おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
ボクの名前を客席では絶対に呼ばないレストランがあります。

客席20席ほどのこじんまりした店。
サービススタッフも厨房のスタッフもみんな顔見知りで、
当然、彼らがボクの名前を知らないはずはないのに、
どんなときにも決して客席でボクの名前は呼ばれない。

何かをお願いしようと手をあげて、
それに気がついて近づいてくるとき。
「はい、なにかご用でしょうか?」
料理が提供されるとき。
「お待たせしました」
これ、本当においしいね、と感想を述べたときにも、
「お口にあってよろしゅうございました」
と、きちんと丁寧に受け答えしてはくれるのだけれど、
名前はなし。

サービスそのものはとても親密で親しみ深くて、
気取ったところの一つもない
とても家族的な雰囲気の店だから、
名前を呼ばぬ、というそのかたくなさが
ちょっと気になったものだから、
ボクはその理由をマダムに聞いてみることにしました。

どうしてですか?

答えは簡単。
こんな理由でありました。

ワタシたちはサカキさんの名前を
呼んでいないワケじゃないんですヨ。
「お待たせしました、サカキ様」。
「なにかご用でしょうか、サカキ様」。
いつもワタシたちのサカキ様に対するサービスの、
一番最後にはサカキ様という言葉が一言ついている。
‥‥、のですけれど、その一言だけが
とても小さな声で心の中でつぶやいているから、
サカキ様の耳には聞こえないだけ。
ただそれだけです。
だって、サカキ様の名前はとても大切なモノですから、
そっと大切に扱わなくては失礼にあたるでしょう?
なにより、ワタシたち一人一人が、
今、ココにいらっしゃるのはサカキ様だ、
というコトがわかっていれば、別に声に出して
「ワタシは今、サカキ様向けのサービスをしてるんですヨ」
って言わなくてもいい。
こんなちっぽけで、小さなレストランですもの。
それとも、サカキさん。
次からうちのレストランで、
大声で名前を呼んでサービスをしてほしいの?
そうならそういってくださいネ。
そう言われないことを、祈っておりますけれど、
もしどうしてもというのなら、
して差し上げないコトもなくってヨ。

そういって、小さなウィンク。
すべて了解。
その通りなんだろうな、と思った次第でありました。


ところがこのレストランでも、
実はボクの名前が呼ばれている、
というコトに気がついた。つい先日のコトです。
厨房に一番近いテーブルで、
しかもそれほどお客様が入っていない時間帯。
だからとても静かな客席ホールに、
厨房周りの音が聞こえていたのでありました。

「サカキさんの次のお料理、そろそろ準備、お願いします」
ホールで作業をしているサービススタッフの声がします。
「サカキさんのお料理、そろそろ上がります」
シェフの凛とした力強い声もします。
「サカキさん、すばらしい料理だって、
 ほめてらっしゃいました」
マダムの声に続いて、
シェフが厨房の中からニュッと顔を出して、
ありがとうございます‥‥、って笑顔でいいます。

客席ホールでは一度も呼ばれることのないボクの名前が、
厨房の中では何度も何度も、繰り返し呼ばれている。
とてもうれしくなりました。

お客様を喜ばせる手段として、
客席ホール、つまりボクの前では
ボクの名前を何度も何度も、
まるで呪文のように繰り返す仕組みを持ったレストラン。
そこの厨房で、どんな会話が繰り広げられているのか?
大抵はこうです。

「5番テーブル、そろそろ前の料理が終わります」。
「5番テーブル、次の料理が出来るから、
 そろそろスタンバイ、お願いネ」。
「5番テーブル、一人、生卵が駄目な人がいるから、
 次の料理、玉子抜きを一つ作ってくださいネ」。

仕方ないです。
ある程度、大きくて、
システムがしっかりしているレストランでは
料理を作るにあたって、
テーブル単位で管理をしたりチェックをする。
だから、サカキさんの料理を作ってるのではなくて、
ボクが座っているテーブル分の料理を
作っているということになる。
ボクはそのとき、サカキさんではなくて、
5番テーブルの玉子が嫌いな一人‥‥、でしかないのです。



こじんまりとした小さなお店。
家庭的でオーナーシェフとマダムの相性抜群のお店で、
もしもおなじみと呼ばれるお客様に
運良くなれたとしませんか。
そしたら是非、厨房まわりで繰り広げられている
お店の人同士の会話に耳を澄ませてみてください。
多分、そこではあなたの名前がそっとやさしく、
でも何度も何度も繰り返し、ささやかれているに違いない。
テーブル番号でもなく、オーダー伝票の番号でもなく、
そのときあなたはその店で、
確かに一人のとてもステキなお客様として扱われている、
というコトです。

考えてみればそれこそがセレブリティ。
他のお客様の目の前で、
名前だけが晒し首になるような
プチなんちゃってセレブじゃなくて、
とても大切にされるべき選ばれたお客様である‥‥、
というコトです。
そうした店こそ、サービスの本質がわかっている店。
大切にすべき店だ、というコトでしょう。

「サカキさま、そろそろお帰りになります」
と、本当に小さなささやき声が厨房の入り口でそっとする。
途端に、厨房の中からシェフが飛んで出てきて、
どうでした? 今日も楽しんでいただけましたか?
次、またお目にかかれることを
楽しみにしておりますネ‥‥、是非、どうぞ。
と、最後の最後までボクの名前が
お店の人から出されることはないのだけれど、
でもボクはとても大切にされたお客様であった、
という実感を得ることが出来る。
ボクの名前はまさに特別な
かけがえのない名前になった‥‥、というコトなのです。

少々、わき道にそれてしまった
セレブリティ的なる食事のコト。
次週はタップリ、考えましょう。
 
2006-09-28-THU