毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
実力狂時代の巻 第一章 ハッタリ猿

一 天と地の間

天と地がいつどうして作られたのか誰も知らない。
しかし、一日が二十四時間に分かれ、
草木も眠る丑満時から、やがて鶏が鳴き、太陽が昇り、
明るい日中が来るように、天地にも混沌とした
闇の時期があったに違いない。ただ我々の一日で
二時間にあたる部分が天地の場合にはちょうど
五千四百年の歳月にあたるから、天地の歴史が
午前四時になるまでにおよそ一万八百年もの
歳月を経過しなければならなかった。

西洋人の祖先たちは、人類やその他の動物は
神によって創造されたものだと信じているらしいが、
我々はもっと合理的な考え方をする人間だから、
万物はまだ夜明けの来ない午前四時前後に
自然に生み落されたものだと考えている。
何故ならば我々自身の体験から推しても
(もちろん例外はあるであろうけれども)、
夜が明けてしまえば、寝床から這い出してしまい、
まずは昼の日中に男女の睦言など
交わさないものだからである。
だとすれば、万物が生まれたのも、
天と地がまだ同じふしどの中で、
腕と腕をからませていた間に無意識のぅちに
作られたと言うよりほかあるまい。
「人間誕生午前四時説」を我々が信奉する所以である。

さて、夜がほのぼのと明けて、天が上へ、
地が下へと離れてしまうと、何しろ再び一緒になるまでに
何万年といぅ歳月を必要とするのだから、
涙なしに日を送ることは出来ない。
男の涙は雨のようだが、女の涙は海のようだから、
遂に陸地といぅ陸地は海に囲まれてしまい、
天下は四つの大陸、即ち東勝神洲、西牛賀洲、
南贍部洲、北倶廬洲に分割されてしまった。
それがさらにユーラシア大陸とか、アメリカ大陸とか、
アフリカ大陸とか、さらにはオーストラリア大陸といった
モダンな分類をされるようになったのは、
この数百年来のことで、たかだか数百年来の知識で
数十万年の大地の歴史を嘘でたらめときめてかかるのは、
小人の心を以って君子の腹を測るようなものであろう。

この物語はそうした天地の歴史の、
いわば午前六時頃の出来事で、
そのころ、東勝神洲の海のそとに傲来国という国があった。
この国は周囲を海に囲まれていたが、
大洋に面した側の海の中に見あげるばかりの
雄大な山が聳え立っている。そのどっしりとした姿は
麓を洗ぅ荒波をグッと押えつけるだけの貫禄があり、
苔むした崖や奇妙な形をした岩石が連なった
ところどころには、目もさめるような鮮やかな色どりの
草や花が四季を通じて絶えたことがなかった。
まさに山の中の王者とも称すべき天下の絶景で、
これが名にし負うかの花果山なのである。

この花果山の頂上に高さ三丈六尺五寸、
周囲二丈四尺に及ぶ天下の奇石が一つ、
あたかも天を指さすように直立していた。
何しろ遮るものとてない山の頂に
天地開闢以来さらされて来たので、
長い年月の間に遂に石の中に細胞を生じ、
或る日、石に亀裂が起ると、
ゴムまりの大きさくらいの卵がはじき出された。
風にあたると、この石の卵は二つにわれて、
中から現われたのを見ると一匹の猿である。

見かけは普通の猿と全く変りがないが、
この猿は生まれ落ちた途端から、
自分は他の動物たちのように
母胎から出て来たのではないという意識を持っていた。
よくハッタリの強い小説家などが
自分は母胎にいた頃の記憶を持っている
といったりするのをきくが、
誰に教えられたわけでもないのに、
この猿が母胎を否定するところを見ると、
生まれながらによほどハッタリが強いのであろう。
母胎の意識がないから、肉親といぅ意識もなく、
ましてや仲間の意識もなく、這うことを覚え、
走ることを覚えてからも、相変らずたった一匹、
岩蔭に坐り込んで、天のどこやらを睨みつづけている。

その眼付の鋭さはちょうど二本の放射線のように
無限の虚空まで届いたので、天を支配する玉皇上帝は、
何事かと驚いて、早速、千里眼と順風耳の
二将軍に調査を命じた。二人の将軍が御殿を出て
眼を見張り、耳をそばだてると、
光は傲来国の花果山のあたりから発している。
仔細に注意して見ると、
何とそれは猿の二つの眼から流れ出ているのである。

この時、猿がちらッと眼を動かした。
すぐ近くに赤く熟れた山桃の実を見つけたかららしい。
やがて手をのばして、桃をもぎとるのが千里眼の眼に映った。
それから、ガツガツと桃をかじる音が
順風耳の耳に入ってきた。
すると、不思議なことに、
今まで輝いていた猿の眼から急に輝きが消え失せた。
二人の将軍がその通り上奏に及ぷと、
玉帝は、
「別に驚くに足らぬことだ。
 腹がへれば血眼になるのは世の常だからな」
と頷いた。

2000-09-05-TUE

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