おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



「おいしい料理がおいしくあるために
 備えていなくてはいけない要素」その3、それは
「お客様まかせの部分を残している料理」
であることです。

一番最初の項目で「単純な姿をしている料理」と
「複雑に見える料理」が
レストランにはある、と言いました。
単純な形の料理は勢いよくがばっと食べる料理だ、
とも言ったね。つまり作り手の
「こう食べてほしい」という意志が
ストレートに伝わる料理だ、ということにもなります。
僕はこうした料理のことを
「命令形の料理」と呼ぶことにしています。

そもそも男っぽい店のマッチョな料理には
命令形が多いものです。
寿司屋の寿司しかり、
ビストロのステックアンドフリッツしかり。
そこには食べ手の想像力を働かせる余地がありません。
まあ男なんて生き物、
おおよそ想像力を働かせるのに縁のない‥‥
って言うとしかられるね。自分も男だし。
男ってのは少なくとも
食べることに想像力を費やすのは勿体ない、
食べることにあれこれこだわるのは女々しいことだ、
と思い込んでるふしがあります。
だから総じて早食いだし、面倒臭い料理が苦手なんです。
そうしたわがままでかわいそうな男の人向けの
例外的飲食店以外の、
つまり世の中のほとんどすべてのレストランの料理は、
「複雑を楽しむ」ように出来ています。

復習。
だってレストランは人間が
退屈を克服するために作り出した装置なのだから、
いろんな食べ方が思い浮かぶような料理の方が、
そうしたレストランにとっては優れた料理だ、
と言うことが出来るわけです。


複雑な料理をつくるシェフの気持ちは
とっても複雑なんですよ!



「これとこれを一緒に、
 その後でこの付け合わせを
 別に食べてもらえるとうれしいな」

シェフはそう思いながら料理を作り、
盛り付けをしています。

同時にこうも思いながら料理を作ります。

「でもこれと付け合わせを
 一緒に食べるお客様もいるだろうな。
 その人はその組み合わせをどう感じるんだろうか?」

半ば不安になりながら、
それでも自分のこの一皿は
どのようなお客様のどのような食べ方にも
応えられるほど、
素晴らしい潜在能力を持った料理であるに違いない、
と勇気を振り絞って料理を盛ります。

複雑な料理を作るシェフの気持ちは複雑です。
本当に自分の真意が伝わるのか?
そう思うと厨房からホールまで出て行って、
客席の横に立ち、
お客様の食べ方にいちいち口を挟みたくなるでしょう。
‥‥でも、そんなことはしません。
しようと思えば出来るのだけど、敢えてしません。
それは自分の料理を選んで頂いた
かけがえのないお客様を、
自分の料理を完成させてくれる
かけがえのない共同調理人として認めているからです。

レストランの料理を食するという行為は
実は「最終調理の一工程に加担する」という
作業に他ならない、と僕は考えます。
美しく盛り付けられた料理の数々のパーツを崩す。
これ、立派な調理行為でしょう?
肉の塊にナイフを入れて適当な大きさに切り分ける。
これも調理。
ソースをからめる。
コショウをかける。
ワインで軽く口をゆすいで味覚の記憶をリセットする。
これらすべての私達が何の気無しに行っている
食べるという一連の行為は調理活動であって、
それが場合によってはシェフの組んだシナリオ通りに、
ある時はシェフの思いもしない結末に向かって
暴走して行くことだってあるわけです。
厨房の中はハラハラドキドキの連続ですネ。
心を尽くした料理でも
最終調理のちょっとした不手際で
台なしになってしまうかもしれない。
でも私の店を選んでくれたこのパートナーに限っては、
と思って我慢してくれている調理人のためにも、
気合を入れて心して食しましょう。

あれこれ想像力を駆使しながら、
いろんな食べ方を試みてみましょう。
シェフの意図を考えつつ、従うふりをしてみたり
ときおり不意に逆らってみたり。
そんなこんなで一皿20分、30分は
あっと言う間に経っちゃうかもしれないですネ。
それが楽しい。
当然、そうした自由を許してくれた
厨房に対して敬意を払いましょう。
これとこれの組み合わせは楽しかった。
このソースはお肉より付け合わせの野菜にまとわせると
数段、魅力的だった。
などなど、試したありとあらゆる無作法の結果は
包み隠さずお店の人に伝えましょう。
ああ、この人を共同調理人として迎えた
今日の僕は幸せだった、と
シェフは小躍りしながら
次の料理に手を進めることができますから。


一見シンプルに見える料理を
複雑にたのしむ方法。


さて、実は一見、シンプルに見える料理であっても
複雑に食そうと思えばそうできるものもあります。
例えばステーキ。
決して見た目、複雑じゃない。単純な男の料理ですネ。
でも、例えば焼き上がったばかりの
ジリジリいっている肉の、端っこを一かけ、
ナイフでそぐように切って口にほうり込んでみよう。
火の味がするような気がするはずだね。
もしそれが炭で焼かれたものだったりしたら
確実に炭がごうごう音を立てて燃え盛る味がします。
次によく焼けた端に近い部分を
ていねいに一口大に切って食べてみましょう。
溢れる肉汁と、その奥から牛肉の味が
くっきりした輪郭をもって出現します。
口の中に「ステーキ」という煉瓦造りの建物が
一軒、建ったみたいな感じに襲われるよ。
そうしたらお肉の真ん中の部分を
大胆にもズバッと切って、
若干大きめの一口大をほお張りましょう。
‥‥今度のそれは歯茎にまったりと
まとわりつくような妖艶さで、
口の中を幸せな香りで一杯にしてくれます。
肉感的な景色です。
自分の口の中で繰り広げられている光景な訳だから
自分で見ることは出来ないのだけれど、
それは確かに肉感的なはずであり
なおさら歯痒いような、そんな味わい。
で、人目がなければ本当に大振りに切った肉の塊に
フォークをさして口に運んでかぶりついてみましょう。
‥‥原始の味です。本能の味。
これにカリカリに揚がったフレンチフライと
赤ワインがあれば、それだけで僕は1時間、
しあわせな気分に浸れるというものです。

つまり、食べる側の心掛け次第で
料理は簡単にも複雑にもなるということです。
心の余裕がありさえすれば、
chef in the dining hall、
客席に座るシェフを気取る、も愉しからずや、
ということなんですネ。

次回は、「おいしい料理がおいしくあるために
備えていなくてはいけない要素」その4、
「記憶に残る料理」について、です。


illustration = ポー・ワング

2004-02-05-THU

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