「今日のダーリン」英語を必修から外す?


ほぼにちわ。です。

日本では、中学で、高校で、さらに大学で、
多くの方が英語を勉強します。

さてそれで、いったいどのくらいの方が
英語の読み書き会話ができるようになるか、というと、
みなさんご存知のとおり、
それほど習得には至っていない、というのが現状のよう。

さて先日、糸井重里が学校関係の方からうかがった、
英語を大学の必修科目から外しては、
という考えについて 「今日のダーリン」に掲載したところ、
たくさんのメールが届きました。

英語を使えるとはどういうことか、
そもそも英語がしゃべてれても中身がなければ
意味がないのでは‥‥、
といった点について寄せられた、
みなさんからのメールをご紹介します。

・昨日、たまたま学校関係の人と話してましてね。
 「大学の英語を必修から外したほうがいい」
 という意見を聞いたんです。
 あちこちの企業が英語の公用語化とか言い出したり、
 小学校から英語教育を、とか言ってる時代にですよ。
 しかも、その人は、国際的な広がりについては、
 とても熱心で、実績のある活動をしてる人なんですよ。

 大学の英語は、基本的に英米文学の流れだから、
 実用に使えるようになるのは、とてもむつかしい、と。
 読むための「英文和訳」を学ぶにはいいけれど、
 それは英会話を習うというものではない、と。
 そして、必ず大量に「単位を落とす学生」が出るので、
 その補習のためには、高コストが必要になる、と。

 だから、いまのような英語を必修から外して、
 コミュニケーションを重視した英会話と、
 これまでのような英語の授業とを、
 自由に選択できるようにしたほうがよいのでは、と。
 そんなふうな考えでした。

 おもしろかったなぁ、「必修」から外すことで、
 もっと「使える英語」を広げていくという考えですよね。
 さらに、「実際に使う必要のある場に行ったら、
 誰でもしゃべれるようになるんです」とも言います。 

 もともと外国語に弱いぼくなんかは、
 この問題については、なにを言っていいのか、
 考えもできていないままなのですが、
 「必須」だとか「義務」だとかの枠から考えるよりも、
 なんだか納得できる意見だなぁと思いました。

 「英語がぺらぺらしゃべれるとしても、
 その内容が空っぽだったら意味もないですからね」
 とは、別の英語の得意な人に言われたことですが、
 うまくしゃべれないぼくが、
 「そうだそうだ」というのも、なかなか言いにくくてね。
 しかし、小学校5年生から英語塾に通い、
 中高と6年間やった英語教育って、なんだったんだろう?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「お、おれはいいから、お、おまえたちは勉強しろよ‥‥」

 (2013年4月10日「今日のダーリン」より)


メールアイコン 私は数年前にアメリカの大学を卒業し、
向こうで結婚をし、今は日本の公立高校で
英語の教員をしています。
私は常々「大学入試から英語の科目をなくすか、
 選択にして欲しい」と思っています。

英語を教える側として、
「大学入試で点数をとるための」
英語教授法では生きた英語、
コミュニケーション力を教えることは
難しいと思っています。

英語は話せると楽しいです。
机上で学んだ英語を実践で使ってみて、
それが伝わった時の幸福感は
とても素晴らしいものです。
そして相手の言語を使って
その国の文化に触れることから
多くのことを学べ、
自分の視野が幾倍にも広がります。
なんて素敵なんでしょう。
という事を私は渡米中に体感しました。

英語を学ぶ楽しさを母国に帰って
多くの子供たちに伝えたいと思い、
必死の思いで教員になりましたが、
日々の授業でそれを実行できている実感がなく
何とも言えない気持ちになることがあります。

それでも私は英語や異文化理解に関することが
大好きでそれに携わる仕事ができて幸せです。

自分の英語学習に対する気持ちをぶらさず、
真っ直ぐな姿勢で子供たちに接し、
大人として良いモデルとなり、
関わってきた子供のうちひと握りでもいいので
グラス先生に出会って
英語の良さがちょっとわかった気がする。
と言ってくれる子がいたら
私はすごい幸せだと思います。

ということを本日の糸井さんのお話を読んで
思いました。
(グラス マリコ)



メールアイコン 先日、ハワイ旅行にいきました。
ディナーで知り合った
アニメ好きのアメリカ人の話を
ただただ聞いていましたが、
3・11の被害について尋ねられたとき、
話したいこと、伝えたいことが
いっぱいあったのに、
原発事故に関する英単語が
咄嗟に出てこなくて、
殆ど何も話せませんでした。

悔しかった‥‥‥。
(h)



メールアイコン 私は、某省で
外国政府との国際渉外をしています。
必然的に仕事の大半は英語です。

今日のコラムを読んで、
英語ペラペラでも中身がないと、
のところにいたく同意しました。
私の部署にも、英語ペラペーラの人は
たくさんいますが、相手に信頼され
記憶に残り続ける人は、たどたどしい英語でも
伝えたいことを必死で伝えてきた人達です。

これって社会では当たり前のことなんですけど、
語学のフィルタがかかると、
途端に英語話せる=優秀に
なっちゃうんですよね。不思議なもので。

かつて、とても印象深い話を
うかがったことがあります。
イスラエルとシリアの対立を
何とか緩和しようと、
両国で秘密交渉をしていた時、
シリア側の代表は今のアサド大統領の
お父さんでした。

交渉は英語で行われましたが、
イスラエル側は皆流暢な英語を話したのに対し、
アサドパパの英語は酷く、
話の半分も理解していない様子だったそうです。
補佐官はじめイスラエル側は、
そのことでアサドパパを見下す雰囲気に
なっていきました。
こんな田舎者はすぐに丸め込めると
思ったそうです。
しかし、結局のところ交渉は
シリア側有利に終わりました。

24時間近い交渉の間、双方共に飲み物を
ガブガブ飲んでいたのですが、
アサドパパだけは一度もトイレに立たなかった。
最初は気にもしていなかったが、
段々と薄気味悪く思えて、
最後には完全に気圧された。
その時点でイスラエル側は負けたんだよ、と、
話してくれた方はおっしゃいました。

その方はこの話を、国際政治の裏話として
教えてくれたのですが、
英語より大事なものってこういう気迫とか
心意気とか覚悟なんだなぁと
私は思った次第です。
単に、アサドパパの膀胱が
大きかっただけかもしれませんが‥‥。

(なつこ)



メールアイコン 私は今年でドイツに在住して
14年になるものです。

それというのも、私は学校の英語や
ドイツ語の授業が苦手だったからです。
中学入学と同時に英語は落ちこぼれました。
先生にも「ほかの教科は問題がないのに、
どうして英語だけだめなんだ」といわれる始末。

なぜ、英語がだめだったか。
一つは私がひねくれているからかも
しれませんが、皆が教科書を訳すときに
とても不自然だったからです。
もう一つは文法がなぜ、日本語と違うのかが、
まったく理解不明だったから。

それが、中学3年間のうちに
英語の成績もすこしづつよくなり、
なぜか高校はカトリック系で
英語を中心としたカリキュラムをくんだ学校に
行くことになりました。
そこでも皆についていけなくて
落ちこぼれてしまったのですが、
高校二年生のときになぜか行くことになった
アメリカ研修で、「ああ、
英語を使うということはこういうことか」と
楽しくなり、学校の勉強とは別に文通したり、
ラジオ英会話を聞いたりして、
自分で勉強するようになりました。

と、その後の人生には
紆余曲折があったのですが、
現在ドイツに住んでいて、
ドイツ語を話しています。
ドイツに来た当初はぜんぜんドイツ語が
話せなかったんですが、
「話せなければ、生活できない」
ということもあり、必死に勉強しました。
でも、ドイツ語の文法を日本で習うより、
すんなり理解できました。
やはり、習ったら、すぐ使えるというところも
大きかった気がします。

現在は英語も話すのは
ブロークンにはなりましたが、
聞き取るのは問題はありませんし、
ドイツ語も読む、聞く、話す
(書くのは難しいですが)と
パーフェクトとはいきませんが、
「日本には何歳までいたの?」と
聞かれるくらいの程度にはなりました。
ドイツに来たのは、28歳のときです。

だから、糸井さんの文のなかで
登場されていたかたがおっしゃっていたことは
非常に理解できます。
言葉は結局、それが使えるということが
前提で勉強を始めたほうが、
数倍、効率がいいような気がします。

学校で習う文法も役に立つんですけど、
すぐに使えないのに、また、
日本語の文法もしっかり習っていないのに、
外国語の文法を習うのはどうでしょうね。
それから、「外国語をどの程度まで話せたら、
OKなのか」のめども学校では
あいまいのような気がします。
海外旅行へいって、レストランや
お店にいきたいというのなら、
NHKのラジオやテレビで十分だと思います。

(MIHO)



メールアイコン 「大学の英語は、
 基本的に英米文学の流れだから、
 実用に使えるようになるのは、
 とてもむつかしい」

という行、とても共感しました。
私も学生時代のことを思い出すと、
そう思います。
私も英語うまくないですが、
会話と文学を読むことは、
全然違うもののように思います。

私も、何年か前から、
英語の歌が歌えたらいいな、と思い、
「英語耳ドリル」という本を買って
毎日少しづつやってるんですが、
これはおもしろいです。
発音は勉強というより、
スポーツに似ているような気がします。

「英語がぺらぺらしゃべれるとしても、
 その内容が空っぽだったら
 意味もないですからね」

似たような話を、高校の時の英語の先生が
言っていました。
その先生は、英語も最終的には
物事を知っているかどうか、
物事を理解しているかどうかだ、
とおっしゃってました。
つまり、物事をよく知らないで、
理解もしていないならば、
英語だけを知っていても、
たとえば、翻訳とかする場合
誤訳が多くなってくるような気がします。

(L)



メールアイコン 31歳会社員です。
「大学の英語を必修から外したほうがいい」は
私も大賛成です。

もし大学で英語が必修じゃなかった場合、
私は英語を履修したかな、と考えると、
なんだかとてもワクワクしました。
生徒も大学側も
「なんのために英語を学ぶのか」を考えることが
とても重要なことのように思います。

うちの大学は必修で英語が2単位あり、
ひとつは高校と同じようなリーディング、
もうひとつはネイティブ
(コミュニケーション)でした。
ネイティブの先生は日本語もうまく
陽気で気さくだったのですが、
英語を話すことがとにかく気恥ずかしくて、
みんなぎくしゃくしていました。

英語の授業は少人数制で
細かくクラス分けされていました。
いいことのように聞こえますが、
必修ではない授業は、
受講生を集めないといけないので、
生徒の興味をひくカリキュラムや工夫が
あるものですが、
必修の英語には
それがまったくありませんでした。
完全に先生の独壇場。
先生の色が出すぎで、今思うとなかなかの
閉じられた世界でした。

大学側も「なんのために英語を学ぶのか」
その目的別に授業を展開していなかったから、
あんなカオスになっていたんだろうなあと
思います。

今思うと、ネイティブの英語の授業が
恥ずかしかったのって、
まるでキッズの英会話スクールみたいな
内容だったからのような気がします。
もっと静かな英会話が、
大学の授業にあってもいいと思います。

(Y)



メールアイコン 私もたいして話せないし、
勉強もろくにしなかったので、
たいそれたことは言えませんが、
一時期、必死で英語を
学んでいたことがあります。
7年前、オーストラリアに
ワーキングホリデービザで
滞在していた時のことです。

当時、日本で行き詰ってしまった私は、
いったん自分をリセットさせようと、
日本を出ることにしたのです。
英語も話せないのに(笑)、
勢いだけで、シドニーに降り立ちました。

2週間のホームステイを経て、
シドニーでの一人暮らし、
農家での住み込みアルバイトなど、
いろんなことを経験しました。

いろんなことを経験するにあたって、
英語を話せないと何もできないんです。
だから、初めて英語を学ぼうと、
とことんいろんなことをしました。
必死に語学学校に通い、英語の話し相手にと
オーストラリア人の彼氏を捕まえ、
日本人との接触を避け、
地元の人があつまるレストランで働き‥‥。

誰も頼る人がいませんから、
生活もかかっているんです。
お金がないと、ご飯が食べられないとは
このことか、と実感しました。
でも、旅行もしたい、学校も通いたい。
だから、働くのも必死、貯金も必死でした。

日本でのほほんと、親のすねをかじりながら
暮らしていた私は、オーストラリアではじめて
「生きた」と思います。
この私の口から
「お金が必要だから、もっと働かせてくれ!」と
出てくるなんて! しかも英語で!
必要があれば、だれでも
しゃべれるようになるんだ、
という体験をしたのは、
私にとって大きな財産です。

でも、日本に帰ってきて思いました。
英語で話せても、「心のゆくままに
表現豊かにことばを話せる」ことは
できていなかったなぁと。
母国語で、気持ちを表現できることが、
どれだけ自由なことかを思い知りました。

今、日本のことばでの表現に
面白味を感じています。
魅力的な日本語で、自分なりの感性とことばで
何かを表現したい気持ちでいっぱいです。

(m)


ちょうど4月ですから、日本では、
中学に入ってはじめて「英語」にふれた方や、
外資系の企業に入社し、
英語を使うお仕事がはじまったという方、
さらには外国語を習いはじめた方などが
いらっしゃる時期ですね。

義務教育で学習したから、といっても、
その後の英語との関わり方は人それぞれです。
やはり、「やりたいことが先」なのかな、
と、思いました。

それでは、また。

2013-04-13-SAT

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