おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
寿司屋という仕事。
実はお客様の目の前に立っていない
時間の方が大切だ‥‥、といわれます。
大切であると同時に、
お客様の目の前で寿司を握ってはいない時間の方が、
長くて大変である仕事でもある。
人知れずする仕事がとても煩雑で多いのですネ。

例えば仕入れ。
例えば仕込み。
例えば下ごしらえや下準備。
それに例えば後片付け。

単調でたいていがいつも同じ作業の繰り返しで、
とても大変な仕事です。
まあとはいえ、これらはレストランである以上、
どんなお店でも心がけなくてはならないこと。
でも、中でも掃除。
寿司屋における掃除は徹底的です。
染みや汚れをとればよい程度の掃除じゃない。
匂いであるとか、水気であるとか、
不潔を連想させるものを徹底的に排除すること。
これが寿司屋に代表される日本の専門店の掃除ということ。

それならば匂いが出ないような
完全に壁で囲まれた厨房を作れば良い。
生ものは、それだけを扱う掃除するのに
適した場所で処理をするようにすれば良い。
欧米型のレストランの厨房は
かならずそのようになっている‥‥、
のだけれど、それでは潔くはない、
と思うのが日本の職人の心意気です。
何も隠し立てすることなく、
お客様の目の前でできることなら
すべての調理をみていただきたい。
そんなサービス精神が、
汚れてもしかたないような飲食店の
姿かたちを作ってしまう。
その代表が寿司屋のカウンターという存在で、
芝居で言えば、舞台でもあり楽屋でもある。
そんな場所をいつもきれいに整えておく。
大変なことではありますけれど、
そうした大変に意味を見つけて大切にしたのが、
日本人なのでありました。

角が取れてなめらかになったカウンター。
昨日、かならずどこかが汚れてしまったはずなのに、
まるでカンナで削って
きれいにしたかのようなピカピカな様。
いつもきれいに汚れをぬぐい、
うつくしく磨き上げている人がいる。
頭が下がる思いです。

とはいえ、必死になって掃除を心がけてさえいれば、
このきれいが手に入るのか?
というと、そうじゃない。
それだけでは手に入れるコトが出来ない清潔。
寿司屋の中にはそんな清潔が充満しているんですね。

それは‥‥?


うつくしく磨き上げられたカウンターを前にして、
汚さないようにお行儀良く食べてあげよう、と思う感性。
日本人がひときわ昔から大切にしてきた感覚でしょう。
背筋を伸ばして汚れ易い場所を汚さぬ努力をしてくれる、
お客様がそこにいてこその、うつくしさ。

醤油をたくさんつけてはいけない。
特にシャリに吸い込ませるような
醤油のつけ方をしてしまうと、
寿司の味わいを損なうだけでなく、
カウンターを汚して野暮になってしまう。
お寿司は醤油を味わう料理じゃなくて、
ネタとシャリの旨みを楽しむ料理なんだ、
という基本の基本。

醤油皿に必要最小限の醤油をさす。
寿司を軽く握って手首を返して、
軽くそれを裏返すようにする。
ネタにそっとキスをさせるように醤油を吸わせて、
そのまま口にすばやく運ぶ。

‥‥、とこの一連の作業をつつがなく行えば、
うつくしいカウンターを汚すことなく
うつくしく寿司を食べることが出来るはず。
寿司に醤油をつけすぎたり、
寿司を摘み上げたままおしゃべりしたり、
よそみしながら口に運ぶなんていうことをしなければ、
カウンターはうつくしいまま。
粋な寿司の食べ方を写す鏡がカウンター。
そう思えばよいのかもしれません。

手を汚したくはない。
お箸でお寿司を食べなくちゃ‥‥、というとき。
お店の人に素直にそれを伝えればいい。
そうすれば、小さめに握ってくれたり、
あるいは握ってから半分に庖丁で切ってから
出してくれたり、食べ易いようにしてくれるでしょう。
食べやすい。
つまりそれは、カウンターを汚さなくてすむ。
カウンターが汚れない、
というコトはつまり食べ手の膝に
お醤油のタレが落ちることが絶対にない。
洋服を汚さなくてすむ、
というコトでもあるのでありますネ。


寿司屋のうつくしい木のカウンターは、
お店の人とお客様との知らず知らずの共同作業で
出来上がっている、というワケです。
もちつもたれつ。
デリケートにして汚れやすいはずのこのカウンターを、
ワタシたちも一緒になってまもってるんだ。
そう思うと、背筋も自然としゃんとなる。
寿司を食べることが、
たのしくてしかたなくなるのだろう‥‥、と思います。

ところでこの本来の日本風なる寿司カウンター。
ニューヨークという街で、
ちょっとした奇跡を引き起こしたことがあります。
寿司がエキゾチックな食べ物でなく、
とてもスマートでチャーミングなグルメ料理として
すっかりアメリカ人の間に受け入れられた
21世紀に入ってからの出来事で、
ボクは日本人として
非常に誇らしい思いをしたのであります。
来週のおはなしと、いたしましょう。
 
2007-02-15-THU