「また会おう」岩田聡さんへ(5)

 

岩田さんが亡くなられてから約2週間、
みなさんからの、メールは届き続けております。

多くの方が、わたしもそうだったと
思い出すような懐かしいゲームのこと、
岩田さんとの貴重な思い出、
海外で見た岩田さんについての報道など、
わたしたちでだけで読んでいるのはもったいない
メールばかりです。
ありがとうございます。

すべてをご紹介するのは難しいので、
今回もほんの一部ですが、掲載させていただきます。

7月27日(月)の、
「まだ言いたいんだなぁ」という
「今日のダーリン」を再掲載し、
みなさんのメールをご紹介します。

・言ってどうなるものでもないのだけれど、
 まだ言いたいんだなぁと思う。

 数日前、岩田さんと食事をする予定だった店で、
 予定通りに食事をした。
 山内さんと岩田さんの二代に渡って
 最高の秘書を務めてくれていたWさんに声をかけたら、
 来てくれたので、いっしょにいろいろ語り合った。
 
 店のご主人は「岩田社長が気に入ってくれてた料理」
 というものを準備してくれていた。
 ことばの端から、ぼくのことも励まそうとしているらしい
 ということがわかって、鼻の奥がつんときた。
 食事が終って、店から歩いてひとつ目の角で、
 うちの夫婦とWさんは、帰り道が別になるということで、
 「じゃ、また」と挨拶して別れた。
 料理をつくってくれたご夫婦は、
 どのどちらをも見送ってくれていた。
 
 じぶん以外のだれかが、
 同じような思いでいることがわかるだけで、
 ずいぶん気持ちが楽になるものだ。
 
 その後の土曜日と日曜日、
 ガレージのクルマを見て、また、ああと思う。
 車庫には、2台入れるようになっているのだけれど、
 クルマは1台だけなので、適当にまん中に停めてある。
 でも、岩田さんが来る日は、スペースを空けるために、
 じぶんのクルマを右端に寄せ直すことが多かった。
 今回、すぐにでももう1台停められるようになっていた。
 いままで、そこに入るクルマはあのクルマ以外なかった。
 いっそ、じぶんのクルマを動かして、
 まん中に停め直そうかとさえ思ってしまった。
 いや待てよ‥‥ほんとに来ないのかなぁ。
 どうも、まだ納得できてないような気がする。
 
 いや、とにかくふつうに生活しているつもりだから、
 岩田さんも「ご心配なく」と言いたいくらいなのだが、
 エネルギーが余ってないというくらいの状態かな。
 いまチャージしてるので、もうじき余剰ができますから。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
よく言えば、細胞が入れ替わるような時期かもしれないな。

 (2015年7月27日「今日のダーリン」より)



メールアイコン 2歳の終わり頃からゲームをしてきた
31歳のヘビィゲーマーです。
岩田社長の訃報を知った日から
毎日ぼろぼろ泣いています。
お会いした事のない人が亡くなった事で
こんなに数日引きずってしまっているのは
初めてのことで、
どうしていいかわからず困惑していますが
私には理由がわかっています。

それは岩田社長が
いつも私達ユーザーにとって、
とても近い存在であったからです。

岩田社長と言えば、
私はやはりバルーンファイトと
‥‥マザー2です。
マザー2を初めてプレイしたのは
小学生の時でした。
可愛らしい世界観、独特の台詞回し、
軽快なバトルシステム、素敵なBGMなど、
とても大好きな作品でした。

あれから時が経ち、いつの間にか私も
大人になっていました。
突然の岩田社長の訃報に
深い悲しみと寂しさを全身に感じながら、
岩田社長への追悼の意を込めて
Wii Uで買わせて頂きました。

相変わらず面白いマザー2ですが、
やはり言葉の受け取り方や感じ方が
子供の頃とは違っていて、
あの頃とは違った意味で
とても楽しめています。
岩田社長がいてくださったお陰で
出会えた作品がたくさんあり、
それらが今の私を作ってくれています。
そのひとつがマザー2です。
このゲームで育ってきた私はとても幸せです。

55歳。
天国へのテレポートをこころみるには
まだ早すぎましたね。
しかし今までユーザーの為、
一緒に仕事をした仲間の為、
自分の事よりも周りの事を第一に考えて
優先して頑張ってこられた優しい社長‥‥。
どうかあちらでゆっくりなさってください。
本当に本当にお疲れ様でした。ありがとう!

(みゆか)



メールアイコン 岩田社長の訃報を知り、
糸井さんの追悼のコラムを読みながら、
ある光景を思い出しました。

私は前職で英文記者をしており、
一回だけ岩田社長の記者会見を
取材しました。

私の席は、壇上の岩田社長から
遠く離れており、
社長の表情を伺うよりも、
社長がおっしゃっていることを
必死にノートに書くことで精一杯でした。

岩田社長のプレゼンは、決算発表と
その当時(2008年)世界経済の
停滞にもかかわらず、
任天堂は過去最高の収益を
予測する内容でした。

その後、質疑応答に入り、
質問内容は忘れましたが、
社長のプレゼンに
いちゃもんをつけるような
意地悪な質問が記者から
投げかけられました。

そのとき私は手元のペンを止め、
社長がその嫌な質問に対し
どんな切り返しをするのか
興味があったので、
思わず壇上の岩田社長を
観察していました。

すると、びっくりしたことに、
満面の笑みで、
ほんとうににこにこしながら、
嫌な質問に対して、
誠心誠意答えている社長を見て、
私は絶対任天堂にとって
良い記事を書こう、と強く思いました。

今でも、遠くから見た岩田社長の笑顔を
覚えています。
いろんな企業のトップの記者会見に
取材で行きましたが、
あんなに優しい笑顔で、
嫌な質問を切り返す社長を
見た事はありませんでした。

糸井さんの追悼コラムをはじめ、
過去の岩田社長のコンテンツを読みながら、
あの笑顔のバックボーンを
垣間みたような気がいたしました。

糸井さんが岩田社長に関する本を
準備中と知り、ぜひ読んでみたいと
思っています。
天国の星になられた岩田社長ですが、
嫌みな意地悪な質問に対して
正面から笑顔で切り返した、
あの人間としての懐の大きさと寛容さは、
日々の働き方、生き方の大きな
ヒントとなっております。

(S)



メールアイコン 恥ずかしいことですが、
私は岩田聡さんのことを
ほとんど存じ上げていませんでした。
「今日のダーリン」を拝読して、
間接的に岩田さんの素晴らしさを、
今頃ですが知り始めたところです。

私は地中海に浮かぶ島に住んでいます。
その島で発行されている新聞紙にも、
岩田さんの訃報が掲載されました。

ある読者のコメントに、
「私たちの多くが、彼のおかげで、
 特別で楽しい幼少期を送ることができた」
というのがありました。
「いい感じの人だった」
というのもありました。
きっと世界中でたくさんの人たちが
同じ思いだと思います。

今頃なのが、本当に残念ですが、
岩田聡さんのコンテンツを
少しずつ読ませていただきます。

(izumi)



メールアイコン カナダはモントリオールに、
カナダ人の旦那と暮らしています。

昨年、旦那は友達と、
ビデオゲームの会社を立ち上げました。
小さな頃からゲームが大好きで、
もちろん、初めてプレーしたのは
Nintendoのゲーム。
岩田さんはずっとヒーローだったそうです。

ニュースで亡くなられたことを知って、
旦那に伝えたら、泣き出してしまいました。
その後二人で、岩田さんがE3で
2005年にされたスピーチを見ました。
シンプルで、とても心に残るものでした。
ほぼ日には岩田さんの対談が
いっぱいあるけれど、
旦那とシェアできないのが残念だな、
と思っていたら、なんと、英語と日本語の
バイリンガルのものがあるんですね。
早速、読むように伝えました。

全部読み終わってから、思ったこと、
感じたこと、話し合えるので
とてもうれしいです。
ありがとうございます。

(Tko)



メールアイコン 7月16日、
イギリスの大手新聞の一つである
ガーディアン紙に、岩田聡さんの訃報記事が
大きな紙面の実に半分以上もの
スペースを割いて載せらせていました。

2008年のカンフェレンスで、
マリオの大きなイメージをバックに
万年青年のような顔立ちの氏が
スピーチをされている様子の写真付きです。

記事には、岩田氏の高校時代既に
ゲーム作りを始めていた事から、
HAL研究所の経営立て直しを経て
任天堂CEOを務めるに至るまでの経歴、
DSやWiiを立ち上げた業績などが
もちろん記されています。

ですが冒頭で最も強調されていたのは、
氏が他の大企業に見られる
典型的な経営者とは真逆を行く、
暖かく親しみやすい、
ユーモアを持った人柄であった事、
消費者との間に人間らしい心の繋がりを
維持してきた稀有な存在であった事でした。

そして氏が、かつてのビデオゲームを
家庭で家族全体が楽しめるものにした
一番の立役者である、と称えています。

近年ではWiiUの売上が伸び悩んでいた事、
DeNAとの提携時に
株主からの人員縮小要求には
抗議を唱えつつも、自ら50%もの給料削減を
行った事にも触れられていましたが、
最後では氏がゲーム業界に残した偉業を
こうまとめ上げています。

岩田氏は任天堂のゲームを子供、
そして家族が楽しめるものとして
守り抜いたこと、
そこには技術よりも想像力を大事にする
ポリシーがあった事。

そして最後に、
「名刺の肩書は社長、
 頭の中ではディベロッパー、
 心ではゲーマー」という
アメリカのゲームショーでの
スピーチからの引用で
氏の人となりを締めくくっていました。

Nintendoと言えばイギリスでも
もちろん誰もが知る人気ゲーム会社ですが、
驚いたのはそのCEOの訃報が
大手新聞でこれだけの大きさで
報じられた事よりも、記事そのものが、
岩田氏に対する尊敬と親密さを込めた
追悼文のようだったからです。

普通日本人がこちらの新聞記事に
登場する時は、批判や揶揄、
皮肉を含めた物が多く、
(殆どが政治がらみという事はありますが)
これだけの好意をこめて
日本のビジネスマンの死を悼むというのは
見たことがありません。

海外に住む日本人の一人として
とても誇らしくもあり、
またそれだけ悼まれる人柄の、
これからの日本をもっと元気にしてくれる
筈であった方を失ってしまったのだと、
何とも言えず哀しい気持ちになりました。

岩田さんが亡くなった時に,
糸井重里さんがほぼ日に書かれた文を
読んだ後であったので、
私自身が何だか親しい人を失ったような
気持ちになっていたのもあるでしょう。

その時は、亡くなられた方が
どなたかも分からなかったのですが、
親しい友を亡くされた哀しみの深さが
痛いように伝わってきて、
図らずも涙ぐんでしまったのです。

あらためて、
岩田聡さんのご冥福を申し上げます。
ちなみにガーディアンの記事は
こちらでも読めます。
写真は新聞のものとは異なっていますが
(新聞の方がずっと素敵です)、
記事の内容は同じです。

(K)



糸井重里ならびに「ほぼ日」へ、
たくさんのあたたかいおことばもいただいています。
ありがとうございます。

メールは、いつまででもお受けしています。

2015-07-29-WED

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