おいしい店とのつきあい方。

111 ごきげんな食いしん坊。その5
母のつくる目玉焼き。

あたらしい家ではじまった生活。
それはまるで、
お抱えシェフのいるリゾートホテルから、
厳しい寮母さんが管理する寄宿舎に
入ったようなモノでした。
まず朝ご飯から、
タマ子さんの甘くてふっくらした
スクランブルエッグはなくなっちゃった。
母が作るのは目玉焼き。
父が朝に食べると決めた卵料理が目玉焼き‥‥、
だったからです。
ボクが食べたいモノだけが並ぶ
タマ子さんプロデュースのシアワセな食卓は
もう望むべくもなく、父が食べたいモノ、
あるいは、母が作りたいモノが並ぶ食卓。
ことに朝食は「父が食べたいモノ」の
オンパレードとなりました。

父は、朝食に関してはかたくなな人でした。
オレンジジュースに薄めのコーヒー。
バターを塗ったトーストにイチゴのジャムにマーマレード。
目玉焼きにグリルしたハムでひと揃え。
玉子は大抵、2個でひと組。
前の夜に酒が進んだからと
玉子が1個になることがあったり、
今日は昼食が遅くなるかもしれないからと
3個になるようなコトはあったけど、焼き方はいつも同じ。

薄く植物油をひいたフライパンに玉子を落とし、
ジリジリとした音がでてくるのをたしかめると
水を注いで蓋をする。
チュンチュン、水が蒸発する音と、
ガタゴト、蒸気が蓋を細かく持ち上げる小刻みな音が
しばらく続き、それがおさまったところで蓋をとる。
バターをひとかけ、鍋肌にそわせてくわえたら
フライパンを円を描くように、
ゆっくり、静かに回し続けると
バターがなじんで玉子がうごきはじめる。
なおもフライパンをまわしていくと目玉焼きが滑るように
フライパンの中でスルスルまわりはじめて、
それをお皿にポンッと移す。
グリルしておいたハムを2枚添え、出来上がり‥‥、
というのが父の毎朝食べる目玉焼き。

白身はしっかり固まります。
白身の縁はこんがり焦げて、
チリチリ、茶色いレースのように焼きあがる。
黄身を覆った白身も色を変えてかたまり、
けれど黄身はほぼ半熟‥‥、という状態。
朝は、家族みんなが同じものを
同じように食べてはじめるもの。
そうも父は思っていて、だからみんな同じ目玉焼き。
同じトースト、同じオレンジジュースに、
子どもたちはコーヒーじゃなくミルクというのが
父が家にいるときは、変わらず毎日、同じメニュー。
白いお皿に太陽を盛り付けたような、
朝にピッタリの料理ではある。
けれどさすがに毎日続くと、いつかは飽きる。
それを毎日食べて飽きぬ父をみて、
大人とは退屈をたのしむ人たちなのかもしれない‥‥、
と、おとなになるのが嫌になったりさえする毎日。

不思議なのが母も
「そのかたくなに毎日同じであるコト」を
たのしんでいるようにもみえた。
うれしそうに目玉焼きを作り続けるのです。
父とボクで男はふたり。
母と妹2人で、だから女性が3人。
まず女性用の目玉焼きを3人前、
同時に作り終えると次は男用を2人前。
小さなフライパンを何枚も用意して、
時間をおかずすべての目玉焼きができるように
見事な手際で鍋をふる。
子どもたちはトーストを焼き、
ジュースや飲み物のセットをする。
父は新聞を読みながら、料理の準備が出来るのを待ち、
食卓が整ったら「いただきます」と号令をかける。
大人の男は退屈である以上に、
自分では何もしなくていい人なのか‥‥、
と思ったりもした。
昭和40年代になったばかりの頃でしたから、
日本中の父とはそういう存在だったのかもしれません。

それにしても、母の焼く目玉焼きはおいしかった。
父が「自分が食べる目玉焼きの有り様」に対して
なみなみならぬこだわりをもっていたように、
母は母で「おいしい目玉焼きを作る」コトに対して、
相当の思いを持っていたのでしょう。
なにしろ、焼く直前の玉子の状態にまでこだわっていた。

冷蔵庫から出したばかりのものは使わない。
冷蔵庫の中にある玉子は眠った状態。
焼かれる準備ができてないから、
おいしく焼けてくれないのよネ‥‥、と。
玉子を前夜、冷蔵庫から出しザルに並べて
固く絞った濡れ手ぬぐいをかけて
一晩、涼しい場所でやすませる。
その丁寧で入念な扱い方に、
ボクより玉子の方が
ずっとかわいがってもらっているかもしれない‥‥、
ってねたましくさえ感じるほど。
だから寝る前。
あるいは夕食を食べながら、
「明日の朝は、玉子は何個焼きましょうか?」
と母は必ず父に聞く。
大抵は2個。
父が答えると「子どもたちは1つでいいわね」
と言って玉子をザルに盛る。
父が2個、母も2個で、
子どもたちはそれぞれ1個ずつ、
つまり家族全部で7つ。
翌朝の献立をワザワザ前夜に申告しなくちゃいけない、
そういう規則めいたところがまた、
寄宿舎の朝食みたいで、
ボクはちょっと反発したくなったのです。

ある朝。
目玉焼きを焼きおえた母に
「今日はなんだか、玉子を2個食べたいんだ」
とダダをこねてみた。
そして冷蔵庫の中から1個、
玉子をとりだし、母に手渡そうとするのだけれど、
母はそれを受け取らない。
受け取るかわりに自分のために焼いた目玉焼きを
半分切り分け、ボクのお皿に移して盛った。
その目玉焼きの姿にボクはビックリしました。
ボクが今まで見たことなかった目玉焼き。

その詳細は、また来週といたしましょう。

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2017-05-11-THU