おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)

レストランと友達づきあいをしたい。

お気に入りのお店に出会ったとき。
たとえば、このお店のシェフって、
ワタシとおんなじ舌の持ち主じゃないかしら、
って思うほどに、口に合う料理を作ってくれるレストラン。
たとえば、まるで天使のような笑顔で、
ボクだけに微笑みかけてくれるように
チャーミングなギャルソニエの待っているカフェ。
そんなお店に偶然なのか必然なのか。
ばったり出会ったようなとき。
ああ、このお店のおなじみのお客様になりたいなぁ‥‥、
って思う。
誰でもそうだろう、と思います。

しかも当たり前の常連客じゃない。
友達のように。
あるいは、家族のようにレストランの人たちに
大切にされる存在になってみたいなぁ。
そう思うこと。
あるんじゃないか、と思います。

そうした気持ちをかきたてる店。
案外、高級で誰もが知っているような
有名な店じゃないはずです。
贅沢な店。
つまり、非日常的が売り物のレストランというもの。
お客様とお店の人との、よそよそしいほどの緊張感が、
その高級を際立てるのに
必要不可欠なスパイスだったりしますから。
そこにあるのは、
主人とサーバントであるお店の人たちの
洗練された役割分担。
決して、カジュアルなお友達関係ではないのです。

気軽なお店。
厨房の中とホールの人たちの間をつなぐ、
やさしくたのしい信頼関係。
冷たく頑丈な組織じゃなくて、
家族同士のつながりのようなものでもてなされる店。
ありますよね。
「いらしゃいませ」という言葉より、
「おひさしぶり、お帰りなさい」の方が似合う雰囲気。
だから「ただいま」っていいながら
お店のドアをあけて入っていきたくなるような
そんなお店を一軒でもいいからもちたいなぁ‥‥。
って、そんなふうに思うことがある。

さて。

どうすれば、そんなお店を
手にすることができるんでしょう。

まずはお店の人と知り合いにならなくちゃ、始まらない。
ボクの友人に、毎日のように新しいレストランを訪れて、
もう何百軒ものレストランを知っている人がいる。
料理のことも、よく知っている。
のだけれど、彼がおなじみと言えるお店は一軒もない。
彼がよく行く、というお店に連れていってもらっても、
まるでボクらは初めてのお客様のようにしか扱われず、
得をすることのひとつもない。

レストランを知っているだけで、
そこで働いている人を知らない。
なんで?
って聞くと、だって、料理を味わうことに一生懸命で、
人の顔をおぼえる暇なんかないんだもの‥‥、って。
それに、ほとんどの店に二回以上、いかないんだよネ。
次々、新しい店ができてくるから、
それをこなそうと思ったら、
同じお店に何度も行くのってもったいなくって。
なんて、言う。

まあ、それはそれ。
人それぞれ、です。
確かに今の日本には星の数だけのレストランがある。
一軒のお店に執着すると、
それだけ新しいお店の新しい料理に出会うシアワセに
恵まれなくなるかもしれない。
それに、わき目もふらず、
食べてもらえる料理は確かにシアワセだろうなぁ‥‥、
って思いもする。
けれど、その料理を作ってくれた人のこと。
あるいは、その料理を運んできてくれた人のことにも
関心をはらいたいなぁ、ボクは思う。

レストランは人と人がふれあうシアワセを味わう場所。
そう、ボクは思うものでありますから。

ワタシにとっては、運命のレストラン。
そう思い込んで、なんども、
とあるお店に足を運んだとしませんか。
何人かの見知った顔が当然、できます。
ああ、あの人は今日、お休みなんだなぁ‥‥、とか。
今日もこの人の担当のテーブルに座れて、
ラッキーだった‥‥、とか。
名札にかいてある名前も覚えてしまったりする。
自分にとっては、十分、おなじみのお店になる。

ところが、いそがしいレストランの人たちにとって、
お客様の顔を覚える、というのは
とても大変なことだったりする。
ワタシは数多くのお客様の一人でしかない、
というまどろっこしさがつきまとう。
ちょっと切なくなったりします。
ある意味、レストランとお客様の関係は、
強烈なる片思いから始まるのですね。
お客様がただただお店のことを焦がれる切ない、片思い。

その切なさを解消するには、
まずは、顔を覚えてもらわなくちゃどうしようもない。
そしてできれば、顔と名前がお店の人のなかで
一致してくれれば、これほど幸せなことはない。
そのためには、お店の人にとって印象深い、
特別なお客様になることが必要となる。
このことに関しては、昔、
ちょっと説明をしたことがあるかと思います。

お店の人の一生懸命の努力に敬意をはらう。
素敵なサービスに向けた、とびきりの笑顔。
すばらしい料理に出会ったときの、
感動を素直に伝える表現力。
せわしなく料理を運び続ける
お店の人へのねぎらいのまなざし。
お店の人と手に手をとって、
みんなが幸せになるための共同作業をするような、
そんな気持ちが、あれば、必ず努力はむくわれる。

常連の道に近道はなし。
ただ、その努力が報われる可能性を、
ちょっとでも高くするために、
少々、工夫をすることはある。
切ない気持ちの、切ない努力。
来週、告白、いたしましょう。

 
2007-08-23-THU