おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



ナイフは右手、フォークは左手、
それって絶対に守らなきゃいけないルールなんでしょうか?

──昔はそうでした。
今でも頑固で保守的なマナーブックなんかには
絶対に譲れないルールの一つ、
として紹介されていたりします。
ナイフとフォークを持ち替える。
正確に言うと、ナイフを置いて
右手にフォークを持ち替えて食べる、
ということになろうかと思うのですが、
そんなこと、本当は許されないバッドマナーで、
それは何故か? というと、
やはり「美しくない」からだ、と思うんですネ。
レストランのマナー、
どんどん簡略化される傾向にあります。
お行儀よく、よりもカジュアルに気軽に食事を楽しむ、
ということを求めるお客様が増えてきたと
いうことなのでしょうが、
でもどんなに気軽で楽しいのがいい、
といっても「美しくない」お客様になってしまったり、
「他人の迷惑になる」お客様になってしまったら
ちょっと悲しい。
だから「美しさを損なう行為」は
出来るだけ慎みたいな、と思うのです。

ナイフとフォークを持ち替えると
なぜ美しくないんだろう?

ナイフフォークの持ち替えが、
下手をすると美しくない行為になってしまう理由、
考えてみましょう。

例えばステーキがやってきました。
一番気軽な食べ方といえば、
ステーキ肉を一口大にあらかじめ切り分けて
右手に持ったナイフを置き、
それから右手にフォークを持ち替えて、
右手だけで口に運んで食べ続ける。
簡単です。
面倒なことを一度にしてしまえば
あとは楽にステーキを食べることに集中できる。
おしゃべりをするにも便利ですし、
賢い食べ方のように思いますが
ところでそのとき、あなたはどう見えるでしょう。

まず左手が邪魔になる。
テーブルの上にほったらかしておくと、
肘をついてご飯を食べているように見えてしまうし、
自然と左手は膝の上が定位置になります
すると不思議と猫背になる。
私達の背中は左右の腕を自然に張ってこそ
すくっと天井を向かって伸び上がるものであって、
片手にしか物を持たぬ状態で食事をすると
どうしても頭は傾く、美しくない。
和食でも左手にお茶碗、右手にお箸という食べ姿が
後ろから見ていて一番に美しく、
後姿が美しい食べ方の集大成がマナーの真髄、
といっても間違いじゃない。
だから、基本的に右手にナイフ、
左手にフォークと言う姿が一番、
美しいのだということです。

左利きのひとも、そうなのかな?

でもだからといって、なぜ、
ほとんどの人にとって利き手でない左手に、
より頻繁に使うフォークを持って
食事しなくちゃいけないんでしょう?
口に料理を運ぶ、という行為を
不如意な左手に任せるなんて、
間違いを起こす確率をわざわざ
増やしているようなものじゃないの、
そういう人もいるでしょう。
実はこの「些かの緊張」こそが、
「特別な気持ちで料理を楽しむための最良のスパイス」
のような役割を果たしてくれるんです。
右手であらかじめ切った肉をすくって口に運ぶ。
何も緊張することなく、
話に夢中になりながらでもなんの苦労もなく
ステーキのかけらは口の中に放り込まれる。
ステーキを食べる、という行為が
あまりにあっけなく当然のごとくに完了するので、
口は次々、料理が放り込まれることを期待して、
気づけばお皿の上がカラッポになる。
気軽だけれど、もったいない。
右手のナイフで切り分けながら、
左手のフォークで口に運ぶ。
切り分けるたびにお皿の上に
視線を戻さなくてはなりません。
あと何口ぐらいなんだろう、とぼんやり考えながら、
あるいはこの部分が一番、脂がのってて美味しそう、
だとか考えながら首尾よく肉を切り分け、
フォークに刺して持ち上げる。
うん、なかなかの焼き加減だ、
とその一切れの状態を確認しながら
そっと口に運んでモグモグとする。
その間、会話はしばし中断するかもしれないし、
いちいち、そうした作業を繰り返さなくちゃいけない、
とするとそれは結構面倒なことなのだけれど、
でも料理そのものを
心行くまで楽しむということにかけては、
こうした手間は重要なコト。
しかもさりげない緊張を伴った食事の場面には
不思議と失敗が少ない。
緊張なき食卓は、無法地帯のようなもので
あったりするから不思議です。

切り刻んでからステーキを食べた僕に
ウエイターがしたことは‥‥

昔、ボクがあるレストランでした失敗を
恥ずかしながらお話しましょう。
その店はカウンターだけのステーキレストランで、
といってめちゃくちゃ緊張するような高級店でもなく、
ちょうど天ぷらとか寿司とかを美味しくいただける
上等な専門店のような雰囲気の店でした。
なかなかに気風のいいご主人と、
やはり気の利くアシスタント風のコックさん数名だけで
きりもりする小さな店で、
とてものびのび美味しいステーキを
食べさせてもらえるものだから、
しばらく贔屓にさせてもらっていました。
人はあるお店の贔屓になると、
なんだか自分の家のダイニングルームで
飯をくっているかのように錯覚をして、
それで思わぬ行動を起こしたりする。
そのときボクは、提供された
メインディッシュのステーキを、
まず一口大に切ってから食べよう、
と次々、ナイフで肉を切り分け始めました。
一緒に食事していた人との話があまりに楽しくて、
その会話に集中したい、と気持ちが手伝って、
思わず次々、ナイフを肉に入れていたわけです。
するとお店の人が僕の前までやってきて、
失礼します、と一言告げて僕のお皿を取り上げました。
ビックリしました。
ボクのお皿はカウンターの中の厨房に持っていかれて、
しばしの作業をされた後に、お待たせしました、
と再びそれはボクの前にストンと置かれました。
驚いたことに、ボクのステーキはきれいに
一口大にカットされ、
しかも熱々のにんじんのピュレと
マッシュポテトの上に乗っかっていた。
とろみのついたソースがとろりとかかっていました。
しかもナイフフォークの代わりに
フォークとスプーンが添えられて、
見事にそれはステーキとは違う料理になって
ボクの目の前にやってきたわけです。
確かにこうすれば、
切った肉の温度がさめるのが避けられる。
お肉からせっかくの美味しい肉汁が
ダラダラ流れてお皿にたまるような、
もったいないことも防げるし、
何しろ右手一つで食べるのにふさわしい料理であって、
僕はなるほど、これこそプロの仕事だ、と感心をしました。
どうもすいませんでした、と言うボクに
ご主人はこう一言、言いました。

「いいお客様は調理人の仕事を取るもんじゃありませんヨ」

恥じ入りました。
目の前にお皿がある。
お皿の上にはある程度の固まりになった料理がのっている。
私達の両手にはナイフフォークが置いてある。
ということはこの料理はナイフフォークで一口ごとに
切り分けて食べるのが一番美味しいように
作られているんですヨ、と言うメッセージです。
だからなるべくそのメッセージに忠実に食事をしましょう。
それが美しくもあり美味しくもある、
ということなのですからなおさらです。

それでもどうしても、というときは。

それでもどうしてもナイフとフォーク、
あるいはスプーンとフォークを持ち替えて
食事したくなるような
幸せな食卓に恵まれることもあります。
厨房の中の人に「ごめんなさい」と謝りながら、
それでもどうしてもおしゃべりに
熱中したくなるような場面に遭遇することがあります。
そんなときの注意です。

「ナイフフォークの交換は宙で絶対にしないこと」

友人に「ミスターソーリー」と呼ばれている人がいます。
彼が食卓に並んでいると、必ず一度は事件が起こる。
フォークとかスプーンが食器の上に激突して、
カランカランクワーンと音を立てる。
なぜだか彼の左手のワイングラスが倒れて、
テーブルクロスが真っ赤に染まる。
騒々しい人です。
なんでそんなことが起こるのだろう?
と注意してみていると、
彼は頻繁にナイフとフォークを持ち替える。
しかも必ず宙でそれをする。
右手のナイフを左手に持ち替える。
そのとき彼の左手の中には当然、フォークもあって
一度に片手でフォークとナイフを握ることになる。
どちらかをすべり落とす確率はかなりこれで高くなります。
時に彼は、その左手でワイングラスまで握って
場所を移動したりして、
そうなるともう彼は料理を食べている人、
というよりも食卓で不慣れな
ジャグリングを披露する人になる。
騒々しい人です。

ナイフとフォークを持ち帰るときには、
必ずお皿の上においてから手を代える。
当たり前のようなことですけれど、
おしゃべりに夢中でそんな当然なことも忘れてしまって
テーブルの前でジャグリング。
している人、結構います。
注意しましょう。
あなたがストリートパフォーマーを目指している、
と言うのであれば別ですけれどネ。


illustration = ポー・ワング

2004-11-11-THU


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