おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



お正月のレストラン、
どのような気持ちで行けばいいんでしょう?

ボクの家族は飲食店を経営していました。
1960年、ボクが生まれた年には
まだ小さな鰻屋さんが一軒。
当然、その頃の思い出はアルバムの写真が知るのみ。
思い出そうにもあまりに曖昧で、
後に聞いたいろんな話の断片がつながって、
まるで本当の記憶のように
インプットされている程度のものでしかありません。
幼稚園に入る頃には
親父の会社も数軒を数えるようになり、
その後、しばらくの間は
日本の景気もよかったからでしょう、
確実に拡大をしていきました。
飲食店って大きくなっていくと
経営者はそんなに忙しくはなくなります。
オフィスワークやお付き合いがどんどん増えてきて、
少なくともお店の現場に
立ったりすることは少なくなって、
だから日曜日なんかは
ドライブに連れて行ってもらったり、
結構、両親に遊んでもらう機会に
恵まれていたものでした。

それでも年末は大変な大騒ぎでした。
和食のお店では「おせち料理」を作って一年を終える、
というのがならわしでした。
だから忙しかった。
本当に忙しくてそれは全社、
全店を挙げて締め切り間際のプロジェクトを
やっつけるために一生懸命頑張っている、
って感じでした。
当然、大きな子供達も手伝いました。
アルバイトや知り合いまで総動員して
すべての注文を作り終えるのが大晦日の朝で、
それからお客様の自宅まで届けて回る。
目の回るように忙しい一日、それがボク達の大晦日でした。

ボクが高校の一年生の時のことです。
父はその事業に失敗してしまいます。
強引な拡大路線と、
オイルショックに端をなした不景気が原因で
倒産してしまったのです。
幸いにしてその日の食べるモノに困る、
というようなことにはならなかったのですが、
かなり貧しくなりました。
それまでの当たり前がある日、
突然、当たり前でなくなってしまう。
そんな不自由を家族みんなは感じていました。
誰も不満を口に出しはしませんでしたけれど、
でもかなり哀しい出来事でありました。
父は次の仕事をするための準備に奔走して、
ほとんど家にいることはなくなりましたし、
母は母でちょっとでも稼ぎをはじき出そうと
パートに出たりし、家族が一堂に会して食事する、
なんてコトはなくなりました。
子供達の生活が大きく変わるというようなことは
幸いにしてありませんでしたが、
でも心のどこかしらに不安とせわしなさを隠した、
そんな生活を送ることになったのです。

そしてその年の大晦日、
ボク達家族は久しぶりにユックリ、
顔をつき合わせて晩御飯を食べました。
そして小さなコタツを囲んで紅白歌合戦を見ていました。
みかんを食べながら。母がポツリとこう言いました。
「家族みんなでこうやって、
 何にもしない大晦日を迎えるのって
 なんだかシアワセよネ。」
父はそれに応えてこんなことを言いました。
大晦日、仕事が終わって家に戻っても
電話がかかってきやしないか、
と気になって仕方が無かった。
配送の車が事故を起こしはしないだろうか?
おせち料理に何かの不都合が起こって、
クレームの電話がかかってきやしないだろうか?
そう思うと一年が終わって新しい年がやってくる、
って実感を味わうことが今まではなかったんだなぁ、
と思ってた。
今年は本当にシアワセだなぁ、と。
子供のボク達もおんなじようにそう思い、
でもこの瞬間にもまだ働いている人がいるんだよな、
と思ったものです。
その年の年越し蕎麦はとても美味しかった。
いつもの年と同じような蕎麦だったけれど、
本当に美味しかったのを思い出します。

新年のレストランではやっぱり
「あけましておめでとう」を言わなくちゃ!

レストラン、飲食店というのは大変な職業です。
普通の人が遊ぶときに働かなくちゃいけない。
街中が穏やかで楽しい表情に包まれているときに限って
忙しい、という職業です。
街と店のギャップが一番激しい時期、
それが年末年始であるということ、
どうか忘れないで下さいネ。
お正月に休業する飲食店、増えてきました。
ファストフードやファミリーレストランのような
チェーンストアは別として、
正月三が日くらいは休みを取るのが
外食産業でも当たり前になりました。
けれど、大晦日の飲食店はたいてい大忙しです。
蕎麦屋さんなんかはその代表ですけれど、
でも一般的に年末の数日間は
どんな飲食店にとっても目の回るように忙しいものです。
和食のお店なんかだと12月に入ってから
ずっと宴会続きで、もう疲労困憊で年末を迎える、
というような状態が普通であったりもします。
そうして年があけ数日間の休みをとって、
久しぶりの営業開始。
それが新年のレストランの気分です。
だからボクはこの時期のレストランでは必ず元気に
「あけましておめでとうございます」
と言うようにしています。
1月の中旬くらいまでは
まだ町中はお正月気分ですから、
「あけましておめでとう」。
昨年年末は本当に大忙しで大変だったでしょう?
と、ねぎらいの気持ちをタップリ込めて
「あけましておめでとう」、
とそう言うようにしているのです。

お正月にはお年玉がつき物です。
お客様であるワタシ達から、
忙しい年末を一生懸命頑張ってワタシ達を
今、もてなしてくれているお店の人たちに対するお年玉。
ご祝儀です、言ってみれば。
なんでもいいです、まず何か一つ、
必要ではないものを頼んでみる。
ビール一本、シャンパン一杯。
それで「おめでとう」。
気持ちも伝わりますし
何よりその界隈がめでたい感じに包まれます。

お正月特別料金の店とはつきあわないぞ。

ただ、お正月だから
ととんでもない営業の仕方をする心無いお店もあります。
「お正月特別料金」と言うやつです。
しかも商品の品揃えがいくつかしかなくて、
というような高飛車でお客様を馬鹿にしたようなお店、
心当たりありませんか?
そうしたお店には二度と行く必要は無い、と思います。
ボクは今まで何軒か、
気に入りの店だったのに
お正月にそうした仕打ちを受けて、
泣く泣くアドレス帳から
その店の電話番号を消したことがあります。
どんな状況でも、どんなときでも
お客様を公平におもてなししよう、
と努力するのが誠意あるレストランの証であって、
お正月だからなんてささいな理由で
いつもとまったく違った営業方針で店を開く。
そうしたお店は避けましょう。

「サカキさん、ごめんなさい、
 河岸がまだ動いてなくて
 ろくな魚が手に入らないんで
 今日はお肉で我慢してくれる?」
そうした「いつもと違う」は歓迎です。
「お雑煮を作ったんだけれど、
 一口だけでも食べてごらんになります?」
ますます結構。
友達みんなにふれて回りましょう。
こんな素敵なレストランがあるんだ、って。
季節感。
あるいは時節柄。
食べる楽しみのとても大きな部分ですから。

illustration = ポー・ワング

2005-01-06-THU


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