたじけない」
と軽く頭をさげた。
「どう致しまして」
と竜王が苦笑をすると、
「ついでにもう一つお願いがあります」
「どういうことでございますか?」
「この鉄棒がなかった時はそうも思わなかったが、
 これを手に持って見ると、
 まさか鎧なしというわけにも行きますまい。
 無心ついでにひとつ鎧兜を
 一揃いお贈りいただけませんか」
「残念ながら鎧はありません」
「なければ、あるまでここを動かないことに致しましょう」
と悟空は居直った。
「まあ、そうおっしゃらずにほかの海へ行って見て下さい。
 ほかの海なら或いはあるかも知れませんから」
「その手にはのらないよ」
と悟空は笑った。
「三軒の家に無駄足を運ぶより一軒の家でねばる方がよい、
 といいますからね」
「でも本当にないのです。
 あればもちろん、出し惜しみはしません」
「本当にないか? 本当になけりゃ、
 ひとつこの棒で試して見ようか?」

悟空が立ちかけると、竜王はあわてふためいて、
「待って下さい。待って下さい。
弟のところにあるかも知れませんから、きいて見ます」
「弟さんはどこにいます?」
「私の弟は南海竜王、北海竜王、西海竜王の三人です」
「そんな遠くまで行くのはご免だ。
 あちこち借金ができちゃ世間が狭くなるばかりだからな」
「あなたがおいでにならなくとも大丈夫です。
 私のとこに鉄の太鼓と金の鐘があって、
 あれを打ち鳴らせば、
 すぐ駈けつけてくれることになっています」
「それじゃ早速合図をして呼んで来給え」

やむを得ないので、竜王は太鼓と鐘を打たせた。と、
間髪を入れずして三人の竜王が水晶宮の門前に現われた。
「兄さん、どうしたのですか」
と南海竜王がきいた。
「俺のところへユスリがやって来ているんだ。
 鎧兜を一揃いよこせといって
 宮殿の中に坐り込んでいるんだが、
 生憎とうちにはそんなものはないし、
 それでお前たちを呼んだんだが、
 誰か持っているのがあったら、出してやってくれないか」
「バカな!」
と南海竜王が青筋を立てて怒鳴った。
「兄弟が四人もいて、
 だまってユスられるという手があるものか」
「シーッ」
と老竜王が制した。
「あの鉄棒をまともにくらったら、一ペんでおさらばだ。
 ちょっと身体にふれても、
 三カ月の重傷は間違いなしだよ」
「生命知らずとは喧嘩をしない方が賢いぜ」
と西海竜王がいった。
「ひとまず相手の欲しいものをやって、
 ここから追い出すことだ。
 それから玉皇上帝のところへ
 訴えて出ればよいじやないか」
「そうだ。その方がいい」
と北海竜王が相槌を打った。
「ちょうど僕のところに履が一足ある」
「僕は鎧を持って来た」
「じゃ僕は兜を出すとしよう」

三人がそれぞれ一品ずつ出し合わせたので、
どうやら必要なものが揃った。
東海竜王がそれらを持って宮殿に帰ると、
孫悟空は眼尻に皺を寄せて喜び早速身体につけて見た。
まるで彼のために作られたもののように
身体にぴったりである。
完全武装をして手に如意棒を持ちあげると、
「いや、どうもお騒がせ致しました」
と一言、居並ぶ群衆を尻眼に彼は悠々と
宮殿からひきあげて行ったのである。

さて、もと来た水路をもどって、河をさかのぼると、
水簾洞の鉄橋の下である。
悟空は水の中から一跳びに橋の上にとびあがった。
「お見事、お見事」
「三国一のいい男!」

猿どもがはやし立てる中を、
目もさめるような美しい甲冑に身をかためた猿王は
歩いて行く。
その小面憎いまでの華やかさ、得意さ。

やがて王座にもどると、
孫悟空は鉄棒を皆の目の前につったてた。
猿どもがまわりに集まって、手にとって見ようとするが、
まるで根が生えたようにびくともしない。
「お前たちに持てるわけがないよ」
と悟空は笑いながら、いとも軽々と手元にひきよせ、
「この銘を見ろ、一万三千五百斤と書いてあるだろう。
 竜王さえ手に負えなかった代物だ。
 物にはそれぞれ持主があるとはよくいったものだ」

そして、口の中で、
「小さくなれ、小さくなれ」
と唱えると、鉄棒は見る見る小さくなって、
遂に縫針ほどの可愛らしい棒になってしまった。
悟空はそれを指でつまみあげると、
耳の中に蔵い込んでしまったのである。

あまりの不思議さに猿どもは呆気にとられていたが、
やがてキャッキャッと騒ぎ出した。
「大王、もう一度出して見せて下さい」

いわれるままに、猿王はまた耳の中から取り出して、
掌の上におくと、
「大きくなれ、大きくなれ」
と叫んだ。

すると、棒はだんだん大きくなって、
間もなく二丈ほどの長さになった。

さすがの孫悟空も喜びをかくし切れず、
棒をもったまま洞をとび出した。
広場へ出ると、片手に棒を握り、口に呪丈を唱え、
「のびよ」
と叫ぶや、自分の背がニョキニョキとのび出した。
見よ。頭は泰山の如く、腰は峻嶺の如く、眼は稲妻の如く、
ロは血を盛った盆の如く、歯は剣山の如く、
手に握ったかの如意棒は、上は三十三天に達し、
下は十八地獄に至り、満山の群怪、
七十二洞の洞主ことごとく頭を地にすりつけて、
生きた心地もしない。

やがて法術をといて縫針を耳の中におさめると、
四尺足らないこの猿奴、天を仰いで、
「カンラ、カンラ」
と高笑い。
それが森という森、山という山に響きわたって、
四方八方から呼応して来るのは銅鑼や太鼓の音。
諸洞の主が猿王の大成功を祝して、
次から次へとお祝いの品を届けてくる行列また行列。
むかしは諸物資豊富だったから、
カクテル・パーティなどとケチなことはやらない。
山海の珍味が食卓を埋め、椰子のジュースに葡萄の美酒。
飲めよ、歌えよ、と夜を日につぐ大宴会である。

かくて軍国の基礎はますます固く、
強兵尚武の風はいよいよ盛んになり、
大臣も今や元帥大将の兼職、すべて兵隊の位になおさねば、
世間の評価ができなくなってしまった。
そして、当の猿王はすっかり安心して、
毎日、雲に乗ったり、霧に乗ったり、
世界をまたにもっばら外交攻勢、
他国のボスたちと兄弟の交わり、牛魔王、蛟魔王、鵬魔王、
獅駝王、猴王、王と併せて、
七人の義兄弟が出来上った。
今や万里の外もさながらわが家の庭園で、
おじぎをする間に三千里、腰をひねる間に、
八百里といぅスピード時代になったのである。

2000-09-12-TUE

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