おいしい店とのつきあい方。

021 シアワセな食べ方。 その12
これっておいしいの? おいしくないの?

料理がいかにも出来なさそうな女子芸能人に
「料理はできるの?」と聞く。
彼女が「目玉焼きくらいだったら」と答えるのを、
みんなが「そんなの料理のうちに入らないよね」って、
からかうように笑う。
バラエティー番組でときに見るシーンです。

目玉焼きが
「卵の殻を割って
熱したフライパンの上で焼くだけの料理」
だとすればたしかに簡単。
そんなコトができるくらいで
料理ができると言うのは滑稽なコト。
けれどおいしい目玉焼きを、
いつも同じ状態で作り続けることはとてもむつかしい。
例えば、ボクが贔屓にしていた
ホテルのコーヒーショップのシェフなんて、
目玉焼きを焼くたびに
「この目玉焼きをお客様は
本当においしいと思ってくれるだろうか」
‥‥、って思いはじめると
目玉焼きを焼けなくなっちゃうくらいに、
目玉焼きってむつかしい料理なんだと言っていた。

誰にでも作れそうな料理を
レストランで提供するのはむつかしい。
特に、「誰もが食べたことがある」上に
「誰にでも作れそうな料理」で
お客様を納得させるのは至難の業。


5年ほど前に登場して一躍話題となった
フランス料理やイタリア料理を
立ったまま食べさせるレストラン。
そこが売り物にしていた料理が
「フォアグラロッシーニ」。
牛ヒレ肉のグリルとじゃがいものピュレ、
ソテしたフォアグラを
濃厚なソースとともに味わうという
古典的な料理のひとつ。
何しろ流行作曲家としての地位を
好きすぎる美食のためにキッパリと捨て、
美食家としての道を歩んだという人の
名前を冠した食べ物。
贅沢で当然高価な料理を
立って食べてもらうからその分安く提供します‥‥、
というのがお店のコンセプト。

繁盛しました。
連日、開店と同時に行列ができるほどの繁盛で
行列の理由はいくつかあった。
有名シェフをスカウトし、
彼らの料理を「安く」食べることができるというのが
最初の理由。
しかもその安さの理由が
「立って食べる」というわかりやすくて
明確な理由があるというのが2番目の理由。

開業当初は小さな店ばかりでしたから、
話題になると当然行列ができてしまう。
いつも行列ができているからおいしいに違いない‥‥、
と行列が行列を生むというのが3番目の理由。
そうして行列に並んだほとんどの人が
本格的なフランス料理やイタリア料理を
食べたことがなかった人たちだったというのが、
4つ目の理由。
そして最後の理由が、
行列に並んだ人たちが食べたことのなかったものを
彼らが主力商品に選んだというコトでした。


食べ慣れない料理を売る店は流行らない。
だって、食べ慣れていなければ
おいしい、おいしくないの判断がつきづらい。
おいしいかどうかわからないものを、
おいしそうな顔をして食べるなんて間抜けのすること。
誰しも間抜けになりたくはないから、
日本ではフランス料理や
パスタやピザが売り物ではないイタリア料理、
メキシコ料理のような店より、
日本料理や洋食店を人は好んで利用する。
そうでなければ有名店や
有名シェフの高価な料理で安心を買う。
手軽な価格を売り物にした
チェーンストアを作ろうと思ったら、
絶対にしちゃいけないのは、
日本人が食べ慣れていない料理を
扱う店を作ってしまうこと‥‥。

その定石を見事、壊したのが
立喰フレンチ・イタリアン。
だって、これほど多くの人が
行列してまで食べるんだから、
おいしくないはずがないと思ってみんなは食べてた。
フォアグラロッシーニを食べたことのない人が、
心置きなくこの眼の前のフォアグラロッシーニは本物で、
グルメの人たちが食べているものと同じなんだと、
その安心を行列が作り出してた。

ところが彼ら、後にどんどん大型店を作っていった。
一人のシェフで
多くのお客様に料理を提供しようと思ったら
大きな店の方が当然いいわけで、
ところが大きな店は
行列ができにくいという宿命をもつ。
行列ができなくなってしまったお店で食べる
食べ慣れない料理。
本当にこれっておいしいんだろうか‥‥、
と不安が脳裏をよぎります。
しかも開業当初、立喰だったお店も
椅子がおかれて座って食べられるようになる。
すると今度は、「なんでこんなに安いんだろう」と
別の不安も頭をよぎる。
「もしかしたら、これは本物の
フォアグラロッシーニじゃないのかもしれない‥‥」
という不安です。

今、目の前にある料理がステーキだったら
素直に味わうことができるのに。
しかもそのステーキが和牛だったら
心置きなく熱狂できる。
その上、その肉が産地が明記されて
名の通った飼育者が育てたものだったりしたら、
みんなに自慢できたのに‥‥。

そういえば件の店に行った人がする自慢が
「フォアグラロッシーニを食べてきたよ」ではなく、
「行列に並んできたよ」だったりした。
「フォアグラロッシーニってどんな味だったの?」
って聞かれたときに
説明するのが面倒くさいからかなぁ‥‥、
と思ったりする。
でももしこれが
「究極においしい目玉焼き」
だったらどうなんだろう‥‥。
こんな状態で、こんな味がしたんだよ‥‥、
って多分、スゴく会話は盛り上がるのに。

シェフの本領はどこにおいて発揮されるのか。
それは珍しい料理をどれだけ上手に作るときでなく、
誰もが知っていて単純に思える料理を
おいしく作ることができるかどうか‥‥、
ということなんじゃないかなぁ。

目玉焼きの話がちょっと続きます。

2018-03-29-THU