おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

男の子にとって「革靴を履く」というコトは、
大人になることを疑似体験する、
そんな特別な思いがあるものです。
いつもは運動靴を履いているのに、革靴を履く。
運動靴ならスッポリ履けて、
走るのも飛び跳ねるのも自由自在に楽しめる。
なのに革靴。
まずしゃがみこんで靴紐を結ぶ面倒を
覚悟しなくちゃならない。
履くと重たい。
ガッシリ両足首を固定するような頑丈さがあり、
走り回ろうにも飛び跳ねようにも
ちょっとした覚悟とコツがいる。
決して快適な履物ではないのだけれど、何故だかうれしい。
大人になったような気がするから。

ボクも子供の頃の写真を見ると、
足元が革靴のときって着てる洋服も一張羅。
おすまし顔も一張羅で、
一緒に映る周りの人の表情も誰かの記念日、
あるいは何か特別な日の一場面である、
というコトをさりげなく語ってる‥‥、そんな感じ。
今日は外食、というその日に
「シンイチロウ、今日は革靴を履いて行きなさいネ」
とお袋が言うときは、まず間違いなく飛び切りのご馳走を
飛び切りの店でご馳走になる、ということでした。
そんな革靴。
ボクはそれでとんでもないことをしでかした。



◆すべるすべる、革靴はすべる!


田舎の町の昔、お殿様が住んでいたというお屋敷を
レストランにしたお店がありました。
とても高級だったんだ、と今でも思います。
だってそこに連れて行ってもらえるのは年に一度、
あるかなきかの出来事で、それも子供達みんなの成績が
とてもよかったときに限られていたから。
どんな料理をそこで食べたかは全然、思い出せない。
おいしかった、という思い出もほとんどなくて、
これから話すちょっと情けのない出来事が、
ボクの中ではその場所のすべての思い出です。

子供達みんなが持って帰った通知表が
この上もなく素晴らしいものだったんでしょう、
そのレストランに行こう、ということになり、
ボクはおろしたての革靴を履きました。
革靴を履いてそこに行くのはそれが初めて。
ボクの中の「大人の自分」がいやおう無しに高ぶって、
それでボクは妹の優しくて完璧なエスコートを
しなくちゃいけない、とココロに決めました。
車に乗ってその店に行き、車寄せで車を捨てて玄関に立つ。
ドキドキしてた。
車を降りるときに、妹の靴の片足が脱げ、
ボクはそれを拾ってしゃがんで履かせた。
お兄さんだから、子供の妹の面倒見るのは当然だ、
とばかりにそうやって、立ち上がって見ると
両親は何歩も向こうを歩いていた。
追いつかなくちゃ、とその妹の手を引いて
両足を大きく開いて勢い良く。
凄い勢いで両親の後を追いかけた。

そのレストランの広くて長い通路は、
玄関から途中までは木貼りの床。
良く磨かれていて使い込まれて柔らかで、
踏みしめるとキュッキュッと音を立てるような木の床で、
それが途中からじゅうたん敷きの床になる。
その通路を大またで、大急ぎで、
ボクは飛ぶように歩いていって、
それで右足が木の板からじゅうたんの上に
ポンと置かれたその瞬間‥‥、足がすべった。

革靴の皮の底というのはじゅうたんの上で良くすべる。
そう言うことはボクは知らずに靴を履き、
両親に追いつこうと勢いいさんで踏みしめたものだから、
ツルンとすべって体、傾く。
このままじゃ倒れてしまう、と思って
左足を前に出して踏みしめる。
のだけれど、その踏みしめた場所がまたじゅうたんで、
右足と同じようにツルンとすべって、
ボクは見事にスッテンコロリ。
転んだ。
自分では転んだ程度の出来事だったのだけど、
妹がボクの後ろでこう叫ぶ。

「ママ、凄いヨ。お兄ちゃんが飛んだヨっ!」

車寄せで次のお客様を待っていた
スタッフの人が飛んできて、
ボクを抱き上げて起こそうとするその深刻な表情に、
「なるほどボクは飛んだんだ」
と遅ればせながらやっと気づいて、
その途端に背中一杯が熱いような、痛いような、
不思議な感触に包まれた。
ボクも大人、泣きませんでした。
両親も立派な大人で、そんな粗相は
ありもしなかったかのようにしずしずと
メインダイニングに足を進めて、
こともなげにテーブルにつく。
ただ一人、妹だけは興奮をして母に言う。
「ママ、本当だよ。お兄ちゃんネ、
 ポーンと飛んでまるでトムとジェリーみたいだったヨ」
ああ、恥ずかしい。

濡れた床がすべるのならわかる。
例えば磨いた大理石の床の上ならツルツルすべって、
フィギュアスケートの一つでも踊れそうになるというのは
ボクでもわかる。
でもじゅうたんがすべるなんて、
誰も教えてくれなかったもんな、と思いつつ
右手を見たら甲にうっすら血が滲んで傷になってた。



◆父は優しく、母は厳しい。


「シンイチロウは熱いお風呂は好きか?」
父が聞く。
「お風呂は好きだけど、あんまり熱いのは好きじゃない。」
そう答えるボクに父はこう続けます。
「お風呂にドボンと入ると、熱くてビックリしたり
 逆に冷たくてビックリしたりするだろう?
 お風呂はユックリ、ちょっとづつ体を慣らしながら
 入るから気持ちもいいし楽しいだろう。
 レストランもそれと同じようなものなんだヨ。
 ユックリ、ユックリ、体を慣らしながら
 レストランに入らなくちゃ怪我をする。
 ‥‥な? わかったか。」
「あなたは、いつも、
 わけのわからないたとえ話をするわねぇ」
と母がさえぎり、ボクをみながらこういった。
「場所にあわせた歩き方を覚えなきゃ、
 シンイチロウもまだまだ子供、と言うコトよ。
 妹の面倒にうつつを抜かす前に、
 もっと大人になりなさい」
父は優しい、母は厳しい。
いつもそう。

フランス料理屋に向かうときの歩き方。
ハンバーガーショップを訪れるときの歩き方。
そういえばみんな違うよな、
と今になってみればわかるんだけど、
そのときはなんのことだかわからなかった。
母は厳しい、‥‥そう思ってた。


◆レストランでの歩き方を習得しましょう。


さてレッスンです。
レストランというのは日本人にとって非日常的な空間です。
靴を履いて生活することが当たり前でない日本人にとって、
レストランという空間に足を踏み入れるというコトは、
罠だらけのジャングルに足を踏み入れると同じこと。
例えばじゅうたん。
高級であればあるほど、ツルツルの細かな毛が
一つの方向に向かって植えられている。
もし自分の靴がその毛の流れの方向に
ストンと置かれたらどう言うコトになるか?
水の流れに足をとられてスッテンコロリ、
というのと同じことになる。
それがそのときのボク、というコトですネ。
逆にじゅうたんに革靴の足を置いて、
スルンとすべるような感触を覚えたら、
ああ、ここは足で踏まれるものにまで
お金をかけてる凄い場所なんだ、と思えばいい。
そうして細心の注意を払って、
全身全霊でその高級を味わう努力をすればいい。

いつもよりちょっと歩幅を狭めて、
背筋を伸ばしてまっすぐ前を見ながらしずしず歩く。
キョロキョロしたり、チョコマカウロウロ歩き回ったり、
連れの仲間に遅れまいと急ぎ足で、はご法度です。
あるいは気負っていつも以上に勢い良く、
両手を振って大きな歩幅でズンズン歩く。
これも駄目。
罠につかまり、シンイチロウ少年のように
トムとジェリーになっちゃいます。
何よりレストランの空気を
ちょっとづつ体の中に入れながら、
レストランという空間をココロから楽しむための
準備が出来なくなる。
勿体無いです。
例えばホテルのロビー。
例えば結婚披露宴の通路の端や、
宴会場の入り口に向かう通路の真ん中。
罠はそこらじゅうでボクらを捕まえてやろうと、構えてる。
優雅に足を踏みしめながら、その罠につかまらぬよう、
優雅に笑顔で。

今日はとても痛い思い出でした、
そうそう、そういえばこんな痛い思い出も
ボクにはありました。
ボクのおばあさんにちなんだ思い出です。

(次回につづきます)



2005-09-22-THU

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