ニューヨークという街は、時に厳しく、時にやさしく
ボクに「レストランの楽しみ方」を教えてくれる。

おいしい料理に言葉はいらない‥‥、と言う人がいる。
たしかにたとえば、寿司が世界のsushiになり、
国境を越え、文化を越えた。
生魚なんて見向きもしなかった人たちが、
sushiを食べられないようなのはグルメといえぬ、
とばかりに、sushiをつまんで喜んでいる。
そのsushiに代表されるように、
日本の料理はおいしくて、
けれど料理を「おいしくたのしむ」というコトに関して
当時の日本が、世界に誇る文化をもっていたかというと、
それはいささか心もとなかった。

レストランという空間で、
自分だけがたのしむのでなく
一緒に食事をしている人をはじめ、
そこにいるすべての人とシアワセを共有するコト。
それこそがレストランをたのしむ
醍醐味であるというコトを教わる、
最も優れた場所のひとつが
当時、ニューヨークという街だった。

とまぁ、それはすべての仕事を放り出して
アメリカくんだりまでやってきて、
放蕩息子をやってしまっている後ろめたさを騙す
口実のようなモノだったかもしれません。
ただ生まれてはじめての一人暮らしは快適で、
毎日がたのしくてしょうがなかった。
自分の幅も、
経験的にも人格的にも、
そして物理的にも広くなったと、もううれしくて
日本のコトをスッカリ忘れはじめていたときのコト。

母が来ました。





ニューヨークにやってきて3ヶ月目くらいの頃でしたか。
住まいもできて、とある会社で
インターンとして働き始めることもでき、
ボクは日本に手紙を書いた。

ご心配をおかけしました。
仕事もはじまり、まだどうなるかわかりませんが
しばらく一生懸命ここでがんばってみようと思う。
とそんな内容に住所、それから電話番号。
社交辞令的に、一言、最後に。
ご近所にお寄りの節は、
是非お立ち寄りくださいな‥‥、と。

そんな手紙を出したことも、
ほとんど忘れてしまった頃に、
突然、電話が鳴ったのです。
母からでした。

ヨーロッパに行くことになったの。
イタリア。
スペイン、ポルトガル。
リスボンからは成田の直行便がないのよネ。
考えてみれば。リスボンってヨーロッパの西の外れ。
ニューヨークのご近所じゃない?
だからちょっと顔を出すわ。
迷惑だったら、そのままトランジットで
成田便にのっちゃうけれど、どうかしら‥‥、って。

素直に顔を見たいといえばかわいらしいのに‥‥、
って憎まれ口をたたきながらも、
JFKで会って最初に泣いたのは、ボクの方でありました。

お腹がすいたわ‥‥。
機内食は全然食べる気がしなかったのよ。
何を食べたい? って聞くボクに、
あなたが一番好きなお店で私は食べたい。
そうお答える母。

そういうコトなら、母をつれていきたいところがあった。
母の荷物をホテルのフロントに放り込み、
タクシーにのりセントラルパークの東側。
マディソンを北に上がって
83丁目の交差点を左に向かう。
目の前にはメトロポリタン美術館。
こんなところにレストランがあるのという母を尻目に、
ズンズン、中に入っていきます。
入場料をふたり分。
それと引き換えにブリキで出来た
ピンバッジのような入場チケット替わりをもらって、
それをシャツの襟につけます。
セキュリティーのゲイトをくぐり、
お世辞にも人気があるとは言えぬ、
だから人影まばらな古代地中海美術コーナーの、
通路をまっすぐ歩いて進む。
すると右手にエレベーター。
大きな、おそらく美術品を搬入するようにも
できているのでありましょう。
天井の高いちょっと広めの
ベッドルームが上下に動いているかのような、
エレベーターに二人で乗り込む。
エレベーターの中には学芸員がひとりのってて、
どちらへ? と聞く。
ルーフトップガーデンへ‥‥、と。
そう言うと、彼女はニッコリ笑いながら、
「R」と刻印されたボタンをそっと押し、
ユックリ、大きな重たい箱が
上に向かって上がっていきます。
ポーンっと丸い音がして、扉が開くとそこは屋上。
「エンジョイ」という彼女の声に背中を押されて表にでると、
コーヒーの匂いがやさしくボクらを包みこむ。




メトロポリタン美術館の屋上には、
屋外展示スペースがある。
大きな彫刻。
あるいはインスタレーションが定期的に展示されてて、
しかもカフェがあるのですネ。
セルフサービス。
テーブルも椅子も屋外仕様の実用的で、
決して豪華なものじゃない。
飲み物といえば、まだその当時、
スターバックスもない時代です。
アメリカ的なるドリップコーヒー。
食べ物もサンドイッチやホットドッグ、
あるいはペストリーくらいしかないのだけれど
どれもが決して粗末ではない。
なによりそこから、セントラルパークが一望できる。
普通のビルの6階くらいの
高さがあるのじゃないかなぁ‥‥。
だから決して高い目線からみるのではなく、
目の前一杯に公園の木々がせまってくるような臨場感。

しかもそのとき、季節はまさに今であります。
秋のはじまり。
セントラルパークの木々は、
赤から黄色のタピストリーのように色づき、
芝の緑はひときわ青くうつくしく見え、
その公園の周りを高層ビルが囲んで見下ろしている。
ボクは自分が今、ニューヨークにいるんだと
再認識したくなるとココにくる。
さみしいとき。
つらいとき。
なかなか先がみえぬようになったときには、
このカフェにきてニューヨークを見る。
そして向こうのあのマンションに、
いつか住めるようになってやるんだ‥‥、
って思ってボクは元気に地上に戻る。
そんな時間のかたわらに、熱いコーヒーが手の中にあり、
しかもほどよくおいしい食べ物が手に入る。
ボクにとってのニューヨーク。
それをボクの母にも見せてあげたくて、
それで迷わずココにきた。

ホットコーヒーを二つもらって、それに運良く、
焼き立てですとカウンターに並んだ
ペパロニピザを一切れもらう。
一切れとはいえ、二人でわけるに十分な量。
それと一緒にバナナを買ったら、
母がリンゴを一個買う。
そしてテラスの先端に立ち、
カリッと一口、リンゴを齧りボクにいいます。

ワタシもニューヨークに住みたくなったわ。

こんな景色って他の街にはないものネって、
答えるボクに、「そうじゃないのよ‥‥」。
あなたみたいなわがままで、
上昇志向のかたまりみたいな男の子を、
たった3ヶ月で大人に育ててくれるニューヨークって、
ステキだな‥‥、って思ったのよ。
もしも今日、贅沢なだけのお店のランチをご馳走する、
なんて言ったら
首に縄をつけて日本に連れて帰ろうか‥‥、
って思っていたけど
これじゃぁ、ワタシも
このニューヨークに住みたくなっちゃう。
脱帽ネ。

ボクらはお腹をたのしく満たし、
母が大好きな後期印象派の絵をたっぷりと見てから
ホテルにチェックインのために戻った。
そしてその晩、食事をしに出たボクたち親子。
ニューヨークというこの街の
手強い洗礼をしたたか受けるコトとなる。




2011-10-20-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN