おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



ギターを弾いて歌って回っている人が
私達のテーブルにだけ頻繁に来て、
しかもなかなか向こうにいってくれない。
これってチップを渡さなくちゃいけない、
ってことなんでしょうか?

こりゃ困る‥‥。
ムードたっぷりな大人のイタリアンレストラン。
元気とエキゾチックが交じり合った
本格的なメキシカンレストラン。
いろんな場所で起こりえる問題です。
しかも、ある程度、気合を入れてお洒落して、
よし今日はがんばるぞ、なんて思った日に限って
こうした悲劇的な状況が襲ってくる。
ほんとに困っちゃいます。

どうもボク達家族は
人一倍サービス精神旺盛なたちのようで、
お店の人と目と目が会うと
どうしても愛想笑いを返してしまいます。
思いがけないサービスには必要以上に驚いてみせたり、
感動した表情をしたりする。
レストランで喜ばせてもらうのは
お客様であるボク達の方のはずなのに、
なぜだからお店の人を喜ばせようと
一生懸命になってしまう。
大抵は、それが良い結果、
つまり特別扱いしてもらえたり
想像以上の楽しい時間を過ごせたりさせてもらえたりの
きっかけになります。
けれど時折、そんな何気ない心配りが
とんでもない事件のきっかけにもなったりするのです。

大拍手、唄、大拍手、唄‥‥
魔のスパイラル?!

そのときも横浜のイタリアンレストランで、
食事の途中にギターの演奏が始まりました。
ボク達のテーブルからはるか向こうにステージがあり、
ギターの演奏が始まった、とはいえ
ほとんどのお客様はその演奏に注意を払うわけでなく、
ただただそれが当然であるかのように食事を続けています。
なかなかの熱演で、
なのにまるでそこにはいないかのように、
お店の中の人たちに扱われるギタリストが
なんだかかわいそうになり、
ボクらは期せずしてステージに注目しました。
母は目を閉じあごを上げて曲に聞き入り、
父は人差し指を立ててタクトを振るように
小さく宙でグルグル回し、
子供達は軽く肩でリズムをとって、
まるでサウンドオブミュージックの
フォントラップファミリーのような状況、
であったのだろう‥‥と思います。
1曲終わると盛大な拍手でその演奏に応え、
母なぞはギタリストと目と目を合わせて
会釈するような仕草までしています。
するとギタリストはスタンと立ち上がり、
ボク達のテーブルまでやってきました。
そして当然のように2曲目は僕らの真横で始まりました。
ボクらも必死に応えます。
せっかくのサービスに料理を楽しむのも忘れて
笑顔で聞き入り、2曲目の最後には再び大きな拍手。
ただそのときの拍手の意味はこうでした。

「もう十分に堪能しました。
 もうボク達を解放してください。
 どうぞステージに戻ってください‥‥」

でもボク達の願いもむなしく、演奏は3曲目に突入し、
さすがの僕らの笑顔も引きつって、
でも「ここで無視しちゃ悪いよな」と、必死に笑顔。
ほっぺたが痛くなるくらいに必死に笑顔。
彼、喜んでますます熱演。
まるで「ここだけディナーショー」の状態です。
もうお願いだからボク達を解放してよ、
とだれもが思うのだけれど、
笑顔が顔に貼りついたようになって、元には戻らず、
それを見たギタリストはますます張り切り、
4曲目に突入。
たまりかねた親父が1万円札を小さく折って
手渡そうとするも、彼の両手は演奏中で忙しく、
こともあろうか父はその1万円札を
ギターの真ん中にぽっかりあいた
丸い穴の中に押し込みました。
すると、彼は演奏しながらギターを上に下に
振り回します。まるで
「こんなモノをもらうために演奏したんじゃない!
 それにどうしてくれるんだ、
 ギターの中に放り込むなんて、非常識極まりない、
 もうまったく」と、その表情は語っていました。
そうしてやっとの思いでお札を取り出し、
演奏が終わると、
それを父の手のひらに押し付けるようにして、
「いただけません」と大きく一言。
そして厨房のほうに戻っていきました。
周りのお客様全員がボクらを見ています。
その晩のエンターテイメントの主役は、
ギタリストの彼ではなくて、
ボク達ファミリーになってしまったのでした。

ちょっとした事件でしょう?
ちなみにその日はボクの20歳の誕生日。
長男の成人を祝う、記念すべき家族の会食は
そうして幕を閉じたのでした。

プロに聞いてみました。
どうしたら演奏をやめてくれるの?

どうすればよかったんでしょう。
どうしたら彼は僕らを置いて、
再びステージに戻ってくれたんでしょう。
長らく永遠の謎でした。
で、先日、私の母の友人に
レストランで歌う機会のあるミュージシャンがいる、
というので、その人に思い切って聞いてみました。
なんでそのとき、そういう状態に陥ったのか? と。
彼女はこういいました。

「そりゃワタシだってサービスしちゃうわヨ、
 その状況だったら。だってこの人たち、
 まだ聞き足りないんだわ、って思っちゃうもの。
 食事するよりワタシの歌を聴いてる方が楽しいんだわ、
 この人たち、って思っちゃうもの。
 アーティストはみんな自分が一番、って思ってるから、
 拍手されればいい気になるってものよ」

なるほど。
そしてこんなふうに教えてくれました。

●一曲終わるまで聴いてくれたら、
 それが「素晴らしい演奏でした」
 という意思表示。

●一曲終わって拍手をしてくれたら、
 それは「もう一曲、聞かせてください」
 という意思表示。


だから、ボク達がしたことは
「もっと聞かせて」ということだったのだと。
‥‥これまたなるほど。
それなら目が合わないように、
無関心を装って食事をし続けるのがいいことなの?
と聞くと、
「そんなことされたら、よし、ワタシの方に
 注目させてやろう、とますますがんばっちゃうネ」
と鼻の穴を膨らませながらいきまきます。
「もっともワタシみたいにラテン気質な
 演奏者ばかりじゃないと思うのだけれど、
 でもせっかく演奏しているのだから、
 目と目があったらニコッとぐらいは
 してほしいわよネ、誰でも」

なら僕らのあのシチュエーションで、
どうするのが一番良かったのでしょう?
彼女はこう言います。

「曲の途中で、音にならない拍手の仕草を
 笑顔付きでくれたなら、
 ああ、もう満足したんだ、と思って向こうに行くわ!」


そうだったんだ!
曲の途中、1曲終わってじゃなくって曲の途中。
胸元の目立つ場所まで手を上げて、
音にならない拍手を静かに、
丁寧に、しかも心を込めて。
ありがとうございました、ワタシのために、
という感謝の笑顔も忘れずに。
うん、ボクが演奏者の立場でも、そ
れなら間違いなく気持ちが伝わります。
満足しながらそのテーブルを後にして、
みんなのために再び普通の演奏を
始めることが出来るだろうな、と思います。

ちょっとした、何気ない動作が誤解を生む。
社交の場でもっとも悲しむべき行為でしょう。
しかも相手のことを思ってした何の気なしの行動が、
逆にその人の気持ちを傷つけてしまう。
人間関係を保ってゆく上で、
一番してはならないことの一つでしょう。
そうした誤解を生まない、
ちょっとしたテクニックを身に着ける、
それがマナーの第一段階であり、
大人になってゆく第一歩であるんだな、と思います。


illustration = ポー・ワング

2004-11-25-THU


BACK
戻る