糸井さん、ブランドってどう作るんでしょう? "SAISON CHIENOWA"(セゾンチエノワ)チームのみなさん、糸井重里に話を聞きにくる。

ほぼ日刊イトイ新聞

糸井さん、ブランドってどう作るんでしょう? "SAISON CHIENOWA"(セゾンチエノワ)チームのみなさん、糸井重里に話を聞きにくる。

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第1話 メディアでの発信からブランドを作る? 2016-08-22

第1話 メディアでの発信からブランドを作る? 2016-08-22

チエノワ廣田
今日は”セゾンチエノワ”のチームで
やってきました。
ぼくは、プロジェクトに
最初から関わらせてもらっている
廣田(ひろた)と申します。
今日は進行役を務めさせていただきます。
よろしくおねがいいたします。
糸井
よろしくおねがいします。
チエノワ廣田
わたしたちはいま”セゾンチエノワ”という
サイトを運営しています。
これは、クレディセゾンという会社が
2015年12月にはじめたメディアです。
「働く、暮らすを考える。」をコンセプトに
クレディセゾンの社員自身が
記者となり、さまざまな記事を作っています。

まず、どうしてこういったサイトを
はじめたのかをご紹介させてください。

糸井
はい。
チエノワ廣田
そもそもクレディセゾンというのは
女性がとても多い会社で、
約3500人の社員のうち、8割が女性なんですね。
糸井
うちより比率が高いですね。
チエノワ廣田
しかも現在、そのうちの400人が
育児休暇や産休に入られています。
そういったことからも、
日本経済新聞社の企業格付けランキング
『NICES(ナイセス)』でも、
女性活用を高く評価され、上のほうにいます。

ですから、そういったことをきっかけに、
クレディセゾンのことを
もっと世の中のかたに知ってもらいたい。
そもそもはそういった思いから、
はじまった話だったんです。
糸井
なるほど。
チエノワ廣田
ただ、実際には
「もっと働きやすくできると思う」
という声が社員からけっこう聞こえてくるんです。

また、クレディセゾンは
クレジットカードの会社ということで、
ずっと消費を応援してきた会社です。
ただ、いまの時代、そんなに人々は
簡単にものを買わない時代です。
だから、そのときにまず
「自分たちが働き方や暮らし方を
もっと考えないと駄目だよね」
という問題意識もありました。

そんなふうな背景で、
去年の12月に立ち上げたのが
”セゾンチエノワ”という自社メディアです。

これは「新しい働き方や暮らしを考える」
がコンセプトの、
クレディセゾンの自社メディアです。
さきほどお伝えしたように、
社員自ら記者になって、
情報を発信していくプロジェクトです。

この”セゾンチエノワ”という
メディアを育てていくことで、
セゾンというブランドを新たに形作っていけたら。
そんなことを考えています。

また”セゾンチエノワ”の運営は、
今回のために新たに作った
「セゾン・ワークライフデザイン部」
が行っています。
これは、部署を飛び越えた
社長直轄の社内横断チームです。
コアメンバーと、現在産休・育休中、
また育児をしながら働く社員をはじめ
全社員の中から有志の者が参加しています。

かつ、その部では
「人事制度の改革」などもしています。
たとえば、産休に入ったお母さんが
家から”セゾンチエノワ”の記事を作ったら、
そこにちゃんとお金が出るようにしようとか。
ただ、働き方についての考えを深めるだけでなく、
それを実際に反映できるような
制度作りをすこしずつすすめています。

そんなことを行いながら、いま、
わたしたちはみんなで、
「2020年のセゾン文化は
どうなっていたらいいんだろう?」と、
考えています。

さて、前置きが長くなってしまいましたが‥‥。

糸井
いえいえ。
チエノワ廣田
「セゾン文化」というと現在、一般的には、
糸井さんが「おいしい生活。」を手がけられた
80年代頃のセゾングループの、
美術館、映画館、劇場などの文化事業のことを
イメージされるかたが多いと思います。

また、80年代の大きな盛り上がりのあと、
セゾングループが解体したりなど、
いろいろな経緯があります。

そして2016年の現在、実際のところ、
80年代の「セゾン文化」のイメージは
世の中の人には持たれていません。

そういう状況のなかで、
これからクレディセゾンという会社が
どのように、新しい
「大人のセゾン文化」を作っていけるか。
それがいま、わたしたちが抱えている課題です。

自社メディア“セゾンチエノワ”を
そのきっかけにできたらと考えていますが、
まだまだみんなで、
考えを深めていかなければと思っています。

そこで今日は、かつての「セゾン文化」を
形作られたかたの一人である
糸井重里さんにお話をうかがえたらと
みんなでやってきました。

また、もうひとつ。
1998年から現在にわたって
糸井さんとみなさんが作られてきた
「ほぼ日刊イトイ新聞」は、
自社メディアの先駆けだと思っています。

そして、みなさんがとてもたのしく
働いていらっしゃる印象があります。

そこで、「セゾン文化」のお話とあわせて、
どうすればお客さまが喜び、
かつ、自分たちもたのしい働き方を作れるか、
おうかがいできたらと思っておりまして‥‥。
糸井
さあ、大変だ(笑)。
チエノワ廣田
あまりにテーマが多く、すみません。

とはいえ、まず糸井さんに
お聞きしてみたかったのは、
「当時のセゾンって、
どんなふうに見えていたんでしょう?」
ということなんです。
糸井
じゃあ、今日のぼくは、
明治時代を語るおじいさんのようなものかな。
チエノワ廣田
いえいえ、そんな。
糸井
いまおっしゃられた大きなテーマについては
どれほど話せるかわかりませんが、
ぼくから見た、80年代当時のセゾンについては
多少、お話できるところがあるかもしれません。
チエノワ廣田
ぜひおねがいします。
糸井
まず、当時のセゾンのことを
残っている記録や年表、
当時の経営者である堤清二さんのことばだけで
見ていこうとすると、
やっぱりこぼれおちる部分があると思うんです。

歴史って、いろいろな因果関係を
きれいに整理して伝えられていきますが、
事実というのはたいてい、
もっとさまざまな要素が絡みあって
できているものですから。

「セゾン文化」についても、
「こう語られてるけど、ほんとにそうかな」
と思う気持ちがすごくあると思います。
実際には、見る人、見る角度によって、
ぜんぜん違ったものだったと思っています。
チエノワ廣田
そういうものですか。
糸井
たとえば、セゾンの仕事をはじめた当時のぼくは
たしか30歳くらいだったんです。
まだまだ子どものようなものだったんですね。

また、ぼく自身は広告の世界のなかで、
競馬に例えるならば
「中央競馬の人」ではなく、
「地方競馬の人」だったんです。
つまり、大きなナショナルブランドの広告を
担当するコピーライターではなく、
中小企業の一ブランドなど、
もっと規模の小さい仕事を担当している
コピーライターでした。

当時のセゾン──当時は「西武」ですね、
というのも、世の中からは、
あるていど大きな会社に見えていたかもしれません。
ですが、実際の経済における
「西武百貨店」の存在感というのは、
そこまで大きいものではなかったと思います。

当時の西武百貨店というのは
「池袋にある、長靴のままでも入れるデパート」
といったイメージでしたし。

ぼくがお手伝いをさせていただいたのは、
そんな西武百貨店が、他の大きなデパートに対して
田舎侍が「へへへ、見てろよ」と、
打って出ようとしていた時期だったわけです。
だから現在、
「あのころ西武の広告は一世を風靡して‥‥」
といった言われ方をすることがありますが、
実際のところは、ぜんぜん違ったと思います。

チエノワ廣田
ただ、ぼく自身はいま35歳で、
当時のことを直接は知らないのですが、
「おいしい生活。」などのコピーは
まさに伝説的な話として
上の人たちから伝え聞いてきています。
糸井
そう言ってもらえるのはありがたいですが、
「おいしい生活。」にしても、
当時、リアルタイムであのCMを見た人は
ほとんどいなかったと思います。
そこまでお金をかけられるものではなかったし、
午前中の、主婦の番組をやっている時間に
何回か流れたくらいだったと思うので。
チエノワ廣田
そうなんですか。
糸井
また、もうひとつあるのが、
西武百貨店の代表の堤清二さんは、
その家族関係のなかで、
弟の義明さんが本体の西武グループを継ぎ、
自分は小さなデパートを任されただけという
状態でした。

ですから、セゾン文化の話というのは、
堤清二さんの
「このちいさな所帯をどうやってものにするか」
という、ある種の成り上がり物語を
すすむしかなかったところに
そのスタートラインがあったと思うんです。

そしてそのとき、堤清二さんにとっての
千利休的な存在である田中一光さんが、
さまざまな人選のプロデュースをしていました。
そして、
「こいつにやらせてみましょう」
と呼ばれたのが、
地方競馬出身のぼくだったわけです。

「こういう若い子がいますから」と
声をかけてくれて、
ぼくはぼくでうれしかったですが、
実際には、先ほども言ったとおり、
ぼくもまだまだ幼かったですから。

世の中は三越、高島屋、あるいは伊勢丹の時代で、
そこでどれほど西武の広告の発信力が
あったかといえば、たいして大きくはなかった。

とはいえ、そこから西武は変わったアプローチで
ぐんぐん伸びていくわけです。
それは、そのとき堤さんが選んだ戦略というものに、
おもしろさがあったと思うんです。

(つづきます)