飲食業全般のコトを
「水商売」と呼んでいた時代があります。
学生実業家として大学生の頃から
飲食店を経営していた父も、
母と結婚したくて母の実家に出向き、
「お嬢さんをシアワセにしたいのですが」と言ったとき、
水商売でうちの娘をシアワセにできるはずがない、
と最初は断られ続けたんだ。
悔しかったよ‥‥、と、
小さな頃からボクは何度も父から言われた。

水商売と呼ばれるようになった理由はいくつかあります。
スープや出汁、あるいは酒を水で薄めて
平気でうるようなズルイ商売。
だから信用できないんだ‥‥、と侮蔑を込めて水商売。
水のように形がなくて、
そのうち蒸発してなくなっちゃう。
それほど飲食店というのは不安定で、
いつのまにか潰れてしまう商売なんだ‥‥、
と憐れを込めて水商売。
たしかにかつて、お客様の顔を見て値段をつけたり
毎日味が変わったり、
挙句の果てに店を潰してしまう飲食店が多かった。
けれどそんなコトではお客様から信頼されぬ。
自ら襟を正して後ろ指をさされることなく、
尊敬される飲食店を経営しよう。
レシピを作り、マニュアル作り、教育なんかを徹底し、
そして飲食業は「外食産業」と
呼ばれるようになったのですネ。
父がボクの母とめでたく結婚できたのも、
「公明正大な商売で潰れぬ努力をしてみせるから」
と母の両親に約束をしたからだった。

にもかかわらず、
いまだに飲食店が水商売と言われる理由がひとつある。

水のような安い素材を使っていながら
高い金額ふっかけやがって‥‥、
とやっかみを込めて水商売。

そしてその最たるものが、
酒という、まさに水を売って商売している
バーのような業態で、
だから他の飲食店の人たちは
バーのような店があるから、
自分たちまで水商売って呼ばれてしまう。
迷惑至極と邪魔者扱いするコトさえある。

はてさて、そうか?
安く仕入れたものを高く売ってはいけない‥‥、
それは人を騙すことだと
一体だれが決めたんだろう?
って、ボクは不思議に思います。




飲食店の経営のコトをちょっとおさらいしてみましょう。
売上を100としましょう。
その売上を作り出すために必要なモノは
「食材」に「人」。
いわゆる「原料費」と「人件費」と呼ばれるモノで
その合計が55%から60%で収まらなければ
赤字になる、と言われます。
なぜかというと、飲食店はお店を借りて、お店を作る。
その両方がかなりの重荷で、
合計すると20%くらいは
それで消えてしまうって言われてる。
それ以外に水道代や電気代、
宣伝したり食器を買ったりと
お店の営業を維持するための雑費も
13%くらいはかかる。
つまり売上全体の33%は
飲食店で働く人とは違った人の懐の中に入ってしまう。
「飲食店は家賃を払う商売なんだ」
って言う人がいるほどにこうした負担が重い。
大変な商売なんです。

ここで原料費と人件費の割合のコトを考えましょう。
技術や経験が豊富な人が作る料理は高く売れる。
だから相対的に原料費の割合が低くて例えば、
有名シェフの高級フレンチみたいなお店では、
原料費が20%、代わりにシェフを含めて
経験のある人の給与がかさんで
人件費が40%近くになっちゃう。
一方、マクドナルドみたいな
技術を必要とせぬお店は逆で、
原料費が40%近くで
人に払うお金は20%なんてことになってしまう。

さてさてどちらが人にやさしい産業でしょう?
お客様の懐にやさしい店はマクドナルドのような店。
けれど、従業員にやさしくて、
しかもお客様のココロにやさしい店は
ちょっとでも、人に対してお金を払える産業だって
ボクはずっと思ってる。
そしてどんな経営者だって、
自分のお店の商品にちょっとでも多くの付加価値をつけ、
高くお客様に買って欲しいと思って
がんばっているはずで、
なのになぜだか水商売をバカにする。
どうにも不思議でしょうがない。

バーの原価はだいたい20%から高くて25%ほど。
ならば人件費が高級レストランなみに高いかというと
決してそんなコトはない。
30%くらいじゃないかなぁ‥‥。
それならそれだけ利益を出しているのかというと
そうじゃないのが哀しいところ。
バーは驚くほどのお酒の在庫を抱えています。
お酒は野菜や魚、肉にくらべて
すぐに腐ってしまうものではないから、
沢山在庫を持っててもすぐにダメになるものじゃない。
けれど新たなお酒が出れば仕入れなくてはいけないし、
年に何度注文されるかわからぬお酒も、
ストックしておかなくちゃ、
それをたのしみに来る人を裏切ることになるから大変。
しっかりとしたバーを一軒オープンするため、
必要となるお酒の在庫でベンツが一台買えるんだよ‥‥。
それにワインを充実させると、
マンション一軒買えるんだ。
って、そんなコトをいう人もいる。
そして決してそれは大げさじゃないのです。




バーとはそうした大変な場所。
しかもバーという場所にはステキなサービスがあり、
食べ物というモノを使わぬ純粋な
「人と人とのふれあいで作り出されるサービス」
を味わう一番いい場所なのだとボクは思います。
だから一軒。
行きつけの、ステキで気軽なバーを知っていると
ステキな大人になれると思う。

ところで日本でのいきつけのバー。
お薦めの場所はホテルのバーです。
お酒が豊富に揃っているというのもあります。
アメリカのように夜に危険な場所が少ない日本ではある。
けれど、ホテルの安心レベルはやはり最上級クラス。
しかもタクシーがいつも表に待っています。
女性1人でも、ホテルのバーの
バーテンダーさんに呼んでもらったタクシーが、
変なコトをするというコトはまずはないといえます。
酔っ払った姿を誰にも見せずに家に帰れるバー‥‥、
そう思ったらホっとできます。

それになにより、
テーブルチャージというわけの分からぬ日本の習慣から
自由なのがいい。
日本の飲食店の悪しき習慣。
サービス料とかテーブルチャージ。
サービス料はチップの代わりと思えば
まだ納得がつくけれど、
海外から来た人に絶対説明できないのが、
座るだけで料金がついてしまうテーブルチャージ。
街場のバーや、スナック、居酒屋なんかに
外国からの友人を連れて行くと
必ずそこでトラブルになる。
自分が飲んだものの値段だけ払って帰れる。
当然なコトが当然にできる場所はステキなお店。
だから「ホテルのバーで待ち合わせ」は、
同性同士の待ち合わせとしては便利でオシャレで、
しかも上等。
一杯だけなら街のバーで飲むより
ずっとお得だったりするのであります。
ただそのときはくれぐれも
「ニコラシカを‥‥」とは言わぬよう。
一気に飲まなきゃいけないカクテル、
待ち合わせには不釣り合い。
氷が溶けてしまうお酒も、
人待ち酒には不向きでしょうネ‥‥、
待ってる間にどんどん氷が溶けてしまって薄くなる。
なにより待たせた人が気まずくなってしまうから、
水割りなんかは一番、不適なチョイスでしょう。
マティーニみたいなカクテルなんかが良いのでしょうね。
今日は人を待たなきゃいけない‥‥、
だから、ユックリ飲めるカクテルを教えて下さい、
なんて言いながら注文できたりしたらばステキ。

ちなみにボクの人待ちカクテル。
シャンゼリゼっていうのがあって、
クルボアジェにシャルトリューズ、
レモンジュースにアンゴスチュラ・ビターズという、
この連載のこの章のまとめのようなステキなカクテル。
機会があればぜひ、どうぞ。




2012-07-12-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN