おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

ボクの両親は、とても教育好きの人たちでした。

子供達に残してやれるのは教育と経験‥‥、
という熱い信念でもって
子供達にいろんなチャンスを与えてくれました。
ボク一人を考えても、ピアノにバイオリン、
英会話に書道にソロバン。
挙句の果てに日本舞踊にお琴にお花、
と考えうる限りの習い事につれていきました。
そのほとんどは性に合わず、
途中で投げ出してしまうことになるのですけど、
それでも懲りずいろんなチャンスをもってくる。
あまりの熱さに子供ながらに辟易するほど、
あれこれあれこれ。

中でも長男で、男一人というボクに、
父親が好んで与えたチャンスは
「おいしいモノを食べさせてやる」というものでした。
飲食店を経営していた一家の長男にとって、
最初の帝王学は「食べる」ということであったわけです。

だから夏休みとか春休み、学校の長期の休みといえば
家族で東京や京都に出向いていって、
それでいろんなものを食べ歩く、
というようなことをやっていました。
昼間は父は仕事で忙しく、
必然的にボクは母と二人で老舗や話題の店を
渡り歩くのが常でした。

面白かった。

子供ながらに「良い店の空気」に触れる、というコトが
こんなに素敵なことなのか? と思ったりもした。
何より、おいしいモノはこんなに人を
シアワセな気分にさせるんだ、
と感動しました、ココロから。

食べることに貪欲で、
いくら食べてもギブアップしない強靭な胃袋と体力、
というボクの資質が鍛えられたのもこの頃でしょう。

「食べられることも才能のうちヨ、ねぇ、あなた?」
「そうだな、オトコは大食漢でドッシリしてないと
 いいリーダーにもなれないしな!」

とわけのわからない両親の後押しもあって、
ボクはどんどん太っていった。

気づけば肥満児。

医者には若年性成人病の症候があるといわれ、
東京の真夏の街角で股ズレを起こして倒れたりする、
なんてことになる。
それでも「こうした苦労がいい二代目の礎になる」と、
明るく現状肯定してしまえるお馬鹿な一家、
サカキ家でありました。

そうした親子のある休日。
田舎の親子、東京の蕎麦屋で大失敗をしでかし
大笑い編の、ハジマリハジマリ。



◆せいろを二枚、くださいな。


ボク達は西日本の人。
しかもうどん王国、四国の出身、
蕎麦を食べる習慣は無いに等しい。
こんなおいしいうどんを食べなくてすむ、
関東の蕎麦ってどれほどおいしいものなんだろう。
そう思って、東京の昼を蕎麦屋で過ごそう、
ということにあいなりました。
ホテルの人に、おいしい蕎麦屋を紹介してもらって、
母と二人で車に乗って、
運転手さんに行く先告げて運ばれていきます。

赤坂、だったですネ。
小さな店で、子供の目には倒れそうなほど
古びたただの蕎麦屋にしか見えなくて、
なのに店の前には黒塗りの車が並んでた。

みんな運転手付き。

立派な会社の偉い人たちが
ワザワザ食べに来るほど有名な店。
母が車の中でそう言っていたのを思い出し、
恐る恐る扉を開けると中は頭の薄い、
ねずみ色したスーツ姿のおじさん達で一杯だった。
なぁーんだ、偉い人ってみんなおじいさんなんだ‥‥、
って失礼なことを思いながらテーブルに案内されて、
さて注文。

「せいろを二枚、いただきます」

母は言う。
東京で蕎麦と言えばせいろを食べなきゃ通じゃない、
と事前勉強してきましたから。

「お二人で二枚。‥‥おかわりはよろしいですか?」
「ええ、結構ですわ。」

だって二人なんだから一人一枚づつが当たり前。
「お前、おデブさんだから大食いじゃないか、
 って思われたんだヨ」
なんていいながら待つことしばしで、蕎麦、届く。
長方形の四角いセイロ一面に
ツヤツヤの蕎麦がキレイに盛られてやってきた。

母子二人、顔、見合わせる。
あんまりに少ないその分量にビックリして口、あんぐり。
お箸でつまんで持ち上げたところは、
いきなりセイロの底が見え、三口ほどでもうおしまい。
おなか一杯になるどころか、
味もわからぬほどあっさりとおしまい。
ハラペコのボクは泣き出しそうになっちゃった。

母は手をそっとあげ、
「おかわり頂戴できますか?」
仲居さんは、当然でしょう、って顔でこう答える。
「おかわりせいろ、二枚、ですね?」
ボクはたまらずこう言った。
「ボクはあと二枚、おかわりください」。
そういってお店の様子を見てみると、
ボクらの周りのおじいちゃんたち、
みんなセイロを何枚か積んで食べていた。
そうか、東京の高級なお蕎麦屋さんは、
せいろ一枚じゃおなか一杯に
ならないように出来てるんだ‥‥、って初めて思った。
親子ともども恥ずかしかった。

で、しばらく待ってお替りセイロがやってきて、
ツルツルたぐろうとお箸を持ったら、
隣のおじいさんがこうボクに言う。

「坊や、通だね‥‥、せいろ一枚食べてから
 お替りもらうなんて、
 時間があればおじさん達もそうしたいとこだヨ。
 で、旨かったかい?」

通じゃないです、知らなかっただけなんです。
と言えばよかったのだろうけど、
ボクら、わけのわからない笑顔を作って、
その質問の答えに代えた。
味はいまだに思い出せない。
母はいまだにそのときのことを思い出すと、
顔から火が出るくらいに恥ずかしい、と大笑いする。



◆お店の人の言葉にはヒントがある!


さてレッスンです。
お店の人が何かを聞いてくる。
その質問には隠された意味がある、というコト。
特に「一人前でもいいのですか?」という一言には、
非常に重たい意味がある。
それを覚えておいて下さいネ。

あのときのボク達が受けた質問。
セイロは一枚でよろしいですか? という一言は、
セイロのお替りは必要ですか、と聞いているのではなく、
「ウチのセイロは少ないんですヨ」
というメッセージである、というコト。
高級なお店ではよくあることです。

例えば高級なお寿司屋さん。
たちのカウンターでなくテーブルに座って、
おきまりを一人前お願いします、と言ったとしましょう。
「巻物も一緒に何かお作りしましょうか?」
そう聞かれたらそれは、
「あなた、大食いのように見えるから
 太巻きも一緒に食べたらどう?」
と言っているわけじゃない。
うちのおきまり一人前は
おなか一杯になれる分量じゃありません。
そう言っているというコト。
笑顔で、こう答えましょう。

「一人前をちょうだいしてから、
 考えさせていただけますか?」

おきまりが終わる直前に、
そろそろ終わりですけどどうしますか?
と聞いてくれるでしょう。
とてもスマート。
そのとき頼むのは別に巻物でなくてもいい。
予算に合わせて握りを幾つか追加してもいいわけですし、
楽しいです。

知ったかぶりは損します。
それ以上に、お店の人からの折角のメッセージを
聞き逃してしまうのは大損です。

老舗と呼ばれるお店。
高級だけれど長く人から愛されて、
気軽な気持ちで使われている店。
そうした店には、とてもやさしいお客様思いの一言が
受け継がれているんだというコトを、
ボクはそのとき、思い知った。
東京という街はすごい街だ、とも思ったのでありました。

さてその東京。
田舎モノであるボク達には次々、
難題と面白い謎解きを繰り出してくる街、でありました。
例えばこんな謎解き。
東京のホテルのロビーにおける失敗談であります。

また来週。

(つづきます)



2005-10-27-THU

BACK
戻る