昔、ボクの会社があった近所に、ステーキの店が二軒、
ほとんど同時にオープンしたことがありました。
どちらもオフィスビルの地下一階にあったというのも、
共通点。
ただ、その一軒はチェーン店。
気軽な値段で肉でお腹を満たせるレストラン。
もう一軒は、ここにしかないお店らしくて、
ちょっと値のはるステーキハウス。
どちらもお店におりていく階段の脇に看板をおき、
そこにはメインの商品のメニューを貼って、
お店選びのヒントとしてた。

さて、どちらのお店に行こうかなぁ‥‥、と思ってみてた。
最初はどちらもお客様が入ってる様子がほとんどなくて、
やっぱり地下のお店は大変なんだなぁ‥‥、と思ってた。
チェーン店の人がお店の表にでてきて、
「先日、開店しましたステーキレストランです。
 どうぞ、よろしくお願いします」とチラシを配る。
お店の雰囲気を伝える写真に、メニューが印刷されていて
「開店記念割引チケット」なる金券が添えられている。
それを持って行けば200円引きで
料理を楽しむことができるというのです。

一方、もう一軒の方はどうかというと、
そんなことは一切しない。
声をからしてチラシを配るかわりに、
お店の周りを一生懸命掃除するのです。
地下のお店に向かう階段。
滑り止めのステンレスの金具があって、
それを一本一本丁寧に、しゃがみこんでピカピカにする。
お店の前を歩いていると、ふとした拍子に
掃除途中のお店の人と、目があったりします。
そんなときにも、彼らは軽く会釈するだけ。
「ステーキ、ひとつ、いかがですか?」
なんて、口が裂けてもいわないのです。


店が暇なとき、チェーン店の人たちは
「表に出てチラシでも配ってこい」と教えます。
店でぼんやりしていても、
お客様がやってくる保証はどこにもないから、
まず表に出て営業してこい、というのです。
けれど、もしその結果、チラシ配りが功をそうして
お客様が続々とやってきたとしたら大変。
お店の中は対応準備ができてないから大忙しで、
現場が混乱を極めるということが起こってしまう。

はたしてボクの会社の近くのステーキチェーン。
開店間もないということもあり、
一度は行ってみようかと思っていた人たちが
割引券をきっかけに
大挙してお店に押しかけることになってしまった。
忙しいコトになれていない人たち。
しかもほとんどが新人で、満席のお客様に対応できない。
料理が出るのに30分ほども
かかってしまうのが当たり前で、
昼の休憩時間で食事が終わらぬ人が続出します。

そのとき、店長がする仕事といえば、
お客様に頭を下げて謝ること。

飲食店に働くということは、
謝るためではなくて感謝されるためのはずなのに。
飲食店で働く人が下げる頭は、
ごめんなさいというためではなく、ありがとうございます、
またお越しくださいというためであるはずなのに。

こんな店には二度と来るかと、腹を立てて帰るお客様に、
そんなことをいわないで、
もうワンチャンスくださいよ‥‥、
と泣いてすがってまた割引券を手渡すのです。
うちの会社にはその店のチラシと割引券の山ができ、
それは決して減ることはなかった。
つまり、飲食店に「もうワンチャンス」はまずないんだ、
というコトなのです。

お客様がいらっしゃらない暇なとき。
それは、「お店をキレイにするチャンス」だと思って
掃除をしよう。
忙しい時には掃除できないすみずみを、
ピカピカに磨き上げて、
いつでもお客様を気持ち良くお迎えできる準備をしよう。
それがステキなお店のすることなんだと思うのです。


もう一軒の、
来る日も、来る日も階段を磨き続けたステーキハウス。
ゆっくり、街の噂になりはじめます。

あの店、行った?
キレイなのは階段だけじゃないんだよ。
お店に入ってみてごらん。
テーブルも床もピカピカで、厨房なんてキラキラしてる。
従業員もしつけがしっかり行き届いていて、
昼ご飯の値段としてはちょっと高い。
でも、そんな値段でこれほどたのしませてくれるなんて、
申し訳なくなるくらい、いい店なんだよ。
行ってごらんよ。
なんだったら、ボクまた行ってみたいから
都合をあわせて、行かないか。

‥‥、とそんな噂が確実に、街の評判になっていった。
そして半年ほどもたったころには、
確実にランチをとろうと思ったら
予約することが無難なお店になっていったのでありました。

さて、飲食店における宣伝のコトをココで考えましょう。
宣伝には二種類の目的があります。
ひとつは初めてのお客様を獲得するための宣伝。
新規開店のときには
お店の存在そのものが知られていないから
必死になって宣伝をするお店がたくさんありますけれど、
新規顧客獲得において最高の宣伝手段は「口コミ」。
ちらしなんて、一過性の効果しかない。
けれどそのお店に対して好意的なお客様たちの口コミは、
永遠に続くのです。
飲食店の独立開業において、
ソムリエや給仕長が独立した店は成功しやすいけれど、
シェフが独立すると苦労する。
理由は、お客様との直接的な人間関係を持っている
サービス係のお店は、
「分厚く温かい口コミの羽布団」
に包まれて生まれてくるけれど、
人知れず料理を作り続けていた調理人は、
まず自分が包まる毛布を作ることから
しなくちゃいけないからなんですネ。
そしてその口コミの一翼をになっている
お客様という私たち。
口コミを発した瞬間、
そのレストランの経営に関与してしまったという
責任を覚える必要があるのだろうとも思うのです。

そして飲食店が自らを宣伝するもう一つの理由。
来週のお話とさせていただきましょう。


2014-01-30-THU



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