おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



レストランでパン皿のないときには
どうすればいいのですか?


レストランでテーブルに着席した直後、
まずしなくてはならないのは状況調査。
自分がこれから幸せな時間をすごすであろう
このレストランは、どんな性格の店なのか?
テーブルの上を見れば簡単に想像することが出来るのです。

まずナイフフォークが何本並んでいるのかを確認します。
テーブルの上を彩る「銀色」の物体の数が多ければ多いほど、
この店は高級、つまり気合を入れて食事をしなさい、
ということになります。
「銀色の物体」と書きましたけど、
レストランの人たちは往々にしてナイフやフォーク、
スプーンなどなど、料理を口に運ぶための道具のことを
「シルバー」と言う総称で呼びます。
文字通りそれらが銀色であるからで、
しかもかつては「銀製」であったから。
次に、そこに並んでいるグラスの数が
多ければ多いほどやはりその店は高級。
しかもそのグラスの位置が、
高い場所にあればあるほどやっぱり高級。
足のついていない分厚いグラスがポツンと一つ、
置かれている店は大衆的でカジュアルで、
だからのびのび、緊張することなく食事してください、
のメッセージです。
そしてそうした店ではかなりの確率で、
パン皿が置かれていないことがあるのです。

なぜパン皿がないんでしょう?

パン皿が置いていないそのシチュエーション、
どう理解すればいいのでしょうか?

「どうぞくつろいで食事を楽しんでください。
 テーブルが散らかったり汚れたりするのも気にせず、
 お客様のご自宅で食事されているような気分で
 頼んでくださいね」
 
それがパン皿が置かれていない食卓の意味です。

では、持ってこられたパンはどこに置けばいいのか?
当然、テーブルの上に直に置くことになります。
抵抗がありますか?
テーブルがきれいかどうかわからないのに、
そんなところに直接、食べるものを置くなんて、
と血相変えて怒る人もいます。
パン皿の代わりになる小さなお皿をいただけませんか?
と頼む人もいるでしょう。
頼まれればお店は嫌といえません。
厨房の中には当然、適当な大きさの小さな皿の
一つや二つは探せばあるのですから、首尾よくもらって
その上にパンを置くことも出来るでしょう。

でもしばらくすると大抵、パン皿が邪魔で仕方なくなる。
スマートじゃなかったな、と後悔することになるんです。

パン皿を置かない店というのは、
ビストロとかカフェのような店であることがほとんどです。
そうしたお店のテーブルは往々にして小さい。
小さいテーブルならば同じ面積に
多くのお客様を座らせることが出来るから、
それだけ安い価格設定で料理を作ることが出来る。
だから気軽に使えるお店のほとんどは
小さなテーブルを用意する。
経営的な必要からそうするのが
半ば慣わしとなっているんですネ。
一方、そうした小さなテーブルに座ったお客様の方は
どう感じるか、というと、
一緒にテーブルを囲んでいる人同士の
距離が近いのですから
必然的に親密な雰囲気になれますし、会話も弾む。
恋人同士が離れて食事するなんて寂しいですし、
小さなテーブルだったら膝同士が
思わずテーブルの下でぶつかったり、
あるいは自然と手を握り合ったり、
なんだか素敵な予感も一緒に楽しむことができる、
というメリットがあるんです。
経営サイドとお客様サイドの暗黙の了解、
しかも幸せな了解の下に
小さなテーブルの店は存在している。

小さなテーブルで楽しく、しかも失敗なく食事をしよう、
と思ったら、注意しなくちゃいけないことが一つあります。
「余分なものをテーブルの上に置かない!」
例えば「小さな花瓶に活けられた花」なんてものまで
余計なモノだ、と片付けられることだってあるのです。
それですら、花の代わりに会話の花を咲かせてください、
という心配りだと思わなくちゃ、
こうした店を心から楽しむことは出来ない。
にもかかわらず、
もしあなたがパン皿を下さいと主張して、
あなたの左手元にお皿を一枚、置いた途端に、
それから先のサービスはとても煩雑で
スマートなものでなくなってしまう。
お料理が持ってこられる。
置く場所を確保するためにパン皿をまず動かす。
もしその左手隣に誰かが座っているとすれば、
その人にごめんなさいネと言いながら
パン皿を置く場所を確保してから料理を置いてもらう。
パン皿を下さい、ともしあなたが言ったら、
当然、そのテーブルのお客様みんなに
パン皿を持ってくるのがサービスの基本だから、
すると、料理が運ばれるたびにみんなが
パン皿を置く場所を探して
てんやわんやの大騒ぎをすることになる。

かっこ悪いです。
楽しくないです。

そうしたお店の人はこう思いながら
テーブルをセッティングしています。

「すいません、パン皿を置くスペースも
 確保できないような小さなテーブルで。
 でもその分、気軽なサービスで
 おもてなしさせていただきますから。
 パン皿を磨くかわりに、
 こうしてテーブルを一生懸命磨いてますから、
 だから安心してテーブルの上にパンを置いて、
 召し上がってくださいネ。
 散らかったテーブルを片付けるのが
 私達の仕事ですから。
 だから安心してテーブルの上に
 パン屑を落としてくださいネ」

そんな気持ちにこたえるためにも、
笑顔でパンを受け取ってテーブルの上におきましょう。
ありがとう、と言いながら。

バターはシェアしてよいの?

ところでバターを塗りたい、
そんなときはどうすればいいのでしょう?
パン皿が用意されているようなレストランでは、
自分が使う分のバターをあらかじめとり、
自分のパン皿の上に乗せて使う、これがスマート。
だって大きなテーブルの真ん中に置かれたバターを、
使うたびに手を伸ばして取るなんてこと
想像するだに美しくないですし、
途中にワイングラスなんかの障害物がたくさんあって、
それこそ取り返しのつかない失敗の
きっかけになることが目に見えていますから。
でも小さなテーブルの真ん中に置かれたバター皿、
それは、分け合う、取り合うためにある、と思いましょう。
パンをひとかけちぎって手に取り、バターを塗って食べる。
ちょうど家庭の朝ご飯で、家族みんなが
一個のバターを手渡しながら分け合って使いまわす、
そんな普段着の食べ方でいいでしょう。

アメリカ西海岸を代表するステーキの専門店に、
男ばかり10人、というグループで行ったときの話です。
原則的に予約を取らないのがポリシーのその店で、
でも支配人に一生懸命頼み込んで、
確実にテーブルが一つ確保できたから、
というので出かけてみると、
僕達のためのテーブルは中くらいの大きさの円卓で、
とてもじゃないけど大人の男性10人が座るには
小さすぎるものでした。
まったく日本人と思ったらこの扱いだ、と憤慨しつつ、
それでも200席はあろうかという大きなホールに残された
テーブルはそれ一卓で、
しかも表には10組を超える人が待っている。
しぶしぶ座ると、案の定、隣同士の両肘が触れ合うほどの
ギッシリ具合で、テーブルの上は
人数分のナイフフォークにワイングラス、
パン皿に塩コショウの器なんかが
ひしめき合ったひどい状態。
うーん、やられた、とみんなの顔はしかめっ面。
担当のウェイトレスがやってきて、
僕らの顔を見るなり笑顔でこういう。
「ところでみんなは会社のグループ?」
こう答えます。
「いや、友人なんだ。しかもわざわざ
 日本から来たんだけど、これじゃあちょっと‥‥。」
「了解、それじゃあワタシに任せなさい。
 飛び切りのパーティーを用意してあげるから」
と言うや否やにテーブルの上のありとあらゆる食器を
物凄い勢いで片付けて、テーブルの上を
クロスだけのまっさらな状態にしてしまうと、
パンをもってきて
「さあ、どうぞ。
 これで十分なスペースが出来たでしょう?」と。
狐につままれたように僕らはパンを手に取り
テーブルの上に直に置き、
ワインをもらって料理を待ちました。
件の彼女はそれからずっと
僕らのテーブルの横に貼りついて、
サラダがくればフォークを一本一本、手渡しをし、
塩コショウが必要となると飛んできてガリガリと挽く。
食べ終わった食器はあっという間に片付けられて、
次のお皿に代えられてゆき、
明らかに小さすぎるテーブルにも
不自由を一切感じることもなく、
むしろ10人が肩寄せ合って同じものを食べ喋る、
というとても濃縮された時間をすごせたのでした。

料理があらかた片付き、お皿がなくなった後には
パンの残骸とテーブルクロス一杯に散らかる
パン屑が残されて、
「ごめんなさいネ、パン皿をお出しできれば
 こんなことにはならなかったのですけれど」
と誤りながら、彼女はそれを掃除する。
テーブルの上をきれいにするのに要した
タップリの時間を使って、
彼女はデザートの入念な説明と、
この店の古い歴史の話であったり
あるいは最近やってきた有名人のエピソードであったりを
面白おかしく話し、
気づけば同じテーブルを今日囲んだのは、
10人じゃなくて11人だったのだ、と思ったりしました。

コーヒーを終え勘定を済まして、
そろそろ退席をしようかと準備する僕達に
担当のウェイトレスがやってきて
手にした小さな紙袋を一つ一つ、僕らに手渡します。
見れば中にパン皿が一枚づつ入っている!
「今日、お使いになれなかったパン皿です。
 ご家庭でぜひ、使ってください」
と手渡され、
「いやいや、これがなかったからこそ
 素敵な時間が過ごせたのです。感謝します」
と、笑顔で僕らはあとにしました。

あるべきものが無いということ。
それもレストランにおける
素敵なマジックの一片であったりもするのです。

illustration = ポー・ワング

2004-11-04-THU


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