おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



昔々、ボクがとても生意気な男の子だった頃の話です。
小学校の4年生くらいのこと。
ボクは地方の都会‥‥、県庁所在地ではあったから
そこそこの都会的なものがそこにはあって、
でもやっぱり田舎でしかない町に住んでいました。
そんな小さな男の子が生意気に育つ、ということは
ボクの両親も正しく生意気で、
その言葉が失礼に値するというのであれば
限りなく上昇志向の強い家族であった、
と言えばいいんでしょうネ。
父は仕事で東京とその町を往復する生活で、
東京であるホテルを根城にしていました。
しばらくして彼は、そのホテルの
有名なメインダイニングで家族揃って食事する、
という極めてささやかな野望を抱きました。
多分、ぼくが7歳くらいの頃だと思います。

「レストランには子供を
 連れてっちゃいけない」
という意見、あなたはどう思いますか?

ボクはそれから一週間に一回、地元の三越の特別食堂で
フランス料理をナイフフォークで頂く
トレーニングをすることとなりました。
生意気なボクは瞬く間に
一人前のテーブルマナーを習得せしめるに至りました。

‥‥って、嫌な物語ですよね?
でも我慢して読んでください。
ここには大事な教訓がありますから。

そしてある夏休み。記念すべきある日の夕刻、
ボク達親子は東京に上陸し、
そのレストランの入り口の前にいました。
親父は誂えたばかりの三つ揃えを着、
母なんか美容室から直行する程の気合の入れようで、
どこをどうみてもボク達は田舎者には見えず、
しかし丁重にレストランから断られました。
理由はこうです。

「当レストランでは
 殿方はジェントルマンであるべきで、
 紳士は必ずジャケットを着、
 足を踝まで包むズボンをお召しになるものです。
 ほかのお客様もみなそうでらっしゃいます。
 ひるがえってそちらの小さな紳士は
 いささか紳士であることを
 お忘れのようではございませんか?」

果たしてボクはその時、半ズボンにポロシャツでした。
子供だからこんなもんだ、
という思いがあったんでしょうネ、両親にも。
子供は駄目だ、と言われたら、
いやうちの子は大人顔負けのテーブルマナーで
ご迷惑はかけませんから、
としたり顔で反論するつもりだったのだろうけど、
紳士の格好をしていない、と言われては
ぐうの音も出ません。
ボク達はほうほうのていで部屋に戻り、
悔し紛れに両親は料亭で散在をする、
という暴挙にでました。

それでも親子の悔しさは収まることなく、
田舎に帰ってボクはスーツを作ってもらいました。
肥満体の父親の誂え服は一人分の生地で足りず、
だからいつも出ていたかなりの端切を使って、
子供用のスーツができました。ご丁寧にも三つ揃え。
そして数カ月後の冬休み、ボクは見事、
東京のフレンチレストランデビューを
果たすことができたのでした。

あの時、ボク達を見事追い返した
ウェイター頭のおじさんはびっくりしたろうね。
忘れたころにやって来た
マフィア顔負けの田舎紳士淑女の集い。
ただ首尾よくもぐりこめたその店での
食事が楽しかったか? というと、
正直そうじゃなかったような記憶があるんです。
漠然と、ですけれど。

だいたいフランス料理は
子供だったボクの味覚に合っていませんでしたしネ。
ただ、大人の場所には大人の掟があって、
それを守るということが大人であって
別に「年令制限がある」訳じゃないんだ、
ということは分かりました。

男の世界もある。
女の世界もある。

例えば、大人の男たちが男の掟を守ることで
一人前扱いしあう店、
というのがこの世の中にあります。
例えば英国のパブ。
そこはつい最近まで女人禁制でした。
特権意識、という理由ではなく
いつも女性に気を遣っている
レディーファーストの国の紳士たちは
ひととき、女性の存在を忘れてくつろぎたい、
そんな気持ちに襲われるのでしょう。
そこでは女性に聞かれたくない話が出来たり、
女性に見せたくない
情けない男の部分をお互い慰めあったり
することが出来たりしたわけですね。
日本で言うとつい最近までの
頑固な親父が握る寿司屋、というのが
そうした場所に属するでしょう。
そこには早食いをたしなめる美しい妻もいなければ、
威勢のよさを荒っぽさと勘違いしたり、
職人肌を愛想なさと見間違う
度量の狭い彼女もいませんでしたから‥‥。
ちょっと言い過ぎかな?
でもそうやって日本の寿司はずっと守られて来たし、
火を使いこなすことが料理の基本とする
世界的な常識からいささか外れつつも、
しっかりとした料理の世界を構築することに
成功したのかもしれません。
だから単なる好奇心とかで
何げなく来てみました、
というのだけはやめたいですね。
迷惑をかけなきゃいいでしょう? じゃないんだね。

こういうボクだって、
ああ今日のこの店にとってボクは迷惑だったろうな、
と思うことがたまにあります。
例えば、目当ての店のドアを開けた瞬間、
振り返った先客はすべて「おばさま」で、
むくつけきボク達はまるで
汚いものを見下すような目に曝され、
身も竦むような思いをしたときとか‥‥。

彼女達からみればボク達は
きれいなキッチンに紛れ込んで来た
ハエの集団のようなんだろうな、
と自己嫌悪に襲われます。
「呼ばれていない」というような感じですね。
ああ、なんで電話で予約した時に悟れなかったんだろう。
多分、お店の人はなんらかの信号を
ボクに発信したはずなのに、と後悔しても後の祭り。

でもボクはそんな幾多の失敗にもめげません。
ボクはレストランで食事する全ての機会を、
次のレストランでもっと楽しく素敵に食事するための
予行演習だと思っていますから。

お店が期待するお洒落を考えれば
間違いを起こしませんヨ


ちょっと話が脇道にそれちゃいました。

ここでボクが言いたかったことを確認しておきますネ。
お店に行くのにおしゃれするのは必要だけど、
自分勝手なお洒落じゃなくて
「そのお店の人が期待するお洒落」を
しなきゃいけないんだよ! ということ。
ふだん着であることが一番お洒落であったり、
キリリとして女っぽくはないことが
逆に女らしさを引き立てるような
レストランもあるんだ、ということ。
それを知らないと寿司屋で香水、とか
料亭の漆の食卓にブレスレットで傷をつける、
なんて間違いを起こしちゃうんです。

そのためにも情報収集は怠りなく、
打ち合わせは入念に…、ということなのでした。

さて次回は、お店に入る前に、
この店は評価に値する店なのかどうか?
と見極める方法
についてのお話です。


illustration = ポー・ワング

2003-08-21-THU

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