それぞれの3月11日。<4>


ほぼにちわ。

いよいよ今週末、
1年目の3月11日を迎えます。

この日をどう過ごすか、
意識し、考えた結果のメールを
まだまだたくさん、
みなさんからいただいていますので、
今回もこの「postman@1101.comから。」へ
掲載させていただきます。

たくさんのメールを拝読して、
日本人のだれもがこの日、
傷ついたのだ、と感じました。

では、ご紹介いたします。

「3月11日、なにしてる?」

メールアイコン カナダに住んでいます。去年の3月11日も、
トロントで普通の日々を過ごしていました。
確か、朝ニュースを見ていて、
日本で大きな地震があったというのを知り、
出勤前の忙しい時間でしたが、
すぐに日本の実家に電話。
埼玉在住の家族はみな、幸いに無事でした。

会社に行くと、カナディアンの同僚たちがみな
「日本にいる家族は大丈夫か?」と
声をかけてくれました。
でも彼らにとっては遠い国の出来事の
一つでしかない、というのをとても強く感じ、
とにかく落ち着かず、
仕事も手につかない1日でした。
会社で自分ひとりがそわそわして、
でも周りは何事もなかったかのように
過ごしている。
それがなんだかとても不思議で、不気味でした。

日本にいないので、直接的にできることは
余りありません。
でも物事を自分にひきつけて考えよう、
とあれから強く思うようになりました。
環境問題、エコ、しかり。
まずは関心を持つこと。

今年の3月11日は日本に住む両親に
いつものように電話をして
話をしたいと思っています。

(hana)



メールアイコン あの日からしばらくは、
魂が抜けたようになり、
本来の自分ではいられなくなってしまいました。

魂が抜けてもなんにもならない。
誰であっても、大地にしっかり根ざして、
今を生ききることこそが、
最も人のためになることだと思います。

今年の3月11日は、
いつもどおりの私でいます。
あきらめず、前進し続け、
充実して過ごしたいと思います。

(サカモト)



メールアイコン 3月11日、私は家族4人で
いつもと同じ日曜日を過ごしていると思います。

去年の3月10日、
「二人目の子供を授かったかもしれないな。
 明日になったらお医者さんへ行こう。
 いや、明日は子どもの歯医者さんの
 予約があるから、来週になったらすぐ行こう」
と、思っていました。

そして11日。
歯医者さんへ車で向かっている最中に、
車体があまりにブレるので、
パンクしたのかな? と、思ったのですが、
赤信号で停車しても揺れていました。
私の車だけではなく、周囲の車も、
電柱も、建物も。

当然、歯医者さんへ行ってみても、
治療なんてできるはずがありません。

帰ってきたら部屋はめちゃくちゃ。
仕事中の主人は、新宿駅で足止め。
連絡が取れず、帰ってきたのは
翌日のことでした。

計画停電が始まり、産婦人科へ連絡しても
初診は受付してもらえず。
数日経ってやっと妊娠を確認することが
できました。

それからも、赤ちゃんや子供が危ないとか、
西に逃げた方が良いとか、
放射線関連の色々な情報が飛び交い、
「今、妊娠してていいのか・・・?」
とまで考えたこともありました。

そんな中、ネガティブな情報に
引きずられることなく
妊婦を続けていられたのは、
ほぼ日で毎日紹介されていた、
中立的で前向きな情報のお陰だと思います。

そして、11月に元気な男の子が
やってきてくれました。

3月11日、昨年はまだちっちゃなタマゴだった
新しい家族と、4人で同じ日曜日を
過ごしていると思います。
普通の日を過ごせることに感謝しながら。

(ハハは毎日筋肉痛)



メールアイコン 偶然ですが、先月の20日に
90歳と三ヶ月で亡くなった、
父親の仏壇が届くのを、待ちます。

(u)



メールアイコン 去年の3月11日は、
昼から娘の保育園の説明会で、
九州にいる私は地震なんて起きたことも知らず。
その後なんだか色んなことがこわくてこわくて
不安でたまらないとき、
母の「こわがるだけでは仕方ない。
だから何があってもいいように
心構えをしとかないとね。」という言葉に、
落ち着きを取り戻したのでした。

今私は仕事を休んでいます。
2週間ほど前に流産してしまったのです。
週数が進んでの流産だったため、
産休という扱いになっています。
赤ちゃんが亡くなったことは、とても悲しく、
寂しく、ショックな出来事でした。
しかし、いけない考えかもしれませんが、
「311よりずっといい。」と思ったのです。

赤ちゃんは、きっと、
最善の選択をしてくれての今、なのです。
逆に心配になるくらい、
今回のことをすとんと受け止めている私です。

今年の3月11日もまだ産休中です。
何をするでもなくぼんやりと
だらだらとやり過ごしているような毎日。
その日もいつもと同じように、
でも祈りをこめて、過ごすと思います。

(a)



メールアイコン インターナショナルスクールに
通っていた子ども。
誰にも一言も、一目も会わずに
別れることになりました。
大使館や海外からのニュースに煽られて、
不安で一杯で逃げるように
夫の母国へ帰国したのは、
疚しいような思いもある悲しい思い出です。
避難してきた時は、
引っ越すつもりじゃなかったのに、
もうすぐ一年。
皆どうしてるかなー、とよく考えます。

(c)



メールアイコン ほぼ日の2月29日の過ごし方を見て、
思いついたんですけど‥‥、
3月11日は「さぼります!」

さぼって、大学(今働いて、住んでいるところ)
のキャンパスで、ぼぉーっとします。

亡くなった方が、向こうで楽しそうに
してるところを思い浮かべたり、
今被災地にいらっしゃる方が、
楽しそうに働いたり、暮らしたりしている姿を、
ぼぉーっと 思い浮かべてすごしたいなぁ。

天気がいいといいのになぁ。

(zuzu in 中国)



メールアイコン 私の自宅マンションは全壊しました。
でもまだ一年前の状態のまま
壊される順番を待って
ずっと時間が止まっています。

私自身はあの日から避難先を転々として
やっと住民票を移せる住まいに落ち着きました。
仕事も一年間していません。
雇用保険も終了しました。

でも、この一年 無くした物は多かったけど
得た物気づいた物は計り知れませんでした。

3月11日。
私は立ち入ることも出来ない壊滅した我が家を
もう一度目に焼き付けて、
たくさんの方々から頂いた
尊い優しい気持ちを胸に、一歩を踏み出します。

この日から、ここから。
また新たな人生の始まりです
だから少し気持ちが興奮しています

後ろ向きは歩き辛いですから、
前を向いて歩き出します

(恵方巻子)



メールアイコン 私は父と二人暮らしをしています。
父のお世話のために
介護サービスを利用しながら、
私は仕事を続けています。

昨年の3月11日、新橋にある職場で
働いている最中に地震が来ました。
そのビルは古くて、
5階建ての5階だったせいか、揺れも大きく、
本棚が倒れたりして、また、壁に亀裂が
入ったりして、かなり怖かったです。
携帯だけを握りしめ(慌ててお財布を
忘れてしまいました!)、
近くの大きな駐車場へ避難しました。
うちへ電話しても通じなくて、心配でしたが、
夕方、ヘルパーさんと連絡が取れて、
父の無事が確認できました。
ヘルパーさんが「お宅はテレビが落ちたり、
食器が割れたりはしていますが、
お父様は特に怪我もなく、
落ち着いていらっしゃいます」と
話してくれたので、安心しました。

ヘルパーさんが、地震のあとも、
予定通りにうちへ来てくれて、
本当にありがたかったです。
いつも、ヘルパーさんに夕方来てもらうと、
夕食を食べさせてもらって、ふとんを敷いて、
パジャマに着替えるところまで
やっていただきます。
だから、その日、私は無理して
自宅のある横浜まで歩いて帰ることは
すっぱり諦めて、新橋の知人宅へ
泊めてもらうことにしました。
別の言い方をすれば、父を見捨てました。

父は認知症ですが、わりとおとなしく
ぼんやりした症状の認知症なので、
夜遅く私が帰ったときには、ふとんに入って、
テレビをつけたまま寝入っていることが多く、
たぶん、いつものように、
そうしているだろうと決め込んで、
私は無理して帰ることはやめたのでした。

そして、翌日、帰ると、予想した通り、
いつも通りの父がいました。
本棚から落ちた本の山は、
壁際にきっちり揃えて並べてありました。
父は、なんでもきちんと並べたり、
きちっと角を揃えて
たたむクセがあるので(苦笑)。

その後の日々は、地震警報が鳴ったり、
余震の度に、私の胸は早鐘のように鳴って、
不安で胸がキューッとするのですが、
怯えるでもなく
「あ、揺れてるな‥‥」くらいのノリで、
のほほんとした父がそこにいるだけで、
胸の早鐘が静まっていきました。
父に支えられた日々でした。

今年の3月11日は、翌日から私の仕事が
忙しいため、父をショートステイの施設に
預かってもらいます。

いないと心細いけど、父を送り届けたあと、
11日の午後は、うちで縫い物をしたり、
クッキーを焼いたり、静かにささやかな楽しみを
見つけて過ごしたいと思っています。

そして、体をもつもの、体をもたないもの、
たくさんの存在が体験したこと、つらい思いも、
心の奥へ閉まったままの悲しい思いも、
早鐘のように鳴る胸の不安も、
たくさんのどんな思いも
みんな癒されるようにと祈ります。

(いずみ)



メールアイコン 今朝、新聞(岩手日報)の黒枠に、
遺族の心の区切りをつけるため、
震災で行方不明になった奥様の
お別れの会をする、というのが載っていました。

喪主の名前は、中学校の同級生。
喪主も故人も高校の先生です。
心の中で一瞬、
『一回りも年下の奥さんかよ!』と
突っ込みかけて、そんな場合ではない、
と胸が痛くなりました。

自分には直接被害はないけど、
こういうことがあると、
やはり他人事ではない、と思います。

思いを新たに、祈ろう。

(そま)



メールアイコン あの日から何度泣いたでしょう。
岩手出身と初対面の方に言う度、
大丈夫だったか心配していただき、
大丈夫じゃなかったために返す言葉に悩む、
そんな日々でした。

大学四年生だったため、進路や卒論、
向き合わなければならないことが多く、
現地に行きたいけれど
行けない自分の価値について
思い悩んでしまっていました。

復興には何十年かかるから、
今は勉強して心理の専門家になって
今後力を尽くそう。
そういう答えに辿り着けて、
なんとか前を向けるようになりました。

3月11日は学会なので
沢山学んでると思います。
夜は大切な人とテレビを見ながら
未来について話そうかな。
頑張るからねってちゃんと伝わるといいな。

(p)



メールアイコン 3月11日はサッカーJリーグの試合を
観に行きます。
シーズン開幕戦です。
キックオフ時間が14時からなので、
14時46分は前半が終わる頃かもしれません。

「その時」が試合中なんて!
とは思いましたが、
わたしのように毎週毎週
どこかのスタジアムに行く人間たちには、
サッカーを楽しむのが日常です。
日常なのでそれを楽しんできます。

開幕戦はいつもドキドキわくわくですが、
今年はどうでしょう。
複雑な気分になるかもしれません。

試合前にはスタジアム全体で
黙祷をすると思います。
遠く離れてしまったサッカー仲間に
届くようにお祈りします。

(ゆう)



メールアイコン 私は、バースデーケーキ配達の
ボランティアの予定を入れました。

沿岸被災地の真っただ中、
一周忌や、様々な鎮魂の集まりがあって
悲しみも新たになる震災一色の日でも、
お誕生日はお誕生日。
お祝いしていいと思うんです。

でもやっぱり配達する方も
そんな思い入れを持たざるを得ない特別な日。

もちろん周りの方に配慮はしつつも、
いつも以上に丁寧に気持ちを込めて
「おめでとうございます」とお渡ししたいです。

(S)



メールアイコン 今年の3月11日は
夫と息子と一緒に買出しに行く予定です。

震災当日は東京の郊外にある自宅にいました。
当時4ヶ月になる息子を抱えて
自宅のテーブルにもぐり
大きな地震の揺れに耐えていました。
経験したことのない揺れに不安になり、
いい大人がテーブルの下で
泣きべそをかいてしまいました。

地震の後は電話・携帯が不通となり、
さらに不安になっていたところ
地元企業に勤める夫が息を切らせて
様子を見に帰ってきてくれました。
「あーよかった」と安堵したのもつかの間、
「ごめん、まだ仕事あるから会社戻るね」
と言って、夫はまた駆け足で
会社に戻っていきました。

一度は地震が怖くて泣いた私でしたが、
冷静になって考えれば
家には食品や飲料など何の備えもなく
傍らにはまだミルクしか飲めない息子がいます。
しっかりしなきゃ、と気を持ち直して
その後すぐスーパーに行って飲料、食品、
おむつ、ミルクを買いに行きました。
備えあれば憂いなし、とはよく言ったものです。

3月11日は犠牲となった方の
ご冥福をお祈りしつつ、突然の災害がきても
家族が困らないように家の備えを万全にすべく
買出しに行きます。

(なお)



メールアイコン 去年の3月11日、私は会社にいました。
長く揺れて、背後のキャビネットが
ガシャガシャ言って、
ファイルが飛んできたら危ないよ! なんて
皆でデスクの下にもぐりこみました。

その時は、事態が分かっていなかったのです。
長かったね、震源地はどこだろうね、なんて‥‥
ですがそれから入ってくる情報は、
とんでもない情報ばかり。
現実味の全く持てない情報、
けれど都内の交通も麻痺、
携帯電話もつながらない。
家に帰れず、会社のソファの脇で
丸くなって寝ました。

数日後に控えていた結婚式も、
延期となりました。

それでも、私は不自由しなかった方です。
友人は市役所勤めで、液状化や
ライフラインなどの問題で
どれだけ歯がゆい思いをしたか知れません。
仙台で被災した友人も、
「死」をたくさん感じたそうです。

きっと苦しかったと思います。
私はただ、毎日自分の生活しかしていなかった。
精々、募金をする程度だった。
現地で何かしたわけでもない、
何か叫んだわけでもない。
節電しながら普通に生活しようとする、
それでいいのかと思ったこともありました。

今年の3月11日は、日曜日ですね。
3月末にダンスの発表会があるので、
多分その練習をしていると思います。
花火を気にしながら。

帳尻合わせのような2月の最後の日、
今日はとても寒いです。東京でも朝から雪。
東北の皆さんは、どうしているのかな。
天国の皆さんは、寒くないかな。
気にしながら、会社でこっそり
このメールを打っています。

(春巻き)



メールアイコン 2011年3月11日
あの日の朝、私達は婚姻届を市役所に提出し
夫婦になりました。

5年前に付き合った記念日に入籍しようと
ずっと前から決めていた3月11日でした。
私達の結婚指輪にはその日付が刻まれています。

その日は被災された大勢の人たちにとって、
日本中、世界中の人たちにとって
深い‥‥深い意味のある日になりました。

あれから一年、あの日夫婦になった私たちには
もう1人家族が増え、その家族という言葉が
あの日のあの出来事によって
さらに大切で愛おしい言葉になりました。

3月11日
私達は3人で結婚記念日を静かに祝います。

(h)



メールアイコン 地元消防団に入っていて
今年の地域の防災訓練日が3月11日。
2つの川に挟まれているので、
津波が来た事を想定しての訓練もします。
いつも以上に地域の皆さんに
参加してもらいたいな。

昨年のあの日は帰宅困難者となり、
翌朝まで会社にいました。
消防団の仲間は地元で交通整理をしたり
見回りをしたりと大忙し。
会社にいた何にもできなかったのが
申し訳なくって。
それ以来地元だけでなく、会社周辺の消火栓や
AEDのある所をチェック。
女の私でもいざという時は
放水できるよう訓練させてもらっています。

(P)



メールアイコン 去年の3月11日は、私が絵画講師として
毎週通っている幼稚園の卒園式でした。
講師ということで、来賓扱いで、
壇上に席をつくっていただき、
卒園児たちを見渡して、
最後は涙がとまりませんでした。

幼稚園を離れる淋しさはちょっぴりあっても、
感傷にひたるのは、主に教師と
保護者の大人だけで(笑)、
こどもたちは、もうすぐ小学生になる期待に、
わくわくと未来だけ見て、瞳を輝かせてます。

そんな素敵な卒園式に参加したあと、
ちょっと風邪気味
だったこともあって、家に帰ってから、
珍しくお昼寝をしていました。

目が覚めて、家族から東北の方で
地震と津波があったようだと聞いても、
最初は事の重大さがのみこめず、夜になって
テレビをつけて、呆然としてしまいました。

ただひたすら、何も考えられず、
どうか避難してる皆さんが助かりますようにと
祈るばかりの週末でしたが、ふと、
卒園式のこどもたちのことが浮かびました。

ただただ幸せいっぱいで、
光るような笑顔のこどもたち。

きっと東北の幼稚園でも
卒園式はあったでしょう。
もうすぐ一年生! とランドセルを用意して、
わくわくしているこどもたちが
たくさんいたでしょう。
そんな子たちも、被害にあってる。

とたんに、涙があふれてとまりませんでした。

九州からは何もできないはがゆさばかり、
まったく被害のない
わけのわからない申し訳なさとうしろめたさ。

そんなとき、糸井さんが、
中止になった九州新幹線のCMを
紹介してくださいました。
そうです。九州人はいっつも
あのCMをみてました。
地震がなければ、この週末は新幹線開通で
お祭り騒ぎをしていたはずでした。
私の友達や、生徒たちも、
あのCMに参加してました。

東北までは乗り換えないといけないけど、
あんなふうに、ずっとつながってるってことを
実感しながら、いつか東北に行きたいです。

今年の3月11日は、己の絵の〆切があるので、
アトリエに籠っていると思います。
何もできないけど、去年のことを思い出したい。
そして、これからの自分に何ができるか考えて、
できることをしていきたいです。

(のんのん)



メールアイコン 私は、動物愛護団体から
犬を里子にするために正式譲渡に行きます。

昨年の地震後に、結婚を決意する女性が
多かったという記事が新聞に出ていました。
一人でいるとやはり不安があるのでしょうね。

私も一人暮らしですが、
前から飼いたいと思っていた犬を
飼おうと決心しました。
それも、お金を出して仔犬を買うのではなく、
動物愛護団体が保護している、
一度捨てられた犬を。

ほぼ日で紹介されていたmignonの譲渡会に
何度か足を運び、チワワの女の仔
(といってももう7歳くらいだそうですが)に
出会いました。

ブリーダーに何度も仔犬を生まされた挙句に、
年をとったので捨てられたような仔です。
とても恐がりな仔ですが、
我が家でトライアルを始めて約3ヵ月が経過し、
最近は結構甘えてくるようになりました。

東京でも余震がありますが、震度3位なので、
彼女は割と平然としています。
まだ正式譲渡の手続きをしていないのですが、
3月11日は丁度mignonの譲渡会の日なので、
その日に手続きに行くことにします。

(Angy mama)



メールアイコン 私は去年と同様に仕事です。
去年は日本から遠くにいる自分がもどかしくて、
連絡の取れない親戚が心配で、
原発のことが気になって気になって、
うまく眠れず泣いてばかりいました。
でも、仕事は子供相手で泣く訳にもいかず、
無理して笑っていました。

あれから早一年。
祖母の家族はいくつかの引っ越しを経て、
古くて取り壊し予定だったという
公務員宿舎に入る事になりました。
母が楽しみにしていた還暦の高校同窓会は
延期のまま。
祖母の家から10km圏内の原発も
未だに収拾がつかず。

早一年、だけどまだまだ先があるので、
ある意味やっと一年です。
私は今年も日本から遠く離れた所で、
家族を思いながら、今自分に出来る日常を
細々とこなすだけです。
でも、心は、日本に寄り添っています。

3月11日のその時間は、
こちらで一人で黙祷をします。

(ひとみ)



メールアイコン 仙台市と山元町の間くらいの場所で
花屋で働いています。

あの日の後、数日で再開しました。
そうしたら、「棺のお花を」と
お客さんがおっしゃるんです。
はっとしました。
普段のお客さんの他に、
安置所に行かれるお客さんが来られました。
人数はまちまちですが再開した日から毎日、
1ヶ月過ぎても続きました。

南相馬に届けるとおっしゃった方も
いらっしゃいました。

この事から仙南もひどいけど、
三陸の方はもっと大変なのに
どうしたんだろうと、テレビで見る映像で
お花を探していました。
見つけては、誰かががんばって
人の想いも届けていると泣きそうでした。

3月11日も仕事です。
お客さんの大事な方を想う気持ちを、
いっぱい見る日だと思います。

(どんな時でも花が咲く)



メールアイコン 普通に過ごします。
この一年、自分はどうやって死ぬのだろうって
いつも心の隅で考えていたから
3月11日もきっと、同じ事を考えながら
普段通りに過ごすと思う。

(t)



メールアイコン この日は、名古屋の
ウィメンズマラソンに参加してます。
初のフルマラソン!!
大好きな人たちが、
ゴールで待っていてくれます。

(y)



メールアイコン 去年の3月11日は長野・安曇野にいました。
ずっと休みがとれなかった旦那さんと、
当初の予定は12日からでしたが、
急きょ前々日に予定が変わり、
11日から出発することになりました。
前の年も同じころ同じ場所に旅したのですが、
大雪で帰りの車が大変だったので
今回は電車で東京から松本まで行き、
レンタカーで安曇野に入ることにしました。

もし、当初の予定どおり12日からだったら、
職場の離れた私たちは帰宅難民となり
その日のうちに帰ることは
できなかったでしょうし、
長野でも地震が起きて電車も止まり
身動きがとれなくなったことで
「とりあえず東京帰らずここにいよう」と
予定どおり2泊することにしたのでした。

地震のことには大きく触れず、
いつものように静かに迎えてくれた宿、
何度か通ううちに顔見知りになった
お店の方々との時間が
ざわざわと波立つ心を少し静めてくれたことを
思い出します。

ずっと忙しくてなかなか二人の時間が
作れなかった私たち夫婦が
3月11日から数日間ずっと
一緒に居ることができたことは、
少し奇跡だったかもしれない。
あの日を振り返るたび、
このことに感謝しています。

今年の3月11日。
震災のあと、自分の仕事をほっぽり出しても
現地に駆け付けたい気持ちでいっぱいでしたが、
初めは命に関わる現場、専門職しか募集がなく、
歯がゆい思いをしていました。
その時から
「こんなとき、少しでも力になる技術を
 身につけたい」と思い、
やっと腰を上げたのが12月。
今、仕事の休みの週末に
ヘルパーの資格を取るべく勉強しています。
3月11日はまさに通学の最終日。
そのあと、施設での実習が終われば
資格が取れる予定です。
きっといつもと変わらず授業を
受けていると思いますが、
あの日の偶然に感謝して、
そしていつか差し伸べることが
できるだろう自分の微力な手を信じて、
今年の3月11日を過ごしたいと思っています。

(M)



メールアイコン このコンテンツを目にしてから、
毎日3月11日をどう過ごそうか、
ずっと頭の片隅で考え続けてきました。

自分は今、東北にいて
復興支援の仕事をしています。
5月中旬から現地に入って今に至りますが、
海辺の瓦礫が少しずつなくなり、
さら地が出来て、夏草が生い茂り、
茶色く枯れ果て、雪が降り積もり、溶けていく、
という過程を見てきました。

また、現地で暮らす中で多くの方々に出会い、
それぞれの3月11日、
そしてこれまでのお話しに耳を傾けてきました。

そんな日々の中で、きっと3月11日は
式典に招かれたり、現地を回ったり
しているんだろうな、と思っていたのですが、
この週末は東京にいることになりそうです。

3月11日は日曜日で、クリスチャンとして
日々東北で接している方々のために、
自分の教会で祈りたいと思います。

それから、久しぶりにずっと離れていた
大切な人たちに会いたい。

どっぷり被災地に関わっていましたが、
少し息をつきます。

(たま)



メールアイコン 私、誕生日だったんです。
今年もそうなんですが、なんだか
うまくいえません。

(s)



メールアイコン どう過ごそうか、いや正確に言えば、
どうやり過ごそうか、真剣に考えています。

わたしは、昨年の1月くらいに
ウツ病が悪化して、ダウン。
ようやく3月に会社復帰したところ、
3日後、大地震。
高層のオフィス(31階)で
それは怖ろしい思いをしました。
その後、せっかく回復したウツが、
最悪の状況に。
被災地どころか、東京ですのに、
地震がトラウマになってしまったのでした。

余震が続く中の闘病はなかなかうまくゆかず、
いつまた揺れるか一日中緊張しているような
状態が続きました。
薬も飲み、
最新のカウンセリングも受けました。

ようやく今、休職していた会社に
復帰しようとしています。
まるごと1年かかりましたが、
3月11日は本当に心配です。
また、心のバランスを崩すのではないか?

日本医師会がマスコミに、
津波の映像を使用しないように
通達を出したそうですが、
まったく同感です。
わたしはまだ、瓦礫の映像も見られない。

3月11日は地元の神社に
お参りに行く予定です。
テレビも新聞も遠ざけようと思います。

現実を受け入れることは大切なことですが、
物理的に無理な場合もあります。
忘れたわけではありません。
むしろ忘れられなくて苦しんでいます。
そんな人たちがたくさんいるでしょう。
復興にがんばっている人たちには、
申し訳なく思いますが、
もう少しお時間を頂けたら、
わたしなりの支援を考えます。

(s)



メールアイコン まだ予定ありません。
このごろ浮玉ベースボールの練習が
多いのですが、今回は休みです。

きっとたくさん録ってずっと残してる
震災直後やその後の番組見るかもしれません。
生活の基盤である家や仕事を
いきなり奪われることの大変さと
大事な人を失っても
生きていかなくてはならないとは
どのような気持ち、心の苦しさなのか、
そのあと
どのように生きる支えを見出すのか、
それを身近に考え続けていきたいと思います。

(f)



メールアイコン おととしの3月11日、
家族だった愛犬が他界しました。
そしてその年の12月には義父を、
翌月である1月には義母を病気で看取りました。
そして去年の大災害。

幸い地震の少ないと言われている
九州に住んでいますが、
家族やかわいがってたペットを
亡くした人の痛みは我が家にとって、
決して他人ごとの日ではありません。

今年の3月11日、去年の災害を期に
非常用持ち出し袋を用意したので
毎年3月11日には それを引っ張り出して
中身のチェックをしようと思っています。

と同時に、
3月11日 義両親が眠る我が家の手次寺で
お彼岸の法要があるので、初めてですが
参加してみようと思っています。
恐らくですが、法話の中で災害のことにも
触れられるんじゃないかと思います。

亡くなった家族と愛犬と、
災害で亡くなった多くの方たちに
祈りをささげてこようと思ってます。

(Y)



メールアイコン 私は3月11日
庭に苗木を植えようと思っています
(薔薇かオリーブか姫林檎か‥‥ですね)。

あの日あの映像を見て
「生まれてくる孫の為に!
 復興する被災地の為に!
 そして再生を始める日本(経済)の為に」
成れよと、その後少々パニックに陥りながら
太陽光発電機を目一杯頭に乗っけた
家の新築に費やした2011年でした。

夢から覚めた気分でいま
その家に孫を含めた家族全員で
暮らしていますが、まだ住めたはずの家や
大切に育てて来た庭木の面影や息遣いが
頭と心を離れません。
津波や原発という暴力的な破壊者を
憎んだはずなのに、気が付けば自分が
小さな破壊者に成り下がって居ました。

何か混沌とした気味の悪い思いが
まだ胸の奥にくすぶっていますが、
孫の為に地震に強い家を建て直したのだから
後悔しないように自分で言い聞かせています。
でも、生かせてやれなかった木々に対する
懺悔の思いが、事の外強いのです。

しかし、考えてみれば、かの被災地では
そんなちっぽけな懺悔なんて水泡の様なもの。
理不尽に家も庭の木々も暮らしも、
そして大切な命も奪われてしまった人々を思うと
何ともやり場の無い思いや虚無感にかられます。
そんな状態で、いったい自分は何を出来るのか?
何をしたいのか?
真剣に考えた結果が
「庭に木を植える事」でした。

もちろん一度失われた命が戻る事は
有りませんが、新たな息吹きを生み出す環境を
整備して行く事が今は使命の様に思います
(春に虫や鳥達が遊びに来れる様に)。

まずは自分の庭から始めます
(もう初めていますが)。
そして毎年3月11日には必ず何処かに何かを
“植えて”行きたい。
何年か先には被災地にも‥‥そう思っています。

(青龍)



メールアイコン 前日の10日に仙台入りをし、
現地には行けませんが、市内で鎮魂の花火を
見届けようと思っています。
震災後初めての現地入りです。

スコップ団がスコップ団と名乗り始める
ちょっと前‥‥という頃から遠く離れた地で、
自分が出来る応援を続けてきました。
この1年の自分のしてきた事の区切りを見届け、
11日。
黙とうを捧げたら、家に帰ろうと思います。

そして、再び遠くの地からですが、
皆さんの活動を応援していこうと思います。

(hayachi)



メールアイコン あの日、高齢になる親の安否確認がとれず
東京を飛び出し、気仙沼の実家に向かった。

26時間運転している間、
ずっとメールや電話で支えてくれた友人への
感謝と、足が悪くて避難もできず
津波で被災した家の2階で、
一人寒さに耐えながらじっと助けを待っていた
親に会えた安堵感、瓦礫と化した景色、
ヘドロと火災の煙りが混じった嫌な臭い。
一日中鳴り響くサイレンやヘリコプターの音。

3月11日は全てを思い起こし、
亡くなった方への献花のため帰省し、
親と牡蠣鍋をつつける幸せを噛み締めます。

(r)


ありがとうございました。

これ以上、
この災害で傷つく人がありませんように、
祈るばかりです。

次回もまた、みなさんからの
「3月11日、なにしてる?」をご紹介する予定です。

では、また。

2012-03-07-WED

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