それぞれの3月11日。<2>


ほぼにちわ。

先週この「postman@1101.comから。」で
みなさんの「3月11日、なにしてる?」を
ご紹介
したところ、
Twitterの140字では収まりきらない、
みなさんの「あの日」のことや
「それからの日々」のこと、
そして「その日なにをするか?」が
続々メールで届きました。

そこで引き続きこの場所で、
ご紹介いたしますね。
しかも今日ご紹介しきれなかったぶんや
3月11日までにこれから届くぶんも、
随時掲載していきます。
どうぞ、メールでもお送りください。

さて今回は、実際に被災されたという方々からも
多くメールをいただきました。

まだ家族が見つからない方からのメール、
どんどんくずれていく家の2階につかまって、
川を遡っていったご夫婦のお話など、
胸がつまります。

では、メールをご紹介いたします。

「3月11日、なにしてる?」

メールアイコン あの日からずっと、
福島第一にいた彼のことをおもっている。
311から一週間後に、
生きていることがわかっただけで
涙が止まらなかった。
生きていてくれてうれしかったのと、
まだ中にいるという事実。
同じ会社の人間として
思ってはいけないのに、
逃げ出して欲しいと本気で思った。
原発が怖いというわけではなく、
彼の体や心が心配で仕方がなかった。

いまは東京にいて、
平気な顔をしているけど、あの日のことは
いまだにお互い話せないでいる。

一年たって、
やっと話せるようになるのかな。
ドライブでもしながら、
一緒にいられる奇跡をかみしめたい。

(c)



メールアイコン ただ祈っています。
多分どこにも行かずに。
東北の方を向いて。
ただ祈っています。

(みかこ)



メールアイコン 目が覚めたらカーテンを開け、
「おはよう、今日も無事に‥‥。」と
原発の塔に言います。
いつものようにそう言えること、
そう眺められる場所に
住んでいられることについて考えます。
これから、動いても、
止まったままだとしても。

それから、トイレ用の水汲みで、
あの日から一週間お世話になった、
すぐ近くの川を見に行きます、たぶん。

(yuko)



メールアイコン 3月11日の予定は今のところ何もないので、
たぶん教会へ行っていると思います。
祈る、というほどのこともできているか
怪しいのですが、それしかできないかな。

私は盛岡に住んでいます。
首都圏の方から被災地扱いされているのが
心苦しい。でも、寄付するお金も正直ない。
私は何をすればいいのだろう、と思っています。
とりあえず、「買う」ことができればいいな。
少しずつ。

(そま)



メールアイコン 自然の力に対しての畏敬の念を持って静かに、
でも、しっかりと噛みしめる1日を
過ごすでしょう。
自然に対しても、人に対しても、
謙虚な気持ちで向き合う姿勢を
忘れたくないです。

(三日月)



メールアイコン 私は、あの日のことをほぼ、
一分刻みに覚えています。
私が感じた自信は震度5弱位だったけど、
その後のラジオの内容と、不気味な静けさ。
子どもを迎えに行くかどうかの選択。
ぽてぽて帰って来た子ども。
そうして、その後、何より耳を疑う、
『壊滅的、かいめつてき』と繰り返される
ラジオからの言葉。
手を合わせて祈ることを多分、
一生繰り返していくであろう日。
そうすると思います。それしか出来ない。

(みやはら)



メールアイコン お寺なので、祈っているでしょう。
岩手出身なので、故郷を思うでしょう。
子供を抱きしめて、
今の息災に感謝するでしょう。

多分、そうするだろうなと思う事は、
たくさんあるんですが、
何をしたらいいのかわからないままです。

価値観が強制的に変えられてしまうような
大災害で、私も自分の生き方を変えました。
物事を決めるのは
自分ではないこと思い知りました。
自分の価値観で物事をはかることをやめて、
思い切って大きな流れを
信じることにしました。

自分、家族の為に生きる人生から、
社会資源となるべく、再就職し
資格取得の為に専門学校入学を決めました。
2年ぶりに里帰りもしました。
自分の都合によるいいわけを、
全てやめました。
ダメな時は、何をしたってダメになる。
決めるのは自分じゃない。
大丈夫ならきっと自然に道がつく。
そう信じることにしました。

まだ、映像を見られません。
当時は、とにかく、現地の友人、家族、
親戚に情報を流すためにテレビ、
ネットの毎日でした。
ほとんどの映像、ニュースを
見ている筈なのに、なぜでしょう。
ほとんど覚えていないんです。
当時のメール記録や親戚間のSNSを見ると、
自分がちゃんと行動していることに
びっくりします。

ああ、今、書いてて思いつきました。
泣けたらいいな。
私、まだ、泣けていないんです。
泣きたくても、それどこじゃなくて、
現地を優先させることに精一杯で、
西日本のこちらでは普通に日常生活も
送らなくてはいけなくて。
震災の数日後には、保育園入園の為の
説明会が普通にあって、
ニュースを見ながらミシンもかけてて。

今度の3月11日は、
静かに祈る時間を持って、
自分の心にもちゃんと注目します。
泣いてもいいよ、って、ようやく
自分にも言える日になると思います。

(まにちゃん)



メールアイコン その日、その時間はたぶん、
すこしボケ始めた母と、
ケーブルテレビで
オリックス対中日オープン戦を
観る予定です。

その時、テレビで黙祷をしたら、
一緒に祈る予定です。
無かったら。
それでもその時間は思いをはせるでしょう。

あの時はまだボケていなかった母が、
去年の地震を思い出せたら、
不謹慎ですが、嬉しい。

そんな予定です。

(カンタ)



メールアイコン 3.11のその時間は、
子どもの予防注射のために学校を早退させて
病院の駐車場に着いた
まさにその瞬間でした。
駐車場に並んだ車が、隣の車にぶ
つかるんじゃないかというほどに
揺れていました。
子どもは学校の避難訓練の成果か
たいそう落ち着いていました。
「お母さん 少し落ち着きなさいね」と
声をかけてくれましたし。

次の日にその子どもが言いました。
「どうしたらいいんだろう」

母親として伝えたのは
「私たちは、
 今までどうりに暮らしていくのよ。
 そして経済をまわしていくのよ。
 それが被災地の助けになるように」
でした。
子どもなりの不安や動揺を落ち着かせるのを
考えたからでした。

でも私自身は動揺を抱えたまま
次の3.11を迎えてしまい、
当日の過ごし方がわからないです。
できれば大好きな鎌倉のお寺で
写経をして過ごしたいけれど。
その日のことを考えると息苦しくて
涙があふれて、きめられません。

(37)



メールアイコン 昨年の3月11日の後、
直接の被害はほとんど無かった
山形の街でも様子が一変しました。
スーパーはレジは長蛇の列、
モノは無くなり、
ガソリンスタンドは入荷待ち。
そして、いつも人通りの少ない
地元の商店街からは、
更に、人の姿が消えました。

月に一度ランチに行くのが楽しみなお店に
歩いて、出かけました。
お客さんは私たち一組だけでした。
いつものランチにワインも
美味しくいただきました。
帰り際に私たちの姿が見えなくなるまで、
深く、お辞儀をしていた
スタッフの姿を今も覚えています。

そのお店の方々はすでに
ボランティアに動き出していました。
その時、私は被災地に行って
何かすることは難しいけれど、
支援する人たちを応援することは
できると思うことができました。
支援するとはどういうことなのかを
考え続けた一年でした。

今年の3月11日は日曜日です。
そのお店に歩いて出かけて、
いつものランチとあの時と同じワインを
いただこうと思っています。

(ぽ)



メールアイコン 3月11日は会社の新人研修から
丁度一年なので、同期の友達に、
久し振り、元気?
とメールを送るつもりです。
その時間には手を合わせて
これからも自分にできる事を
続けたいと思います。

(k)



メールアイコン 今年の3月11日ですが、ようやく決めました。
夜行バスで当日朝に、
お世話になってる石巻へ到着し、
午前中いっぱいを慰霊・鎮魂の想いを
込めて歩きます。そして撮影します。
写真家としてやれるべき事を
やりたいと思います。
お昼から塩竃へ向かい、飯沢耕太郎さん、
吉原悠博さん、平間至さんの
ひらま写真館トーク「写真と人間」に赴き、
写真と人間について考えます。
ずっと心のバランスを崩していた時に、
石巻や松島、塩竃の人々や光景に
受け止められバランスを
取り戻させて頂いた所で、
慰霊・鎮魂を込めて歩き、祈り、
撮影したいと思います。

(S)



メールアイコン 今年の3月11日はフットサルチームで
チャリティーフットサルをします。
チーム内での活動なので
金額は少額ですが、参加費を全て
社団法人宮城県サッカー協会を通じて
“東北未来サッカー募金”と
することにしました。
サッカーファミリーとして、
こうやって普通に
フットサルできることに感謝して。

(y)



メールアイコン 私は写経をしていると思います。

今年の年賀状を書いた後、
もっと気持ちを字に込めたい、
伝わる字を書きたいと
思うようになりました。
そして、ずっとコンプレックスだった
きたない字を綺麗に書く練習を
今年から始めました。

たまたま3月11日は、
一冊目のテキストが終わる日。
そのテキストの最後が「写経」なのです。

私はお経を読むことも出来ませんが、
きっと、被災された方々に想いを込めて
行うように、神様が日付を
計算してくれてたのかな、と思いました。

(里美25)



メールアイコン 私は、大学のサークルの
春合宿に参加します。

毎年、3月の第2週が合宿なので、
昨年の地震のときもサークルのみんなと
一緒でした。
仲間たちとテレビを囲んで
静かにいろんなことを思いました。

今年は、教育大の学生として
何ができるか、みんなで話す予定です。

(ぽれぽれ)



メールアイコン 3月11日、隣町の実家に
誕生日プレゼントを置いて、いそいで
車で帰ろうとしたら、めまいが‥‥。

運転しながらも、なんかハンドル取られる。
めまいがする。
信号機がどこも真っ黒で、おっかしいなあ、
と思いながら、子供のお迎えに
間に合うように走りました。
なんで路肩に沢山車が
止まっているんだろうと思いながら。

あの日から一年。
また、母の誕生日。

10日に母にプレゼントを渡し、
11日はあの日、揺れの中お迎えを待っていた
子供とコバケン・コンサートに行きます。

あの日の翌日、停電の中、修了式をしたね。
冷蔵庫が効かなくて、店にもものがなくて、
ガソリンがないから買いにも行けなくて、
お祝いらしいお祝いもしてやれなかった。

一年、
たったね。
ようやく、
たったね。

いもむしごろごろ
ひょうたん ぽっくりこ

立ち上がらなくてもいい、
起き上がろう、日本。

立っていると、揺れたらまたこけそう。

ころころと上手に転んだところから、
泣かないで、ゆっくり起き上がる。
辺りを見回して、埃をはらって、
ゆっくり自分で立ち上がる。

そんなふうに、なっていけたらいいですね。

(いもむし)



メールアイコン 3月11日は‥‥私の誕生日です。

去年のその日は、
いっしょに暮らし始めて10年になった
連れ合いと
10年前のデートコースをたどろうと
歩いていました。

そのとき、鎌倉の建長寺に向かう
途中の道が、ぐうっと地面の下から
突き上げてくるようでした。
静かな日でしたが、異様に緊張した雰囲気が
一気に漂って‥‥

去年のその日、私は、還暦を迎えました。
卯年の還暦の誕生日に、こんなことが‥‥と
どうにもたまらない気持ちではありますが
誕生日はかえられず‥‥

ことしも多分、やっぱり、そそっと、
しずかに祝うかなー、なんて思ってます。
亡くなった方たちの中にも
その日が誕生日だったって人、いたでしょう。

お祝いしようと思ってたかもしれませんし、
その準備をしたり
その人のためにプレゼントを用意して
楽しみにしてた人も居たかもしれません。

だから‥‥あの日のことを思いつつ、
そっと、お祝いしてるかな‥‥と思います。

(ポン吉☆)



メールアイコン 遠く離れたロンドンに、います。
1年前もここにいたのですが、
恥ずかしながらあの時ほど、
日本が自分の国であるということ、
どれだけ家族や友人が
大事な存在であるかということ、
これほどまでに自分の母国のことを
思ったことはありませんでした。

今年のその日は、あの時に感じたことを、
もう一度思い出す日にしたいと思っています。
11日を過ぎればもうすぐ帰国。
大切な人達のいる場所、
愛する母国に帰ります。

(Y)



メールアイコン 去年のあの日、私は会社にいて、仕事中に
聞いているラジオで地震を知りました。
会議室のテレビをつけて、みなでまず
東京の状況を、続けて被災地のことを
おぼろげながら知りました。
いつもどっしり構えている課長が
「これは日本がおおごとになった‥‥」と
つぶやいていたのが怖くて、
みんな震えていました。

その直後、弟夫婦が車で旅行中に
事故に遭った知らせが届き、
私は旅先の病院で寝ないで
手術が終わるのを待っていました。

待合室で、くりかえし、
津波の映像を見ながら‥‥
私はもう疲弊しきっていて、
考えることも出来なくなっていたのですが
これから日本はどうなっていくのだろう、
そればかり虚ろに思っていました。

半年後、弟夫婦は事故から生還しました。
ですが、私のほうは身体も精神も
調子を崩してしまい、今になってようやく
体重も元に戻り、
夜も眠れるようになりました。
今年は、3月11日は夫と近所の海で、
コーヒーを飲みながら過ごすつもりでいます。
穏やかに過ごせる春を、思う存分味わいたい!

(ノラネコ)



メールアイコン あの日、実家が南相馬市の僕は
人生で経験した事のないほどの
心の衝撃でした。

幸い、南相馬市の山側に家があったので
津波で流される事はありませんでしたが、
テレビから流れてくる映像だけを見てたら、
本当にダメだと思いました。

これほどまでに家族を心配した事は
初めてでした。

あの日以来、実家に帰れる時、
会える時は時間を作ろうと心に決めました。

東京に出てきてる地元の同級生とも、震災後は
月1で飲み会を開くようになりました。

きっとみんな同じ事が胸の中にあると思います。

3月11日は1年間で
自分がどれだけ変われたか?
をもう一度まとめ、
14時46分に黙祷したいと思います。

あの日以来、変わった自分の意識を
これからも持ち続けられるように。

(w)



メールアイコン 今年の3月11日から、
毎年この日は「絶食」します。
(水だけは飲みますが)

あの日、被害にあった多くの方々は
何も口に入れることが
できなかったと思います。
頭の中でいろいろ考えるよりも、
空腹のつらさを直に感じて
今、これから何をすべきか
考えてみようと思います。

(夢見るリアリスト。男51歳)



メールアイコン 休日ということでまず、
間違いなく恋人と一緒にいると思います。
迷惑ばかりかけている彼女に感謝しながら、
いつもの休日を過ごしているんだと思います。

(たつや)



メールアイコン 3月11日が近づいている。
緊急地震速報がテレビから流れてくる。

この一年、心のどこかで
緊急事態のときのことを
考えて過ごすことが多かったです。

無事にその日がくるように、
そう思うばかりです。

家族で一緒に過ごしたいです。

(コトノ)



メールアイコン 3月11日は和歌山にいる母の誕生日です。
地震があった時、母と電話していました。
テレビで状況を見ながら
お祝いだった電話がいつしか
被災地を心配する電話に変わっていました。
阪神大震災が起こった時、
私は学生で神戸に住んでいました。
そのころの記憶が残っていたのでしょうか
母との電話を終えてから強い頭痛。
その日はそのまま起き上がれませんでした。

今年はまた母に電話をかけ、
お祝いの言葉を届けたいと思います。
一日一日を大事にとも。

(じゅんこ)



メールアイコン 特に予定は立てていません。
部屋の掃除して、ラジオ聴いて、
翌朝の仕事の準備をするくらいでしょうか。
丁度一年目、だからといって
何か「しなければならない」理由は
無いでしょうし。

(タカハs)



メールアイコン 私は太極拳の大会に出ているはずです。

去年はその二日前にあった地震と、
原発の爆発のために中止になりました。

直接に災害にあったわけでは
ありませんが、あの日から私も
いろいろ考えることがあります。

その日に大会とは、と思います。

私は午前中に終わるので、
そうしたら恵比寿の
ガーデンプレイスに行きたいです。

ふんばろう日本に関わりたいと
思っていたので、大会より楽しみかも。

この日を境に変わることが沢山あるので、
そのスタートの日になるはずです。

(リョコ)



メールアイコン 急に仕事が休みになりました。
普段なら寝倒すのですが、
何かしていたいです。

それは、テレビではまた
あの映像が繰り返されるだろうし、
どうせ心が騒ぐので、何かしないと
落ち着かないという意味です。

だから、神社に行こうと思うのです。
八百万の神様に、
少しだけお祈りをしようと思います。

「少しでいいから、
 この国をお救いください。
 あとは何とかしますから」と。

(たくわん)



メールアイコン 3月11日、1年前のあの日まで
生活していた町に行ってきます。

挨拶もせずに離れてしまった、
お世話になった人たちに、
できるだけたくさん会いに行きます。

新しく増えた家族と一緒に挨拶まわりです。

(ちびくん、ちびちゃんのはは)



メールアイコン 去年の3月11日地震が起こる前までは
とてもウキウキしてました。

なぜか? 私の応援するベガルタ仙台の
ホーム開幕戦を明日に控えていたからです。
多くの友人達とまた1年
ハラハラドキドキできる事を楽しみに
仕事に励んでいました。

そこにあの地震が起こりました。

3日後、家が無くなったのを知りました。
愛犬も亡くなりました。
4日後、10年間一緒に応援してきた友人が
亡くなったのを知りました。
ちくしょうって何度も叫びました。

こっちではペットが亡くなった人は
悲しいとは言えません。
人がたくさん亡くなっているので
同列には悲しめないから‥‥

お年寄が亡くなった親族は
若い人が亡くなった事に気を遣い、
若い人が亡くなった親族は
子供さんを亡くした人に気を遣って
みんな元気なフリをして暮らしています。

もうすぐ1年になりますが
震災の記憶は薄れる事はありません。

今年のベガルタ仙台は
3月10日に開幕戦を迎えます。
もう思いっきり思いっきり思いっきり
声だして応援したいと思います。
もちろん勝って残された仲間達とともに
今年もベガルタは大丈夫だよって、
みんな元気で応援するから安心してくれって
天国へぶっ放す花火と共に伝えたいです。

3月11日の事じゃなく10日の事を
長々と書いてしまいました。
知ってる人には話せないですよね

11日は町主催の追悼式に行こうと思います。
そして犬小屋があった場所に
花を植えるつもりです。
小屋の周りにたくさん咲いていた
アサガオの花を食べて
ゲエゲエ吐いていたのを思い出して
アサガオ植えたいけど早いかな?

(c)



メールアイコン 日曜日ですが、
私もいつも通り仕事をしています。
この日は、自分が講義をする予定が
入っていたのですが、
予定を先に延ばしてもらって、
いつも通り迎えたいと思っています。
館内では、
追悼パイプオルガン演奏会があります。
祈ること、忘れないことを
毎年続けていけますようにと
願います。

(h)



メールアイコン 仕事をしています。
まだアルバイトですが、
海外のスラム地区のフリースクールや
自立支援活動をしている所で働いています。

3月11日の震災をフリースクールの子供達は
校長先生からお話を聞いて、
特別な祈りをしてくれました。
テレビも何も情報を得る物が無い生活を
していて、海がどういう物かも
知らない子供達が
自分を支えてくれる
日本人へ祈りを捧げることしかできないと
言ってくれた事。忘れられません。

日本の震災(人災?)は
大きく取り上げられるも、
取り上げてくれさえしない、
出生証明書もなければ生きている事を
把握されていない人達の祈りに再度感謝し、
彼らのために働き、
世界の心が豊かになるように努力をする。
そして目を閉じ、
今回の日本の震災のことと共に
世界中の人への祈りを捧げます。
そんな一日になると思います。

(サカナ。)



メールアイコン 3月11日は私の誕生日です。
祝福してもらえる日のはずが、
何だか喜んではいけない日になった気がして、
自分でもどうしていいのか
分かりませんでした。

でもあれから1年近く、海外を拠点に
暮らしている自分ができることって
何だろうと考え続け、
いまだに確実な答えなんて
見つかっていないけれど、
自分のできる形で少しでも
常に関っていくことは決めました。
今年から、3月11日は
「自分が誰かのためにできることは何だろう」
と自分の存在意義を
見つめなおす日になりました。
それはとても実はありがたいことなのかも
しれないと思うようになりました。

(N)



メールアイコン 僕は今、受験生ニートをやっています。

去年の春、奇しくもあの日の一日前の
3月10日に留年を知らされ、
それが原因で、去年の10月末、
学校を辞めてしまいました。
現在は高認をとって
受験をしようと企んでいる所です。

地震が来たのは、そんなわけで、
留年が決まった翌日、心が悪い意味で
ふわふわしていた時でした。

自分が住んでいるのは埼玉県なので、
せいぜい震度五強程度なのですが、
それでも自分の中では最大の地震で、
とても衝撃的でした。
大袈裟かも知れませんが、
家に一人でいたこともあってか、
本気で死を意識した初めての経験でした。

その後、地震後二ヶ月くらいの間は、
何が自分の身に起こってるのか
分かりませんでした。
留年の不安や、地震による街や学校の
妙な空気感(新聞に書いてある
原発や被災地の写真の非現実感)、
もう一度同じ学年をやってるという
気持ち悪い既視感、
なんとなく距離を置かれてる、
ちょっとした孤独感。

その間の記憶はもう一生
忘れないんじゃないかと思うくらい、
鮮明に思い出されます。
手触り、空気感、匂い、感情、味覚‥‥

そして、苦悩やら、悲しみやら、
恐ろしさやら、二つの未経験による
様々な感情を処理できなかったからか、
死を意識したからかは分かりませんが、
その頃からブログやらTwitterなんかを
手当たり次第始めたりしていました。

今でも、行き場所が定まってない、
鬱々とした日が続いたりしてますが、
あの日よりは大分ましになりましたので、
当時残していたブログとか、
Twitterとかに最初から目を通して、
自分の感情を再確認したいと思っています。

そして、当時手一杯で、
まともに考えれていなかった
被災者の方々への黙祷をしようと思います。

また再出発するための心の整理。
それを今年の、「3.11の自分」に
託そうと思います。

(こぺ)



メールアイコン 3・11のことを考えても、
以前は普通に平然としてました。
東京で、ゆっさゆっさ揺れる中、
銀行のATMで振込してたのと、
彼氏の住むマンションの外壁が
崩れるのを見たのを、怖かったけど、
平気で受け止めてました。

それが、年の瀬あたりから、思い出すたびに、
3・11と聞くたびに恐ろしいのと悲しいのとで
涙がだばだば出て、止まりません。
今になって、すごく怖いのです。

だから、3・11になったら、なにも見たり
聞いたりしたくない。
そんな風に思っちゃったりします。

でも、先日、仕事場に福島からきたお客様に
「よし、元気か?元気だな?
 よし、それでいいぞ。」
って、言われたことを思い出すと、
泣くのは一人の時だけにしようって思って
ニッコリしていようって思ったりします。

どう過ごせるか、
そのときになってみないと判らないけど
結果、ニッコリしたいです。

(sumicco)



メールアイコン 宮城で被災しました。
2階の床に乗って
川を7km遡上して助かりました。
家も会社もなくなったけど、
家族は無事でした。

毎日を明るく元気に過ごしています。

つなみに流された時のこと
友達は「どんなに怖かったか!」と
思いやってくれるけど
「そのとき」は怖いというより、
ただ事実は時間とともに過ぎてゆくだけで
不思議とずっと冷静でいました。

でも1年後のまさにその日が来るのが怖いです。

とっても怖いです。

なんにもなかったら命があったはずの
たくさんの友達、知り合い。

みなさんの「おはなし」を見る前までは
すごくこわかった。
でも見ているうちにじわっときて、
あ、そうか、と
すごくおだやかな気持ちになってきました。

そう
いつもどおりに
していればよいのだな

う〜ん、
自分はどうしているのだろう。

でも
なんだかたくさん泣きたい。
皆のことを思い出して泣きたい。
いままであまり
泣いてこなかったからかなー。
とにかくみんなのことを
思い出してあげなくちゃと思います。

(いつもあかるい満月)


ありがとうございました。
今回掲載できなかったぶんも、
今後どんどんご紹介していきますね。
それでは、また。

2012-02-26-SUN

postman@1101.com宛てのメールは、
乗組員みんなで読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
乗組員一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
なのでぜひハンドルネームを記入してくださいね。
また、掲載されては困るメールには、
「載せちゃイヤ!」と書き添えてください。

ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等の著作権は
翻案権を含んでほぼ日に譲渡されたものとします。
ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等は、
使用する場合に
編集等をすることがあるかもしれません 。

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