おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
そもそも海外では日本女性の方が、
日本の男性に比べて得するコトが多い、‥‥と思います。
小柄で清楚で、若々しく見える日本女性。
それに比べて、背が低くて貧弱な体格で、
とても大人のようには見えない日本男性。
どちらをお店の人が大切にしたいか‥‥、といえば、
もう答えを言う必要もないほど明白でしょう。
とはいえ、得をしやすい日本女性も
ただ座っていれば良いサービスにめぐり合えるか?
というと、そうじゃない。
ボクはその日の母をみて、そう思いました。

母は英語が流暢に話せる人ではありません。
挨拶を含む最低限の英語らしきモノは
しゃべりはするけれど、
ボキャブラリーが豊富なわけでなく、
だからたいていはボクに注文をたのむのです。


その日も料理の注文はボクがほとんどしてあげました。
母はボクが注文を通すのを
ニコニコしながら聞いているだけ。
しかも母。
ボクの方には一瞥もくれず、
注文をとってくれているウェイターの方をただひたすら、
ニコニコしながらみつめる。
ウェイターが注文を書きとめながら相槌をうったり、
うなずいたりするたびに、彼女もいちいちうなずいて、
了解の意思表示をするんですネ。
しばらくそれを繰り返していると、
ウェイターはボクを見ないで、母のことを見るようになる。
そうすると、母はそれまで以上にニコヤカに、
うっとしたとした表情で彼のコトを見つめ始める。
そうなると、まるでボクは
母の通訳をただしているだけの人‥‥、
になってしまうのです。
存在感ゼロ。
テーブルの中心にいるのは母であって、
彼女は一言も自分の言葉を発することなく、
それで立派にお店の人との
コミュニケーションを果たしている。

言葉は口から出てくるだけじゃない。
目と表情は、口が発する言葉以上に饒舌なんだ、
というコトでありますネ。
なるほど、こりゃぁ、やられたわい‥‥、
とそれでも注文を一通り終えて、
手にしたメニューをウェイターに返すタイミングで、
彼はボクらに今、聞いたばかりの注文を
丁寧に繰り返します。
そうして最後に、こう一言。

「以上で、間違いはございませんでしょうか?」

そうしてニコリ。
当然、母に向かって大きく、ニコリ。
すると母がすかさずこう答えます。

「ビューティーフル!」

イエスでもなく、シュアーでもなく、
ましてやサートンリーでもなく、
ただビューティフル。
実はこのビューティフルと言う簡単な単語。
彼女にとってレストランで
すばらしいサービスをせしめる
とっておきの呪文であったのでありました。

例えばこうです。
ボクがテイスティングしたワインを口に、
一口含んで、心配顔に見つめるソムリエに一言。
ビューティフル。
目の前に運ばれてきて、
ストンと置かれたお皿の上の料理を眺めて、
ウェイターにこう一言。
ビューティフル。
そのお料理を一口食べて、ビューティフル。
ウェイターはほっとした顔と、
さわやかな笑顔でテーブルを後にして、
次の作業に向かいます。

おかあさん‥‥、もしかして今日は
ビューティフルだけで通そうとしてる?


そう聞くボクに、母はいいます。

ワタシの口から飛び出してくる言葉の中で、
一番、ワタシらしい言葉が
「ビューティフル」だとは思わなくって?
だからワタシにとってこの言葉だけで必要十分。
感動したり、ほめたりする言葉は
ビューティフルだけで十分なのヨ。

かなり無理やりではあるけれど、
でもあながちそれも間違いでなく、
「いいかもネ」と答えると、
もうそれからは悦に入って次々、
ビューティフルを連発します。

ひとつの料理を終えて、
そのお皿を片付けにきたスタッフに、
お皿を指差し、ビューティフル。
料理が終わって、デザートが出てくる前に
テーブルの上に散らかったパン屑を
丁寧にぬぐってくれる人に向かって、
感謝の気持ちで、ビューティフル。
2時間ほどの食事の間に都合、
20回ほどのビューティフルを言い放ち、
あまりに印象が強かったからでしょうか、
お勘定書きが母の前にポンッと置かれた。
すると、そのお勘定書きを一瞥をして、
それをボクに手渡しながら「ビューティフル」。
横に立っていたウェイターがクスッと笑う。
ああ、今日も散財しちゃったなぁ‥‥、
とクレジットカードの伝票にサインをするボクを横目に、
今度はウェイターと声を合わせてビューティフル。

そういう頃にはすっかり彼女は
「ビューティフル・レイディー・フロム・トウキョウ」
に成りきってしまっていたワケです。

支配人がやってきます。

今日のお食事はいかがでしたか?
母は言います。
ビューティフル。

すると支配人が「いやいや、今日、
このレストランで一番、ビューティフルなのは
ミセスサカキでらっしゃいます」。
と、そういいながら、
ギフトのチョコレートボックスを母に手渡す。
母、立ち上がり、右手を伸ばして支配人の手を握り、
握手をしながら
「サンキュー・ソー・マッチ・フォー・
 ビューティフル・ギフト」、とお礼をいいます。

ワタシだってビューティフル以外の
英語もしゃべるんだからネ‥‥、
みたいな表情で椅子に座ってお辞儀をする。
もう、お店の人たちのハート‥‥、
わしづかみ、でありました。

2人きりになったボクに母はいいます。

ねぇ、聞いた‥‥?
あなたの方がビューティフルですよ‥‥、ですって。
あの一言が、今晩一番のサービスよネ、
ああ、おいしかった、ありがとう。

ワタシは世界どこに行っても、
誉めるときには「ビューティフル」。
この言葉を知らないで
レストランで働いている人はまずいないでしょう?
だからビューティフル。
それがすばらしいサービスを手に入れる呪文なのヨ‥‥、
どう、うらやましい?

ええ、うらやましいですとも、降参です。

自分らしい誉め言葉をひとつ持つこと。
長ったらしい文章でなく、
わかりやすくて、覚えやすくて、
ココロを伝えるのに十分な印象的な単語をひとつ。
自分の武器に持つと言うコト。
すばらしいアイディア、とボクはそのとき思いました。

それにしても悔しいのが母にとっての
ビューティフル以上のステキな言葉が
オトコのボクに見つからぬこと。
だからボクは今でもせっせと、
言葉を節約することなく一生懸命、
自分の気持ちを伝えることに時間と手間をさく毎日。

さて来週も、海外にてのちょっとした
楽しいエピソードを紹介しましょう。
ごきげんよう。
 
2006-07-27-THU