おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

パリと言えばカフェです。
街そのものがまるで芸術品のようなパリという街で、
なかでもその街角をパリらしくしているもの、
といえば文句なくカフェ。
レストランというもちろんプライベートな空間であって、
なのに街とシームレスにつながっているような
一体感がある不思議な空間。
楽しげにくつろぐお客様。
その間をまるで泳ぐようにキビキビと、
しかし優雅な身のこなしでサービスして回るギャルソン。
観光客も地元の常連のお客様も、
いきいきとした街の一部になっているような、
まるでパリの生活のショーケースのようなカフェ。
大好きです。

生まれて始めてパリに行ったとき、
まずどこに行きたかったか? といえば、カフェ。
ガイドブックで有名なカフェの情報を入念に調べて、
仲間と二人で勇んでいそいそ、出かけたときの話です。
生まれてはじめてのカフェデビュー。
得てして「生まれて始めて」の中には、
失敗の種が潜んでる。
今日も当然、大失敗の話です。



◆ここで食べたいんですけど?


カフェにお洒落に佇むお洒落な自分。
当然、それをイメージすると座るべき場所は
通りに面したオープンエアのテーブル。
なんの迷いもなくそこに座って、メニューを手に、
さて何にしようかなぁ? と考えをめぐらせる。
カフェオレ一杯でも良かったのだけど、
運よく、というか小腹が空いたような気がして
料理のメニューをしっかりと見る。
‥‥のだけれど、面倒くさいです。
日本語で書かれたメニューから
たった一つの料理を選ぶのにも苦労するというのに、
海外で、当然、
外国語でかかれたメニューをみて注文をする。
しかも時差ボケでぼんやりした頭で考えるなんて
面倒くさくて、それでメニューの一番下で、
枠にうやうやしく囲まれた料理の名前をポチッと指差す。
「コレ下さい!」
お勧め料理に違いない。
それを頼めば間違いないに違いない、と思ってポチッ。
するとウェイターが何かをしゃべる。
かなり真剣な表情で、左手で店の奥を指差しながら、
なにかをしゃべる。
早口で正確に何を言っているのかははっきりしないけれど、
耳に残った幾つかの単語と、
彼の身振りをつぎはぎにして推測すると、
「この料理は奥のサロンでご用意している料理なので、
 出来れば移ってくれないか?」
と言うようなことだった。‥‥ような気がした。
けれど折角のカフェ、表のテーブルで
どうしても街の空気を味わいたくて、ココでいい、と。
身振り手振りを交えつつ、
ココで食べるの! って感じでお願いをした。

彼、諦め顔で「ウィ」と言い、
ならばしばらくお待ち下さい、と奥に引っ込む。
しばらくして彼が両手に大量のものを持ち、
戻ってきてからがさあ大変。
ボク達のテーブルの上に置かれていた
グラスやナイフ・フォークが下げられて、
テーブルクロスがパァーンと敷かれる。
フワンと丸いテーブルを包んだ
純白のクロスの表面のシワを、
見事な手際でササッと広げ、
その上にナイフ・フォークがずらっと並ぶ。
ワイングラスが並べられ、
まるでそこだけ晩餐会の会場のようになる。

それからボクらはタップリ2時間、前菜から始まって
サラダにメインと、フランス料理の真髄のような料理を
やっつけるはめになる。
料理はおいしかった。
出来上がった料理をワザワザ店の一番奥の厨房から、
狭いテーブルとテーブルの間を
器用にバランスを取りながら運んでくれる
ウェイターのサービスも素晴らしく、
予期せぬ素晴らしいもてなしに、
パリって凄い、と実感した。
のだけれども、ボクらが座るテーブルの前を
容赦なく行き来する通行人。
本来、カジュアルに楽しむはずのテラス席で、
お行儀良くコース料理を楽しむ集団をみて、ぎょっとする。
何事か? と目を剥きながら通り過ぎる人あり。
あまりの場違いの光景に
くすくす笑いしながら行き去る人あり。
恥ずかしかった。
街角の景色に溶け込むような自分達に
憧れてやってきたカフェで、
周りの景色から思いっきり
浮き上がってしまったのですから、笑えません。
しかも食事の終わった時間は、
その日の夕食の予約時間のたった3時間前と言う惨状。
恥ずかしい上に悔しかったことこの上もなく、
でも悔しいと思うのが悔しくて、
これも楽しい思い出だよな‥‥、とかって強がった。
その晩、食事中、みんな苦しくて苦しくて、
味わうどころの騒ぎではなかったのでありました。



◆テーブルクロスはメッセージである。


さてレッスン。
テーブルクロスをみたらご用心。
昔、第一シーズンの中で、
「テーブルクロスのかかったテーブルは
 ワインをおねだりするテーブルである」
と言ったことがあります。
確かにそうではあるのですが、
例えばランチタイム、
例えば大切なビジネスを伴った会食、のように、
テーブルクロスは敷かれているけれど、
ワインを断ろうと思えば可能な
シチュエーションもあるにはある。
ただ、そんなときでもテーブルクロスは
ある特別な意味を持っています。
それは「時間をタップリ吸い取るテーブルなんだ」
ということを、教えてくれている、ということなんです。

カフェに置かれた丸いテーブル。
一本足で肘をつくとガクガク動く、
頼りの無いテーブルで、
しかもクロスも敷かれていない実用的なテーブル。
それは「自分の時間を自分なりに
好きなように使ってください」というテーブルです。
長居したければ好きなだけ。
コーヒーを飲んだら、さっさと帰るのもご自由に。
そんなテーブル。
ワインを一本頼んだとしてもテーブルクロスの上では、
ウェイターが注ぐに任せてユッタリと。
カフェのテーブルなら、
自分達で注いでガバガバ急いで飲んでも大丈夫‥‥、
ってことになりますか。
テーブルクロスにふさわしい料理、
テーブルクロスにふさわしいサービスがある、
ということです。

考えてみればテーブルクロスという、
ただの一枚の布切れに、今までカフェだった場所を
レストランに変えてしまう力がある。
驚きです。
だからその布切れのメッセージに敏感である。
そうすればレストランと言う場所で失敗をする確率は
確実に減る。
そう思います。

自分が案内されたテーブルが
真っ白なテーブルクロスが敷かれたものだった。
覚悟しましょう。
トイレは済ませましたか?
数時間分の会話と笑顔に自信はありますか?
しかも料理を頼んで、それからあたふた、
もし目の前でテーブルクロスが広げられ、
黙々とテーブルセッティングが繰り広げられたら、
今、自分が頼んだ料理は
とってもタップリ時間のかかる料理だったんだ、
と覚悟しましょう。
もしそれからきっかり1時間後に
何かの約束があったとしたら、
まず立ち上がって電話をかけて、
申し訳ありません、そのお約束、
キャンセルさせていただけませんか?
あるいは、1時間ほど遅れることになるかもしれない、
申し訳ない。そう告げましょう。
理由は? と聞かれたら、
今、ボクの目の前でテーブルクロスが敷かれてるんです。
そう言いましょう。
大変だネ‥‥、と電話の向こうが、
その一言でわかってくれる人なら幸せです。
でも滅多にないですね‥‥、そんなシアワセ。
たいていは、テーブルクロスは必要ないです!
もっと簡単な料理にかえてください、と、
ウェイターに告げることができなかった
「いい人きどりの優柔不断」を
呪わなくちゃならなくなっちゃう。
気をつけましょう。

まあ何より、今回の間違いを産んだ最大の理由は
「外国で知ったかぶりをする」という、
初歩的なこと、でありました。

さて知ったかぶり。
日本でもちょっとした知ったかぶりが、
かなり恥ずかしい失敗談を産み落とす。
たとえばこんな具合に、であります。

(つづきます)



2005-10-20-THU

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