商店街の喫茶店が、
ずっと長らく近隣の商店のご主人たちを
主なお客様にしてきたように、
バーという場所は長らく「オトコ」の聖地であった。
今でも「バー」というと、女性にとっては
ちょっとばかり敷居の高い場所ではないのかなぁ‥‥。

20年ほど前のコトです。
当時、ボクの会社で働いていてくれていた
女性スタッフたちから、
オーセンティックなバーって一体どんな場所なのか?
そこで女性がたのしむとしたら、
どういうことに気をつけなくちゃいけないんでしょう、
って、相談されたことがある。
まぁ、「オトコの世界を覗いてみたい」っていう好奇心が、
その質問のほとんどだったのだろうけど、
ちょっと悩んで、母にそのコトを相談したのです。

いいわ。
わかった。
その子たちを連れて、バーで散財いたしましょう。
あなたもついていらっしゃい。
エスコートをしなさいとは言わないわ。
財布を持ってくればいいから。
いいわね‥‥、と。
あれよあれよといううちに、
「東京バーツアー」の開催決定。

参加する人たちに、当日の注意がひとつ。
どうしても手元に置きたいモノを
小さなカバンにまとめて入れて、
いつでも取り出せるようにしておいて。
お洋服は気軽で楽なモノであればなんでもいいから‥‥、と。





さて、その日が来ます。
場所は新宿。
雑居ビルの間に小さな扉があって、目立たぬ看板。
それをスポットライトが明るく照らす、
はじめての人をやんわり拒絶するかのような、
謎めいていて、密やかなその外観。
ドアをあけると狭い階段が下に向かって降りていて、
一段、そしてまた一段と下に向かうにしたがって
バーの全容がみえるようになっていました。
外の雰囲気からは思いもよらない、
クラシックなしつらえで
12、3人ほどが座れる立派なカウンター。
中にはバーテンダーがズラッと並んで、
下に降りていくボクたちの姿を認めて、ニコリと微笑む。
カウンターの反対側にはテーブル席がいくつか並んで、
お客様を待っている。

おひさしぶりです‥‥、と母に頭を下げながら、
「お召し物やお荷物をお預かりいたしましょうか?」
とにこやかに、店長らしき紳士がいいます。
寒い日でした。
コートやジャケット。
ボクはブリーフケースを彼に手渡す。
手渡したときのうやうやしくも丁寧な手際にウットリ。
この人、あるいはこの店になら安心して
自分の大切なモノを預けることができるんだ‥‥、
とみんな思ったのでしょうネ。
次々、身の回りのモノを預けて身軽になっていく。

母いわく。
高級なバーというのは、
高級なお酒をおいている店ではないの。
最上級の安心をこうしてお客様に感じさせてあげられる店が
高級なのよ。

‥‥、といいながら、テーブル席に案内される。

こちらのお席でよろしゅうございましょうか、奥様。
そう言われながら案内されたテーブルは
6人がけのソファのテーブル。
テーブルの上には小さなカードが置かれ
「サカキ様」と書かれてあった。

あの人たちはね、私の名前がサカキだっていうコトは
ずっと昔から知っているの。
でもネ、バーでお客様の名前を不用意に言うのは無粋。
バーというのは
「社会的ないろんな厄介な役割を忘れる」
ためにやってくる場所。
肩書きだったり、名前を必要としないですむ場所。
だから口にだしては言わないの。
私はココではいつも「奥様」。
こういうお店は信頼できる。
一軒知っておくと、
ここぞというときに重宝するのよ‥‥、と。

座ると目の前にはカウンター。
その端から端の全容を眺めることができるテーブル。
なるほど、バーという場所を観察するのに最適な場所‥‥、かぁさん、やるね! と感心します。




席に座ってカウンターを見る。
カウンターの高さに合わせた座面の高い椅子が置かれて、
しかもそれには背板がない。
座面の後ろに申し訳程度‥‥、
10センチくらいでしょうか、
背当てがつきだしているだけの、
いわゆる一般的なバースツールと呼ばれる椅子。

こういう椅子が置かれているバーは
「お客様の夜を独り占めしない店」なの。
背筋を伸ばしていないとかっこよく見えない。
酔っ払ってしまうと、
どうしてもどこかに体を預けたくなるでしょう。
そうしないで飲む。
あたかもそこに背板があるかのように
シャンと背中を伸ばして座り続けられるように
飲むっていうコトは、節度をもって、
あまり長居をしないでたのしむというコト。

あなた達がお付き合いしようとしているオトコの人が、
こういう店を好きだとしたら、もう最高。
たのしいお酒の飲み方を知っている人。
結婚しても、こういうお店で
ご主人がお酒をたしなんでいる限りあなたはシアワセ。
ほどよく飲んだら、愛する人のところに早くお帰りなさい!
って、椅子が言ってくれるのよ。
こういう店で、こうしてソファにすわるとき。
小さなカバンは背中に置くの。
すると背筋が伸びるでしょう。
カウンターに座るときにも、
背当てと腰の間にそっと小さなカバンをしのばせると、
背筋が伸びるばかりじゃなくて、
あなたの顔と殿方の顔が横に並んで
互いを見つめ合うのにいいの。
オトコの人の背中の方が分厚いじゃない。
だから同じ位置にある椅子に座ると、
女性の頭は男の人の後ろにあるの。
あなたはいつも見られる立場。
それじゃぁ、ちょっと悔しいじゃない。
だからちょっと背中を前に。
「見つめ合う立場で飲む」って、
大人同士のお付き合いの基本のはじまり。
さぁ、みんな。
背中にカバンをおいてシャキッといたしましょ!

そう言いながら、女性たち。
みんな凛々しく背筋を伸ばす。
ボクは残念ながらすべてをクロークにあずけて来てた。
貴重品はみんなジャケットのポケットの中に収まっていて、
女性のように小さなカバンをもつ必要もなかったからネ。

ボクはどうすればいいんだろう‥‥、
ってボソッと言ったら、母が言う。

とびきり上等な誂えたばかりの
ジャケットを着て来ちゃったと思えばいいのよ。
背中にシワが入らぬように。
ビシッと背筋を伸ばしてなさい。
高いお金を払ってワザワザ、
フィットネスクラブに行ってるんでしょう。
その成果を見せる絶好のチャンスと思えばいいのよ‥‥、
って。

バーの勉強、まだまだ来週も続きます。



2013-03-07-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN