おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

さて、久しぶりに
サカキシンイチロウ少年に登場ねがいましょうか。

ナイフフォークを巧みに操り、
抜群のテーブルマナーでフランス料理を食べる
しょうしょう生意気で、
おませな小学生のシンイチロウ少年。
でありますから、失敗バナシ探しには
苦労しないのであります。

その日も、松山で一番という
洋食レストランで食事するコトになりました。
母と二人で。
ちょっと贅沢な午餐です。
食卓の上には真っ白なテーブルクロス。
テーブルクロスにズラッと並んだ
ナイフフォークを目の前にすると、
よし、今日もがんばるぞと、闘志がふつふつと沸いてくる。
へんてこりんなオトコの子の
へんてこりんな昼ごはんがスタートしたのでありました。



◆途中までは完璧! 悦にいって食べるサカキ少年。


サラダにコーンポタージュ。
音を立てずに、スプーンの先を唇に
かぎりなく直角にして食べるようにスープを飲んで、
さて、メインディッシュ。
ステーキでした。
当時、立派な肥満児だったボクにとって
一番のご馳走は肉。
その中でもステーキ。
中でもお外で食べる分厚いステーキは、大好き中の大好き。
いつもよりちょっと大き目の300グラムほどの肉を、
ミディアムに焼いてもらったのが目の前にポンっ。
ああ、なんともうれしい。
ナイフで自分で好きなサイズに切り分けながら食べる
ステーキは格別だよネ‥‥、とかって一人、
悦にいりながらさっそく、ムシャムシャ。
本当においしそうに食べるわねぇ‥‥、
と母に言われると、そうか、ボクはおいしそうに
モノを食べるために生まれてきたんだ、
って勝手に思い込んでまで、ムシャムシャパクパク。
親子二人の午餐はつつがなく進んでいたのでありました。

と、事件は母が電話で呼び出され、
ボクの目の前の席がしばし空白になったときに起こります。

どんなステーキ肉にもちょっとした筋‥‥、
つまり固くて切りにくい部分があるものです。
とはいえ、たいていの筋の部分は
ちょっと力を入れてググッとナイフを操ると
切れてしまうはずなのですが、
その日の肉はいつもよりかなり分厚かった。
分厚いだけに、筋の部分もいつもより
かなり手ごわかったのであります。
フォークで肉をガッシリ押さえます。
ナイフをグサッ。
手前にググッ、向こうにザクッ。
ガシガシザクザクを繰り返し、
もうあと一歩で一口分になる、
というその一歩手前で立ち往生。
太くて立派な筋が一本、切れずに頑固に居座った。
で、ひときわ力を入れてガシガシ。
のこぎりで材木を切り出すような勢いでガシガシ。
懇親の力をこめた最後のワンストロークで、
見事にブチッと筋が切れ、
めでたくフォークに一口分の肉の塊が刺さって残った。
‥‥のですけれど、なんと残りのステーキ肉が
ポンッとテーブルの上に飛び出した。
勢いあまってポォォーン。
ペタッとテーブルの上に
ペタッと落ちてしまったのであります。



◆トラブルはひとりのときに限って起きるのか!


大変です。
どうにかしなくちゃいけません。
都合のよいことに目の前にいるはずの母は
まだ戻ってくる気配がない。
周りのお客様もおいしい料理を食べるのに夢中で、
ボクの右往左往を見ている人もいそうにはない。
まずはテーブルの上に飛び出した
肉の塊を片付けなくちゃ、と思ったのです。
手を伸ばす。
思い切り手を伸ばして肉をつかんで、
それでお皿の上に戻した‥‥、のですけれど、
なんとその手がオレンジジュースのグラスを
パタンと倒した。
オォ・マイ・ガッ‥‥、であります。
大失敗です。

テーブルの上はお絵かきで夕日の絵を描いたときの、
筆すすぎの水を画用紙の上にぶちまけたときのような状態。
失敗は失敗を呼ぶ。
しかもひとつの失敗を修復しようと何かをすると、
確実に前の失敗よりも大きな失敗を生んでゆく、
という失敗の連鎖の物語り。

どうしよう‥‥。
ボクは修復不能の汚れたテーブルクロスを前にガックリ、
首を垂れるしかなかったのであります。
ああ、哀れなり。

するとテーブル担当のウェイター氏がやってきます。
そうして一言。
おぼっちゃま‥‥、
窓辺の景色の良いテーブルがあきましたから、
そちらにお席を移りましょう。
そういって、椅子を引いてボクを他のテーブルに座らせる。
ナイフフォークをもう一度セットして、
母の料理もそのまま。
オレンジジュースを新たに満たしたグラスが
もってこられるのとほぼ同時のタイミングで、
母がダイニングルームに戻ってきます。

テーブルが変わった理由をウェイターから知らされて、
あら、気が利くのね‥‥、ありがとう。
おもむろに自分のメインディッシュを食べようと、
でもボクの前にボクの料理がないのに気づき、
あら、どうしたの?
そう、言い終わるか終わらぬかのタイミングで、
ボクが今まで格闘していたステーキのお皿が運ばれてきた。

見ると切って食べやすいように
3センチ幅ほどのスティック状に
縦に切られたステーキが、キレイに並んだお皿でした。
どうしたの? と聞く母。
するとウェイター氏がかわりに
こう答えてくれたのでありました。

「ちょっと筋がございましたようで、
 切りにくそうにしてらっしゃったものですから、
 厨房で食べやすいようにさせていただいたのですヨ」

あら、面倒なことをお願いしちゃって、
と恐縮する母に彼はこうも答えます。

「お客様が面倒と思うことをして差し上げるのが、
 私たちの仕事でございますから。ねっ、おぼっちゃま?」



◆お店の人に助けてもらいましょう。


ウェイター氏の機転と見事な手際で、
ボクの面目は大いに保たれたのでありました。
お客様であるワタシたちには面倒なことでも、
レストランのプロにとっては
面倒でなことでは決してないのですね。
面倒を自分たちだけで解決しようとすると、
ろくなことがないのがレストランという場所である。
‥‥そういうことを教えてもらったのでありました。

お皿の片隅の小さなお豆をフォークがはじいて
テーブルの上をコロコロ、転がり始めてしまった。
さあ、どうしましょう。
客席にたつお店の人をそっと探して、
目と目を合わせて片手を上げて合図する。
近づいてくるその人に、
申し訳ありません、お豆が少々、
元気すぎたのかもしれません。
ワタシの手にはおえませんので、
どうにかして下さいませんか?
お店の人はこう思うでしょう。
よくぞ、ワタクシに声をかけてくださいました。
あとはお任せくださいませ。

すてきなレストランは
まさしく助け合いの場所であるワケですから。

(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-05-25-THU

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