MUSIC
虚実1:99
総武線猿紀行

第52回
渋谷を変えた男
橋本徹君とそのカフェについて


いや、暑いっすねえ。
風呂にお湯ためっぱなしにしといても、
温度下がらないでゴンスよ!
先日の喫茶店についての第52回の文で、
僕が現在カフェについてあまり興味ないように
書いてしまいましたが、そんなことはありません。
けっこうスキなのです。

そんなカフェブームの最先端をいってるのが
渋谷にある「カフェ・アプレミディ」という店です。
公園通りのタバコと塩の博物館の数軒先のビルの5階は
空前の混雑らしいです(夜)。
そのオーナーである橋本徹君は古い知り合いです。
10年前に出会ったころ彼は講談社の社員でした。
彼について今日は戯れに書いてみたいと思います。
90年代という時代が浮かび上がってくるのです。

時代を変える男というのは
さりげなく現れるのでしょうか?
ホットドッグ・プレス誌の編集者だった橋本徹という人は
そんな人の一人だったのです。
今の渋谷系といわれる音楽状況を作った
最重要人物の一人が彼です。

彼と10年前に会った時、
セブンアップのようなさわやかさはあったものの、
この男が90年代の音楽シーンを変えていくことになるとは
気づくことのできない、
地味でシャイな真面目な男子という印象だったのです。
僕と彼は、「ぷるぷるクラビング」という
ページを作りました。
勃興しつつあったクラブ・ムーブメントを担う
「ミックス」のようなアンダーグランドな店から
「ジュリアナ」のような大バコまで紹介しようという
気鋭のページだったが、
「女の子目当ての人も行けるように」と
お店の「女の子イケてる度数」というのを
「ぷるぷる度」という採点で付けたのです。

彼はそのころ、音楽マニアに有名なオシャレ音楽選盤誌の
「Suburbia Suite」というフリーペイパーを作ります。
shipsの広告が載っているこのハイブロウなミニコミは
すぐに若者音楽ファンの間で大変な話題となりました。
彼の出世作ペイパーである、この「Suburbia Suite」の
主幹としての彼を知る人にとって
「ぷるぷる度」がついてる連載を僕とやっていたことは、
意外なことかもしれないですが、
そんな柔軟なバランス感覚こそが、
彼を成功へと導いたのではないか? と僕は思っています。

それからしばらくして1993年
「Suburbia Suite」のパーティが渋谷公会堂の前の
今は亡きDJバー・インクスティックでありました。
ここにピチカート・ファイヴの小西康陽をはじめ、
解散を決定する直前のフリッパーズ・ギターの
小沢健二、小山田圭吾が顔を揃えました。
渋谷が時代を創り出す、まさにこれからという瞬間でした。
生臭い業界人の顔は一人もいませんでしたが、
あの場の人間こそが、
90年代の音楽変革をもたらしていったのだと思います。
渋谷系が確立した瞬間だったのだと思います。

それと前後して橋本は講談社をやめます。
もちろん僕は留めました。
歯科医免許をもっていながらロックにすすんだ僕が
人のことをいえた義理ではないのですが、
マジでサラリーマンをやっていた方が安全と思った。
しかし彼は講談社にいるよりも、
質・量ともに十分充実した人生を叩き出すことになるのです。
講談社をやめて音楽業界に入った人間には
スカパラの亡き青木達之、いとうせいこうがいるし、
山田五郎はホットドッグ・プレス編集長を務めました。
とんでもない奴を生む体質が講談社にはある。

そして橋本徹は、
人気コンピレーション「FREE SOUL」シリーズを創って
大成功します。従来マニアのものだったソウルを
若者の「今」聴ける音楽として構成し直す。
これは画期的なことでした。
まず音源が20年ぐらい古いものだということ。
次に色々なアーティストを集めたコンピレーションを
ヒットさせたということ、
レコード会社のふたつの常識を破った。

なお橋本徹君の進撃は続きタワーレコードの
フリーマガジン「bounce」編集長を務めることになります。
知ってますか? タワーで無料でもらえる
あの分厚い音楽雑誌。
あれを作ったのが彼です。
タダで、カラーで、どの雑誌よりも細かい情報が手に入る、
渋谷を中心とするレコードマニアにとって、
これはトドメの革命になりました。
世界のどこにもない最多音楽情報誌「bounce」には
橋本の透徹した編集センスが結晶しているのです。

文明の進化とは情報量の増大であり、
パソコンが表舞台に出た90年代は情報革命の時代。
しかし音楽において情報革命を担ったのは
実は橋本のような男ではないか? と思っています。

そんな彼は3年であっさり「bounce」編集長を辞め、
今度はカフェをやるというのです。
もはや僕は呆れた口がふさがった。
彼がやるならきっとまた成功するに違いない。
当然のように渋谷公園通りに開店した
「カフェ・アプレミディ」は
ニューヨークのグリニッジ・ビレッジにあるような
天井の高い小粋な店。
彼は自分が呑むために店を作ったようです。
事実、行くと必ず、最近ちょっと太った橋本君がいます。
このお店はまたまた超ヒット。
夏休みの今は若者であふれかえっているようです。

それにしてもね、行動力スゴイっすよ。
今の30代で成功しつつある人は。
何でも自分でやってしまう。
フリーペイパー作って、
コンピレーション100枚以上作って、雑誌創刊させて、
それで、カフェ作っちゃうんですよ??
僕にはそこまでできないな?
貴方にも、きっとそんな企画力、行動力
なかなかないですよね・・・。

(カフェアプレミディについては
 これから発売される雑誌NAVIに触れましたので
 良かったら見てください)

2000-07-30-SUN
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