おいしい店とのつきあい方。

030  シアワセな食べ方。 その21
一家でつくる、夏のそうめん。

そろそろ涼しい食べ物がうれしい季節になります。
カラッと晴れた日差しが眩しく暑い午後。
うちでは昔からそういう日のコトを
「そうめん日和の1日」と呼んでいました。
そうめん日和のお昼はそうめん。
家は朝から大忙しです。

父とボクは氷を買いに行きます。
ボクが少年時代を過ごした家は、松山の中心街。
商店街の中にあって、その頃、商店街の裏側には
歓楽街と呼ばれる大人の街が必ずありました。

大人の街の夜の主役は水割り、あるいはオンザロック。
そこは上等な氷を大量に使う街でもあって、
だから大きな氷の柱から使う分だけ氷を切り出して売る
「氷屋さん」が何軒かあったのです。


朝からやっているお店に氷を買いに出る。
家の冷蔵庫でも氷はできる。
けれど一斗缶くらいの大きさの塊じゃなくては
用を足さない。
しかもなかなか溶けない芯から凍った冷たい氷がほしくて、
それで氷屋さんまで買いに行く。
帆布でできた、今で言うところのトートバッグのような
氷を収めるカバンを右と左に分かれて持つと、
ズシンと肩が抜けるような重さで、汗をかく。
途中何度か右と左をいれかえながら、
家に着いたらカルピスを飲む。

家ではそうめんのお供が出来はじめている。
砂糖と塩で甘辛仕上げにした錦糸卵。
千切りにして軽くゆがいて冷ましたキュウリ。
ハムの千切り。
小さなさいの目に切ったナルトやかまぼこ、ちくわ。
大葉も千切り、煎ったばかりの白ごまにすり生姜。
時に昨日の残りの野菜の煮付けや、天ぷらの残り。
そうそう、煮魚の煮汁の煮こごりも
そうめんのおいしい具材になったりする。
テーブルの上はいろとりどりでにぎやかになり、
さて、麺をゆでます。

大きな鍋にグラグラ、お湯を沸かします。
どのくらい大きかというと
小さな子供のお風呂に使えそうな寸胴鍋です。
お湯の量は半分ほど。
乾いた麺をさらさらいれる。
父が腕時計をじっと見ます。
そうめんの茹で時間は大体1分、
あるいはせいぜい1分半。
けれどうちではちょっと長めの2分半。
鍋はずっと沸騰させたままで、
乾麺がまとっていた小麦粉がお湯に溶け出し
ブクブク、大きな泡が鍋の中に湧いては消えて、
湯気のにおいがおいしく変わる。

父と子供たちが鍋の周りでワーワーしながら
そうめんを茹でる間に、
母はばあやのタマコさんとふたりでタレの準備をします。

二人の前には何本ものガラスの瓶。
もとはインスタントコーヒーが入っていた、
だから赤や黄色のプラスティックの蓋付きの瓶で、
中にそうめんタレの原料が入ってる。
干しエビを煮きった日本酒につけたもの。
カツオの生節を削って醤油の中で熟成させたもの。
昆布を水に浸したもの。
はらわたをとった煮干しを煮出した出汁に、
その出汁ガラになった煮干しを漬け込んだ醤油だとか、
いくつもの調味液を混ぜ合わせで、
つけだれを作っていくその景色。
あたかも魔法使いが、
とある効能を持った秘密の薬を作っているようで
見ていてドキドキさせられた。


さて、茹で上がった麺。
コンロの火を消しても鍋の中はグラグラ、沸騰してます。
そこに直接、氷の塊をゴトンと入れる。
ものすごい量の水蒸気が噴き出し、目の前真っ白。
氷がたちまち溶けて、鍋の中のお湯の量がみるみる増える。
増えると同時に、お湯はすごいスピードで冷たくなって
鍋を触ると鍋まで冷たい。
シンクに大きな網を置き、
ザルをめがけて鍋の中身をざざっとこぼす。
ゴトンと溶け残った氷の塊と一緒に
茹で上がったそうめんがザルの中へとやってくる。
グラグラから一瞬にしてキンキンに冷やされた麺は
ギュギュッとひきしまり、
水道の水で麺をもみ洗いして食べやすい温度にあげる。
それでも氷は溶け残り、残った氷は木桶に置いて、
食べるばかりに準備ができた
そうめんを周りに飾って出来上がり。

そのなめらかでつややかなこと。
いくらだって食べられる。
なによりタレのおいしいこと!
おだやかな醤油の風味に、
いろんな素材の香り、旨味が混じり合う。
これは何の味なんだろうって不思議に思うときもある。
でも何が入っているかがはっきりわかる。
だからこの苦味はイリコのワタの苦味なんだろうなぁ‥‥、
なんて推察しながら食べられる。
食べてくうちにタレが薄まる。
調味ダレを好きに加えることになるのだけど、
イリコの苦味だと思っていたのが
昆布の苦味だったと気付いたりする。

おいしい勉強。

最初は母の味だった。
それがどんどん自分の味に近づいて、
同じテーブルを囲むみんなが自分の味を楽しむ食卓。
互いの味を試させてもらったりして、
だから「今日はそうめんを食べよう」って一言は、
家族みんなが仲良くなれる呪文でもあった。

まだ「めんつゆ」なんて
便利なものが一般的でなかった時代の思い出です。

2018-05-31-THU