今日のダーリン「生まれたての人のように」。


ほぼにちわ。

1月7日、8日と連作のように書かれた
「今日のダーリン」へ、
メールツイッターで多くの反響をいただきました。

1月7日は、「ほぼ日」の母体である
東京糸井重里事務所の仕事始めでした。

休暇中も「ほぼ日」の更新は毎日あり
(そして「今日のダーリン」も、毎日!)、
全員、日替わりでお当番もあるので、
すごく初日、という気分はないのが通例ですが、
それでもこの日の「今日のダーリン」は、
わたしたちにとっても、
気持ちがぴっ! とするものでした。

では、その「今日のダーリン」と、
みなさんのメールをご紹介します。

・たとえば、じぶんがクルマだったとしたら、
 走りたいと思うんだ。

 速く、すっごいスピードで走りたい。
 わぁっとみんなをびっくりさせるような速度で、
 走り回りたいと思うんだ。

 ずっと、どこまでも遠くまで走りたい。
 ガソリンの最後の一滴がなくなっても、まだ、
 走り続けていたいと思うんだ。

 たくさんの人たちを乗せて運びたい。
 憶えたての歌を歌うこどもたちとか、
 何百人でも乗せて走りたいと思うんだ。

 たとえば、じぶんが歌だったら、
 じょうずでも、へたでもかまわないから、
 みんなに歌ってもらいたいと思うんだ。

 たとえば、じぶんが野うさぎだったら、
 地面にいっぱい穴をほって、いっぱい逃げたり、
 いっぱいはねたり、いっぱいこどもつくったり。
 野うさぎっぽいこと、いっぱいしたいと思うんだ。

 たとえば、じぶんが生まれたての人だったとしたら、
 なにができるのかわからないままに、
 できることを探したり増やしたりしながら、
 なにかやらせて、なにかやらせてと動くんだろうな。

 クルマでも、歌でも野うさぎでも人間でも、
 できることはぜんぶやったなぁと感じるのが、
 いちばんのあこがれだよなぁ。

 このからだを、このこころを、この知恵を、
 この思い出を、このいのちを、
 まるまるまるごと使い切れたら最高だよな。

 できるかもしれないことは、したい。
 できることは、もっとじょうずになりたい。
 生まれたての人のようにね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生まれたての人だったとき、ものすごく生きたがってたね。

 (2013年1月7日「今日のダーリン」より)



・昨日ここに書いた短い文章、
 『生まれたての人のように』とでも題すればいいのか、
 推敲するわけでもなく、整理することもなく、
 書きたくて書いただけのものなのだけれど、
 書いてから、じぶんで読んでみて、そうかぁ、と、
 「ぼくはこういうことが言いたかったんだ」と思った。

 とても青臭いような、いくつもの疑問があって、
 じぶんでその答えを考えては、またわからなくなる。
 何度も何度もくりかえして考えたりするのだけれど、
 わかりそうになって輪郭が見えたかなと思うと、
 それはまた逃げていく。
 ことばにできないものかなぁ、と粘っても見るのだが、
 わからないままなのだから、ことばにできるはずもなく、
 そのまま、ずっとぼんやり考えていた。

 じぶんのままで考えることがだめだったのだ、きっと。
 「たとえば、じぶんがクルマだったら、
  走りたいと思うんだ。」
 クルマになってしまったら、なんだか、らくになった。
 そうか、と思った。
 歌になっても、その感じはわかった。
 野うさぎでも同じだった。
 なんだ、そうだったのか、人間もそうだったのか。
 生まれたときに、じぶんまるごとでわかっていた感じを、
 だんだんと失っていただけなのかもしれない。
 わかろうとするのでなく、すべてを忘れてもどればいい。
 どこから生きはじめたのか、その場にもどればいいのだ。
 そんなことを思ったら、いつもより息が楽になった。
 「おにぎりだったら、食べてもらいたい」そんな感じ。
 使ってほしいんだ、役に立ちたいんだと、
 みんな、こっちを向いて目を合わせてくる。

 2013年という新しい年になって、
 休み明けの「ほぼ日」にも人が集まってきている。
 この、「ほぼ日」ってやつが、おぎゃーと言った日、
 歩くことはおろか、はいはいもできなかったような日。
 生まれたての人のように、
 なにができるかなにができるか、なにかやらせてと、
 どきどきしていた場所に戻ろうよ、と思うのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
アリスの物語のなかに「ドリンクミー」という瓶があった。

 (2013年1月8日「今日のダーリン」より)



メールアイコン 死が目前の生き物も、
ものすごく生きたがっていたなって思います。

飼っていた柴犬が死にました。

末期の白血病でした。

もういつ死んでもおかしくないと言われ、
緩和ケアだけ続けて、
自宅に連れて帰りました。

だけど、2ヵ月半もの間、
生きていてくれました。
それは、私と犬にとって、
本当にぎゅうっと濃い日々でした。

目が見えなくなって、
だんだん食べられなくなって、立てなくなって、
ゆっくりと確実に、弱っていったのだけれど、

当たり前だけど、文句を言う事もなく、
自分の状態を嘆き悲しむ事もなく、
ただただ、全てまるごと受けとめて、

死ぬその時まで、一生懸命、
ひたすらに生きていました。

水を近付けると、飲もう飲もうとするのです。

やりたい事とか、欲しい物とか、
未来や希望とか、そんなの全然なくても、
必死で生きていました。

命のかたまりでした。

生まれたての命も、尊いけれど、
生きるって事に、夢とか希望とか、
ぎっしりとりついちゃってて、

逆に、死が目前の命は、
いろいろ削ぎ落ちていて、
生きることそのものなのかなって、
思いました。

まあ、生きると言うより、
息をしているというだけなのかも
しれませんけどね。

でも、私には、
死に向かっていく飼い犬の命が、
非常に純粋で、
学ぶべきもののように思われたのです。

(テツコ)



メールアイコン 今日の言葉は、
特に今のわたしに響きました。
去年、家のなかのことをしっかりやるために、
6年間必死に勤めた仕事を辞めて
主婦になりました。

わたしの作った料理を食べて
「家で生活してる感じがする」と
主人が笑った時には、
今までに感じたことのない、
穏やかな幸せがこみ上げました。
でも、どこか、
すきま風が吹くようなさみしさも
こっそり感じていました。

今日の糸井さんの言葉でわかった気がします。
わたしの体と心と知恵と技術とが、
使い切ってくれーー!!
と叫んでいたんですね。
家のなかをしっかり整えておく仕事と、
わたしの持っているものを
もっと発揮していける方法を
どうやったらバランスよくやっていけるか、
考えてみます。

実はわたしが使えるものを
もうすでにたくさん持っていることに
気付かせて下さって、ありがとうございます。

(なお)



メールアイコン 息子の2歳の誕生日にぴったりの、
今日のダーリンでした!

水遊びで洗面所をびしゃびしゃにしたり、
冷蔵庫の中をしっちゃかめっちゃかにしたり、
ご飯作ってないで僕と遊んで! と大泣きしたり
(毎食‥‥ほな誰かご飯作るねん)、

もー毎日頭を
どっかんどっかんさせておったのですが、

そーです息子は今いろんなことがしたいんです、
きっと。

生きて動いてることが
見るもの触るものがぜんぶ、
おもしろくって仕方ないんでしょう。

私も息子と一緒に楽しんでみようかな、
と思いました。
(でもご飯は作らせてくれー!)

…ってここまで書いて送ろうと思ったのですが、

あれ?
私のやりたいことって何なんだっけ‥‥?

私の原点って、何だ?

私は何でここにいる?

いろんな問いが、
ぶわーーーーっと湧き上がってきました!

あれ? 何でしょうこれ?

自分を使い尽くしたい!
何か「行ったれ行ったれ!」的なエネルギーが
ふつふつと!

今日のダーリン、保存しときます!
お尻を蹴飛ばされた気持ち!
ありがとうございました!

(u)



メールアイコン 私は27歳の女なのですが、自分に自信がなく
「このままの私ではいけない変わらなければ、
 違う私にならなければ」
という気持ちを常に持ちながら
過ごしてきました。
自分に合格点が出せないので
努力は失敗になり、
人の視線ばかり気にしている。
そんな自分が信用できず、
思いきって動くことが怖くなっていました。

さらに最近では友人達は仕事や結婚、
出産の経験を得て成長が目に見えるのです。
嫉妬している自分に気付き、
情けない気持ちでたまりませんでした。

そんな中、今回お正月に帰省した時、
ほんの数ヶ月前に会ったはずの両親が
以前より年老いてみえたんです。
実家も、去年には無かった傷みが
見つかりました。

一昨年亡くなった祖父母の仏壇の前で、
終わりがあることは実感したはずなのに
成長出来ていない自分に嫌気がさしました。
そんな私の悩みを知りながら家族は温かく、
優しく受け入れてくれます。
「いまこのお正月を楽しもう」と、
精一杯もてなしてくれました。
本当に、この家族に生まれて良かったと
思いました。
それなのに、自分はこんなで申し訳ない。
罪悪感が消えないのです。

休みが終わり、東京に戻ってから
湧いてきた想いがありました。
「私という人間は、あの大好きな両親が
 大切に育ててくれた私。
 やれることを精一杯やらせてあげたい。
 この身体と心を、もっと活かしたい。」

私が自分自身のことをほめたり好きになったりは
やっぱり難しいけれど、
大切に育ててもらったことを心底感じたいま、
その両親の思いをムダにはしたくないと
思ったんです。
五体満足の健康な身体に感謝して、
しっかり使わせてもらう。
心と身体を観察して、自分の特徴を活かす。
私に生まれてよかった、ありがとう!
と言えるくらい自分を使い込んで、終わりたい。
それこそが両親を一番喜ばせてあげられること
なんじゃないかと思いました。

そんな風に気持ちがまとまった直後に、
ほぼ日で糸井さんのコラムを見つけました。
クルマだったら、野うさぎだったら、、、
私も、自分を使い切って終われたらいいなぁ♪

(おちん)



メールアイコン はじめまして。
私は年明けからほぼ日を読み始めた
20歳大学生です。
まだ日はとても浅いですが、
「今日のダーリン」を
毎日読ませていただいています。

今日の「ダーリン」を読み終わったとき、
何かがこころからすとんと落ちてきました。
今までのどに引っ掛かっていた
魚の骨がとれた感じです。

私の親は、私が高校生くらいから
「あんたは昔はそんな自信のない子じゃ
 なかったのに」と言います。
親の言葉に私は図星になります。

自分で言うのもなんですが、
私は子供のころはやりたい放題で
何をするにも自信家な元気のいい子供でした。
年を取って色々大人の事情を
知るようになるにつれ、
自分を卑下する癖がつきました。
最近は就活を目前にして
どうしようもなく不安で、
「何かして自信をつけなくては」
「何をしても自信が持てない。私なんか‥‥」と
つい思ってしまいます。

新しく自信を持つのではなく、
自信を持っていた生まれたてに戻る。
生まれた場所には「自信」がなんなのかも
知らずにいた自分がいたはすです。

何だ、簡単じゃないか、と気が抜けました。
残りの大学生活はあっという間ですが、
糸井さんのことばを胸に過ごそうと思います。

(n)



メールアイコン 初心忘るべからず、とか
迷ったら基本に戻れ、と、よく言われますが
迷っていなくても、
折々に「初めの気持ち」に立ち返ることは
ひとつのことを長く続けていく上で、
欠かせないと思います。

仕事でこのことを実感したことのある人は
多いでしょう。
恋愛関係や結婚した夫婦の関係でも
大喧嘩をした後、仲直りを決意したきっかけが
出会った頃の気持ちを、
ふと思い出したからだったりしませんか。

では‥‥一番付き合いの長い自分との関係では?
自分を生きる上での「初めの気持ち」って?

>生まれたときに、
>じぶんまるごとでわかっていた感じを
>だんだんと失っていただけなのかもしれない。

忘れてしまっていたか、思い出せずにいたか
あるいいは、思い出そうともしないでいたか。
そもそも‥‥
じぶんまるごとで
わかっていた感じがあったことを
知らない、とか。

じぶんまるごとでわかっていた感じとは?
そんなものが本当にあったの?
と問われても困るのですが、
もしそれがなかったら‥‥
多分、今こうして生きていられなかったもの。

生まれたときに、じぶんまるごとで
わかっていた感じがあったこと
そのことを思うだけで、
何か清々しい気持ちになりました。
深いお話です。

(森猫)



メールアイコン 昨日と今日、この文章を読んで
本当に、本当に、そう、
とおもいました。

この身体と心と頭、
目一杯使わせてください‥‥と
涙が出る位日々切実に思って、
今の私の生活があります。

母子家庭で、社会や友人や職場などから
沢山の援助を受け取っていました。
経済面も、時間的にも、気持ちも。
本当にありがたい事でした。

でも、受け取っているだけって、
実際とても辛いものです。
一人じゃ何もままならない今ではあるけど、
それでもなお、誰かの為に、
私を使わせて欲しいと願いました。

それで、32歳で看護学生になりました。
自己満足に過ぎないものかもしれませんが、
将来に約束をしながら
毎日過ごしているというような喜びがあります。
自分のメンテナンスする事が楽しくて嬉しくて、
かつ、誰かの役に立たせていただけるって、
いいです。

そういう生き方、生業されている方は
それこそたっくさん居て、
だからこそそういう方達は
素敵に見えるんだろうなぁ、と思います。

(z)


ありがとうございました。
「生まれたての人のように」。
わたしも、手帳に書いておこう、と思います。

それでは、今年もよろしくお願いいたします。
どうぞ、「ほぼ日」を読んで何かお気づきのこと、
ご感想などありましたら、ひとことでもけっこうですので、
メールをお送りくださいね。
斉藤りかがご紹介しました。

2013-01-10-THU

postman@1101.com宛てのメールは、
乗組員みんなで読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
乗組員一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
なのでぜひハンドルネームを記入してくださいね。
また、掲載されては困るメールには、
「載せちゃイヤ!」と書き添えてください。

ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等の著作権は
翻案権を含んでほぼ日に譲渡されたものとします。
ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等は、
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編集等をすることがあるかもしれません 。

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