仕事柄、正真正銘の富豪と呼ばれる人たちと
おつきあいをする機会に恵まれました。
どの人もそれぞれ個性的で、
さまざまなコトに一家言をもっているたのしい人たち。
みんなに共通しているのは、
不思議なほどにおだやかで喋り方がやさしいところ。
中でも一人。
公私共にお付き合いをさせていただいている方がいる。
裕福な家庭に生まれて、けれどその裕福に甘えることなく
運を味方に目も眩むほどの富を
手に入れることに成功した人。
にこやかで、いつもその人の周りには
笑い声がうずまいている。
そんな人で、仕事ばかりか
一緒に旅行をしたりレストラン巡りをしたりと
お世話になった。

ある日、こんな電話をもらいました。

サカキさん、銀座にあたらしくできた
「あの」お店に行ったことがある?
もしなかったら、ご一緒しましょう。
ワタシもまだいけてなくて、やっと予約がとれたから。

ことさら宣伝をするようなコトもなく、
にもかかわらず
おいしいモノに関心のある人達の話題の的。
噂では今までこの東京にはなかったほどに
高価なイタリアンレストランで、
予約がなかなかとれないのでも有名な店。
断る理由はどこにもなくて、
ご一緒させていただきます‥‥、と。





「偵察みたいなもんだから、
 お互いなるべく目立たぬ格好でまいりましょう」

実は富豪氏。
はじめて訪れるレストランでは、
謎めいたお客様になるコトにしているのだという。

目立ってわかりやすいお客様。
例えばひと目でお金持ちに見える人とか、
グルメぶった人たちは得することもあります。
とびきりおいしい料理を勧めてもらえたり、
すばらしいサービスを受けることができたりと。
けれど、そのお店のあるがままの姿を観察する機会を
逸したりもする。
ことさら、いいところを見せようとする笑顔の裏の、
必死のさま。
素晴らしいところだけじゃなく、
ちょっと残念なところや、へんてこりんなクセ。
そんなところまで含めてお店のコトを知っておきたい。
そのためには、まず目立たぬように、
分かりにくいお客様を装ってみる。
この人達は、いったいどんな人なんだろう。
お金持ちなのか、
どんな仕事をしているのかわからないけど、
たのしそうに食事をしている。
気になってしょうがない。
こうしたお客様におなじみさんになってくれると、
いいのになぁ‥‥、と関心をもってもらえる。
そんなお客様を装いましょう‥‥、と。

その日、ボクは芯の入っていない
ソフトな仕立ての黒いジャケット。
富豪氏は明るい色のカーディガン。
贅沢にみえる腕時計ははずしてポケットの中に収めて、
ボクらはニコニコ、テーブルにつく。
メニューを開いて、ビックリしました。
さすがに高級。
メインディッシュの料理の名前の右には、
5桁の数字がズラッとならび、
さてどうすればいいものかとさすがにたじろぐ。

ボクの財布を信じて、
食べたいものをいただきましょう‥‥、
と富豪氏らしきひとことに心置きなく悩み、
迷って料理を注文。
さて、ワインはいかがいたしましょうか‥‥、
と差し出されるワインリストを彼はそっと押し戻します。
ワインに詳しくはないモノですから、
今日の料理にあうものを、
一本、選んでいただけますかとソムリエに言う。
あれっ、とボクは思いました。
ワインに造詣が深いばかりか、
高級ホテルのワインセラーも顔を赤らめ恥じらうほどに
見事なワインコレクションを持っている人。
にもかかわらずと思いながらも、
その場はただただなすがまま。

すべては、すばらしい料理にサービス。
ひとつひとつが確実で、シッカリしていて気持よく、
しかも決して堅苦しいところのない店で、
噂は決して嘘ではなかったとそう感じます。
なにより決して特別扱いされるわけでなく、
おそらく今日はここのお店の
標準的なおもてなしをしてもらったのでしょう。
それで十分、満足できたというのがステキ。
すばらしくよくできたザバイヨーネとエスプレッソで
食事を終えて、さて、お勘定。
トロリと熟したグラッパを、
舐めるように味わいながら届いた伝票を二人でみます。

また来る価値がある店か、
今日の食事を評価する通知表がこの伝票。
料理、ひとつひとつを思い出しながら果たして、
この値段がそれぞれの料理に対して
妥当だったか語り合う。
カジュアルな会食の食後のたのしみに、
これほどステキな材料はない。
ボクの選んだメインディッシュが
一番コストパフォーマンスが高かった‥‥、とか、
この前菜はパッとしなかったけど
その分、たのしい会話でカバーしたよねぇ‥‥、とか。
ステキな食事を復習しながら、
たのしい時間を反芻できる。
特に、はじめて来たお店のときには入念に。
あまりに価格と実体が、
かけ離れているとちょっとかなしい。
あぁ、もう二度と来ることがないだろうなぁ‥‥、って、
帰りの準備を急ぎます。
その日は運良く、高くはあるけど
決して高く感じない見事な料理ばかりで合格。

そして富豪氏が、ワインの値段を指さして、
どう、思います? ってボクに聞く。





実はそのときの一人当たりの料理の値段が
2万円ちょっと手前、というモノでした。
それに対して一本たのんだワインの値段が1万2000円。
ワインを選ぶ目安の一つが、
ひとり分の料理の値段とほぼ同じくらいの
ワインをたのむのが、料理にとってもワインにとっても
居心地の良い状態になる。
それからすれば、
ここのソムリエが選んだワインの値段は決して悪くない。
‥‥、ですよねぇ、と言ったら、その通り。
しかも料理にあってるし。
なにより、このワインを
この値段で売るお店って良心的で悪くない。

料理の原価を当てるコトってむつかしい。
同じ食材も産地、季節、あるいは銘柄、
生産者でまるで違ってだから料理をみながら、
この店が良心的で信頼できるお店かどうかを
判断するのはむつかしい。
けれどワインの原価はわかる。
メーカー、或いはシャトーの名前とワインの銘柄。
そして年代。
それで大体、値段は決まる。
一緒に行った富豪氏のように、
ワインの知識を持った人であれば
ワインリストを見ればお店の姿勢がわかる。
ワインの値段を全部覚えるのは無理な話。
一番簡単なのはシャンパンが幾らで売られているかを
注意してみるクセをつけておけば割と簡単。
ワインほど多くの銘柄を置くコトもなく、
モエ・エ・シャンドンと
ブーブクリコの値段がわかれば大体OK。
この店はあそこのお店に比べて安い。
あるいは高いと、
ちょっとした指標になったりするので便利。
ワインやシャンパンで儲けてやろう‥‥、
ってそんな気持ちのお店でなければ、
料理の値付けも自然、正直なモノになってくれるもの。

「今日のお店は、おなじみさんになる
 価値のあるお店ですね」
と言うボクに、富豪氏、そっとこうつぶやいた。

「今日は合格。でも本番はこの次なんだネ‥‥、
 当然、次も付き合っていただけるでしょう?」
そう言いながら、
財布の中からクレジットカードを出して
お店の人に手渡した。
彼の手元をみてビックリ。
ビックリのワケはまた来週。




2011-03-10-THU
 

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN