おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)

たとえばあのお客様。

彼の指す方向には、初老の紳士。
あの人は、絶対、お水に氷を入れない人なんですよ。
でも、しっかりお水が冷えてないと、駄目だっていう。
だからいつも、氷で冷やしたお水を
ストレーナーでこしてから、グラスに移すんです。

ストレーナー。
茶漉しのような細かな網‥‥、ですね。
しかも氷が入っていないお水がぬるくならぬように、
通常のお冷用グラスよりも、
一回りほど小さなグラスを使って出す。
だから、何度も何度も交換しなくちゃいけないのだけど、
そのたび、あのお客様は、
ほんとにうれしそうに、
ありがとう‥‥、って言ってくれる。
その一言がうれしくて。
そのときの笑顔がとてもすばらしくて、
だから誰もいやといわずに、
あのお客様を特別扱いするんです。

‥‥、って。

いつも一人でやってくるお客様。
その人にとって、一番のおごちそうは、
何度もテーブルにやってきてくれる
お店の人と交わすことのできる会話や笑顔。
ありがとう‥‥、
と言いたくてやってくるお客様なんだろうなぁ‥‥、
ってそのとき、ニッコリ、思ったりした。

あるいは、コーヒーには、コーヒーフレッシュではなく
牛乳じゃないと気がすまないお客様。
しかも、人肌くらいに温まっていないと嫌だ、
って言う人がいて、
その人のために電子レンジの設定をひとつ増やしたっていう。

今。
ファミリーレストランのコーヒーに入れるものは、
砂糖にしてもクリームにしてもあらかじめ、
1回分がパックになってて当然。
でも、当時。
今からもう20年以上も前の話になりますけれど、
ファミリーレストランといえども、
砂糖はポットに入っているもの。
クリームはピッチャーで用意されるもの。
お客様が好きなものを好きなだけ、
自分で自由に使うことができたのです。

合理的より、贅沢な気分の方が優先された
お客様にとってシアワセな時代でした。
外食することが、今より非日常的で、
それそのものが贅沢な体験‥‥、
であったからでもありましょう。
でもその分、レストランの現場の仕事が
今より少々、複雑な時代のコト。
できることなら作業は単純化された方がうれしいなぁ‥‥、
とレストランの現場の人たちは一生懸命、
システム化をはかっていました。

とはいえ、お客様を喜ばせることが大好きな人たちが、
レストランの現場を目指してやってくる
幸せな時代でもあって、だから彼。
お客様から突きつけられる、
さまざまな面倒なコトを語りながら、でもとてもにこやか。
シアワセそうにいろんなエピソードを教えてくれます。

なんでそんな面倒を好んでするの‥‥。
そう思った。
自分がそもそもその面倒なリクエストを好んでしていた、
面倒くさいお客様であるということを棚上げし、
そう彼に聞いてみた。
彼は答える。

レストランの毎日は、同じ作業の繰り返し。
決められたことを、決められたとおりにするだけでは、
サービスや調理の技術を磨くことができなくなるんです。
なにより、たのしい仕事が出来なくなってしまう。
そういいながら、ニコニコ。

すばらしい。
自分の仕事を単純作業にせぬ工夫。

とはいえ、やっぱり困ってしまう
リクエストもあるんでしょう?

にんじんが嫌いだから、
どの料理からもにんじんを抜いてくれませんか?
ダイエット中だから、
お肉の脂のないところを選んでくれませんか?
なんて、リクエストはつらいですね‥‥、って。

レストランにおいて、何かを足すというのは、
比較的対応しやすいリクエスト。
そうでなければ、何かを入れずにおく、
というのもなんとかなる。
けれど、何かを引いてというと、
お店の人を困らせることになることがあるんです。
例えば季節の炊き込みご飯の中から、
山菜だけを除いてください。
すごい面倒。
ならば注文しなければいいじゃない?
‥‥、ってことになりかねない。

お店の人にやる気をおこさせる、
ちょっと変わった注文のことを、「こだわり」という。
でも、お店の人を困らせるこだわりのことを、
「ワガママ」というのですね。

ワガママを言うお客様と、
友達になりたいと思うレストランの人は滅多にいない。
でも、たのしいこだわりを持ったお客様となら、
いい友達になれるかもしれないなぁ‥‥。
って、思ってもらえるものなのですネ。

さてさて。

自分ならではシアワセなこだわりをもって、
あるお店とシアワセなる友達関係がはじまった。
お店の人に、ことさら説明しなくても、
自分の好みの料理をすすめてくれたりする。
いつものように、の一言で、
普通のお水のかわりにガス水がスッと出てくるようになる。

ああ、このお店におなじみさんと
認められるようになったんだなぁ‥‥。
そう思ったら、次のステップ。
お友達付き合いをさせていただけませんか?
という、意思表示。
どうすれば、いいんでしょうか?
また、来週。

 
2007-09-13-THU