おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
最近、お客様の名前を呼ぶことを最高のサービスだ、
と信じていろいろな工夫をするレストランが増えました。

予約するときに、予約した人の名前だけじゃなく
同席をするすべての人の名前を聞く。
お店についてテーブルに案内されると、
自分の名前が書かれたウェルカムプレートがおかれてて、
そこに座ると後は自動的に
サービススタッフから名前を呼ばれ続けて
2時間近くが過ぎてゆく。
ちょっとした工夫ですね。
レストランによっては、
インターネットでお客様の名前を検索して、
その人がどんな人なのか‥‥、
というコトを事前に調べて、
会話のタネを用意したり
あるいは献立を立てるのに
役立てたりとかするところまである。
ウェブ世界において、ボクらは丸裸‥‥、
だったりするワケです。
まあ、そうしたおもてなしも楽しいことは楽しい。
サプライズ。
ちょっとしたプチセレブ気分が楽しめたりするのは、
決して悪いことじゃないだろう、と思います。

が‥‥。

いつも、のべつまくなしに自分の名前を呼ばれて
本当にうれしいか、というと決してそんなことはない。
例えばどうみても今日か昨日、
このお店にやってきたばかりの
あまりサービスも行き届かないスタッフに、
名前を呼び続けられる。
ボクの名前って、こんなに安っぽかったっけ?
‥‥って、逆にサービスのつもりが
サービスとして感じられなくなったりすることが
あったりします。
あるいは、ココで自分が食事している、
というコトを他の人にしられたくないような
シチュエーション。
まあ、どのような機会か? は
ご想像にお任せするとして、
例えばとても夫婦に見えぬ
年の離れた色っぽい男女のお客様を前にして、
その殿方の名前を無神経に呼び続ける。
‥‥、困ったコトです。
このお客様の名前は
「呼ばれて居心地の良い名前」なのか、それとも
「お呼びしないことが心配りになるのか」どうかを、
判断しながらサービスの種類を選ぶことが出来るのが、
本当のすばらしいサービススタッフなのではありますが、
なかなかそのようにはならないこともある。
仕組みやシステムで、
お客様の名前を呼ぶレストランには、
望んでも無理、であったりするのです。


そのようなとき。
どうしても今日、
ボクの名前を呼んで欲しくはないときに、
こういうことにしています。

「ごめんなさい‥‥、今日は『おしのび』なものですから。
 ミスターノーワンというコトでお願いできませんか?」

おしのび。
‥‥、まさにセレブリティじゃありませんか?
Mister No One。
これまたまさにセレブリティ風ではございませんか。

アメリカのとあるリゾート地での出来事です。
家族旅行ででかけたその島で、
みんなで船上パーティーを楽しもう‥‥、という趣向で、
5人分の予約をしました。
正月近くのハイシーズンで、
ですから予約をとるのはかなり難しく、
それでもやっとのおもいで5人分。
ところがその予約の当日になって
母がわがままを言い始めます。

「ワタシ、船酔いが嫌だから、
 地面の上の揺れないレストランで食事をしたいわ‥‥」

おやおやです。
父と妹たちはもうすっかり船に乗るのつもりで準備万端。
一度ぐずり始めた母を説得しなおすなんて、まず不可能で、
かといって母を一人で放り出すわけにもいかず、
結局、ボクは母と一緒に船を降りることになったのです。

レストランを見つけるのは大変なことでした。
ホテルのコンシエルジュも大忙しで頼りにならず、
電話をかけてレストランを片っ端からあたろうにも
電話そのものが通じづらい状態で、
ボクは母と二人で一軒一軒。
それも、パーティーに出席するそのままの格好で
一軒一軒、レストランを訪ねてあるくはめになった。
ボクはタキシード、母は当然、
イブニングドレスでござります。

暑い中を何軒か歩いて回って、
次の店が駄目だったらルームサービスしかないネ‥‥、
と母に言い聞かせつつ、
レセプションに二人分のテーブルはありませんか?
と聞くと、ちょうど、今、キャンセルが入った
テーブルがあるけれど、それでもいいか?‥‥と。
お願いします、と即答です。
運良くそれで案内されたテーブルで、
一番最初にやってきたテーブル担当のウェイターが
シャンパンはいかが、と薦めるついでに、こう聞きます。

「ところでお客様のお名前をおうかがいしても、
 よろしいですか?」



疲れて仕方なかったのと、
母のわがままに半ばいらいらしつつ、
八つ当たり気味にこういいました。

「ミスター東京‥‥、というコトで」

もうサービスはかまわないから、
早くシャンパンなり料理なりを持ってきてよネ‥‥、
というメッセージですな。
ウェイター氏はちょっとビックリしながらも、
承知しました、Mr. Tokyoと、その場をさって、
早々にシャンパンのボトルを持ってやってきた。

お待たせしました、Mr. Tokyo。
そういいながら、
母のグラスにシャンパンの瓶の口を近づけ、
注ごうとしてこういいかけた。

「それでは注がせていただきますネ、ミス‥‥」。

彼はミス何と呼ぶべきかちょっと戸惑い、
それでミス東京と言おうとしたその矢先、
母は大きな声で一言、ピシャリ。

「ジャパン」

途端にウェイター氏は笑顔になって、
クスクス、笑い混じりに「Yes, Miss Japan」
といいながらシャンパンをグラスに注いでいった。
それから2時間。
ボクはミスター東京で、
そのミスター東京はミスジャパンと
食事をさせていただく栄誉にあずかることが出来た、
というワケです。

ミスジャパンがあそこのテーブルに座ってるヨ‥‥、
とそのレストランのサービススタッフの間では
ちょっとした話題になって、
テーブル担当でないウェイターまで集まってきては
あれこれ気を使ってくれて、
サービスまでもがミスジャパンクラスに格上げされた。
これほど楽しい食事を海外でしたコトは
それまでなかったほどの楽しさでありました。

ところで、ボクの名前がレストランで呼ばれて
一番ステキな機会。
それってどんなときでしょう。
また来週。
 
2006-09-21-THU