おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

オトコの子が男の人になって一番最初に行きたかった場所。
ボクの場合、それはバー、でした。

10人くらいが座れるカウンターがあって、
無口だけれど見事なシェイカー捌きの
熟練したバーテンダーが微笑みながら待っている。
バーテンダーの後ろの壁には見たこともないような
お酒の瓶がズラッと並び、
いつもタバコの煙がたなびいている、そんな店。
オトコの子はみんなハードボイルドですから。



◆アレクサンダー大王に教わった。


そうしたバーに生まれて始めて足を踏み入れたのは
アメリカでした。
はてさて、それが法的に酒を飲んでよい
年齢のことだったかどうかは覚えてはない。
髭を生やした大人顔のオトコの子でしたから、
パスポートの提示を求められることも無く
めでたく酒にありつくことが出来はした。
おおっ、ボクもやっと大人になった!
って感じに、素直にうれしかった。

思い描いていたようなバー。

こじんまりしたカウンターに
4人がけほどの小さなソファセットが2つ。
カウンターの中には年のころ60前後のバーテンダーが二人。
ドアを開けた瞬間、ボクの方を見てニコッて笑って
カウンター真ん中の椅子の前に
灰皿をストンと置いてボクを促す。

高い足のスツールチェア。

あるかないかの小さな背をひょいとつかんで、
そこに座りました。

一杯目のお酒は今でも覚えています。

「ブランデー・アレクサンダー」。

いつかバーにデビューする日のために
ボクはカクテルブックでどんなお酒をのもうかな?
と、勉強してた。
アルファベット順にカクテルの名前が並んでいる
その本の、数ページ目かに載っていたのが
「アレクサンダー」というカクテルで、
チューリップのようなグラスに入った写真も載ってた。
誰もが知っている英雄の名前をいただいたカクテルって、
どんな味がするんだろう、と長らく頭の中に閉じ込めていた。

それを一杯。

勇ましい名前とは裏腹にとても甘くて柔らかで、
トロトロ喉の奥に流れ込む。
まるでチョコレートにお酒を混ぜて飲んでいるような
飲み口に、あっという間に一杯をあけ、
続けざまにお替りの一杯をおねだりする。
飲み口があまりに良いので、次々に。
無駄口一つ叩かず、ボクのような若造の注文を
シッカリこなし、カクテルグラスにキッチリ
すりきれ一杯分のアレクサンダーを作ってくれる
バーテンダーの手元を眺めているだけで、
シアワセな気持ちになって、また一杯。
気づけば頭の中まで手にしたカクテルグラスの
中身のようにトロンとしてた。

酔っ払いです。

ボクはトイレに行きたくなって、椅子からおりる。
正確に言うと降りようとするのだけれど、
ボクが足を下ろすべき床の遠いこと、遠いこと。
まるでボクは小さな山の山頂にいて、
そこから平野に向かって足を伸ばさなくちゃ
いけないほどに遠く感じる。
カウンターを両手でつかんで上半身を支えながら、
やっとの思いで片足を付き、それからユックリ
もう片方の足を伸ばしてシッカリ足を踏ん張った。
まっすぐ自分が立てていることを確認しつつ、
右足と左足を交互に前に出していけば
目的地まで歩いていけるんだ、
と言い聞かしながらトイレに向かう。

酔っ払いですからネ。

トイレから出るとバーテンダーが待っていて、
もとの席に戻ろうとするボクを促しソファの一角に座らせた。
手にはグラス。
飲むと変な匂いのする炭酸水。
アンゴチュラスビターという薬草の絞り汁を
濃縮して作ったようなシロップを入れたソーダで、
確かにたちまち重たい胃袋が軽くなる。

ゴクゴク飲み干しグラスを置くと、
もう一杯分の特効薬を作って、くれた。

「落ち着きましたか?」

彼はそう言う。
うなづくボクにこう彼は続ける。

「そのソファは酔っ払いに優しい椅子。
 ‥‥そうでしょう?
 
 逆にあの椅子、
 あれは酔っ払いには厳しい椅子なんです。
 ‥‥そうでしょう?」

と、今までボクが座っていたスツールを指差して優しく言う。

そうしてこんなことを、まるで孫に諭すおじいさんのように
ユックリ優しく、噛んで含めるように教えてくれました。



◆バーのスツールを味方に付けろ!


バーのスツールで格好良く飲むと言うコトは
とても難しいこと。
でもそのスツールを味方にすればとても簡単。
あの座り心地のよくない椅子の上で、
しゃんと背筋を伸ばし続けることができる程度の時間で
飲み終える。
それなら飲んだ翌日、
飲んだことを後悔することなんか絶対にない。

背中がクルんと曲がり始めたら注意する。
カウンターに肘をついて
頭を支えなくちゃいけなくなったら
もう飲むのを止めて帰ればいい。
気持ちよく、自分を失わないよう
男らしく飲みたかったら、
スツールと仲良くする方法を覚えていなさい。

いいですネ。
さて今日のレッスン。

酔っ払って気持ち悪くなったときには
ビターソーダを頼んで飲むと、スッキリとする。
と、コレがレッスンじゃあ
「サカキシンイチロウの酔っ払い講座」になっちゃいます。
まあ役に立つ豆知識、ではありますが。

しかして本当の今日のレッスン。

バーのスツール。
あれは体を預けて腰掛けるためのものじゃなく、
腰をそっと休ませるためのものであると言うコト。
そしてあのスツールのやるせないほどに
座り心地のよくない形は、
格好良く飲むため自分を厳しく律するための工夫である、
と言うコト。

そこに座って、背筋がしゃんとしているうちは
お酒をどんどん飲めばいい
そこに座って、でも座っているのがつらくなったら
そろそろお酒を飲むのをやめればいい。

そしてこのことは決してバーのスツールだけに
いえることじゃない。

例えば寿司屋の固くて小さな座り心地のよくない椅子。
背筋をしゃんと伸ばしていられるだけの時間で、
寿司をつまんでサッと店を出るという、
粋な食べ方を奨めてくれる、手ごわい椅子。

でもそうした粋な食べ方を守る人にとっては優しい椅子。

例えば今度、バーに行きカウンターの後ろから
そこに座っている人の背中を見てご覧なさい。
スーツに皺の一つもよらないほどに、
背筋をしゃんと伸ばして飲んでいる人がどれほどに美しいか。
背中を丸めて口からグラスを迎えにいくようにして
飲んでいる人が、ただそれだけで
まるで負け犬のように見えてしまう、
というコトにビックリするでしょう。

そこにいる人を美しく見せるために、
座り心地のよくない椅子でおもてなしする店。

素晴らしいではないですか?

ところで座り心地によくない椅子に
もてなされるということがあるとすれば逆もまた真?
座り心地の良い椅子に裏切られる、
というコトもあるんでしょうか?

どうなんでしょう。
(つづきます)



2005-10-06-THU

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