それぞれの3月11日。<6>


ほぼにちわ。

昨日は「スコップ団」の花火
無事に2万発、すべて、きれいに、打ち上がりました。
応援してくださったみなさん、ありがとうございました。

そして本日、3月11日。
「ほぼ日」は気仙沼や、あちらこちらから
中継を行っています

さて、みなさんからいただいた、
みなさんの「3月11日の過ごし方」を
ご紹介いたします。

「3月11日、なにしてる?」

メールアイコン こんにちは。
まだ、どう過ごそうか決めていません。
普通に過ごそうと思いたいですが、
親せきや知人が亡くなっているし、
両親も避難したままだし。

福島県職員として
農産物の消費の研究をしていた私。
震災後、放射性物質に
消費者がどう反応するかという研究をはじめ、
さあこれからデータ取り、というときに
転勤になりました。
なんだか一気に日常に引き戻された感じです。

4月からは別な内容の仕事になりますが、
福島で子供たちを
楽しく育てていきたいと思います。

先週は、
「さすがに来週は遊んでられないしね」
なんて言いながら両親・いとこたちと
相馬市にイチゴ狩りにいってきました。

福島も元気です。遊びに来てくださいね。

(h)



メールアイコン 送ろう送ろうと思いつつ、
3月10日になってしまいました。

明日3月11日は、震災復興支援のため
4月から1年間被災地に赴く大好きな人と
いつでも連絡が取れるよう、
スマートフォンを買いに行きます。

去年の3月11日。
私は英国グラスゴーに留学中でした。
事態の大きさがわかってから1週間ほど
何も手に付かず、ようやくわかったのは、
私は復興に必要なことを勉
強できる立場にあるということでした。

私は都市政策を研究するために
留学していました。
そのとき、グラスゴーでできることは
勉強すること。
そして勉強したことを
そこに住んでいる人のためのまちづくりに
使うことが私にできることだと気づきました。

帰国後、研究を続けるための環境を
整えようとしているのが今です。
まだ結果は見えていませんが、続けていきます。

そのようななか、留学の間支えてくれた
大好きな人が1年間被災地に
災害支援に行くことになりました。
英国で支えてもらったように、
私が支えられるようになりたいと思います。

(可可亜)



メールアイコン 私は中学校の教員をしています。

去年の3月11日は次の週に行われる
卒業式の準備をしていました。
午後ずっと子供達と準備をして、
やっと終わって
職員室で地震のことを知りました。

その後、避難された人たちがあふれてる体育館に
紅白幕がかかっているのをテレビで見て、
涙が止まりませんでした。
私たちと同じように卒業式の準備を
してたんだと思うと、
やりきれない気持ちになりました。

その後私たちは普段通りに卒業式を行いました。
来週には私のクラスの生徒も卒業します。
月日の経つのは本当に速いです。

3月11日は今のところ
何の予定もありませんので、
配布物の確認や服などの卒業式の準備を
しようと思います。
昨年地震直後の週明けに
自主的に募金を始めた優しい子供たちのために
自分が出来ることをします。

(くまくま)



メールアイコン 九州新幹線開通から1年かあと思い出します。
お祝いしてあげられないのが悲しかったけど、
CMが大好きで、勇気が出たのを思い出します。

そうでした、
つばめとさくらとみずほのお誕生日の前日は
博多駅に熊本に帰るチケットを
買いに行くと思います。
1歳の誕生日は盛り上がってほしいな。

友達の吹奏楽団のコンサートを聴きに行きます。
そのまえには、まつ毛のエクステを
つけてもらう予定も入れました。
仕事が残っていれば、
出勤して片付けるかもしれない。
ふつうのいちにちを過ごすと思います。

(N)



メールアイコン 私の誕生日です。

神奈川県厚木市在住です。
去年のあの時間、
幼稚園から帰ってきていた次女を
テレビの前からテーブルの下に押し込み、
長女がまだ下校時間ではないことを確認。
学校にいればなんとかなっているはずだと。
横浜にいる主人となかなか連絡が取れず、
心がざわざわしました。
幸い怪我もなく無事でしたが、
天井の防煙ガラスが
落ちてきてかなり危険だったそうです。

先日、娘たちが
「3月11日は母さんの誕生日で
 東日本大震災がおこった日だね」
と言っていました。
確かにそうだ、と私自身は思ったのですが主人は
「誕生日と地震をくっつけるな」とお怒り。
私は、むしろ娘たちがそうして
3月11日を忘れないでいてくれたことが
うれしかった。
これから先、私の誕生日、
その日は大切な誰かや
何かを失った人がたくさんいて
その方々が悼む日です。

今年の誕生日、日曜日だし
家族で出かけていると思います。
ひょっとしたら2時46分に
気がつかないかもしれない。
いつものように幸せに過ごすことが
大切なのかなと。
元気なひとは元気に過ごすことが
大事なことなのかなと。
でも絶対わすれない。

もうすぐ桜の季節。
今年も忘れずに咲くでしょうね。

(こいせ)



メールアイコン 3月11日はフィギュアスケートのショーを
見に行きます。
安藤美姫選手が立ち上げたチャリティー企画で、
ほぼ日でもおなじみのジョニー・ウィアー選手も
出演するんですよ。

実はかなりのジョニーファンの私。
思い起こせば1年前の3月11日は、
ジョニーのトークショーの整理券をもらいに
昼休みに必死の思いで
渋谷のCDショップへ向かいました。

何とか時間内に帰ってきて
一息ついていたところに大きな揺れ。
その後電車が動くまで会社でずっと
ツイッターのタイムラインを眺めていました。

震災の影響で東京で開催されるはずだった
フィギュアの世界選手権はモスクワに変更になり
ジョニーの来日もなくなってしまいました。

あの日から1年後にジョニーに会えるなんて、
ちょっと偶然とは言い切りたくない
ファン心理です。

当日はきっとリンクで皆と
黙祷をするんだろうな。
今自分が大好きなことに
お金と時間を使える幸せをかみ締めつつ
元気になってこようと思います。

(T)



メールアイコン 2012年3月11日、募金活動をします。

昨年、東日本大震災が発生してしまい、
怒りや、悲しみや、悔しさが渦巻く中、
『私に出来ること』を
私なりに一生懸命考えました。
出た答えが『募金活動』です。

3月11日、鹿児島中央駅前で、髪
をくくるゴムを包みボタンで作ってもらって、
それを1個300円で買ってもらい、
集まったお金は全額寄付する。というものです。
作るのもお客様です。
手を動かすことで、ちょっとでも気持ちが
晴れやかになってもらえればと願っています。
必要なハギレは、
妹や友達が寄付してくれました。

こういった活動をするのは初めてなので、
不安もいっぱいですが、何か行動に移すことで、
やり場のない悲しみのぶつけ所が
できたらと思います。

(コツコツランナー)



メールアイコン 昨年の3月11日、私は入院中で、
退院に向けてリハビリをしている最中に、
大きな揺れを感じました。

病気がわかった時、人は生きて来たように
死んで行くから、これは私の運命だと、
病気を受け入れていました。

地震の翌日から、テレビや新聞を通して、
沢山のかたが亡くなられたのを知りました。
中には0才の赤ちゃんがいました。
地震や津波がなければ、
もっと長生きされたであろう、
100才を目前にしたお年寄りがいました。
我が家の子供たちと同じ年頃の
子供たちもいました。この人たちに
「人は生きて来たように死んで行く」
と言えるだろうか?
私は今、病気と向き合いながら闘っています。

今年の3月11日は、
黙祷から始まる一日になります。

(Kazu)



メールアイコン 3月11日(日)は、
ラグビーの<日本選手権準決勝>を見に
国立競技場へ行きます。

しかも(?)14時から試合開始です。
試合開始前に個人的には黙祷しようと思います。

故郷が、福島の選手も居ます。
故郷の為にも自分の為にも日本の為にも
全力を出し切ってもらいたいと思いつつ
応援したいと思っています。

(K&L)



メールアイコン 私の仕事は土・日曜が休みじゃないので
普通に仕事で、普通の生活の予定です。
あの後、現地にボランティアに
行こうかとも思いましたが、特殊技能もなく、
仕事も二三日しか行けず
しかも腰痛持ちの私が関西から行っても
ただの自己満足という結論に。
じゃあ自分になにができるかと考えて、
忘れないこと、今ここでできることを
しようという結論に落ち着きました。
いまは時々、地元の子供の施設で
お手伝いをしています。
長く続けようとおもっています。

(みみ)



メールアイコン 私は、仙台市宮城野区というところに
住んでいます。
友達、親戚、沢山の人達が大変な思いをし、
今でも大変な思いをしています。
そんな中、私は何の被害もありませんでした。
目と鼻の先に住んでいながら、
こんなにも違っていいのかと悩みました。
そして、「そうか、出来ることから
すればいいんだ」と思い、
建設関係に勤めている私は
仕事で協力しようと思いました。

でも、日が経つにつれ、
胸が苦しくなっていってました。
ちょっと海側を見れば、
まだまだ大変な思いをしている人達がいる、
私はのほほんとしていていいのか。

元気な人は元気に、のほほんと出来る人は
のほほんとする事がいい事だとは思ってます。
うちは海側の様子や情報が
結構入ってくるんです。
次第に、地震や津波の映像をみるのはもちろん、
震災関連のニュースなども
みていられなくなったのです。
「イチゴ作り再会」なんていうニュースは
嬉しいはずなのに、ダメなんです。
ひとつのニュース番組の中で必ず、
ひとつは震災の話題が入ります。
最近はテレビをみないよう、早く寝ています。
ここのところ、震災の特番も
多くなってきています。
目を反らしてはいけないのは
分かってますが‥‥。

3月11日は、何をしたらいいのか、
いまだに分かりません‥‥。どうしましょ‥‥。

(はな)



メールアイコン 3月11日。この日、私は人生で初めてと
言っていい程の恩師の四十九日に出ます。

震災で亡くなったわけではないのですが、
私自身が震災でPTSDになってからの
特別な区切りの様な日に思えます。

本当はお葬式に出る予定が、
泣けて泣けてしようがなく、それはまるで
自分自身が気づかなかった心の内の火傷を
癒すかの様に、思い切り泣きました。

自分は今まで何をやっていたんだろう?
自分は恩師から与えられたものに
応えられる様な歩みをまるで
してこなかったじゃないか!
責める反面、今と成ってはいい日旅立ちです。

少なくとも、私は生きている。
そのことを何よりも実感させてくれた、
あらゆる感情で持って、その恩師の死を迎えに、
そして私もその儀式を境に
PTSDから旅立ちたい、と思っています。

(H)



メールアイコン Twitterでつぶやくと、被災した友人にも
大切な人を失くした友人に申し訳ないので
メールにしました。

3月11日は家にいます。
この日はマラソンがあって、どこに行くにも
コースにぶつかってしまうので、家にいます。

気持ちはこの17年間の
1月17日と同じ気持ちです。
この17年間、
年が明けてもすぐに17日が来るから
あまりめでたい気持ちになれません。
胸が詰まる思いで1月17日が過ぎても、
今度は3月11日がくる。
この先、人生の幕が閉じるまで同じ思いで
過ごすことでしょう。

(c.a.w.)



メールアイコン 私はダンサーです。
311からしばらくは舞台やイベントが
軒並み中止になり、ただ家でテレビを見て
過ごすしか出来ない日々が続きました。

直後は自分が信じ続けてきたダンスが
何の役にも立たないことに愕然としながらも、
衣食住が足りたらその時こそ
自分たちの出番だと信じて、待ち続けました。
間には色々な論争があり、色々な人の
色々な面を見て、自分が何を信じるべきなのか、
長い事迷いました。

1年目を目前にして、信じるべきは自分だ、
という答えがやっと出せたように思います。
とてもシンプルで当たり前の事ですが、
混乱の中で自分を信じる事、それを口に出す事の
難しさを目の当たりにしたからこそ、
改めて思えた事だと思います。
「光のあるほうを向いて行こう」と
言い続けてくれた糸井さんには
大変感謝しています。
自分を強く持つための第一歩として、
インターネットから距離を置くべく、
ブラウザのブックマークを
全て削除しようと思います。ほぼ日を除いて。

3月11日、私は踊っています。
追悼でも何でもない場所ですが、
自分にできる精一杯の踊りをしてきます。
そして3月12日にも、13日にも、
精一杯の踊りをしようと思います。

(z)



 

メールアイコン 前日には花火を見る予定です。
自宅から見えるはずなので、
暖かくしてホットワインでも飲みながら
見ようかな。

去年のあの日は多賀城市の職場にいました。
多賀城市役所そばの避難所で一泊。
翌日に、道を塞ぐ水や車と格闘しながら、
見知らぬ人に助けてもらいながら帰宅しました。
津波が来た線路も歩いたし、
ハリウッド映画みたいな車の山も見ました。

それなのにあの時、
こんなに被害が大きいなんて、
考えてもいなかったんです。

今年は、なにしよう。
まだ決められないんです。
とりあえずは、外に出ようと思っています。

(焼鳥屋で飲んだくれる主婦)



メールアイコン ボストンからです。
去年の3月11日、朝起きてインターネットで
ニュースを見たら日本で大震災が‥‥。
ニューヨークの9.11テロの時と同じ、
それ以上の衝撃を受け、
東京に住む妹家族のことを心配しながら、
ツイッターやネットで情報を集め、
在米日本人の友人たちと電話やネットで
お互いのいてもたってもいられない気持ちを
語り合う一日でした。
これほど海外に住んでいる自分を
はがゆいと思ったことはなかったです。

つい最近、日本の番組が見られる
ケーブルチャンネルと契約したので、
被災関連番組が見られるようになり、
初めて目にする映像の数々に
衝撃を受けています。
また、数ヶ月前からひょんなきっかけで
西條剛央さんの「ふんばろう東日本
支援プロジェクト」の翻訳班の
お手伝いをする機会に恵まれて
ちょこちょこお手伝いしているのですが、
1年近くたった今になって初めて、
震災の規模の大きさを理解し、
今でも普通と呼ぶには程遠い生活を
している方たちが多数いることを
知った気がしています。

今年の3月11日は、これから長い目で
海外からどうやって支援が出来るかなぁ、
と考える日にしたいと思います。
日曜なので、主人や子供と時間を過ごせる
この普通の生活に感謝しながら。

(ゆ)



メールアイコン 去年の3月11日は既に
落ち着かない不安な日でした。
月初めに入院した母の体調がよくなくて‥‥。
両親はいつも、
遠く離れたヨーロッパにいる私には
「帰ってきて」と言いません。
そんな不安な日々の中で突然に飛び込んできた
「大地震・津波」のニュース。

24時間の衛星放送から流れる映像をみて
涙を流すことしかできませんでした。
気仙沼が火の海になってる映像では
どうなってしまうのか、恐ろしさで震えました。
たくさんの友達から「家族は大丈夫か」と
連絡をもらいましたが
地震から遠く離れた実家のある町で、
母は病と闘っていました。

結局、主治医の先生の
「娘さんを呼んでください、なるべく早く」
という一言で
急遽主人と一緒に飛行機を手配しました。

乗り換えのフランクフルトでは
日本行きの便が大混雑で大変でした。
被災された家族の元へ帰りたい人たちで
ごったがえしてたんだと思います。
おまけに手配されたはずの私たちの席は
「予約に入ってない」の一言。

地震とは関係ないけれど、
一刻を争う心境だった
私はそこで泣き叫んでしまったのです。
すると、地上係員が寄ってきて、
とにかく落ち着いて座れと言う。
事情を説明(ドイツ語はできないので
私たちの住むイタリア語で)すると
結局、特別にビジネスクラスに
乗せてくれました。

かつてあんなに長く感じたフライトは
なかったです。空港に無事着いて、
一番初めに募金箱に向かいました。
そういうこと、あんまりしたこと
なかったんですが‥‥。

結局母は春分の日に逝ってしまいました。
亡くなる前の4日間を
一緒に過ごす事ができて、
それだけで十分です。
気持ちが萎えそうになるといつも
「東北の人たちも耐えてるんだ」と
思うようにしていました。

1周忌のためにまた、
1年前と同時期に飛行機に乗ります。
11日は庭に咲いている梅の花を飾り、
お祈りします。

(リンゴママ)



メールアイコン 私は多分、いつもと変わらないその日を
送っていると思います。
昨年のその日、その時、その瞬間までと
同じように、特別でない日を迎えると思います。
偶然にも今年は閏年で、
いつもより1年が1日長い。
今年じゃなければ、
その日は1年目にはならなかった筈の日です。
ですから、1年目ではあるけれど、
その区切りは人が勝手に作ったもの。
それにとらわれることなく
その日を過ごしたいと思います。

ですが、最近、その日が近付くにつれ、
泣くことが増えました。
多分、報道番組を見ながら、
泣いているんだろうな。

(姫海月)



メールアイコン 私は現在、人の話が聴けるようになるために
勉強中です。
いわゆる「カウンセラー」ということですが、
一言で「カウンセラー」と言っても
いろいろな方がいらっしゃるので、私自身は、
本当に純粋に人と向き合って、
話が聴けるようになるために、
あえて「カウンセラー」という言葉は使わず、
「人の話が聴けるようになる人」と
言わせてもらいます。

私は、話が聴けるようになるために、
ほぼ毎週金曜日、京都まで2時間かけて
師匠のもとに通い勉強しています。
(心療内科医で、
 個人でカウンセリングルームを
 開いています)
かれこれ通い始めて2年が経ちます。

昨年の3月11日は金曜日で、
話を聴くための練習を仲間としていました。
テレビなどない場所だったので、
「京都も揺れたから、
 ちょっと大きい地震があった」
程度しかわからず、夜のニュースを見て、
大変なことが起きていることを初めて知り、
関東の友達に慌てて連絡をしたことを
憶えています。

それから、何週間か後に、師匠に
「被災された方の心のケアをしに
 行きたいことはないですか?」
と質問したことがありました。その時の答えが
「お役にたちたい気持ちはあるけれど、
 現実問題、(仕事をキャンセルして)
 現地に行くことは無理。
 だから、今の私にできることは、
 地に足をつけて、
 人の話がしっかり聴ける人を
 育てていくこと。」
とはっきり話されたことが印象的でした。

 あれから1年。3月11日ではありませんが、
今週も金曜日は、
人の話が聴ける人になるために、
同じように師匠のもとに勉強をしに行きます。
1年間で、人の話が純粋に聴けるように
少しは成長していると思いますが、
まだまだ修行中です。いつの日か疲れている人、
悲しい人、がんばっている人など、
様々な思いをもっている方々の気持ちが
しっかり聴けるように、
私も日々進んでいきたいです。

本当の3月11日は、
生きていることを実感しながら、
普段通りの普通の日曜日を
過ごすことと思います。

(のりゆか)



メールアイコン 去年の3月11日は、
一週間前の4日に出産を終え、
母子同室にも慣れて数日経ったところで、
赤ちゃんと私はベッドで一緒に眠っていました。

激しい揺れで目を覚まし、病室の白い壁が
大きく左右に揺れているのを見て、
最初夢を見ていると思いました。

でも、揺れは止まらず大きく、
この古そうな病院の建物は崩れると思い、
帝王切開の傷が痛くてすぐに体を起こすことが
出来ず、このままベッドで仰向けになったまま、
私と赤ちゃんは一緒にいよう。と思い、
また目を閉じたら、心臓が止まりそうなくらい
苦しくなり、その後「怖い」と声が出ました。

赤ちゃんは、隣でぐっすりと寝ていました‥‥
その後、駐車場に赤ちゃんを連れて
避難したときも、赤ちゃんは寝ていました。

あれから、1年が経とうとしています。
赤ちゃんは、すくすくと育ち、
先日一歳の誕生日を迎えました。

今年の3月11日は、上の子の現在8歳の
お姉ちゃんが3歳の頃から希望していた、
習いたい楽器の演奏会に
行くことになっています。

お姉ちゃんは、幼いながらに
「地震があった日に‥‥」と言っていたけど、
その演奏会の後に体験をして
習い始める計画なので、
その日は、お姉ちゃんにとっても特別な日です。

3月11日‥‥今年も去年も、
私は子供と二人でいます。
去年は、赤ちゃんといた3月11日。
今年は、お姉ちゃんと過ごす3月11日。

この子達は、大変な時に産まれ、
育っているのかも知れないと思うと、
私は、ただ今を本当に大事に思い、
大切にこの子達を育てて、この子達の未来が
明るく穏やかなことを、
いつも心の中で静かに願っています。

(t&ah)



メールアイコン 今年の3月11日は日曜日ということで、
嬉しいことに同級生から
呑み会のお誘いが来ました。
出席を躊躇う気持ち、
なんともいえないモヤモヤ。
いつもなら二つ返事なのに。

去年の3月11日は、会社にいました。
某ホテルの広報がある部署だったので、
テレビをつけながら
ツイッターとインターネットで
情報収集をしていました。
地震が来た瞬間から、ただものじゃない!
と感じたのですが、
テレビの中での大津波の映像に絶句していました。
部署の中に石巻出身の先輩がおりましたし、
私の母方のおばあちゃんの故郷が南三陸町、
そして母の従兄弟が南三陸町の
町長だったこともあり、
無事がわかるまでの数日間は
生きた心地がしませんでした。

自分の無力さを痛感したとともに、
当たり前の日常のありがたさを噛み締めました。
ほぼ日やニュースや
被災地からの情報を受ける中で
出した結論がありました。
「いつもと同じように毎日を過ごす。
 でも、悔いのないように生きる。
 そして、震災を忘れない。」

今年の3月11日もその結論に沿って過ごそう、
と思いました。
昼間は実家で家族と過ごして、
黙祷をしたいと思います。
夕方からは高校の同級生と集まって、
楽しみたいと思います。

もう少し、自分のいろんなことが落ち着いたら、
遅いかもしれないけれど、
被災地へ足を運びたいと思っています。

(あぽ。)



メールアイコン この、問いに。
この企画が上がってから、
ずっと書けずにいました。
今も何も浮かびません。

これまで毎晩寝入る前に、自分の・身近な人の・
そして被災された人の・原発や色々な所で
頑張って下さっている人の。
台風で大変な地域の人や雪で大変な人も
その都度想い、私の信心する方に
感謝と次の日の平穏を祈ってきました。

その日実家の父が手術の為の入院をしますから、
私の想いはそちらに大分割くとは思います。
それから、夜勤ルーティーンの主人の心配。
身近な人達や自分のその日の無事。

やはり、被災された東北や関東や中部の‥‥
東日本の方々。
そして、福島第一原発で未だに先の見えぬ中
頑張って下さっている 現場の皆さん。
何事も在りません様に、
これ以上になりませんように。

きっとTVでやっている特番を見たり
主人と話したり色々な事を考えたりしながら、
父の無事を想いながら‥‥
何事も無かった事を感謝しながら‥‥
私のその日を過ごすと思います。

(e-stone)



メールアイコン 3月11日が近づくにつれて、
得体の知れない不安が膨らんでいる事に
気づきました。
あの日、東京の会社にいた自分に、
こんなことが起こるのは驚きでした。

なんとなく気分がふさぎがちであったり、
ちょっとした体調の変化に敏感に気づいて
心配になってみたり。
震災直後からしばらく悩まされた
「かすかな揺れを感じた、
 と思ったららそれは自分の鼓動だった」
という状況もよく発生するようになりました。
そして、去年の3月11日から数日間続いた、
自分の普通じゃない精神状況を思い出して、
「あんな思いはもうしたくない!」
と怯える気持ちもあります。

多分3月11日は様々な報道が直視できず、
意図的にWebやテレビなどのメディアを
シャットアウトすると思います。
忘れないことの重要性は
よくわかっているのですが、
振り返るための手段としては、
私には刺激が強すぎます。
まずは自分の心を守り、
ちゃんと普通の生活を送れるようにすることを、
一番大切に過ごしたいと思っています。

(とくめい)



メールアイコン 10日が送別会なので、二日酔いかもしれない。
福島から離れる人もいるし、
寂しい気持ちでいつつ、
新しい旅立ちを祝いたい。

(@りか)



メールアイコン 11日はバドミントンの練習があります。
その日の体育館が抽選で取れたとき、
しまった‥‥と思いました。
でも練習中でも、きっと今からずっと
2時46分のことを思ってます。
仲間と黙祷できたらいいと思います。
祈る、ずべてに対して、黙祷を捧げる。
そんな3月11日、2時46分。
すでに合掌、そして涙を流す。

(k)



メールアイコン 前日の3月10日に、
夫と一緒に仙台に行きます。
夫はサッカーJ1開幕戦、被災地同士の対戦となる
ベガルタ仙台VS鹿島アントラーズを観戦。
アントラーズには、地元岩手出身で、
震災後いち早く沿岸部を訪問してくれた
小笠原選手がいるので、私も一緒に観ようか
迷ったのですが、
観戦は夫にまかせることにして、
自分は、ストレスから体調を崩して
休職している友人の気分転換になれば、
と、会って
他愛もないおしゃべりをすることにしました。

試合が終わったら、仙台駅前の大型ビジョンで
花火を見て、夕飯を食べて、新幹線で帰ります。
当初は仙台泊の予定でしたが、
夫も私も何となく、
11日は「家にいたい」感じがして、
ホテルをキャンセルしました。

11日は、朝はゆっくり起きて、
ゆっくり朝食を食べて、買い物に行って、
翌12日から夫が1週間出張なので、
その準備をして‥‥
という感じになると思います。

その時間になったら、手を止めて、
黙とうしたいと思います。

自分や自分の身内はほとんど被害が
なかったけれど、友人・知人には
被害を受けた人が何人もいます。
自分がまだ仕事をしていたころ、
岩手県沿岸に3年間住んでいました。
学生時代と夫の転勤で仙台には7年間、
郡山にも1年と少し住んでいました。
夫の実家は福島県です。

被害のあった場所が
「馴染みのある場所」過ぎて‥‥
いろんなことを考えながら、
でも、なるべく普通に普通のことをして
過ごせたらいいなと思っています。

(青海駅)



メールアイコン 友達が出演するチャリティー演奏会を
観に行きます。

(ロン)



メールアイコン 1年前のあの日は仕事が休みでした
年中無休の小売店に従事している私にとっては
なんでもない休日のはずでした
ただ当日、休日の日課にしているジム通いから
早めに帰宅し、自宅からすぐそこの
ドラッグストアで買い物を済ませた直後に
地震があったようです。

あったようですと書いた理由は
気づかなかったから。
買い込んだものを両手それぞれに
持っていたからでしょうか。
ドラッグストアでもらったレシートを見てみると
14:44となっていました

こんなに大きな地震だったのに
後で同僚に聞いたらここ名古屋でも
かなり揺れたよって言っていたのに
私は気づいていない
不謹慎な言い方ですが、
“あの瞬間”を知らない私はなんか
まわりの人からとり残されたとすら思いました。

今日、勤め先で
3日後の3月11日の開店前に
出勤者全員で黙祷することになったと
聞きました。

今年の3月11日は仕事なので
どのタイミングで私なりに
あの日を思いおこそうかと少し前から漠然と
思っていました。
勤務中はTVを見られませんので
“あの瞬間”ジャストは気づかず
過ぎてしまうでしょう。

よかったと思いました
この日、ただこうべを垂れて
一心にたたずむことのできる時間が
持てるからです。与えられたからです。
この震災を共有していかなければならない
同じ日本人として。

(yuka)



メールアイコン 震災後恋仲になった仙台の彼女と
高知で海を見て、
ラジオを聴いてその時を迎えようと思います。

(牛)



メールアイコン いろいろ思いはある中で
「何気なく過ごせる」ことを思いながら
洗濯をし、掃除をし、
ぼんやりとお茶を飲もうと思います。

(n)



メールアイコン お墓参りに行ってきます。
家族みんなを守ってくれたことを、
感謝して‥‥。

そして、募金してきます。
この過ぎてみると、一年あっとゆう間でした。
そして、いまだ鮮明なあの日。
なにげなく、フッと思い出して悲しくなります。
ここ最近になって、思い出したように、
あちこちのテレビで特集されている3月11日。
こんなふうに、一気にやらないで、
細く長く忘れないように、
別のカタチで配信してほしいと思うのは、
私だじゃないはず。
被災者の方々には、当日は、静かに思い出して、
それぞれの一日を過ごしてほしいと思います。

(n)



メールアイコン 3月11日の朝、窓をあけて
吾妻連峰の山々に向かって
福島に本当の空が戻ってくることを祈ります。
子ども達が健康で安心して生きることが
できますように祈ります。
そして生かされていることに感謝します。

(あっこ)



メールアイコン 娘小6女子が、学校の集会で校長から
「3月11日14時46分に黙祷してください」
と言われたそうです。
娘は、その日その時間、隣町のホールで
「百万回生きたねこ」ミュージカルを
演じている予定なので、
「やっている途中で黙祷するのかなあ?」
などと言ってます。

そのときにやるべきことを真剣にやればよい、
と答えました。

初めて子どもに「百万回生きたねこ」を
読んだとき、何年も前のことです、
子どももピンときていませんでしたが、
読んでいる私もイマイチでした。
ずいぶん時間が流れて、
「百万回生きたねこ」ミュージカルを
やることになり、再読してみて、
じいいいいい〜〜〜ん、心にしみいりました。
そして、こどもたちのミュージカルを見て、
さらにじいいいいいい〜〜〜〜〜ん

3月11日、思いがけず依頼を受けて、
隣町でも披露することになりました。
こどもってのは面白いもので、
他意なく一生懸命にやると思います。
それでいいと思っております。

私は多分、自然に涙があふれているだろうな〜。
「百万回生きたねこ」の底力を
見せ付けられていることと思います。
それでいいと思っております。

(ハイジュ)



メールアイコン この「1年」は、
短かったとか、長かったとか、
正直分かりません。
でも、忘れられない。
今でもあの日からの場面場面。色んな気持ち。

わたしの今年の3月11日。
前日の余韻を感じながら、
家で家族と過ごしているでしょう。
1年前を思いながら。

11日の前日は地区の同年会があります。
今までに行われたクラス会や同窓会とは、
各々の心の中で何かが違うんだろうと思います。
8年前の7.13水害や中越地震、中越沖地震、
東日本大震災、新潟福島豪雨災害、
度々の豪雪災害。
災害も続いている中、再会できる喜び。

元気でいる?
元気でやってる?

ささやかな日常の中の1日を抱きしめます。

(c)



メールアイコン 家族で普通に過ごします。
だって、去年は普通じゃなかったから。

(55トリトン)



メールアイコン 先日の「今日のダーリン」で、
福島のことを書かれていたのを読みました。

私も不思議な縁あって、
福島の浪江町の方と知り合いました。
いろいろとお話をさせていただく機会も
ありました。
原発事故の警戒区域だけど、
地震・津波の被災地ということもお会いして、
お話しててあらためて思い知ったんですよ。
「生家もお墓も流された」って‥‥
忘れがちだけど、そうなんですよね。

自分の中で震災の事を考えるときには、
その時に私が被災地に暮らしてなかっただけ、
と考えるようにしていますが、
今週放送されたさまざまな特集番組を見ると、
五感をフルに使って想像するのは難しいなぁ‥‥
とも思います。
被災された方々が、福島に暮らす方々が、
本当に幸せに暮らせる世の中になりますように。
私も微力ながら、また気持を新たにします。

うちのお墓にも、どなたかが時々
故人の好きだったビールを
お供えして下さいます。
それを見かけると、
私は結構うれしくなるので、
私もそれをまねて、お供えがわりに
スコップ団の花火の代金を家族とあわせて‥‥
まったく縁のない者からのお供えだけど
喜んでいただけたら幸いです。

天災の少ないといわれる
広島に住んでいますが、
3月11日は飯島奈美さんにならって、
非常持ち出しの点検などをしつつ
必ず広島にも来る地震に
あらためて備えたいと思いました。

(ちっぷ)



メールアイコン 鎮魂花火を上げる泉ヶ岳のある
仙台市泉区に住んでいます。
今日は朝から雪で山の上は
ずいぶん寒いのだろうなあと思います。

私は震災での被害はほとんどありません。
家も家族も無事でした。
しかし、それでもしんどい一年でした。

雪の中準備されているみなさん、
大変だと思いますが無事、
打ち上げられるよう願っています。

今晩は自宅から山に向かって
静かに祈りたいと思います。

(仙台市 みーちゃんのはは)



メールアイコン 今、東京に向かっています
3月11日、母と勘九郎襲名披露公演の
歌舞伎鑑賞のためです。

母は勘九郎さんの初舞台を、祖母と見に行き、
それが祖母の最後の
一緒の外出になったそうです。

時が経ち、幼かった勘太郎さんが勘九郎襲名。
それを娘の私と観る母、感慨深げです。

祖母と母と三人一緒のつもりで行ってきます。

(ぽむ)



メールアイコン 私は神戸に住み、レストランで働いています。
明日、震災から1年という日ですが
私は、生まれてちょうど1年を迎える
小さなお客様をお迎えし
その子のお誕生日をお祝いします。
被災地の方々にとっても、
前向きな節目となればと心から願います。

(まき)



メールアイコン 昨年の3月11日は都内のオフィスで
仕事をしておりました。
その後、社内結婚をして
産休を頂いている現在です。

この具合ですと、今年の3月11日は
病院で出産に臨んでいるかもしれません。
(いまちょっとお腹が張ってきていて、
 でも初産で時間がかかるので、
 たぶん、そうなります。)

2011年の3月11日を知らずに生まれてきて、
恐らくは私が知ることのない
未来の3月11日を生きていく人間がいるのだ、
ということを思いつつ。

子供じゃなくなるという意味のひとつは、
自分のいない未来をおもえるようになる
ということなのかもしれないな、と。

(濃いめのミルクティー)



メールアイコン ふつうの一日を過ごします。
友達と我が家で集まって、わいわいします。

去年はあの日以降、予定が全部なくなって、
職場の人と家族以外会話する人がいなくなって、
テレビもあのことしかやってなくて、
ストレスがたまりまくって、
そんなとき、えいやって友達と集まって、
わいわい話したことでどれほどすっきりしたか。
そんな友達とまた集まってわいわいします。

(はるな)



メールアイコン 3月11日。
打楽器アンサンブルをやっていますが、
その練習も入らなかったので
家で犬とぼんやりしているかなと思います。
月曜から父が入院しており、
病院にも行きたいのですが
母が行くからいい、と言われそうです。
最近自分の休みがなく、
疲れがたまってきているので
のんびりぼーっとしているのも
いいなと思います。
でも病院には行きたいな。

父と話がしたいです。
少し呆けてきているので、
震災のことなどちゃんと判るか
不安もありますが。
東松島市の実家が取り壊しになったと
先日連絡があったのですが、
父もそれを聞いていたはずなのですが、
覚えているかな?
判らない方がいいのかな?
宮城にいる父方の親戚たちに
電話したいところですが、父の体調が悪く、
話をする事自体しんどそうだし
変に心配かけるのもなんだし
と、うだうだ考えている間に
向こうからかかってきそうな気もするし
どうしたもんだろう。

まあ、明日のことは明日考えよう。

(たろー)



メールアイコン いわき市在住です。
3月11日は午前中早めに
娘の小学校の卒業式用の服を買って、
午後は家族で家で過ごします。
祈って、感謝して、
「頑張ったね、頑張ってるよね。ありがとう。」
と主人と娘をほめて、
そしてちょこっと泣きたいです。

街には「がんばっぺ いわき」の文字が
溢れています。
この前、いつも通る測量会社の2階の窓に
「がんばっぺ いわき」張り出してある続きに
こうありました。
「皆、一年頑張った。」
「ちょっと疲れた。」と‥‥。
なんだかクスッとして
涙がどっと出てきてしまいました。

(ハハハの母)



メールアイコン 岩手県民です。
明日で丸一年が経ちますね。

一年前のあの日は、二日後に控えた
自分の誕生日の事を書いたメールを
地元のラジオ局に投稿したり、
学校のPTA会報を編集したり、
仕事が終わったら病院に通院していた父を
迎えに行かなくては、と思いながら
仕事をしていた、週末の金曜日でした。

停電で仕事が何もできなくなり
帰宅することになったものの、
信号が止まっていたこともあり
職場から車で五分ほどの所にある
病院まで行くのに
一時間ほどかかりましたが
何とか父を連れて自宅に帰ることができました。

二日ほど停電だったのでリアルタイムで
震災の映像は見ておらず、最近放送している
震災特番を見て、初めて知ることが多いです。

実は震災の3ヶ月前に、
父が末期ガンだと告知され、年明けから休業し、
治療を進めている最中での震災でした。
もし病気になっていなかったら、
父は仕事の現場があった大槌町で被災し、
亡くなっていた可能性が高いです。
『そのまま放置して置けば余命半年』と
宣告された父は、治療の効果があり昨日から
職場復帰を果たしています。

忘れたい思いと、
忘れてはいけないという思いと、
もしかしたら父の代わりに大槌へ行った方が
犠牲になったのではという
得体の知れない罪悪感の間で
気持ちが揺れています。
明日は多分、いつもの日曜日として
家の雑用をしながら過ごすと思います。
ふわりと震災のことに思いを馳せながら。

(いわてっこ)



メールアイコン 11日をどのように過ごすのか、
ずっと考えていました。
で、決めました!

江戸東京博物館で展示している
「太陽の塔」の黄金に輝く大きな顔を
見に行くことに!
きっと元気を貰えるでしょう。
力を貰えるでしょう。
そして自分にできることを探して少しでも、
その元気と力をおすそ分けしたいと思います。

(flipper)



メールアイコン 3月11日、普通に仕事をしてると思います。
カナダ在住、バーで働いているので、
仕事中の夜中にコソコソと外に出て、
煙草でも一服しながら
色々な事に思いを馳せたいです。

一年前の地震があったのが
こちらの時間では真夜中でした。
翌日の朝、ニュースを見たカナダ人の友人から
電話やメールで“家族は大丈夫?”と
メッセージが山の様に来ていて、
恥ずかしながらそれで初めて
地震の事を知りました。
即、実家に連絡したのを覚えています。

正直、歯がゆかったです。
何もできない自分に焦り、
遠く離れたところでのんのんと暮らしている
自分に怒りさえ‥‥。
でもそれは間違っていたと
分からせてくれたのは、
カナダの優しい人々でした。
勤務先のバーのカウンターのはじっこで、
いつも一人でのんだくれているおじさんも、
いつもはぶすっとしているバスの運転手さんも、
インド系移民のビルの掃除夫さんまでも皆、
優しい言葉をかけてくれて涙が出そうでした。

(猫女)



メールアイコン 大学生たちの企画に便乗して、
今晩(10日)、バスで出発して明日、
南三陸で1日、がれきの撤去をやってきます。
黙々とただひたすら黙々と。
花粉症で腰痛持ち中年オヤジで、
あまり役に立たないかもしれませんが、
大学生に負けないように、といいますか、
大学生の迷惑にならないように
がんばってきます。

(タロイモン)



メールアイコン 3月11日は1日、
感謝して過ごそうと思います。
特別な予定はないけれど、
今日も仕事にいけること、五体満足であること、
家族と話せること、電気・ガス・水道が滞りなく
使えること、全部にです。
ふつうにお日様の出る平凡な日常が、
じつは当たり前じゃなかったんだと知ったから。

(静岡・久保田)



メールアイコン これからも、東北を応援していきます。
今年、ボランティアに行けたらいいな〜
と思ってます。
明日は静かに3.11を
思い過ごしたいと思います。

(美鈴かぁーさん)



メールアイコン 今年の3月11日は
小4の娘と6か月の息子を連れて
石巻出身の歌手さんのチャリティーコンサートに
行きます。
ささやかですが募金をして、
被災地の方々のために祈ろうと思っています。

去年の3月11日私はのんきな妊婦で、
洗濯ものを取りこんだ後
ほっと一息ついてストーブの前で
たんぽぽコーヒーを飲みながら
本を読んでいました。
その後揺れを感じてテレビをつけたら、

あまりの事にしばらくテレビの前から
離れる事が出来なくなり
夜も眠れなくなり
数日後原因不明の断続的なひどい腹痛に襲われて
妊婦ということもあり、救急車で
県立病院の集中治療室に運ばれました。

数日間入院して、
原因不明のまま痛みは治まって、
普通病棟に移ったのですが
そこで同室の妊婦さん達と、
こんな時だからがんばろうねと
声を掛け合ったのを覚えています。

時々ふっと思うんです。
あの時息子も一緒にお腹の中で
泣いていたのかなぁって。

もう今月で6カ月になります。
かけがえのない時間をささやかな幸せな瞬間を
大切にして生きていこうと思っています。

(もんじゃ子)



メールアイコン 何も予定がなかったら去年と同じように、
自分の住んでいる町の風景を
写真に撮ったりして過ごそうと思っていました。
でも今年は、私が好きでやっている
缶バッジづくりのワークショップを
3月11日に開くことになりました。
どのみち震災とは何の関連もないことをして
過ごそうと思っていましたが、いつもどおりに、
できれば丁寧に一日を過ごしたいと思います。
そしていつもどおりの時間が過ごせることを、
いとおしい瞬間であると感じていたいです。
時間があれば風景の写真も撮りたいな。

(I)



メールアイコン 去年の3月11日。大学院を休学して、
今の職場にいこうと決めて
翌日は面接を控えていました。
研究を半ば放り出す形で、
これでいいのかと自問自答して。
でもどこかでこれはチャンスだ、
とも思っていて。
自分の気持ちも、ものすごく揺れていました。

津波注意報でピカピカ光る沿岸をとおって
面接にいきました。
あのときの、これまで感じたことのない
不安な気持ちは、たぶんこの先も
ずーっと覚えているだろうと思います。

この1年、被災地のために
「これをやったよ!」ってことは
なにもなかったけど、今自分がいるここで、
ちゃんと生きることがきっとまわりまわって
届くんじゃないかと思いながら
暮らしていました。

この先も、それくらいしか
できないかもしれません。
それくらいだけど、ずーっとずーっと、
続けていこうとおもいます。

(まめ)



メールアイコン 学校の教室で地震に会いました。
そのあと、東京や関西のほうに住んでいる友達、
親戚に、地震に関する新聞をつくって
送っていました。

今年の3月11日は、受験も終わったので、
また手づくり新聞を楽しくつくっていようと
思います。

(茨城県に住んでいる、中学生)



メールアイコン 熊本へ避難してきた方々が立ち上げた
マルシェへ出店。
震災で避難してきた多くの方々と過ごします。

(みりー)



メールアイコン 淡々と生きていく
これからどんな事が起きようとも

(ももんがぽん)



メールアイコン 去年の10月からフランスの田舎街で
仕事してます。
若い日本人のパティシエさんを
世に送り出す仕事です。
先日、卒業セレモニーがあり、
来週フランス各地のパティスリーに
それぞれ研修に旅立ちます。

その最後の「グラン・ウィーケンド」
(フランス語でも週末はweek-endと言います)
3月11日は、みんなフランス人の中で
ひとりぽっちで戦う準備の日になります。

日本の14:46はこちらでは早朝6:46ですが、
早起きして黙祷したいです。
そして最後のお楽しみ、
村のグランドを借りてサッカー大会です。

(ほったこ@レイリュー村)



メールアイコン できることをしよう。
この言葉にほっとしました。
私は、忘れないという事と
できる事を探そうと思いました。

昨年はボランティアプラットフォームという
サイトで、気仙沼の避難所から
「小さな子供を乗せるバギー」が
欲しいと書き込まれていたので送りました。
バギーは勿論赤ちゃんのベッドにもなるし、
抱っこに疲れたら乗せられる、
そしてお年寄りがお手洗いに立つ時など、
外の空気を吸いたくなった時にも使えます。
そう手紙を添えて送りました。
いらなくなったもので申し訳ないけど、
これが私にできる事でした。

するとすぐに手書きのお礼状が届きました。
お礼なんていいのに、
手書きの丁寧なものでした。
行けないところにも物だけじゃなく
届けられるものがあるんだなと思いました。
返していただいた手紙にはもっと、
なんだか胸が熱くなるようなものを感じました。

サンテンイチイチ という言い方を耳にすると、
なんだか、なんだかな、と思います。
私は言わない。絶対。
しょうもない事だけど、私は絶対言わない。
さんがつじゅういちにち でいい。


「バレンタインデイのお返しと
 結婚式に着ていくシャツを買いに行くの
 ついてきて」
と夫が普通のことを言うので、
明日はそれについていく事にしました。
普通の日曜日です。

今年からは、
できることを探し続けようと思います。

(タツコ)



メールアイコン ずっとどうやって過ごそうか悩んでいました。

不妊症治療に関わる仕事をしているので、
明日は勉強しようと思います。

自分のできることが少しでも増えれば、
患者さんが新しい命のバトンをつないでくれる。
後輩たちに伝えたいことが増える。
頂いたお金は被災地で
復興に携わる方に託すことができる。

三方よし。

今、自分が未来のために
できることをしようと思います。

関西在住ですが、
東北のことも福島のことも忘れてはいません。
近いうちに、訪ねるつもりです。

(c)



メールアイコン 昨年の、その日は、アメリカにいました。
異国の地で、不整脈を抱えた主人と一緒に。

最近の特別番組を見て、
どんなにか大変なことがおきていたのを
知りました。

アメリカで、
病気の主人のケアをしていた自分も
とても大変でした。

いつ、止まるかもしれない彼の心臓。
あたしよりも彼の方が怖かったと思う。

あれから、1年。
彼の体調は、安定してきました。

私達の1年も復活をかけた1年でした。
違う意味で、大変な1年だったんです。

3・11は仕事です。

仕事ができる喜び、生きる喜びを噛みしめて、
過ごそうと思います。

(ひさえ♪)



メールアイコン 自分がそのときに、何を考えたか、
何を思ったか。
あまり、憶えていない。

大切な地元の、失われていく様を、
まったく何の影響もない沖縄から、
テレビで見ていることしかできなかった、
あの日。

テレビから聞こえる耳慣れた地名。
全部知ってる地名で、
全部行ったことあるところで。
それがなんでかって言ったら、海が好きで、
海沿いでばっかり遊んでたから。

家族とも友達とも連絡が取れなかった
何時間かのことを。
その間、近くで支えていてくれたひとのことを。

それでもやっぱり、海が好きだって、
思ってしまった何ヶ月後かの夜のことを。

この1年を。

いやでも、思い返すだろう、と思う。
そういう気持ちを、抑えるでもなく、
ごまかすでもなく、受け止めて
時間を過ごそうと思う。

大切な人や、ものをなくした人たちが、
それぞれ、自分なりのいちにちを
過ごせるといい。

(C)



メールアイコン わたしは今年の3月11日は
友人たちと飲む予定です。
実は昨年の3月11日もその友人のひとりと
飲む予定でしたが
地震によって停電し、
ライフラインも途絶えた中では
飲みに行くことはできませんでした。

被災地ではない東北の一県ですが、
あの日は電気が消え一晩中
不気味な余震と携帯から鳴り続ける
緊急地震速報で眠ることができませんでした。
そして1週間ほど電車がとまってしまい、
飲みに来てくれた友人が
なかなか帰れなくなってしまったことも
今はいい思い出です。

そんなことを酒の肴に、
3.11をこれからも忘れないように、
特別だと気づかされた当たり前の日々を
噛み締めながら飲んできたいと思います。

(かゆい)



メールアイコン みなさんの明日の過ごし方、読んでいて、
自分はどうするかなぁと、
最近ずっと考えていました。

実家が福島の、南相馬市にあります。
幸い、地震による目に見える被害は
ほぼ皆無でした。電気も水道も止まらず、
ガスはもともとプロパンガスなので、
インフラはすべて生きていたし、
建物が壊れるとか、
そういう被害もありませんでした。
なのに、原発。

去年のあの日は、たまたま会社を休んで、
鮫洲にいました。
自動車免許の筆記試験を受けて、合格し、
免許交付の具体的な手続きについて
説明を受けているときに、
あの悪夢の地震が起きました。

とりあえず一度建物を出て、
そのあともう一度戻り、
一階においてあったテレビで津波が迫る様子を
ただただ呆然と見ていました。
実家に何度も電話をかけても、繋がらない。
幸い海の近くではないので、
津波の被害はないだろうと思いながら、
実家の両親と連絡がとれるまでは、
生きた心地がしませんでした。

地震のあと、実家が福島と言うと、
必ずと言っていいほど、大丈夫?
と言われました。
でも最近は、聞かれないことも
増えてきた気がします。

でも、聞かれてもなんて答えたらいいか
わからず、何度も聞かれてることなのに、
うまく答えが返せません。
放射能を心配しながら、
今も両親は南相馬市で暮らしています。
大丈夫とは言えないけど、
でも生活は続いているし、
とりあえず死んだり怪我したり、
家が壊れたりしてないから、
大丈夫と言います。
いつも、なんか違うんだよなーと思いながら、
早く話題を変えるようにしています。
どう話したらいいか、わからないんです。

これは地震の直後から、
ずーっと、変わりません。大丈夫、心配ないの、って、いつ言えるようになるんだろうか。

明日はたぶん、ひたすら去年のあの日のことを
思い出します。特集番組とかも、
いっぱいみちゃうと思います。
せめて忘れないように、
できるだけ正確に記憶にとどめておきたい。

少なくとも両親から聞く限り、
福島の、原発の影響を受けているところは、
まだまだ復興どころじゃない、
っていう印象です。
長い長い時間がかかるんだと思います。
その長い長い時間で、できるかぎり、
自分のできることをし続けたいと思います。

(志賀)



メールアイコン 15年間使っていた冷蔵庫が壊れ、
新しい冷蔵庫が来るのを待っています。

クーラー、洗濯機、レンジ‥‥
次々に壊れていく家電の中で
最後まで頑張ってた頑固者の冷蔵庫でした。

中を整理すると、使わないままの
手製の酢味噌に、ラッキョウ漬けに、
もろみに調味料各種。冷凍庫からは、
保冷剤に斉吉商店の「おしい金のさんま」と
海鮮どんぶりに、魚久の粕漬けに、
ちりめんじゃこに豚まんに‥‥。
こんなにも使わないままで、
いつか使うはずの食材たちが
押し込めたままにしたのだと、
情けなくなりました。
明日、新しい冷蔵庫が届いたら、
必要な食材と保管を意識する日にします。

そして、早いうちに、
明日が蔵出しの日本酒を買いに行き、
新鮮ないかを買って、
大好きな塩辛作りをします。

(w)



メールアイコン 昨年の3月11日は卒業式でした。
生徒たちと保護者と近くの公民館で
お弁当を食べて、ゲームをして
3時頃帰路に向かう車の中で震災を知り、
その後はテレビに釘付けでした。
父の通夜の10日後でもありました。
受験事務や卒業式に支障のない時期に
旅立ってくれました。
何でもない日をもう父とは
送ることはできません。
震災と父の死で
「何でもない日」のありがたさを痛感しました。
なので、なので、「何でもない日」の
日々の授業を大切にしようと思います。
教科書とともに語るべき内容は
いくらでもあります。
一筋縄ではいかない少年少女ですが、
伝えていきたいと思います。

(くーちゃん)



メールアイコン あの日、鎌倉にいた私を心配して
たくさんの人が連絡をくれました。
携帯の電池がすぐに
なくなってしまうほどでした。
3月11日はそんな私を思ってくれた人たちを
大事にしようと改めて誓う日になると思います。
また、あの日の体験を私に話してくれた
東北の人たちの目を思い出します。
福島に取り残された動物たちの写真を
思い出します。
そして東北だけでなく栄村の人たちにも
思いを馳せたいと思います。
とくべつ何かするわけではないですが、
この一年感じたことを思い返し
たくさんのことを考える1日にしたいです。

(ちー)



メールアイコン
3月12日がわたしの父の命日です。
震災の1年前に他界しました。
今年が3回忌でした。

震災の後、母と話したことがあります。

もう少し父に生きてもらいたかったけど、
1年前にお別れしていて
よかったのかもしれないねって。

父は肺気腫で酸素が必要でした。
震災後の計画停電でいつも停電していた山梨県。
東京はなんで停電がないんだろうと
正直なところ、山梨県の人は
不公平さを感じていました。

自宅で酸素を使用しているときに
停電になったら‥‥そんなことを考えました。
停電で亡くなられた方がいたのも事実です。

3月11日は、特別なことはしないと思います。
いつも通りに生活します。
それが一番いいのかもしれないと
なんとなくそう思ってます。

震災を忘れることはもちろんないけれど、
その時間に黙祷するだけで、後は普通に。

後は、電気を大切にする、それだけかな。

(あづみ@山梨)



メールアイコン テレビはみたくないです。
ひとりで静かにしていたい。

特番だらけの番組への文句が
会社の休憩で出ていました。
それに腹をたてたりするのはやめます。

何かできることがあればいいなあ。
忘れたくはないなあ、と思います。

仕事中に黙祷するようです。
その時は自分ひとりで居るつもりで
しっかりと気持ちをこめます。

(I)



メールアイコン 震災のあった3日後に
待望の赤ちゃんを授かったことがわかりました。
無事に産まれて、4ヵ月になった娘。
3月11日は家族3人で過ごせることに
感謝しながら、
娘がすくすくと育ってくれるようお願いをしに
神社に行こうと思います。

(i)



メールアイコン 去年と同じように、しごとにいきます。

ちょっと違うのは、
その前に新宿伊勢丹にいる斉吉商店さんで
お買い物します。

しごとが終わったら、
実家によってよるごはんを
両親と一緒に食べようと思います。

今日、スコップ団とほぼ日との
天国にぶっ放せの花火を見て、
こころに残ったものは

きになったことは行動にうつそう。
どんなちいさいことでも。

だから、斉藤商店さんも、
「できることをしよう。」で
知って会ってみたいのだから、会いに行く。

そこで、彼らのつくった美味しいものを
食べてみたいから商品を買う。
そんなふうにちいさなことを積み重ねます。

あまりにも、情報だけでわかったふりしてて、
こころはまったくうけいれてなかった。去年。
すっきりできるのは、まだまだ時間が必要です。

それでも新しい1年がまた始まるきもちです。
お正月と3.11。
新たな気持ちになる日がもう1日ふえました。

(f)



メールアイコン 昨年の3.11、まだ元気に話が出来る母と
母の介護を一緒にしている父と私の3人で
家にいました。

私が「地震だ!」というと両親も「怖いね」と。
でも、3人一緒でした。

「こんな時に一緒に居られてよかったね。」

そんな安堵も私たち家族にはありましたが、
TVから流れる惨事の一端から
恐怖と不安でいっぱいになりました。

昨年末にそんな母も他界し、
悲しみに暮れる毎日です。
被災して家族を失ったわけではないですが、
私たち家族にとっても闘いであり、
大きな悲しみを負いました。

でも、昨年の9月に私には家族が出来て、
もう一人の父ともう一人の母と兄と
主人が増えました。
私が悲しみの中でも支えてくれています。

今年、あの日と同じ3.11を迎えますが、
もう一人の両親孝行をしたいと思い、
一緒に出掛けてイルミネーションをみます。
でも、実家にも顔を出して、
母のお仏壇に手を合わせたいと考えてます。

私の3.11は「家族みんなに会うこと」です。
皆様の3.11が
少しでも光が射していますように。

(づっきー)



メールアイコン 皆さんの3月11日の過ごし方を読んでいて
私の中で説明のできなかった気持ちを、
ズバリ書いて下さっていた方がいて
思わず涙が出ました。

> 九州からは何もできないはがゆさばかり
> まったく被害のない
> わけのわからない申し訳なさとうしろめたさ。

『うしろめたさ』。
私の中でこの一年、ずっと言葉にできずに
燻っていたのは、
正しく『うしろめたさ』だったんです。
募金をしても晴れるものではなく、
かと言って、何もしないでいることに

去年の8月。
陸前高田市と大槌町で、
ボランティア活動に参加しました。
その動機は、たぶん不純でした。

なるべく近いうちに、
もう一度東北に行きたいと思います。
短期間しか滞在できない私にも
できるボランティアが今もあるのなら
「ボランティア」として、
短期間では中途半端な役にしか
立てないのなら「観光客」として。

一年経って、私の身の回りにも
大きな変化がありました。

8月のボランティアから戻った時に
「お疲れさん」と迎えてくれた父は
脳出血で倒れ、自由に動くことも、
言葉を発することも、食事を取ることも
できなくなりました。
私の生活も一変しました。

でも、どうしても、もう一度行きたいんです。
きっと父も「行っておいで」と
言ってくれるんじゃないかな‥‥。
と、勝手に思っています。

明日3月11日。
病院で父に、この気持ちを話してきます。

(x)



メールアイコン 日曜日なので、
朝はゆっくり起きることでしょう。
そして震災関係の番組を見ながら過ごします。

沢山の人や動物達の
失われた尊い命のご冥福をお祈りしながら、
去年のその日は一緒に過ごしていた
老猫の事をゆっくり思い出します。

そして気持ちも身体も
のんびりさせようと思います。

(こち)



メールアイコン 今日は3月10日。
私は都内の自宅を離れ、夫と飼い犬と一緒に
温泉に来ています。
3月13日は飼い犬の誕生日なんです。

昨年の今日は、何にもない、平日でした。
そして3月11日、一人と一匹で自宅にいた私は
震度5強の揺れの中、
激しい揺れにうろたえる犬を呼び寄せ、
抱きかかえるのが精いっぱいでした。

次々に入ってくる報道、
度重なる余震に家に一人でいるのが
不安で不安でたまらなくて、
大渋滞の中車を運転して、
夫を迎えに行きました。

ダメなのはわかっていました。
でも、一人が怖かった。
その後のガソリン不足や、
スーパーの棚が空っぽになった時は
たいして不安ではありませんでした。

でも、そんなときに飼い犬の
お誕生日祝いはできませんでした。
そして今年、家族そろって食事ができることに
感謝をして、出来る限り、
この旅行を楽しむことにします。
今回の旅行には、糸井さんの
「できることをしよう」を持ってきました。

静かなところで読みたかったので。
心の中で祈りながら、
私なりのできることをしようと思います。

(カイザーのかあちゃん)



メールアイコン 3.11に関係するかどうかですが、
復興宝くじを買い求め、
チャリティのピンバッチも買いました。

明日は当日ですね。
家にいて過ごしたいですよ。

(デンデラ連)



メールアイコン 花を飾って、一年、お疲れ様!! って
鰻でも食べたいですね。
一年前はお腹の中にいた我が子と、
主人と三人で黙祷して、
穏やかに過ごしたいです。

主人がお腹の中で娘が動いたのを
初めて触れたのが去年の3月11日。
そこからナーバスになって
泣いたりパニクったり
「こんな年に産んでしまうなんて」と
子供に謝ってばかりの日もありました。

でも、あまりにこの世界には、
子供に見せたい物、体験して欲しいこと、
感じて欲しいものが多すぎて、
泣くのをやめました。

常識とか今までの概念がまさにぶっ壊れて、
自分で考えて情報を選んで
どう判断するかの大切さを
教えられる機会だと思う事にしました。

「生きてるって思える会話ができると
 ホッとする」と言っていた自衛隊の友人、
妊娠中に震災で避難民になった友人、
原発の下請け会社に勤務する旦那様をもって、
辛いと誰にも言えずに
世論にずっと息を潜めていた友人、
消防士の旦那様をもつ友人。

色んな立場の友人達。
皆に笑顔が戻ったのが何より嬉しかった
一年でした。

(y)



メールアイコン 1年前の3月11日、
数日前に帝王切開で出産したため
ようやく点滴などがとれて、そろそろと
歩けるようになったばかりの日でした。

歩けるようにはなっていたので、
息子を抱いて避難する事が出来、
その事は不幸中の幸いでしたが、
病院はライフラインが全滅だったので
12日には退院をすることになってしまいました。

傷の痛みも抜けぬ中、
暖房もない寒いアパートの中で
家族3人寄り添って眠った事は
今でも忘れられません...。

とにかく毎日、
気がついたら過ぎていたような気がします。

今年の3月11日は日曜日なので
息子の1歳のお誕生日を
夫の家族と一緒にお祝いします。

無事に息子が1歳のお誕生日を
迎える事が出来たのは
多くの人の助けがあったからです。

感謝しながら過ごしたいです。

(わこあや)



メールアイコン いつもなら一緒に過ごす、
旦那と息子は、今朝からスキーに行きました。
明日は、一人で静かに過ごそうかと、
考えていましたが、それも少し怖くなりました。

ヨガのレッスンに参加します。
ゆっくりと自分の体と向き合っているはずです。
2時46分、一緒のレッスンを受けている人や
先生と、黙祷かな?

こんな日常を送ることが出来る幸せを
かみ締めます。
この幸せを一人でも多くの人と
共有できることを祈ります。

ああ、もうすぐ11日だ。

(Y)



メールアイコン 明日は料理教室があるので、そちらで皆さんとおいしいものを作って食べていると思います。
その時間は街の中を歩いているんじゃないかなぁ。
大きく深呼吸して、空を見上げたいです。

(のはら)



メールアイコン 私の体が暖かいこと、
今日もお母さんに会えること、
性格の優しい犬がいること、
東北の皆さんが脚を伸ばして
お風呂に入れていたら本当に嬉しいです。

出来ることしか出来ないけど、
どうか元気で!

(h)



たくさんのメールを、
ありがとうございました。
「それぞれの3月11日。」のメール紹介は、
これが最終回です。

もちろんこれからも、感じたことや思ったことなど、
いつでも「ほぼ日」へ、気軽にメールしてくださいね。
それでは、また。

2012-03-11-SUN

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