今日のダーリン「『上を向いて歩こう』という歌は」

 

こんにちは。です。

8月10日の「今日のダーリン」で糸井重里が
永六輔さん作詞の『上を向いて歩こう』について
「思いちがい」をしていた、と書いたところ、
たくさんの反響がありました。

坂本九さんの1962年の大ヒット曲、
世界中で知られるこの名曲について
糸井の気づいたこと、そしてみなさんのご感想を
どうぞお読みください。

・夜中に牛乳とロックアイスを買いに行くとき、
 ちょっと人通りのない道を遠回りした。
 永六輔さんのつくった歌のことを考えていた。
 ふと、『上を向いて歩こう』という歌には、
 「涙がこぼれないように上を向いて歩く」
 というアイディアがあって、
 みんなもぼくも「それはいいなぁ」と思ったんだけど、
 実際に、この歌を、上を向いて歩きながら
 歌ったことって、ないんじゃないかなぁと思いついた。
 人もいないし、暗い道で、ぼくは上を向いて歩いた。
 そして、ちゃんと声を出して、その歌を歌った。

 そうすると、なんと、
 この歌はちっともあかるい歌じゃなく、
 歌っているうちに涙がにじんでくるような歌だった。
 春も夏も秋も、ずっとこの人は「一人ぽっち」なのだ。
 そして、幸せからほど遠く、歩きながら泣いている。
 涙がこぼれないように上を向いていても、
 少しもいいことがあるわけじゃない。
 ちょっとだけいいことは、
 涙がこぼれないようにできることだけだ。

 ぼくは、暗記しているほど歌詞を知っていたはずだ。
 それなのに、ずっと思いちがいをしていた。
 涙がこぼれないように歩いていると、
 幸せのようなものに出合えるというような、
 ぼんやりとしたハッピーエンドを
 これまで勝手に思い描いていたのだった。
 幸せは、雲の上に、空の上にあり、
 悲しみは星のかげに、月のかげにあるけれど、
 それは、そこにあるというだけで、
 上を向いて歩くと、それが見えるんじゃないの?
 というくらいのことだ。

 なんという、さみしい歌だったのか。
 ぼくは、この歌をフルコーラス歌うまでに、
 ほんとうにさみしく、悲しくなってしまった。
 『上を向いて歩こう』という歌を、
 ほんとに上を向いて歩きながら歌っていると、
 涙がこぼれそうになってくるんだよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この歌にかくれされた希望は、歌っていることそのものだ。

 (2016年8月10日「今日のダーリン」より)



メールアイコン 糸井さんの、
ぽつんと歌いながら歩く姿を想像して、
こういう絵があったら、
失礼かもしれませんが、
かわいいなと思ってしまいました。

にこにこした坂本九さんの歌声と
曲のテンポで
楽しそうな曲と私も思ってしまいますが、
歌詞の内容を考えてみると
寂しくなってきますね。

子どもの、うとうとしている顔や、
部屋に落ちる月明りを観ながら、
「上を向いてあるこう」を歌っているので、
今日のお話は目からウロコでした。

「慈しみ深き友なるイエスは〜」も
子守歌で歌いますが、
これもちょっと寂しい歌ですね。

さみしそうな歌が割と好きなのかな。

(ヤマチ)



メールアイコン 私が小学生の頃、
何かの行事か授業か忘れましたが、
「上を向いて歩こう」の曲を覚えて、
みんなで歌おうということになりました。

なにしろ小学生でしたので、
歌詞の意味もよく理解しないまま
元気いっぱいに歌っていたように思います。

ある日の下校中
「上を向いて歩くとはどんな感じだろう」と
ふと思い立ってやってみました。

そう、まさしく「今日のダーリン」の通りに。
歌も口ずさみながら。

感想は、ちっとも楽しくない。
みんなで歌っている時の
高揚感や楽しい気分なんてちっとも感じない。
それどころか歌えば歌うほど
気分が沈んでくるよう‥‥。

その日を境に、この歌の印象が変わりました。

でもこの歌を嫌いになることは
ありませんでしたし、むしろ
「きっとこういうのが
 良い歌っていうだろうなぁ」
と小学生なりにぼんやりと思ったりもしました。

「今日のダーリン」を読んで、
小学生だったあの日の気持ちを思い出しました。
そして、そうかこの歌は
「かなしい歌」だったんだなと‥‥。

小学生だったあの日、
この歌で感じた言い表せない「何か」、
その「何か」の答えを
「今日のダーリン」で回答をいただいたような
気持ちになり、
思わずメールを送らせていただいた次第です。

(みき)



メールアイコン 今日の「上を向いて歩こう」のお話。
2011年のあの日、
私は福島県で被災しました。
家の中は大変なことになりましたが、
幸せなことに大切な人々が欠けること無く。

でも、普通ではありませんでした。

当時のことを上手く伝えたくて
言葉を探しましたが、
「普通じゃない」しか見つかりません。
茫然自失でした。

数日経っても同じコマーシャルしか
流れなかったテレビから、
サントリー提供の
「上を向いて歩こう」が流れてきました。

とてもたくさんの方々の
愛が詰まった歌でした。
きっとみな、泣いてしまったはず。

当時の私の記憶が怪しいのですが、
永さんは「上を向いて歩こう」が
震災の応援歌になって居ることに
困惑なさっていらっしゃいました。

あの歌はとても哀しくて淋しい歌であると。
応援歌ではない。
糸井さんと同じような言葉でした。

とても印象に残っているので
間違いは無いと思いますが、
なおご確認ください。

私、もう30年近く
コーラス活動を続けていますが、
皆さんが一番喜んでくださる曲は
「上を向いて歩こう」です。

まさか「今日のダーリン」を読んで、
永さんの苦言を思い出すとは‥‥。
ちょっと、どきどきしました。

(k)



メールアイコン 私は世界中からの留学生に
日本語を教える仕事を
しているのですが、
前に一度、学生にこの歌を
紹介したことがあります。

中国、韓国だけでなく、
パキスタンやインド、
ブラジルからの学生が
その光景を想像し、
みんなで涙ぐみながら合唱しました。

特に彼らは祖国の友人や家族から離れ、
本当にひとりぼっちの夜を
過ごしている最中で
でも、希望と決意を持って
日々を送っているということが
それに拍車をかけたようでした。

今でも「上を向いて歩こう」を歌うと
彼ら一人一人の寂しさと、
留学への決意などが思い出されて
涙声になってしまうのでした。

(マンゴスティン)



メールアイコン 「上を向いて歩こう」、のできたきっかけは、
永さんが、ある人にふられた時に、
(涙がこぼれないように)
「上を向いて帰りなよ」と
その人に言われたからだとか。
学生時代の友達が話していたんですが、
どうだったんでしょう?

ずーっと以前に聞いた話だったのですが、
おかげでいつもそのイメージで聞いてました。
だからひとりぼっちの夜なんだなって。

悲しくて寂しくて、
でも元気をくれる歌だと思います。

(haco)



メールアイコン 「上を向いて歩こう」は、
歌詞と同時に、作・編曲もまた、
悲しさ、さみしさを指向しているのでは?
歌っていると悲しくなるのは、
曲も一役買っているのかも?
とお伝えしたくて、
思い切ってメールしました。
(以下、音楽用語の使用をお許し下さい。)

一見明るい長調のメロディは、
歌詞の一区切りごとに短調に向かっては、
何食わぬ顔で、さっと長調に戻っています。

具体的にどういうことかというと、

たとえば「涙がこぼれ」で
短調に行きかけますが、
「ないように」で、
くるりと長調に戻ります。

「思い出す春の日」は、
それはもう短調にまっしぐらで、
「一人」で短調に転調したと思ったとたん、
「ぼっちの夜」で軽々と長調に戻ってきます。

切なさを垣間見せながら、
軽やかなリズムを刻む伴奏も相まって、
あくまでも表向きは明るいのです。

短調、長調がピンと来ないかもしれませんが、
「幸せは、雲の上に」の個所を
歌ってみて下さい。
一度目は長調。
こだまのように繰り返される
「幸せは空の上に」は短調です。

以前の「今日のダーリン」で、
「さびしさ」について
語っていたことがありますが、
「上を向いて歩こう」は、
詞も曲もこのさびしさに
根ざしているように感じます。

だからこそ、この歌は今も
生き続けているのではないでしょうか。
「なつかしのメロディ」としてではなく、
今、私たちの心を揺さぶる歌として。

(m)


先月逝去された永六輔さんが
この詞を書かれたきっかけについては、
失恋のこと、60年の安保闘争のことなど
諸説あるようです。
ひとつの経験だけからできた歌詞では
ないのかもしれませんね。

これからもみなさんのご感想を
お待ちしています。

2016-08-14-SUN

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