おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

田舎町に住んでいたサカキシンイチロウ少年が
大好きで仕方なかった店、が一つあります。
今でも昔のことを思い出すと、
かならずそのレストランのことが真っ先に
頭にパンッ、と思い浮かぶ。
そのお店の家具やお皿の形まで思い出せる。
そんな店です。
しかもボクだけじゃなく、ボクの家族みんなが好きな店で、
親父が一言、そこに行こうヨ! と言えば、
いつもは協調性のないボク達家族が
必ず5分以内に身づくろいして玄関先に集合できる、
そんな店でした。
どんな店か? というと、それは
「百貨店の特別食堂」でありました。



◆誇り高き、子供用の椅子。


1960年代のこと。
当時の百貨店は夢が一杯詰まった場所でした。
少年のボクにとっての
「生まれて初めて」のほとんどは
その百貨店の中にあったような気がします。
初めて見るモノ、初めて触れるモノ。
あたかもそこは都会であって、
まるでそこには未来がありました。
特に食べ物。
スパゲティー。
ピザ。
ハンバーグステーキ。
チョコレートパフェ。
そこの特別食堂でこれらのモノに遭遇したとき、
ああ、世の中にはなんておいしいものがあるんだろう?
って思ってドキドキしたものです。
シンイチロウ、デパートにお買い物にいくわヨ‥‥、
という母の声にボクはワクワクしながらついてった。

特別食堂が好きだった一番の理由は当然、
珍しくておいしいものを食べられる、というコト。
でもその理由と同じくらい、そこが好きだったのは
子供用の椅子が置いてあったから。
高級な店には子供用の椅子なんてなかったですから。
大人の椅子と同じ素材、同じようなデザインで、
座面が高く肘置きがついている。
なんだかそれに座るとそのテーブルで
一番えらい人になったような
気持ちになれるシアワセの椅子。
子供のボクが大人を見下ろすことの出来る魔法の椅子。
その椅子、普段は見えないところに隠してあって、
子供が来るとお店の人がうやうやしく持って来てくれる。
何度も通ううちに、ボクはその椅子を置いてある場所を
覚えてしまい、お店に入るとまずその置き場にまで行き
自分で椅子を引きずってテーブルまでいこうとする。
お店の人はあわてて飛んでやってくる。
親父は笑いながら
「偉いぞ、男の子だったらもっとがんばれ」と声をかける。
ごめんなさいねぇ、と母は恐縮って具合で
大騒ぎになったりしたこともある。
楽しい思い出。



◆プライドがずたずたに!


ところがあるとき、ボクより2つほど年上のいとこと
一緒にこの店に行ったとき、
彼はストンと大人の椅子に腰を下ろしました。
この前、一緒にココに来たときには
二人揃って子供椅子だったはずなのに‥‥。
呆気にとられるボクに彼はこういう。
「ふーん、シンイチロウはまだ子供なんだなぁ。」
くやしくてくやしくて、ボクは子供用の椅子が
途端に嫌いになってしまいました。

この出来事のあと、その店に行ったとき、
ボクはせっかく用意してくれた
子供用の椅子に目もくれず、大人椅子によじ登りました。
右手で椅子の背をガッシリつかんで、
左手を座面に置いて体全部を預けるように
ヨッコラしょ、って感じで椅子に座って、
得意満面、大人になったような気分になった。
ただ大人気分で眺める景色は、
いつもと全然違ってみえました。
目の前にナイフフォークの取っ手が
アップでドンと迫って見える。
お水の入ったグラスも底の方しか見えないし、
反対側に座ってるお袋の顔がやけに遠くにある。
「あら、あなた、顎がテーブルの上に乗っかってるわヨ」
って、母はボクを見てケラケラ笑う。
ボクは真剣なのに。
それからの一時間少々、
楽しかったか? というと全然コレが楽しくなかった。
疲れる。
両手を高く持ち上げないと
スプーン一つも持ち上げられず、
背中を絶えずシャンと伸ばしておかないと
お皿の中身を確かめることさえ出来ないんですから、
大変です。
当然、そんなふうにして食べた料理がおいしかったか?
というとそうでもなくて、しかも食べ終わったボクを見て
母はこういう。
「もっと注意深くお食べなさいネ。お洋服が汚れててヨ。」
見るとお腹の上に大きな食べ染み。
不自然な姿勢で
ナポリタンスパゲティーを食べたものだから、
お腹の上にパスタが一本、ポテンと落ちて
真っ白なシャツの上にケチャップ色のミミズが一匹、
のた打ち回るように這っていました。
それから数回、ボクはそれでも
頑なに大人椅子に座り続けて、
そのたびにヨソイキの洋服にシミをつけ、
喧嘩に負けた犬みたいにすごすご帰る、を繰り返しました。
大好きな店、大好きなお外でご飯がちょっとずつ
嫌いになり始める、ようなことになるのでした。

それでも頑固に大人椅子にこだわり続けるボクに、
ある日、その店の支配人はボクの耳元でこう言いました。
「おぼっちゃまの椅子が寂しがっておりますよ。」
ボクは勇んで大人椅子から飛び降りて、
カーテンの後ろに隠してある子供用の椅子を握って
引きずって、テーブルの前に置いてチョコンと座りました。
シアワセな景色が目の前に広がっていました。
その日の料理はいつものようにおいしくて、
その日の食卓はいつものように楽しくて、
しかも洋服を汚して叱られることも無く、
子供の椅子って魔法の椅子だな‥‥、
とボクは思いました。


◆レストランに、椅子は大事です!


さあレッスン。
見た目やデザインだけで
椅子を選んでいるようなお店は言語道断。
座り心地で椅子を選んでくれる店なら信頼できる店、
というコトが最初の教訓。
ただ、同じ椅子でも座る人によって
その座り心地は千差万別、
というコトを覚えておきましょう。
あなたが座っている同じ椅子に座っている目の前の人が、
自分と同じように快適だとは限らない。
哀しい現実。
すべてのお客様に同じく快適に
座っていただけるような椅子を
お店の人は一生懸命選ぶのだけど、
ワタシ達の体格がみんな同じでない以上、
どうしても人によって椅子の座り心地は違ってくる。
だから椅子に座ったらまず、
一緒にテーブルを囲んだ人の表情を確認しましょう。
あれっ、て言うような表情を見つけたら、
どうしたの? って聞いてみる。
お店によっては何種類かの椅子を用意してて、
交換してくれたりすることもある。
椅子を交換できなくても、
例えば背中と腰の間にクッション一つ、
挟んだだけでまったく違った座り心地になったりする。
それも無理なら、長居せぬよう
テキパキ食事を済ませて立ち上がる。
食後の会話はお店を出て、
座り心地の良い椅子のある喫茶店でもすればいい。
お互いがお互いのことをいたわりあうのも、
楽しい食事の作法でしょう。

それからもうワンレッスン。
自分にとって座り心地の良くない椅子が回ってきたら、
注意深く料理を食べる努力をしましょう、という教訓です。
座り心地の良くない椅子に不自然な姿勢で座って食べる、
というコトは料理を落とす可能性が
高くなるということでもあるわけです。
気がついたらネクタイの上にケチャップミミズ、
ってことにならないように要注意!

ところでいつの間にかボクは肥満児になり、
お子様用の椅子に座りたくても座れなくなる。
魔法の椅子は妹二人の椅子になり、
体格だけでは目出度く
大人の仲間入りではあるのだけれど、
やっぱりお子様ランチが食べたくて仕方ない。
そんな宙ぶらりんなシンイチロウ少年。
肥満児ならではのとんでもない出来事を次々、
いろんなところで起こし続けるのでありました。

(次回につづきます)



2005-09-08-THU

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