おいしい店とのつきあい方。

016 シアワセな食べ方。 その7
次にお店に行くときまでに。

「せっかく聞いたことを忘れちゃいけないわよね」

母はノートをハンドバッグから取り出して、
メモをはじめます。
ティラミスを簡単につくる方法を
シェフから教わったのです。

ビスケット(注)をお湯で薄めたインスタントコーヒーに
砂糖を混ぜたシロップでふやかしておく。
(注)できればイタリアのビスケットを使うこと。
卵黄と生クリームを泡立てる。

「そこにチーズを混ぜるって言っていたけど、
なんてチーズだったかしら?
最近、物忘れが激しくって‥‥」

と言う母に、ボクの妹が
「確かマスカルポーネって言ってた」
と助け舟。

泡立てた卵黄と生クリームに
マスカルポーネチーズを混ぜる。
深めの器にふやかしたビスケットを並べて、
上にフィリングをのせたら
最後にカカオパウダー(注)をかけて完成。
(注)カカオパウダーはバンホーテンココアで可。

‥‥と、母のノートにレシピが残る。
そのレシピ書き起こしの様子が
とても楽しそうだったからでしょうか、
シェフがもう一度、厨房から出てきてご挨拶。
レシピを拝見できますか? ‥‥って。
「あら、間違っていたらどうしましょ」
と差し出す母のノートを見ながらシェフがコメント。

「ビスケットはイタリア産のよりも、
マミービスケットがいいです。
大人だけで召し上がるのであれば、
シロップにブランデーとかあれば。
イタリアのお酒、グラッパを
少々くわえると風味がでますよ。
それから、ココアをふりかける前に
冷蔵庫の中で冷やしておくこと。
一晩くらい冷たくして寝かせると、
ビスケットとフィリングが一体化して、
『天国に連れて行ってくれるようなおいしさ』
になりますよ」

‥‥、って。


「ちなみに、ティラミスってこのお菓子の名前。
tiramisuって書くのだけれど、
tiraは『引っ張って』、
miは『私』、
suは『上へ』って意味だから、
直訳すれば、『私を上に引っ張って』。
気持ちが上がって、
シアワセにしてくれるお菓子って意味なんですよ」

‥‥、ってトリビアめいた話も聞けて、
一堂ニッコリ。

ありがとうございます‥‥、って言いながら、
母はレシピを書いたノートとペンを一緒に持って
シェフの方に差し出します。
ニコニコしながら。
母曰く「お願いしたいときには、
私は目に星を入れることができるの」
という言葉通りに目をキラキラさせながら。

「何か?」と戸惑った表情をするシェフに、
小さな声で「サインをいただけるとシアワセですわ」
と。

「サインをさせていただけるなんて、光栄です」
ってささっとサイン。
それを手にした母が
「シェフ監修の公式レシピですわネ」って。

またのお越しをおまちしておりますと
お店を送り出された母は
早速、翌日、レシピ通りにティラミスを作った。

レシピ通りとは言え、
どのくらいの量のシロップを、
どのくらいの時間浸せばいいのかまでを
聞いてるわけじゃありません。
卵黄と生クリームを泡立てるといっても、
どのくらいの硬さや甘さが適当なのかも試行錯誤。
最初はなかなかうまくいかない。
その度ノートに気づいたことを書き込みながら
試作の連続。
それから毎週末のデザートはティラミスだった。
10回ほどの試行錯誤ののちに、
これならレストランで出せるかもね‥‥、
ってレベルのティラミスを作ることに成功します。

それから3ヶ月くらいのコト。
ティラミスをはじめて食べたお店に、
再び家族みんなで出かけることになったのでした。
妹の誕生日をみんなで祝おうというのが目的。
ティラミス作りに2ヶ月ほどもかけていましたから、
お店をはじめて訪れてから5ヶ月ほど。
テーブルについて注文をし終わった頃合いで、
シェフが出て来る。
そして笑顔で「ティラミスはお作りになりましたか?」
って聞く。
そう聞かれた時の母のうれしそうなコト。
ノートを差し出し、
「何度か失敗しましたけれど
やっとおいしいティラミスを
作ることができるようになりましたのよ」と。
開いた頁には何度も試行錯誤をした過程の記録。
そして完璧にできたティラミスの写真が
1枚貼られています。

それをみたシェフの本当にうれしそうな顔。
そして一言。

「今日は何をお教えいたしましょうか」って。

厨房というお客様から遠くにある場所。
そこで働くシェフまでシアワセにする。
シェフの仕事に関心を持つことの大切さを
おそわるような出来事でした。

さぁ、また来週。

2018-02-22-THU