024 たのしく味わう。その24
出汁は生鮮食品なんです。

昔、お手伝いをしていたうどん屋さん。
ちょっと変わった職歴をもった社長さんが
やってらっしゃった。
学校を卒業してから
ずっと航空会社でキャリアを積んだ。
とは言えずっと地上勤務で、
だからサービスに関する仕事をしていたかというと
決してそんなコトはない。
ならば実家はというと、
代々、公務員の家柄で、
飲食店とはゆかりのまるでない人生。
ところがあるとき、香川県に出張に行き、
そこで出会ったうどんに衝撃を受けたというのです。
しかもうどんの麺ではなくて、出汁の味。

透き通って、目にはたよりなく見えて、
なのに味わい力強くて
ゴクゴク飲んでしまいたくなるようなおいしさ。
30年以上も前のコトです。
まだ関東で、さぬきうどんのようなうどんを
気軽に食べることができない時代。
ならば自分で、おいしいうどんを作って
それをなりわいにしよう、と、
それで一念発起で勉強はじめた。
そういう人が作る出汁がスゴかったのです。



出汁の基本は昆布とかつお節。
昆布は産地。
ただ、○○産と指定するだけじゃダメだというのです。
生えている岩の位置を指定する。
海流がどちら側にあるかで、昆布の育ち方が微妙に違う。
うちの出汁はかつお節の旨み、
風味を主役にしないからあまり香りを主張しない、
スッキリとした味の昆布を仕入れるために、必要なコト。

かつお節はその原料のカツオの段階からこだわりをもつ。
大抵のかつお節用のカツオは、
地引網や底引き漁で収穫する。
網でザザッと大量にまとめて捕獲するからコストは安い。
けれど、網の中でカツオ同士が擦れ合い、出血をする。
血が肉にまわってしまうと、
当然、味や風味に影響が出る。
だから一本釣りでとったカツオを使ったかつお節だけ使う。

昆布を炊いて、その表面に泡が浮かんできたら取り出し
そこにかつお節。
沸いて沸騰したら火を止め、休ませる。
小さな鍋で日本料理の職人さんが、
おいしい合わせ出汁をとる取り方を、
なるべく変えぬように、
一度に何百人前もの出汁をとるため、
工場設備を整えてと、それは大変な準備と投資。



出汁は生鮮食品なんですネ。
だからできれば出来立ての状態で使い切りたい。
1日何度も出汁を炊き上げることが
できればいいのだけれど、
何軒もお店を営業しようとするとむつかしい。
それで、当時はまだ珍しかった
作ってまだ熱い状態の出汁をパッケージに充填して
そのまま真空状態に保管する機材まで投入するという
気合の入れよう。
繁盛しました。
繁盛すれば、店を増やしてくれませんか‥‥、と
いろんなオファーがやってきて、
ところが店を増やそうにも
基準を満たすかつお節を手に入れることがむつかしくなる。
それ以上に、遠くにお店を作ってしまうと
出汁の鮮度が保てない。
店は作れるけれど、今のままでは作れない。
増やすためには今を変えなくてはならない‥‥、と、
そんなときに今を変えるか変えないか。
経営者として非常にむつかしい問題で、
さぁ、どうすればいいでしょう‥‥、と
話し合いをして結局、店を増やさぬことを決断した。
だから今でもある地方でひっそり、
数軒だけを経営していらっしゃる。



世界的にみても、日本の出汁文化というのはとても特別。
なにしろ、すぐにできるのです。
素材を入れて一煮立て。
フランス料理のソースの基本になる、フォン‥‥、
日本語に訳せば出汁ということになるのでしょうけど、
魚や肉、野菜やハーブをクツクツ、
何日も煮込んでやっと仕上げることができる、
時間と労力の結晶のような存在で、
それにクリームや焦がしたバターや
ワインなどをくわえて煮詰めてソースができる。

日本料理の調理人は楽でいいよな。
ソースを作らなくてもいいんだから。
それにコストもかからない。
なにしろフランス料理の原価のかなりの部分を
ソースにかかる材料費やガス代、
人件費が占めているくらい。
それが必要ない日本料理の世界は羨ましい‥‥、
とそんなコトをいうフランス料理の調理人がいたりする。

フランス人は、さまざまな素材を組み合わせて
新しい味を作り出すことを得意とする。
一方、日本人はすでにあるおいしさを
利用するコトを得意とする。
‥‥、のじゃないかとボクは思う。



もともとある昆布の旨みや
かつお節の旨みを利用して作り出す出汁は
その代表的な発明品。
しかもそのため日本の人が作り出した、
かつお節や醤油、味噌。
どれも何年もかけて、
自然の力が作り出した旨みの塊。
フランス料理のシェフが何日もかけて作ったんだ‥‥、と
調理時間を自慢するなら、
日本の出汁は自然が何年もかけて作り出した時間の産物。
すでに料理の次元が違うんですね。
しょうがない。

そんな日本にあって、
日本生まれでありながら、
まるでフランス料理のソース作りをするがごとき
料理があります。
どういう料理か?
さて、来週のお話です。



2015-08-20-THU



     
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN