それぞれの3月11日。<3>


ほぼにちわ。

先週に引き続き今回も
みなさんからメールでいただいた
先週この「postman@1101.comから。」で
「3月11日、なにしてる?」をご紹介いたします。

募集しているのは
来る3月11日の迎え方なのですが、
それを考えるにあたり
思うのはやはり、あの日の自分のことのようで、
直接、間接的に被害を受けられたみなさんの
それぞれの生々しい状況が届き続けています。

有名になってしまった、水に覆われた仙台空港の、
あの敷地の中にいた、という方も
いらっしゃいます。

みなさん、どのような思いで
あの日から過ごされたのでしょうか。
そしてどう3月11日を迎えられるのでしょうか。

では、メールをご紹介いたします。

「3月11日、なにしてる?」

メールアイコン 小学校4年生の長男なおむしは、
先日から悩んでいました。
3月に私たちの地区で駅伝大会があるのだが、
その大会では「小学生の部」もあって、
このあたりの小学校から
希望者で作ったチームがたくさん出場します。

今年はなんと、3月11日が駅伝の日とのこと。
実は昨年も駅伝大会があって、
なおむしはエントリーしていました。
学校が終わってから
1時間ほど行われる練習にも参加して、
やる気満々ではあったのですが、
3.11の地震・津波災害の影響で
中止になりました。

今年も参加したい気持ちは山々なのですが、
彼の中での問題は「3月11日に大会がある」
ということなのです。
あの地震・津波の災害から1年。
ちょうど1年が経過したその日に、
ぼくたちはこんな楽しいイベントなんか
やっていていいんだろうか?
それが彼の悩みでした。

なおむしがどんな答えを出すのか、
しばらく見守っていようと思っていたら、
先日申し込み期限ギリギリで
なんとか答えを出しました。

「参加する」そうです。

「たぶん、この日に家にいて
 過ごしたとしても、きっと何をするでもなく
 過ごしてしまうだろう。
 そして、もしもボクが参加しなくても、
 駅伝大会は何事もなく開催されるだろう。
 それなら、駅伝に参加して、
 みんなと一緒に黙祷をして、
 自分たちもこれから東北の人たちと
 一緒に頑張るんだという気持ちでもって、
 一生懸命走る方がいいんじゃないか?」

という理由でした。
「頑張る」という言葉の使い方。
「一緒に」っていう言葉を簡単に
使ってしまってはいないか?
本当に、そういう気持ちでキミは走れるのかい?
ってとこ。
色々気にはなりましたが、
10歳のなおむしなりに考えたことには
変わりなく、これが今の彼が出した
答えでもあります。

3月11日、どんな走りをなおむしが
見せてくれるのか、私もなおむしと
同じ気持ちで見守りたいと思います。

(うっど)



メールアイコン 3月11日はなにをしているか。
3月16日に東京で開催される
ギターコンペに出演するので、
ギターの練習をしていると思います。
仙台の友人知人はギター関連ばかりです。
ギター弾いている限りは
仙台とのつながりは切れないんだなと。
よく考えたら自分に
ギター以外の特技は無いわけで。
もっともっと上を目指して
練習していきたいと思います。

(元仙台人@金沢)



メールアイコン 来月のシフトが確定しました。
11日は仕事です。
昨年も仕事をしていました。
同じように一生懸命責任を持って
仕事をしていようと思います。

震災の直後の「ただいま製作中!」
だったと思うのですが
「みんなで回している大きな輪みたいなものを
 回し続けていたほうがいいような気がして」
仕事に行く、というコメントを
書かれた方がいらっしゃいましたよね。
(永田さんだったような気がする)

震災後、被災者の方に
申し訳ないという気持ちが起こる度に
楽しいことをするのに罪悪感を感じる度に
何もできないと無力感を感じたときに
なんとなくこの言葉を思い出しました。

何もできないけど。私は私の場所でちゃんと
輪をまわしていようと思います。

(ちゅん)



メールアイコン 追悼式に参加します。
献花担当として、
ご遺族にお花を渡します。
悲しみに寄り添い、
思いを込めて手渡すつもりです。

(y)



メールアイコン 被災地(宮城)に住んでいます。

震災というのは1年前の出来事というより、
「あの日に始まって、まだ進行中」
という感覚です。
なので、3月11日は、OAされるであろう、
震災関連の番組は観るかもしれませんが、
特別何かをするということはせず、
普通に過ごすつもりです。

ただ、

“震災直後の1週間よく耐えた、
 そしてこの一年よく頑張ったな俺”

と、褒めてあげようと思ってます。
その1週間、ライフライン寸断、食糧不足、
数分毎にくる余震。
自分を保つことで精一杯でしたから。

(健太)



メールアイコン 17日に結婚する友人のために、
余興の打ち合わせをします。
みんなの都合で11日になりました。
でも、ほぼ日を見て、
この日に大切な人の幸せのための準備ができて
嬉しいと思いました。

彼女の笑顔のために、頑張ります!

(Y)



メールアイコン 農業関係の仕事をしています。
去年の3月11日は職場のテレビで
イチゴのビニールハウスが
飲み込まれていくのを呆然と観ながら、
それでも日常の仕事をしていました。

遠い、ということが歯がゆいことだと
痛感した1年でしたが、
遠いからこそ今からできることが
たくさんあることも知りました。
今年は日曜日、家で大好きな犬と
大好きな人とゆっくり過ごすことを
感謝しながら、長く長く長くそれを
実行していこうねと話すと思います。

(cone)



メールアイコン 家事をしながら、多分、
テレビの前にいると思う。
特に起こった時間はぜったいに。

一年前を忘れていけない日なんだけれど、
一年前のこの日、自分が何をしていたか、
思い出してみました。
覚えていたのは、
「家族はみなばらばらだった」
「その時は、猫と2階から降りてきて、
 いちおうテレビをつけた」
「画面に津波におそわれた仙台空港が
 映った時、思わず画面をおさえた」
ぐらいしか、覚えていません。
ほぼ日てちょうにも、
「地震」としか書いてなかった。
これでは、いままでの
「一年前ってなにしてたかな」と同じです。
昨日、NZランド地震から
一年経ってしまったという報道をみて、
ほんとにいろいろなことを忘れていたのを
自覚しました。

テレビが何をやってくれるのか
わかりませんが、
とにかくテレビを見ていると思います。

(ミューミュー)



メールアイコン 私は被災地・茨城県に住んでいます。
震度6弱の揺れでした。
瓦は落ち、本棚から本はフライングし、
食器は割れ、しかし知人友人に
死傷者は出ませんでした。
幸いだったといえましょう。

あの3.11.の直後から、おそろしい情報が
すさまじく流れ込み、東北の惨状、
全世界から差し伸べられる手、
うちも被災地なので地域の助け合い、
買占め騒動、原発に関する
「大本営発表」にうんざりなど、
とにかく生きるのに必死な状態でした。
被害が東北沿岸部に集中したためか、
比較的被害の軽い茨城県は被災地なのに、
なんだかいまいち被災地扱いされない‥‥。
茨城県は福島とお隣なので、
地理的にも気持ち的にも
みちのくに近いのです。
雪が降らないだけです。

3.11のことは、
ただ悲惨な映像や当時の情報を流して、
思い出すだけでは嫌です。
「この後、何が具体的にできるか」を、
3月11日に私は、考えたいです。
できうる限り普通に、可能なら、
日常を送りながら。
それで、わんこの散歩や図書館に出かけたとき、
ご飯のときなどに、
「去年の今頃はすごかった」
と言い合うことになると思います。

そして、お祈りをします。
亡くなった方が、
むこうで安らげますように。
また何か起こったときに、
私になにかできる力をおあたえください。
3月11日は、節目になるでしょう。

いまできることを、丁寧に、
誠実にやっていければ、
私の場合は及第点です。
で、やっぱり周囲と「大変だったよねえ」と
話すことになるでしょう。
次に震災が来たときーーすごく嫌だけれど、
その可能性は絶対否定できません――
何か絶対にできることがあるから。

(WN)



メールアイコン あの日、卒園前の娘を抱っこしながら
昼寝をしていた時に起こりました。
今年は日曜日。
家族でともにいられる幸せを
いつも以上に感じながら、
娘と遊んで過ごします。

(tokko)



メールアイコン 私の3月11日は
名古屋ウィメンズマラソンに出場します。

フルマラソンを走ってるときのきもち
スタート〜10キロ
   興奮!! ただただ楽しいなぁ
〜20キロ
   景色、走ってる人をキョロキョロ、
   先は長いなぁ
〜30キロ
   まだ半分、もう半分、
   ちょっと疲れてきたなぁ
   エイドの食べ物、
   何かなぁワクワク、モグモグ
〜37キロ
   しんどい、歩きたいなぁ、長いなぁ、
   お母さーん
ラスト5キロ
   もう30分で終わりか、
   やっぱり、あっという間だなぁ
ゴール
   あぁ終わっちゃう。
   頑張れたかな、頑張れたよね。

だいたいいつもこんな感じ。
3月11日は、どの時点でどんな事を思うのかな。
空を見上げる回数は、増えそうだなぁ。

(いまこ)



メールアイコン 東北大震災の当日
何が起こっているのか分からないまま
徒歩で7時間かけて
会社から帰宅した若い姪っ子。
数カ月間はショックで
鬱状態が続いていましたが、
その辛く苦しい状態を
黙って見守ってくれた寡黙で懐の深い彼と
3月11日に結婚することになりました。
それぞれの両親だけを立会人に
京都の神社で2人揃って
天国に結婚の報告をし、
翌日結婚届を区役所に提出にするのだとか。
姪っ子らしい3月11日になることでしょう。

(A)



メールアイコン 夫も社会人の息子二人も、
ほとんど家で食事をしません。
深夜まで仕事で忙しく、
入浴・歯磨きもせず眠る日も。
私も仕事をしていて息子達は0才から
保育園に預け、とにかく早く自立をと
育てたので、今更何も言えません。
でも、「3.11は皆で夕食をします。
予定を空けておいて下さい」と
夫と息子達にメールしました。
返信が無いのは了解したということかと。
義母と夫と息子達と、
3月2日から居候する甥と、自宅で夕食。
何を作るかメニューを考えています。
義母のために毎夜夕食は作るのですが、
恥ずかしながら家族が揃っての食事は
10年振り。
家族にとって何気ない
特別な日になるはずです。

(kikuko)



メールアイコン 一年前、関西で地方公務員として
戸籍事務に従事していました。
あの日は金曜日でした。

月曜日以降、各市町村の様子を知らせる
一覧表にかかれた、郵送不可、音信不通、
町ごと壊滅状態、の文字。
同じ公務員として、社会人として、
人として、悔しくて、悲しくて、ただただ、
無事と回復を祈るばかりでした。

一年が過ぎても、当たり前、の重み、
忘れてません。そして、たくさんのものを
無くしたからこそ、今本当に大切な、
必要なことから始めているだろう
東北の自治体の姿を、しっかり見つめて
ずっと覚えていようと思います。

出来ることをしてきた一年でした。
11日は、やらなきゃいけないことをやる、
最初の日にします。
私たちが、頑張るときです。

(s)



メールアイコン 夫と、おなかにいる赤ちゃんと、
過ごします。
家の前を走る常磐線の先の空を見ます。
晴れたらいいな。

(もと)



メールアイコン 地震が発生した時は、営業で外出しており
地下鉄東京メトロ外苑前駅の
構内におりました。
外苑前から東京駅近くの会社まで
歩いて戻る際の青山通りの光景は
今でも鮮明に記憶に残っています。

私は損害保険会社に勤めております。
震災後、会社が立てた目標は、
5月中旬までに個人宅の地震保険のお支払い
の目処をつけるというものでした。

個人の地震保険は、制度として、
1軒、1軒を訪問して被害の状況を
確認する必要があります。
損害保険会社(あるいは弊社)では、
お客様に契約していただく仕事を
「営業」と呼び、事故の際に、
お客様に保険金を支払う仕事に従事
する部署を「損害」と呼んでいます。
今回の震災の甚大な被害に対して、
「損害」の人だけで対応するのは
不可能であり、損害も営業もなく、
東西南北もなく、会社総出での
対応となりました。

こういった会社全体での対応により、
5月中旬には、ほぼ、被害に遭われた
地震保険のご契約者への訪問が
完了した次第です。

3月11日には外苑前駅に行こうと思っています。

(g)



メールアイコン 私は大学の卒業式に行きます。

去年の先輩の卒業式は3月13日。
震災のため中止になりました。
ふつうなら1年で1日ズレなので
3月12日が卒業式のはずなのに、
今年は閏年のため、2日ズレで
3月11日になりました。
いたずらですかね。運命ですかね。
なんでもないですかね。

どんな想いで過ごす卒業式か想像がつきません。
ただ、初めて学長の言葉が気になります。

(ぺいくん)



メールアイコン 海外在住のほぼ日読者です。
3月11日が近付くにつれ、
私も何かしたいと思いはじめました。

昨年は、東日本大災害が報道された後、
多くのベトナムの知人から
お見舞いの言葉をいただきました。
小学生も桜花のカードに
応援メッセージを書いてくれました。
また、募金活動も各地で行われました。
この暖かい人たちに
“日本人は今一生懸命前を向いて
 歩こうとしているよ。本当にありがとう!”
と報告をしたいと思うのです。

HoiAnで小さなCafeを営んでいます。
ここで11日から2週間、
在住日本人グループで
立ち上がろうとする日本人の今を伝える
写真展を開きます。

(U)



メールアイコン 去年の3月11日のあの瞬間。
覚えているというよりも、記録しています。
図らずも、記録されてしまいました。

1年前のあの日、
私は仕事で取材をしていました。
インタビューも中盤にさしかかったころ、
かすかな揺れを感じたのです。
気のせいかなと思いつつ、
なかなか収まらない揺れに、
これは地震だ、とようやく
その場にいた誰もがざわつき始めました。

と、いっても、今思えばのんきなものです。
「あれ?地震?」「あ、揺れてますねぇ」
なんて会話が、少しやりとりされた
だけでしたから。

結局、ことの重大さを知ったのは、
地震から1時間ほどが
経っていたと思います。
遠く離れていた名古屋で
あれだけ揺れを感じたのです。
震源地近くはどれほどだったろうかと、
愕然としたことを覚えています。

取材を終えて携帯を見たら、
実家から着信がありました。
実家は、岩手・盛岡です。
幸い、家族も無事で実被害も
ありませんでしたが、もし、
直接被災していたら。
私が仕事中で受けられなかった電話が
最後の電話になっていたら。
そう思うにつれ、レコーダーの中に
おさめられていた「日常」との
ギャップが大きくなり、
いまも消すに消せないまま、残っています。

今年の3月11日の話でしたね。
10日は仕事、12日も仕事なので、
貴重な11日は、家で掃除をしたり、
洗濯をしたりして過ごすと思います。
ごくごく、ありふれた日常が、
過ぎていくだろうと思っています。

(コウ)



メールアイコン 私は海外に住んでいます。
あの日、近所の人の
「あなたの家族は大丈夫?」の言葉で
大震災の事を知った。
テレビから流れてくる津波の映像。
情報が少ない中、どこで起きているのかも
分からず、テレビを見ながら
震えが止まらなかった。
幸いうちの家族は関東に住んでいるので
直接的な被害はなかったけれど、
そこが日本なのだと信じられずに、
ただ泣いていた。

あの日からしばらくネットで
情報を貪る日々を送っていた。
知れば知る程、胸が痛くて
喉の奥に引っかかる物が取れなくなった。
日本に住んでいないのだから、
知る事に依ってその辛さを
同じ日本人として、少しでも
感じなければならないと
自分に義務として課していた。
日本に住んでいない事に、
あの地震を体験していない事に
罪悪感を持った。
これほど自分が日本人だと
思わされる出来事は起こった事がなかった。

あれから1年経とうとしている。
1年半振りに日本に帰れる。
3月11日、私は日本にいます。
久々に会う、日本に住む大切な人たちと
当たり前の時間を過ごすと思います。
話をして、一緒にご飯を食べて。
少し悲しんで、そして、
たくさん感謝したいと思います。

(poro)



メールアイコン 北海道の大学に通っていた私は,
東京での就職活動のため
川崎市の伯母さんの家に居候していた。

11日はちょうど何も予定の無い日で、
その家でパソコンで就職活動のための
情報収集をしていた。

停電したため,情報源は
充電に切り替わったパソコンと携帯電話。
30分程度でパソコンの電池は無くなるらしい。
その間に得た情報は、
何だったのかよく覚えていない。
でも何かを必死に探しまわっていたと思う。

夜中に電気が復旧すると、
陸前高田市が壊滅状態ということを知った。
ただパニックには陥らず、意外に冷静に
情報収集に徹していた。
食欲睡眠欲も今まで通りだった。

陸前高田の家族や隣市の親戚などが
辛い状況かもしれないけれど、
物が食べれる、お風呂に入れる、寝れる、
そんな環境にいる自分は惜しまず
その環境を利用した。

私だって死んではいけない。

本当は、出身者も何かやりたい。
でも何をすればいいのか、
今現地で大きな仕事をしている人たちに
敵うものはできないとも思っている。
仕事や学業を放り投げていくわけには
いかないけど、熱い思いを寄せている
出身者はたくさんいる。

今年の3月11日は、
旅行から戻ってくる飛行機内で
黙祷をする予定です。

そして夜は,好きなバンドのライブに行って
生きてることを実感してきます。

(キムラ)



メールアイコン 去年のその日、私は都内の職場にいました。
幸いしっかりした免震構造のビルで、
揺れている最中も地震に対する不安は
ありませんでした。
海の近くでしたので、
津波を警戒するサイレンが鳴っていました。

同じく都内に勤務する主人や、
長野でも地震があったので
長野の実家の無事を知ろうと、
また自分の無事を知らせようと
焦ったことを覚えています。

日本も、私たちの生活も、
そして自分の人生も価値観も
何もかもが変わりそうで、
空恐ろしく感じていましたが、
あえて明るく振舞っていました。

本当に何もかも変わりました。
私はその後思いがけず妊娠し、
年が明けて無事に女の子を出産しました。

妊娠は諦めていましたので、
それまでは夫婦二人の人生を
考えていました。
キャリアを積んで、勉強もして。

それが、仕事を辞めて、
今は初めての育児にてんてこ舞いの毎日。
子供ができて価値観も大きく変わりました。
(変わったことに今でも戸惑っています)

震災を見る目も当時と今では全く違います。
妊娠というより、産まれるまでは、
震災の報道も冷静に見ていられた。
自分なりに支援を考え、
微力ですが行動しました。今はだめです。
辛くなってしまって、見ていられません。
心がむしろ弱くなったように感じます。
冷静でいられたのは、どんなことがあっても
守りたいという存在が、
私にはまだなかったからかもしれません。

去年の3月11日には、1年後
自分がこんな風になっているなんて
思いもしませんでした。

今年の3月11日は、
たぶんいつもと同じように
我が子の世話と家事をしながら、
そうやっていられることを感謝して
過ごすことになると思います。

(suzuringo)



メールアイコン 3月11日は父のお墓参りに行きます。
父方の本家は、南相馬市鹿島区です。
生家はすべて津波で流され、
避難所に指定されていた野球場に
避難していたはずの叔母や従姉妹達は
未だに見つからないまま、今年1月15日、
福島でお別れ会が開かれました。
命日は3月11日になっているので、
みんなの分まとめて
たっぷり綺麗なお花を供えて、
たっぷり祈ろうと思います。
お仏壇も海岸近くの本家のお墓も流され、
あちらではお参り出来ないので‥‥。

(S.I)



メールアイコン 3月11日は、子供会の最後の行事、
「6年生を送る会」が行われます。
この1年、子供会の役員として活動し、
その締めとしてこの行事を行いますが、
同時に、娘も子供会最後の行事となります。
娘は今年、小学校を卒業します。
役員としての務めと、
娘の成長に改めて感謝しながら、
少々慌ただしく、
いつもとほんの少し違う「日常」を
過ごすことになりそうです。

(むらいさとし)



メールアイコン 1年前の3・11、
私は関東で地震を体験しました。
その日は娘の2歳の誕生日でもありました。

娘が昼寝から起きたらケーキを買いに行き、
何かいつもより豪華なものをつくろう、
と思っていました。

地震は娘が昼寝しているときに起こりました。

最初は娘の足元にある本棚を倒れないように
押さえていましたがあまりに揺れるので、
もうこれは本棚どころじゃない、
と思い娘をたたき起こして抱きしめ
部屋を飛び出しました。

あの日も、もちろんその後も
ケーキを買ってやることができませんでした。
「誕生日、おめでとう」って
ちゃんと言ってあげていません。
そして1年が経ってしまいました。

今年は、ちゃんとケーキを買って
祝ってやりたいです。
でも、3/11以前みたいに
「おめでとうー!」と何も考えずに
祝う気持ちにはなれないでしょう。

だから、
あなたが今ここにこうやって
元気に生きていること自体が、
奇跡の連続なのだということ、
私たちは自分で勝手に
生きているわけではなく、
何か見えない力に生かされていること、

きっとなにかの役割があること、
そしてあなたが生まれた3・11が
こういう日になったのは
きっと意味があるのだということ、

万物に敬意を払いながら、
隣人と助け合いながら生きていくことが
大事だってことを話したいです。

3歳ですべては理解できないのかも
しれませんが、33歳の私だって
すべてを理解できていません。

ただ、言葉にすることで、
その意識を家族で共通に持っておくこと、
をしておきたいのです。

でもとりあえずは、今年はちゃんと
「誕生日おめでとう。
 生まれてくれてありがとう」
と伝えたいのです。

(y)



メールアイコン 本日2月26日(日)夕方、
京都の四条河原町北東の角を
歩いている時に
「『天国にぶっ放せ!』鎮魂花火打上げ」
募金活動をされていらっしゃる皆さんに
気がつきました。
あまり意識せずに通り過ぎるところ
だったのですが「3月10日の花火」の
呼びかけに気がついて振り返ると
花火の募金だったのでUターンをし、
されていらっしゃる方々に
「ほぼ日」のページの記事を読みましたと
少しお話しして、こころばかりの
募金をさせていただきました。

3月10日と11日は気持ちだけでも
お祈りをしようと思います。
10日は2万人の皆様へ
11日は現在がんばっておられる皆様へ

こんな風にメールを送信するのも
なんかおこがましいのですが
「花火の連絡」がうまくいきますように
お祈りしています。

(a)



メールアイコン 去年のこの日、息子は風邪で休んで
私と家でまったりしていました。
「地震?」と思った瞬間の揺れは
東海地区でもかなりの揺れ。
大きな横揺れが長く続き、
外を見ると電信柱の電線も
まだまだ揺れている。
まるで遊園地の乗り物に乗っているようで、
ずっとめまいがしている感覚でした。
息子は怖がってしがみついて
離れませんでした。

下校を始めたばかりの娘たちは、
まったく気付かなかった様子なのが
救いでしたね‥‥。こわがりの娘が
下校中に地震にあったら、
大パニックだと思うので。

その日は私が怖くて、
ニュースから目が離せず、
眠ることもできませんでした。

ゴスペルで3.11をうたう曲が作られ、
みんなで歌いました。
きっと歌いながら祈っていると思います。
I choose to live by DeviDixon

(かーか)



メールアイコン あの日、あの時
4年前から南相馬市
に単身赴任していた主人が前日10日に
どうしてもお寺に行きたいと思い立ち、
帰省し、翌11日に無事お参りを済ませ
自宅前に着いた途端に揺れました。

日付が変わるころに、どうしても戻るという
主人を行ったことがない大宮まで車で送り、
4時間かかって戻った直後、
長野が揺れました。

主人は大宮から10時間かけて
福島に行きました。
何日も電話が繋がらず、
何かあったら知人と一緒に
行動するようにとのメールが届きます。
子供に隠れて泣く日々が続きましたが、
1ヶ月半後転勤が決まり、
タクシーに乗るだけの荷物を持ち出し
帰ってきました。

今でも、泣けてきます。
もっと大変な思いをした人がいるから、
と思い、「自分は何でもない」と
思うようにしたこともありました。

いっぱいいっぱいだったあの時
あの思いを忘れずにいることが
大切だと思っています。
「忘れない強さを大切にして」生きています。

3月11日は、きっと思い出しながら
泣くことでしょう
涙を越える優しさと強さを持てるように
努力を続けます。

(TALU)



メールアイコン 東北の日本海側に住んでいます。
去年の3月11日は、職場にいました。
ちょうど仕事もひと段落したなぁと
思っていたら、
今までに経験したことのない揺れが。
避難訓練はしていたのですが、
いざとなるともう怖くて怖くて、
わぁわぁと人一倍騒いでしまったのを
思い出します。

その日の夕方、仙台に住む兄と
連絡が取れるまでは、
不安で仕方ありませんでした。
今年は日曜ですが、
ちょうどさまざま立て込む時期なので、
また職場にいそうな気がします。

でも2時46分になったら、
少し動くのをやめて、
黙祷できたら‥‥と思います。
そして、その日の夜は、電気をつけずに、
キャンドルを灯そうと思います。

(まや)



メールアイコン 3月10日に宮城県入りし、
思うがままに足を運んで、
海を見に行こうと思っています。
そして、どこかの場所から
泉ヶ岳であがる
鎮魂の花火を見させてもらいます。

3月11日は
その花火大会の後片付けのお手伝いをして、
帰ってくる予定です。

本当の痛みや悲しみに
寄り添うことも出来ないから、
この日は東北の地に立っていたい、
と思うのです。

(a)



メールアイコン あの地震のあった日は、
ウィーンに住んでいました。
朝7時に夫の会社から電話があるまで、
地震が起きたことなんか
全然知りませんでした。
「地震の多いところだし、
 まあ大丈夫でしょ」と思いながら
開いたパソコンに出た映像が
仙台空港だったんですが
仙台出身なのに、そこが仙台空港だなんて
全然わかりませんでした。
陸地のはずの場所を埋め尽くしている
おびただしい流木。
目に入る映像が全く理解できませんでした。

今年の2月に帰国しましたが、
仙台から遠く離れた地へ戻ったので
親から何度も話を聞き、
映像もイヤと言うほど見ているのに
全く現実感がありません。
未だに信じたくないです。
戦争でもないのに、
こんなにたくさんの人が亡くなる事態なんて
考えたこともありませんでした。

自分のやってきたことや、考えたこと全てを
「震災前」と「震災後」で
つい分けてしまい、イヤになったり
苦しかったりします。

今年の3月11日は日本です。
たぶん、花火が無事ぶっ放されたか、
気にしてると思います。

(かんこ)



メールアイコン 今年の3.11、私は何をして過ごすだろう?
たぶん、普通に休日として
過ごすのだと思っているけど‥‥。

14:46が近づいたら、どんな気持になるのか、
様々な追悼番組等の映像を見て、
どんな気持ちになるのか、
全く想像がつきません。

あの日、仙台空港敷地内の職場で被災。
避難して体が濡れることは無かったけど、
津波も目の当たりにした。

あまりのことに感覚がマヒするのか、
自分がいる建物も現在進行形で浸水していて、
流されたり、壊れたりする危険性も
あったのだと思います。

もしかしたら、流れて行く家の2階や
車の中には人がいたのかもしれない
‥‥でも
そんなことを思いやることもできず、
ただただ、窓の外の光景が
別世界のように見えていました。

職場は壊滅状態で、閉鎖することとなり、
空港、海とは全く離れた場所で
仕事をしています。

デスクの上にはブイちゃんのカレンダーを
置いて毎年愛用していたのに、
それもぜーんぶダメになってしまいました。

それでも私は自分の一人暮らしの家も、
家族も、実家も無事。
宮城県内にいるたくさんの親戚や友人も
誰一人失うことはなく、一件も
お葬式にでずに済んだ。
通う場所は変わっても同じ会社で
仕事を失うことも無く働けている。

被害の大きかった宮城の中で、
しかも自分自身津波の直撃を受ける場所で
働いていたのに、恵まれすぎている。
何かしなくては! と思うものの、
募金くらいしかできずに
1年が過ぎようとしています。

10日はスコップ団の花火に
行けることになりました。
こちらも募金だけは協力させて
いただいています。
私なんかが行っていいのだろうか‥‥
とまた考えてしまいます。
それでも私も
「こっちは元気です!大丈夫です!」
と皆さんにご報告したいです。

そして、その前に今度の休みにでも、
元の職場の辺りに一人で
行ってみようと思っています。
私が働いていた場所は、
もう違う会社になっていて
入ることもできません。
当たり前のようにずっと通うだろうと
思っていた場所にもう入れません。

通勤に使っていた車も
流されてしまったので、
今の別の車で行くことになります。
空港のターミナルも復活してから
行ってみたことがありません。

こう考えると、恵まれている私でも
あの震災を境にこんなに突然状況が
変わってしまったんだな〜。
とあらためて思います。

とにかく一年‥‥早かった!

(a)


この他にもたくさんいただいていますので、
この週末にも掲載させていただきますね。

では、また。

2012-02-29-WED

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