「おじさん」を学校に住まわせる?


ほぼにちわ。です。

学校に「校庭のおじさん」がいたらどうだろう。
学校の中に、ここは学校であるという立場を
とらなくていい場所や人がいたら‥‥、
という、10月18日(金)の「今日のダーリン」に、
ほんとうにたくさんのメールが届きました。

このところ「今日のダーリン」への
反響メール特集が続いていますが、
このたびも、みなさんに読んでほしい
いいメールがたくさんありましたので、ご紹介します。

それでも、掲載できたのは、そのほんの一部です。
どうぞお読みください。

・いまの時代のことは知らないのですが、
 ぼくらの中学や高校の時代には、
 ちょっとアカン生徒にとって、
 保健室は、駆け込み寺というか、押し入れというか、
 サンクチュアリみたいなものでした。
 ほんとの病気やけがをした生徒も、むろん行きますが、
 クライアントの半分以上が、「仮病」の方々でした。
 あとで知ることになるのですが、
 そういう邪な患者に対して、保健室の先生は、
 「知らないふりをしていた」ということです。 
 ぼくの生徒だったころ、日本全国の保健室で、
 その「知らないふり」の芝居が演じられていたわけです。
 先生と呼ばれる人なのだけれど、
 保健室の先生は、「正しくない」ことを手伝っていた。
 だから、偽の病人たちは、保健室が好きだったのです。

・娘が、学校に通っているころに思ったことがあります。
 校庭に、小さい家を建ててね、
 そこに普通のおじさんが住んでたらいいのに、と。
 学校でおもしろくないことがあったときとか、
 なんか家のことで心配ごとがあるときとか、
 誰それとけんかしたとか、腹が減ったとか、
 映画や小説の話がしたいときとか、
 「校庭のおじさん」のところに行くんですよ。
 おじさんは、教育者じゃないわけだから、
 必ずしも「正しい」とされることを言うわけじゃない。
 いや、「正しい」よりも大事なことを教えるんです。

 ほら、学校って、学校であるという立場上、
 「社会」の実際とはちがっていても、
 教育的な指導をせざるを得ないじゃないですか。
 それが、先生と生徒と両方を苦しめると思うのです。
 だから、おとなではあるけれど、先生じゃない人間、
 つまり、「おじさん」を学校に住まわせる。
 で、生徒たちは、自由にそのおじさんを利用すればいい。

 それは、立派な人じゃなくて、かまわないと思うんです。
 なんだったら、交代制でもいい。
 「生徒の言うことを親や先生に告げ口しない」約束です。
 どこかの学校で、試しにやってみないものかなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「おじさん」という場所にいる人って、大事なんですよね。

 (2013年10月18日「今日のダーリン」より)



メールアイコン 「校庭のおじさん」の話を読んで
「ボイラーのおじさん」を思い出しました。

私が小学生の頃の話です。

学校にはボイラー室があり
そこにはボイラーを管理するおじさんがて
私たちは「ボイラーのおじさん」と
呼んでいました。

ボイラー室に生徒は入ってはいけませんが
お昼休みや放課後に
友達とよく遊びに行っていました。

ボイラーのおじさんは優しくて
私たちを追い出したりしません。

時々、砂糖とミルクをたっぷり入れた
あま〜いインスタントコーヒーを
淹れてくれます。

先生や学校のみんなが知らない場所で
甘いコーヒーを飲むのは
とても特別な事のように思えました。

おじさんと、どんな話していたのか
覚えていないので
お喋りな人ではなかったと思います。

何かを教わったわけでもありませんが、
でも居心地が良かったんです。

家や学校の他に「ただ居てもいいよ」って
場所があるって安心できるんです。
(k)



メールアイコン 今日のダーリン読みました。
私の高校生活にも思い出す
用務員の「おじさん」がいます。

入学して何ヶ月目のある日、
途方もない量の落ちた枝や葉を
一人で片付けていたおじさんに
何故だか急に、手伝います!
と声をかけたのがきっかけでした。
(人見知りだったので
 今思えばよく話かけたなあと)

それから、たまにお話するようになり、
校内で会えば「黒沢〜(私の名前)」と
いつも豪快に元気に呼んでくれました。
会うと元気になる人でした。

そして、遅刻癖のあった私は
遅刻した朝は用務員室に挨拶してから
教室に向かうようになりました。

冬の朝、頬を真っ赤にして
用務員室に寄ると「寒かっただろ」と
よくお茶とお煎餅を出してくれました。
たまたま体育の先生が用務員室に来て、
私とおじさんと一緒になって
怒られたりもしました‥‥。

私は不良でもなく、健康で友達にも恵まれ、
基本的には楽しく元気に
学校生活を送っていました。
ただ高校入学時から暫くの間
父親が入院していて、
周りのみんなの高校生になった喜びや
楽しみに心からはついていけず
何かもやもやしていました。

家庭のことも不安なことも
おじさんには何も話さなかったけど、
今思えばおじさんには
何か伝わっていたのかもしれませんね。
おじさんは私の高校生活において
とても大切な存在でした。

社会人四年目の今、
おじさん怒られたりして
いろいろと大丈夫だったかなあ〜と
考えたりしますが。笑

数年前、おじさんが母校を離れると聞いて
会いに行きました。
銀缶いっぱいのお煎餅を渡すと、
相変わらず優しく笑ってくれました。

今日のダーリンを読んで
久しぶりに思い出しました。
嬉しい気持ちになりました。
(黒沢)



メールアイコン 私は、中学校と高校で
スクールカウンセラーをしています。
そしてまさしく、
今日の「おじさん」のような役割を、
学校の中でやっています。

職員室から遠く離れた人目につきにくい場所に
カウンセリング・ルームはあって、
保健の先生の紹介などで生徒がやってきます。

グループでわさわさ来たり、
一人でひっそり来たりもします。
何の話をしたかは基本的に秘密ですし、
誰が来ているかもイニシャルでしか
管理職に知らせない学校もあります
(学校によって違います)。

私が子どもの頃にはいなかった、
心理カウンセラーという人が、
今はだいたいの学校に置かれるようになって、
先生とも親とも友達とも違う距離感で
話ができたりすることは、
面白いことだなあと感じています。

私は、「おじさん」ではなく
「おばさん」ですが、
歳を重ねることが役立つ仕事に就けて、
「おばあさん」になるまで、
じっくり話を聴く腕を
磨いていきたいと思います。
(w)



メールアイコン 私は昭和9年(1934)年生まれで、
入学した時は小学校ではなく
「国民学校」でした。

1年から6年まで
国民学校という名称だったのは
私達の学年だけです。

当時の小学校には「小使いさん」という
オジサンがいました。
多分住み込みだったのではないかと思います。
掃除をしたり壊れたものを直したり、
いつもニコニコと子どもたちに接していて、
私達は安心して小使いさんに甘えていました。

疎開するまでは中野区の小学校に通いました。
全校生徒数は1200人でした。
山梨県に疎開しましたが、
そこにも小使いさんは居たと思います。

今日のダーリンを読んで思い出しました。
小学校にオジサンが住んでいた時期も
あったのです。なつかしい!!
(まるひ)



メールアイコン 先生じゃない、学校にいる大人、
売店のおばちゃんをやっています。
公立中学校で、今年は、20年目です。

毎朝、一日に誰からも
声をかけられないこどもがいないように
「おはよう!」と声をかけます。

実は、今日は、だるいな、
なんて思った日でも、声をだすと、
これでエンジンがかかります。

「髪、きったの?」「洋服に毛がついてるよ。
ペット飼ってる?」などと
家族でも気づかないことを(悲)
こどもたちは気づいてくれます。
そして、よく声をかけてくれるのは、
悪いと問題視されている子供たちのほうが
圧倒的で、
卒業して、遊びにくるのもこの子たちです。

学校では、校長先生よりも年上になってしまい、
ちょっと気遣いされているのを感じています。
でも、子供たちは、
「おばちゃん、ズボンの裾上げして。」
「体育だから、財布預かって。」
と、ずっと、変わらない。差別もない。

業者さんと、大福でお茶したり、
PTAのお母さんの悩み、聞いたり、
事務室の職員が、愚痴りに来たり、
おいしいお店教えてもらったり。
忙しく険しい顔で走り回っている先生を
横目で見ながら、ちょっと、
申し訳ない気持ちでいたりします。

「おばちゃん、ここに居てよ。」って
いってくれる子供たちに
元気をもらっているのは、私のほうです。
(q)



メールアイコン あるんです、小さい家。

わたしは、ライターをしているのですが、
以前に取材した小学校の、校庭の隅に
おじいさんやおばあさんが集まる
小さな平屋がありました。

来るのは自由ですが、その家の横には
小さな畑があり、交代でお世話をしているので、
一日無人になることはありません。
それに月に1回、交流の時間があり、
昔ながらの遊び(竹馬や竹とんぼなど)を
教えているそうでした。
もちろんそれ以外の時間も
子ども達は遊びに行っているそうです。

生きてきた時代によるものなのかなと
思っているのですが、ご年配の方って、
今と比べるとどこか無遠慮というか、
そういうとこがある気がするのですが、
それがとてもいい風に子ども達を
育てているように感じました。

はじめは戸惑っても、いつのまにか慣れて、
それがこの場以外でも当たり前になる。
見ていて、やっぱり人との距離は
近い方がいいよなと思わせられました。

例えば子ども達が老人ホームに行くとか、
お年寄りを招いて戦争体験などを教えてもらう、
とか、そういった取り組みは
たくさんあると思うのですが、
それってどちらかにステージが
用意されていることが多いです。
でもこの取り組みというか、システムは、
いるのが当たり前なんですよね。

わたしももっとおじいちゃんやおばあちゃんと
遊びたかったなと少しうらやましく思いました。
(m)



メールアイコン 千葉県の某高校で養護教諭
(保健室の先生)をしている者です。

糸井さんの今日の保健室のお話を読んで、
嬉しさを伝えたくて
ついペンを取ってしまいました。

必ずしも「正しい」とされることを
言うわけじゃない、
「正しい」よりも大事なことを教える。
というお言葉、すとんと私の中に収まりました。

養護教諭としては、
「教育者」として言うべきことと、
「身近なおとな」として言ってあげたいことを
常に天秤にかけ悩む日々を送っております。

私も、正しいよりも大事なことが、
世の中にはたくさんあると思います。
糸井さんの言葉に、元気をもらいました。

大人としてもまだまだあまちゃんな、
養護教諭歴1年半の私ですが、
子どもたちのサンクチュアリを
作っていきたいです。
(mi)



メールアイコン ちょうどタイムリーな話題でした。
読んでいて涙が出ました。

我が子の通う学校は、
我が子は直接受けたことはありませんが、
体罰や言葉の暴力、パワハラが
陰日向なく横行しているようで
胸を痛めています。

親は子ども達の話を聞くばかりで、
実際を見ることはできません。
日々解決を望み動いているのですが
何も良い方向に向かわないまま、
疲れを感じていた時でした。

今では昔よくいた「人間くさい先生」を
なかなか見かけなくなりました。
そして目を輝かせている先生も。

先生方にも、先生方こそ
おじさんは必要なのかもしれません。

私の学生時代は、先生方にとってのオアシスは
用務員室だったのだと思います。
母校には校舎とは別に
こじんまりとした「家」がありました。
それが用務員室でした。
そこで先生方はコーヒーを飲みながら
畳にごろ寝したり、新聞ではない読み物を
読みふけっていたり‥‥目撃したときは
そのくつろぎぶりに驚いたものです。

子どものことばかり考えていましたが、
今日のダーリンを読んでいてふと思いました。
みんなが目先の正しいだけのことに
疲れてしまっているんですね。
子も親も先生も。

受験生の長男にも正しくあるようにだけ
伝えてきた気がします。
楽しくあるよう伝えてみようと思います。
何か変わることを信じて。
(f)



メールアイコン コレ、私やってるような気がします。
シアトル郊外の学校区で、
カフェテリアの主任をしています。

朝は6時から学校が終わるまで、
だいたい2時頃まで学校にいるのですが
朝ごはんのラインを開けるとすぐに、
いろんな子供達がやって来ます。

お腹を空かせた子はもちろん、
宿題がわからない子、手が痛い子、
誰かと話したい子、
今週はお父さんの家から学校に来るので、
お父さんの彼女の文句を言いに来る子、
ヘアカットの相談に来る子、
パーティー用の料理の相談に来る先生、
生徒の様子を聞きに来る校長先生、
コーヒーをもらいに来るふりして
ちょっとだけサボってる掃除のおじさん、
氷をもらいに来るふりをして
結構話し込んで行くスクールナース、
何時も同じ話をしに来る図書室の先生、
ソレハソレハ興味深い保護者の皆様。

校庭に暮らさなくてもそういう立場の
隠れカウンセラー、案外多いかも。
一日中結構忙しいです。
(うちの)



メールアイコン 私は、昔教職についておりました。
当然、子どもたちには「正しいこと」を
教えておりました。

ところがある日突然、自分の娘(二女)が
「正しくない子」になってしまいました。
「学校に行かない子」になってしまったのです。

私はどうしても娘に
「行きたくなければ行かなくていいよ」という、
「正しくないこと」を、
言ってやることができませんでした。
母親でありながら、教育者という立場で
物を言っていました。

ずいぶん彼女を苦しめてしまったと思います。
娘は必死で、身をもって、私に
「正しくなければいけない場所」にいることの
つらさ、息苦しさを訴え続けました。
そうこうするうちに、
長女がそこそこチャラチャラした生徒になり、
人様のお子さんには「正しいこと」を
教えていながら、自分の子どもは
ちっとも正しくないなあ〜と、
少々肩身が狭いというか、
自己矛盾をかかえるようになりました。

やがて私は仕事をやめ、ごく普通の主婦になり、
いろんなしがらみからすっと解き放たれました。
とても気が楽になりました。
もちろん娘たちには「正しいこと」は
「正しいこと」として教えなければ
ならないと思いつつも、
「人間、そればっかりじゃないよね」という、
アソビの部分も認められるようになり、
何より自分自身がとても楽になりました。

人間にも世の中にも、光があれば影がある。
表があれば必ず裏がある。
本を読んだりドラマや芝居を観て、
そんな部分に強烈に惹かれるようにもなりました。

今は再び学校で働いております。
教員よりもゆるい立場にいるのですが、
相変わらず光の部分、表の部分しか教えない
学校という場所。時々とても息苦しくなります。

今の学校でも、特に中学校の保健室には、
「正しくない子」がたむろしています。
糸井さんの言う「おじさん」的な立場として、
今は「スクールカウンセラー」さんもいます。
先生という立場の人はやはり「正しい人」として
存在しなければならないのでしょうが、

せめて、「正しくないこと」も知りつつ、
「正しいこと」を教える、という
懐の深い先生が一人でも増えてほしいです。
(ちわ)



メールアイコン 今日の「今日のダーリン」を読んで、
だから今ではカウンセラー室、
なんてものが学校にあるのかなあ‥‥
と思いました。
小学校中学校、高校‥‥最近では
大学や会社にも多いです。
わたしが通っていた大学にもありました。
ただわたし、どうにもあの
カウンセラー室というのはすきになれない‥‥
というか、自分には向いてないなあ
という気がしてあまり行った事がありません。

高校1年生の頃に人間関係に悩んでいて
(ありがちですよね〜、今思うと)、
悩みが凝り固まってしまい
友達にすすめられ、カウンセラー室に
行った事があります。

カウンセラーの先生がお茶とお菓子を
出してくださり
「どうしたの? リラックスしていいのよ?
 話したくなければ今日はここで
 ゆっくりして帰ってもいいのよ?」
オーラ全開。
なんだかもう、それだけで
話したくなくなっちゃったのです。

なんとかかんとか悩みを話し、
先生は「うんうん」と話を聞いてくれます。
「考え方の問題じゃないかな」とか
「おいしいもの食べてみて」
「深呼吸してみて」とか
「気を張らないで」とか、
優しいアドバイスをしてくれているんですが
わたしは内心
「そんなことは自分の中で
 もう100回ぐらい考えたし
 実際やったわ!!!」
とか思っていました(笑)。
いやー、可愛くない子どもで
スイマセンでした、先生‥‥。

もちろん、話すだけでも
少し気が楽になるタイプの方はたくさんいて、
そういう方の為にもカウンセラー室って
いいシステムだなとは思うのです。
担任にも親にも言わない、
ってのがウリですしね。

ただなんでしょうね‥‥あの、
「話を聞いてもらう部屋」
「誰でも気軽に来ていいのよ」という
オーラがダメなんでしょうか。
準備万端過ぎるというか。
そんなカンタンに話せるところに
自分の悩みを放り込みたくないというか。

これは完璧な主観なのですが、
保健室の先生ってどこか第三者的というか、
厳しい部分がありませんでしたか?
基本はイメージ通りとっても優しいのですが、
ふとした瞬間に現実を
ヒュッと入れこんでくる。
でも説教しているわけじゃないし、
先生の主観をつっこんでいるわけでもない。
その感じが良かったのかもしれませんね。
(東雲)



メールアイコン 学校と家、以外の大事な場所について、
私の思い出です。
その人も「先生」と呼ばれる人でしたが、
高3の頃、

「誰かに考え過ぎやって言われたんか?
 いいんやで、考えたら。
 考えるのが好きなんやから。」
と、
「いつも必ずしも
 『伝える』必要はないんやけどな。」

‥‥その時、私が泣くほどなぜか
思い詰めていたことに対して、
ほろっと言ってくださった言葉。

「先生は私の心が読めるんやろうか」

と目を真ん丸にしつつも、
とても救われたのでした。
(てぃーこ)


またこのほか、
ケストナーの『飛ぶ教室』の禁煙先生、
J・K・ローリングの『ハリーポッター』のハグリッド、
RCサクセションの歌「僕の好きな先生」の美術の先生らを
思い出しました、というメールも多くいただきました。

いろんな立場、いろんなお考えから、
いろんなメールをありがとうございました。

もしこの「postman@1101.comから。」を
読んで思われることがありましたら、
いつでもメールをお送りください。

もちろん、このページや、
コンテンツに関係のないことでも、
お気軽に「ほぼ日」へメールをお送りくださいね。

2013-10-23-WED

postman@1101.com宛てのメールは、
乗組員みんなで読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
乗組員一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
なのでぜひハンドルネームを記入してくださいね。
また、掲載されては困るメールには、
「載せちゃイヤ!」と書き添えてください。

ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等の著作権は
翻案権を含んでほぼ日に譲渡されたものとします。
ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等は、
使用する場合に
編集等をすることがあるかもしれません 。

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