ロック・ジャパニーズ
の作り方。


#11 Sads。


今日はSads!
遠慮のなさすぎるコメントにご注意だ!!!



Sads

http://www.sads.net/
(オフィシャルサイト)

 1999年4月結成。
 6月のUKツアー後、7月にデビュー。
 その後、ホールとライブハウスを問わず、
 2年間で200本近いライブを重ねる。
 2000年6月にリリースした
 セカンドアルバム「BABYLON」は
 オリコン初登場1位を獲得。
 今回は「I SAY GOOD-BYE,SO GOOD-BYE」
 をトリビュート。
 
★original track
 from「KISS ME PLEASE」CSCL-1266(6/21/79)




SADS(※清春 小林勝 坂下たけとも 満園英二)

----まず、みなさんお一人ずつ、
  矢沢永吉初体験と言うか、
  知ったきっかけを教えていただきたいんですが。

清春
「いやもう、物心ついた時から知ってました。
 ・・・僕は何で知ったんですかね?
 いや、たぶん誰もが日本に住んでれば、
 知らないうちに知ってる存在だと。
 だから別にきっかけはないんですけども。
 知った時からアーティストと言うか、
 そうねぇ、最初は、『こわそう』っていう…。
 まあ、自然だよね。
 知らないうちに根付いてるっていうか。
 日本に生まれたら知らないのは
 許されない存在なんじゃないでしょうか」

満園
「そうそうそう」

----じゃ、みなさんおなじですか? 

坂下
「僕はね、昔、子供の頃ね、
 悪い友達といっぱいつきあってて、
 その悪い友達から
 日比谷の野音のキャロルのビデオを見せてもらって。
 それが最初ですね、中1くらいの時に」

----見てどう思いました?

坂下
「いやあ、怖い人たちだなって(笑)。
 でもかっこいい。
 それから、自分でカセットテープのなんか、
 2本組みのキャロルベストっていうのがあって、
 それを買いました」
 
----あのう、ご自分は、
 その・・・怖い人ではなかったんですか? 

坂下
「いや、僕はあの、一緒につるんでる感じの普通の、
 あの、バンド少年でした」

----満園さんは…。

満園
「俺はねぇ、親戚のおばさん経由で知った覚えが。
 ・・・でもね、知ってたんだよね、もう。
 なんか、RUNなんとかってやつがあって、
 それのチラシが、シロクロのチラシが、すごく。
 小学5、6年くらいかな? 
 それで完全に名前とロゴを覚えましたね。
 ノートに書いたりしました」
 
----御親戚の方はファンだったんですかね?

満園
「そうですね。割とハイカラなおばさんで」

----ハイカラなって…(笑)。小林さんは?

小林
「僕ですか? 自然な感じですね。
 前ってよくテレビとか出てたじゃないですか。
 そういうとこからも知ったし、
 いやほんとに自然に。
 あともう年輩の人と飲みに行くと、
 年輩っつってもそんなに歳はなれてない人とかと
 飲みに行ったりすると好きな人がいたりとか。
 うん、そうっすね。自然な感じ」

清春
「うちの近所の自転車屋にね、
 矢沢さんのポスターを店のガラスに
  グワーーッと貼ってるところがある。

全員
「(笑)あははは」

清春
「そういう店あるよね、やっぱりそのフリークの」

小林
「ああ、あったあった」

清春
「どこにでも(笑)。
 昔、そのう・・・車のちょっとなんすか、
 ヤンキー車のガラスん所に、
 カッティングシートとか。うん。
 いやもう、自然に知るってすごいっすけどね」

坂下
「すごいよ」

小林
「すごいと思う」

----じゃ、次に、SADSのみなさんも参加した
  アルバムの話をうかがいたいんですが、
  自分達の曲が仕上がって聞いてみた
  感想は、いかがでしたか?
清春
「I SAY GOOD-BYE,SO GOOD-BYE。
 うーん、あれはそうですねぇ。どうですか?
 あれはよかったですよ、すごい」
 
小林
「うーん」

清春
「ちょうど僕らもなんかちょっと
 新しい方向性に向かって、
 あのー、変身途中だったので。
 ちょうど話をもらった時に。
 で、すごい実験的ななんかこう、
 SADSのこれからやっていく感じの、
 まあ今やってる感じの
 ちょっと実験的な感じを、
 結果的にすごい出来た。
 うーん。やっぱりね、
 矢沢さんのファンが聞いた時に、
 ちょっとこれ顰蹙かなとかね、
 結構変えちゃってるんで、と思ったし、
 なんでSADSが参加するんだとか
 言われそうじゃないっすか。
 ・・・だけど、まあ、どうっすかねぇ。
 すごい気に入ってるけど。すごい好き」
 
坂下
「すごいかっこいい」

小林
「ぐっと来る」

清春
「グランジっぽい感じに、
 ちょっとダークなグランジっぽい感じに出来たと。
 僕らが一番音いいですね。
 金かかってますね。(笑)
 ま、そんな事言ってまた顰蹙を買うんですけど。

----次はこの曲を演奏するライブが9/2にあるわけですが、
  今の胸中をお聞かせ願えますか?
  どんなステージになるかとか。
清春
「僕らねぇ
 I SAY GOOD-BYE,SO GOOD-BYEは
 僕らは自分達のライブでもやってますから。
 はい。
 あの、新たに練習する事もなく普通にやって。
 ・・・あ、でもねぇイベントねぇ、
 矢沢さんのイベントじゃなかったら出なかったね。
 だから自分達よりもかっこよくって
 自分達より人気あるっていうのがゼロ、
 なんで、矢沢さんのイベントじゃなければ
 普段出ないですけど。
 できればね、今回のイベントもいいけど、
 矢沢さんの前座で全国回りたいね。
 それやるんだったら、できればね。
 それは、叶わぬ夢って感じなんですけれども。
 でも、まあ、
 普段見られ方が違っているバンドの人たちと
 出るので、それなりにファンの人たちもね、
 固定観念を持っていると思うんですけど、
 ま、マイペースで、やれたらいいなって思うし、
 うーん。結構知ってるバンドっていうか、
 自分達でも認知してるようなバンドは
 3つくらいしかないもんね。
 どんな音やってるかって。
 あとはもう、知らないっつーか、
 知る余地もなかったバンドばっかなんで、
 あの、何て言うんですかね、
 別にそれは悪い意味じゃなくてね。
 うーん、逆に僕らのライブ見るのも初めてだと
 思うんですよね、そういう人たちが。
 だから、そういう人たちにそうですね、
 より嫌われるようにライブが、
 ステージが出来たらなー。と言ってもねぇ、
 俺、矢沢さんのファンに観てほしいんだよねぇ。
 もっとなんかこうイカツイ人たちに、
 そういうなんかこう、その方が楽しそうだから。
 それを願って…。行ったんですけどね、
 僕ら、矢沢さんの武道館に。
 あの、去年か…、今年かな? 去年。
 ・・・すごかった! 完璧だった! 
 もう、僕らにはできない、
 もう、到底できない、完璧なショウだった。
 だからねぇ、それも想定して
 レコーディングしたりしたんですけど。
 ライブもね、たぶんこう見えて
 一番音デカイと思うんで。
 矢沢さんに喜んでもらえれば、
 あとは別に他のバンドのファンが喜ばなくても…。

坂下
「俺はギターウルフに会えてうれしい」

清春
「あ、なるほどね」

----自分にとって矢沢永吉というアーティストは
  どう言う存在でしょうか? お一人ずつお願いします。

満園
「全然バリバリに未知数だと思うからね、
 まだ全然これから。
 いなかったから、ああいう人は。   
 どんな存在になっていくんだろう。永ちゃんって。
 明らかな真似の人は何人かいたけど。
 パロったりする人もいたけど。
 そうですねぇ、すごい人だと思います。

坂下
「究極のエンタティナーっていうか、
 すべてに於いて。たぶんなんかこう、
 切り替えてやってないっていうか
 裏表がないっていうか、
 あの、生まれながらのスター、だと思います。

小林
「はい。いい人だと思いますよ。
 たぶん日本中の誰もが知ってる存在だと思うから。
 えっと、幅広い年齢層で、
 好きとか嫌いとかじゃなくて、
 とりあえずみんなが知ってるって存在だから、
 あんな人いないなぁと思って、
 イヤほんとスゴイと思いますよ」
 
清春
「なんでしょうね、
 日本のオジー・オズボーンみたいな人ですからね。
 その向こうのハリウッドの、
 僕らが結構好きなハリウッドとかね、ロスとかのね、
 アメリカの音楽シーンの中でいうと
 オジーみたいなボス。
 数少ない日本のロックシンガーの、
 代表的な成功例だと思いますよ。
 毎年ホールツアーもきちっと出来て、
 武道館もいつも満パンだし、うん。
 『アー・ユー・ハッピー?』でしたっけ?
 読んだんですけどね、レコーディング中に。
 もうねぇ、もう人としてすごい。
 ライブ見た時に歌とかも、僕と違ってねぇ、
 もう全然キャリアも違うんですけど、
 細かい音程とか絶対にはずさないんですよね。
 そういう音楽的な面もすごいんでしょうけど、
 本とか読むと「まじっ!?」
 っていうところがいっぱい書かれてて、
 強い人だと思います、精神的に。
 ああいう大人になりたいです。
 ハートが」
 
 
インタビュー:伊藤亜希

2001-08-20-MON

YAZAWA
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