ニューヨークにしばらくいると、
あるコトに気が付きます。

ニューヨーカーはレストランではとてもユックリ。

忙しい街です。
ボクがニューヨークにやってきた直後、
この街は早回しで再生されているんじゃないか、
と思うほどにみんな早足。
信号が青になるかならぬかのタイミングで
猛然とダッシュしていく。
ユックリ歩くのが身についていた田舎育ちのボクなんて、
次の信号を待ってた人に追い越されてしまうほどに
みんな早歩き。
しゃべる英語も早口で、朝一番の打ち合わせでね‥‥、
って言うとそれは7時だったりするニューヨーク。

「時は金なり」を地で行くような街なのに、
なぜだかレストランではとてもユックリ。
ランチタイムですら1時間。
たっぷり時間をかけて、ゆっくりたのしむ。
寸暇を惜しむ人たちが、不思議だよね‥‥、
ってエマに聞くと、「そんなの当然」。

「急いでいたらレストランなんかに行かないモノ。
 時間が惜しくてしょうがないときには、
 デリカテッセンや街の屋台で
 簡単なモノを買って食べる。
 大きな会社だったら、
 マフィンやサンドイッチを売りに来るしネ。
 仕事をしながらとりあえず、頭とお腹に栄養を‥‥、
 って気持ちのときには便利なの。
 『時は金なり』って呪文を唱えながら早足で生活して、
 節約した時間と得たお金で、
 ゆったり食事をたのしむ時間を買うのが、
 ニューヨーカーという生き方なのよ!」

なるほどエマが言うとおり、
ニューヨークのレストランに入るとそこには
驚くほどにゆるやかで、ゆったりとした時間が流れる。
特に夜のゆったり具合は、
時差ボケジャパニーズビジネスマンを
料理と料理の間に眠り込ませるに十分なほど。
マンハッタンという島。
とても小さく、
その気になればどんなとこにも歩いていける。
しかも24時間、地下鉄が動いている便利な街で、
だから食事の最後の時間を
気にしなくてすむってこともありはする。
それにしても夕食に2時間だとか3時間だとか
当たり前にかけるのって、スゴイよなぁ‥‥。
それも、手間のかかったフランス料理のようなモノじゃなくて、
サラダにチャウダー、それからスープで3時間。

最初は大変だなぁ‥‥、と思った。
ニューヨークで住んでいくって、
食事をするにも体力と辛抱を必要とすることなんだ‥‥、
と、食事に誘われると身構えていた。
ところがそれもたのしみのひとつに変わってくるのです。





慣れてくると、同じお店で食事をしていても
時と場合で食事の時間が違うことがある。
同じような料理をたのんで‥‥。
同じような混雑具合で‥‥。
にもかかわらず、早く料理が終わったり、
たっぷり時間がかかったり。
イタリア系のごきげんなシェフが
おいしい肉を焼いてくれるステーキレストランに、
1人でいくと、すんなりでてくる前菜代わりのサラダ。
ケンと一緒にいくと10分。
ジャンと一緒にいくと20分。
エマと一緒だと30分ほどたってはじめて運ばれてくる。
近況報告というアペタイザーを食べ終わらないと
サラダの出番がないからなのでしょう‥‥、
ボクらのテーブルを見守るウェイターが
そのタイミングを厨房の中に伝えて料理ができあがる。

調理時間=提供時間じゃないというコトなのですね。

せっかくのたのしい外食。
ユックリ会話をたのしんで、
ちょっとでも長くみんなと過ごしましょう‥‥。
とは言え、食事が終わってからズルズル、
長時間、テーブルに居座るのって粋じゃない。
コンサートに行って、幕が下りてしまったのに
ずっと居座り、アンコールをせびる観客は
嫌われるのと同じコト。
料理自体をユックリたのしみ、
ひとつの料理をたのしんだらば、
その思い出をみんなで語り、
次の料理は一体どんな料理なのかなぁ‥‥、
と、みんなで会話を盛り上げる。
すると当然、料理の提供時間は伸びる。
誰よりも、長く一つのテーブルを独占できるシアワセは、
料理を讃え、評価するおいしい会話が作ってくれる。

あれ、あの人たち、ボクたちよりも
ずっと後からやってきたのに、
もう帰って行ってしまうよ‥‥、かわいそう。
そう言いながら食事をたのしむ機会が
どんどん増えるにしたがって、
ニューヨークのレストランのスピード感に
ボクの体は慣れていく。
何しろボクと一緒に食事をしてくれていた、
ケンにジャンにエマの3人。
料理のコトや、食事のテーブルをにぎやかにする会話を
はじめると止まらぬ人たち。
ボクも彼らに負けぬようにと、一所懸命ついていく。

ついていこうとするのだけれど、
なかなかそれがうまくいかない。
それというのも、ボクはそれまで料理を評価する英語を
知らずに育ってきていた。
学校で、料理のおいしさを表現する
言葉としておそわったのは、「デリシャス」くらいで、
例えば日本で、何を食べても
「これ、おいしい」ばかりでは、
食卓の会話は成立しない。
一所懸命、ボクは勉強。
辞書を見なおしたり、
彼らがしゃべる会話の中から学び取ったりと一所懸命。
ところがちょっと困ったコトがおきました。

どうにもこうにも日本語から訳せぬ言葉が沢山あった。
パリパリ、ポリポリ、フワフワ、パラパラといった
擬音語に当たる言葉が英語になかなか見つからない。
食感に当たる言葉を探しだすのに難儀するのです。
一方、アメリカの人が好んで使う
「セイボリー」という言葉が
一体何を意味するのかというコトを、
学び取るのに同じく難儀してしまう。
その難儀のプロセス、
その意味をしばらく紹介いたしましょう。

次回より、「食事と香り」をテーマの話をはじめます。



2012-07-19-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN