はなちゃん、福島、クロネコヤマト。


ほぼにちわ。

2011年の夏も、終わろうとしています。

この夏「ほぼ日」には、いつも以上に
メールがたくさん届いたコンテンツが、3つありました。

石田ゆり子さんの愛犬はなちゃんから届く、
「はなちゃんの夏休み。ほんとの夏編2011」

東日本大震災が起こった直後から
社員のひとりひとりが自主的に動いて、
現地でも救援活動がはじまった「クロネコヤマト」の
木川眞社長に糸井重里がお話をうかがった
「クロネコヤマトのDNA」

ままならない事情を抱えながら
甲子園の出場を目指す高校生たちを
ほぼ日乗組員の永田泰大が書き留めた
「福島の特別な夏。」

今日はたくさん届いた中から、ほんの少しづつですが、
メールをご紹介します。

しつこいようですが、
ほんとうにこの何十倍も、メールが届いたのです。

みなさん、ありがとうございました。
すべてのメールを、大事に、拝見しています。

では、どうぞ。

まずは「はなちゃんの夏休み。ほんとの夏編2011」
いただいたメールです。

メールアイコン 今年は転職をして旅行に行くこともなく、
仕事の合間に見た横浜の海で終わりでした。
でも、はなちゃんの夏の風景を読み、
日常の中の夏を今年は楽しめました。
特別じゃない夏が、実は素敵だってこと。

石田さんの文章、とっても素敵です。
まっすぐに自分の人生を
生きてこられた方だから
見える世界と思いました。
そしてはなちゃんの視線に触れて、
我が家のルーナ君がまたまた可愛くなりました。

また冬に会えることを楽しみに。
ありがとうございます。

(I)



メールアイコン 「はなちゃんの夏休み」
楽しく読ませていただきました。
決して悲しいわけではないのに、
ただ、ほっこりと、
心穏やかになっているはずなのに
読みながら泣けてきてしまうこともありました。
最近、涙もろいのです。歳のせいです。
といっても、ばあやより
数ヶ月お姉さんなだけです。

“きょうも、げんきで、たのしくね。
 えがおでね。”

毎回最後にある、こうしたフレーズに、
どれだけ励まされたでしょうか。
ありがとうございました。

今回の夏休みは終わってしまいましたが、
次の”夏休み”まで、
元気で、笑顔で、いましょうね。

はなちゃん、石田さん、ほぼ日のみなさま、
ますますのご活躍をお祈りしています。

(ひよし in LA)



メールアイコン はなちゃん ばあやさん こんにちは!

今年の夏休みも楽しくて、
愉快で心温まるお手紙を
毎日毎日拝見させていただきました。

松竹梅とさちこさんの会話、
ふりま二回の値段とやる気のない店員さんたち、
ばあやの普段乗ってはいけないベッド、
にんきばくはつのみんなの笑顔、
なんか、サイコウ〜!!!

今年の冬の夏休み、まってまーす♪
ぶいちゃんによろしくね。。。。
ありがとうはなちゃん

(札幌のレトリーバー大好きおばさんより)



メールアイコン 毎回、息子達の長期のお休みになると
はなちゃん日記を読むことが、
わたしの一番の楽しみです。
今年の夏休みにも感謝です。

我が家にも、黒ラブがいました。
そー、8月2日に
黒い天使になってしまいました‥‥。

昨年の8月に癌がみつかり、
悪性度の高い癌とわかり、
抗癌剤を使って半年、
何もしなければ2〜3ヵ月と言われました。

抗癌剤には強い副作用があるそうで、
短い命ならできるだけ、家族と一緒に、
美味しいものを食べて、
ニコニコで過ごしてほしいとおもい、
何もしませんでした。
でもそれから約1年、
彼は家族といっしょにいてくれました。
そして、亡くなる日の朝も
ご飯を食べてくれました。

8月24日で彼は、8歳になりました。
天国ではもう歳は
とらないかもしれないけど‥‥。

「はなちゃんの夏休み」が始まると、
いつも彼に話しをしていました。

はなちゃんは、都会の女の子♪
猫さんとくらしているんだよ♪

たのしい「夏休み」をありがとうございました。

(J)



メールアイコン ゆり子さま はなさま

この夏休みも毎日楽しく拝読いたしました。
おっとりやさしそうな、はなちゃん。
若いころハイパーなわんこも、だんだんと
落ち着き、立派な「相棒」になっていく、
そんなおふたりの様子に心が温まります。

我が家にも2頭の犬がいます。
1頭はビションフリーゼの女の子「ぱふ」。
この夏14歳になりました。
腎臓が弱ってきて、週に一度
の補液(点滴みたいなもの)と食事療法、
サプリメント、月に一度の血液検査を
欠かせなくなりましたが、
とっても元気いっぱいです。
もう1頭は、紀州(たぶん)の男の子
With(通称・うー)。6年前に保護した犬です。
だから、正確な年齢もわかりませんが、
たぶん8歳くらいです。
やんちゃで慣れるまで泣きたい気持ちでしたが、
今はすっかりやさしく穏やかな犬になりました。

動物は本当に愛しいですね。
苦しくなるくらい、
かなしくなるくらい、愛しい。
一緒に暮らせるのは、本当に感謝なことです。

ゆり子さん、はなちゃん、そして猫たちが
ずっとずっと健やかで幸せでありますように。

こころより祈っております。

(みち子)



メールアイコン はなちゃん、今日の写真は
仲良し親子にしか見えませんよ。
ばあやさんが内緒にしているだけで、
実の親子ですよ。
間違いないですよ。そっくりだもの。

素敵な所へお出かけするんですね。
青山‥‥行った事ない‥‥きっと行ったら
「これこれ、道産子はお断りですよ。
 都会が似合いませんよ。
 あ、そちらの猫さんは許可します。」
って言われる筈。憧れです。
だからはなちゃんは憧れの犬さんです。
いい匂いもさせてるし。では今日も楽しくね。

(トムママ)



メールアイコン はなちゃん、こんにちは。
ボクは、チビ君と言います。
本当はアーサーって名前だけど、
みんなが、チビちゃんとか
チビ君って呼んでいました。

ん? 呼んでいました? ‥‥?
と、思ったでしょ?

はなちゃん、その感じ方、正しいよ!

実は、ボクは、今‥‥、
天国からお手紙してます。

ボクのオヤブンが、どうしても、
はなちゃんに、ボクから、
お手紙しろっていうから、
こうして、お手紙しちゃいます。

ボクのオヤブンは、
「はなちゃんのばあや」と、おなじような
役回りです。
ボクは、オヤブンを散歩に連れて行ったり、
ドッグフードを用意する仕事を教えました。

けっこう、しっかり働きましたよ。
お水や骨ガムの用意もできるように
なりましたから‥‥。
教え方がいいからね‥‥。ウヒヒ‥‥。

ボクのオヤブンは、
「はなちゃんのばあや」よりも
10歳も婆やです‥‥。クスクス‥‥。
おかしいでしょ? かなり婆なのに、
オヤブンって名前なのです。クスクス。

はなちゃんのばあやは、すごくきれいで、
すてきなばあや、ですね。

ボクのオヤブンは、不細工で太ってて、
とても丈夫です。
なのに、時々ボクのことを
ブーちゃんと呼んでました。失礼なヤツ!

はなちゃん、ボクが、
手紙を書けないオヤブンにかわって
お手紙しているのはね、
オヤブンからお願いされたからです。

ボクのオヤブンは、毎日、
とても寂しく暮らしているんだけど、
「はなちゃんの夏休み」が大好きなんだって。

ばあや、ミント、と、一緒にいる様子が、
すごく好きなんだって。

はなちゃんが、ブイちゃんに、
「きょうもげんきで」「きょうもえがおで」
というところも好きだって。

夏休みと冬休みだけじゃなくて、
ブイちゃんみたいに、毎日、会いたいっ!
って思ってるって。

ケイタイにハイシン、してくれるようになれば
嬉しいなぁって‥‥。

言っておりますこと、お伝えします。

はなちゃんから、
ばあやとブイちゃんのおとうさんに、
よろしくお伝えくださいね。

ところで、はなちゃん、ハイシンって、なに?
わかりますか?

ボクには、わからないことが
多くなってしまいました‥‥。

じゃあね!

はなちゃん、また、お手紙してもいい?

(チョッピリ黒ラブが入ったざっしゅ犬
 チビ君より)



メールアイコン はなちゃん、こんにちは。

おてがみするのは二回めの
コネコのむぎちゃんですよ。

毎日、はなちゃんのおてがみを
読んでもらっています。
「ねんねじゃなくて聞いてなさい!」
ってしかられます。

むぎちゃんはイヌさんはちょっとね、だけど
もしかしたら、はなちゃんとだったら
おともだちになれるかも、って思います。

おかーさんはおてがみを読んで
はなちゃんのこともだけれど
ゆりこさんのことが、もっともっと
ダイスキになった! って毎日、言います。

このまえ、テレビで
イルカと泳いでるのを見て
ひゃあひゃあ喜んでいました。
むぎちゃんもいっしょに見ましたよ。

夏は暑くてしんどいけど
はなちゃんからおてがみがくるから
いいな、とおもいます。

はなちゃん、げんきでね。
またげつよーびのおてがみ、
楽しみにまってます。

(むぎちゃん☆)



メールアイコン 本日(8月11日ぶん)のお手紙を読んでいて、
私は涙がぼろぼろこぼれてとまりませんでした。

「見ていてあげること。ちゃんと。」

ちゃんと見ていてあげれば、
どんな小さな変化にも気がつくはず。

生き物と暮らすにあたって、
これ以上大切なことはないと思いました。

お金をかけたり時間をかけたり、
できることはいくらでもあるけど、
見ていて気がついてあげられなければ
何もならないのですね。

私は今年の4月に
大切な大切なうさぎをなくしました。
最期は私の腕のなかで小さく鳴いていきました。

もっとちゃんと見ていてあげれば。
お仕事も辞めてずっといっしょにいてあげれば。

明日は会社に行って「辞めます」って言おう。
そう思っていた矢先の出来事でした。

でもきっと、
仕事のことだけではなかったのですね。
仕事が忙しくて、毎日疲れてることを
言い訳にして、私がちゃんと彼のことを
見ていてあげられなかったのです。

ゆり子さんはやっぱり偉いです。
これからもどうか一日でも長く、
みんなで幸せに暮らしてください。

(U)



メールアイコン はなちゃんの夏休み、
いつも楽しく読ませていただいてます。

今日の手紙の、
「ちゃんと見る事、
 そして自分が倒れない事。
 私が倒れたらみんな共倒れです。」

ぐっときました。
働く母の子育て、そのままです。

でも子育ては嫌がる事ばかりしてしまいます。
眠い子どもをバタバタ起こし、
ごろごろしている子どもも急き立てて学校、
学童に追い立て‥‥
「気をつけてみていれば
 ほんの小さな変化に絶対気がつくものです」
には、トホホに反省。
本当にそうだと分かっていても、
気がついたらただの靴擦れじゃなくて
治療必要なイボで数ヶ月も病院通ったり‥‥
てな事の繰り返しの母なもんで。

石田さんがだんだん、
素敵な女優さんになっていくのは
地に足着いた、失う物の大事さをわかった、
普通の生活を大切にしてるんだな、と
本当に思いました。

今日も元気で、健やかに、心温まるお手紙、
これからも楽しみにしています。
私ももうちょっと、気をつけて子ども達を
見られるように、頑張ってみます。

(N)



「だから、ヤマトさんの対応は、
 これまでもすばらしかったんだ」
そんな感想がたくさん届いた「クロネコヤマトのDNA」
また社員のご家族の方のメールも、
たくさんいただきました。

メールアイコン クロネコヤマトのDNAを
毎回とても楽しみにしています。

実は父がクロネコヤマトで働いていて、
来月めでたく定年退職を迎えます。
最後まで現場のドライバーとして
働き続ける予定です。
現場を知っていると、大変な事が多く、
母も私も心配する事が沢山ありました。
しかし父はとても自分の会社と仕事に
誇りを持っていました。

家族が「なんで??」と首を傾げるほどに。
その理由が今回の記事で
ハッキリとわかりました。
ああ、すごい会社にいたんだなと。
現場も大変だけど、本社はそれを無駄にしない
高い志しを持っていて、
それを実行してくれていたんだなと。
父達のがんばりを、さらに大きな力に
変えてくれていたんだなと。

父が定年を迎える前にその事実がわかって、
本当に嬉しい事です。
来月は父だけではなく、クロネコヤマトにも、
「ありがとうございました。
 あなたのおかげで
 わたしはこんなに大きく成長しました。」と
感謝を伝えたい気持ちでいっぱいです。
(りえ)



メールアイコン クロネコヤマトさん、
配達してもらうたび関心するのが
配達を終えた担当の方って、
家の玄関で荷物をうけとったあと、
ドアをしめるまで丁寧なんですよね。
ヤマトさん、ちゃんとこちらを向いて
ドアをしめて行かれる。
後ろ手でドアをしめて、
トラックに小走りに…なんて姿は、
あまり見かけない。
そのあたりまでとても丁寧です。

子どもを保育園に連れて行く
わずか10分足らずの道のりで、
ヤマトさんのトラックとか、
電動リヤカー(?)を運転する方を
何人も見かけたりします。
こんな狭い範囲に、
何人の方が動いてるんだろう、と思って
びっくりしちゃいますが、
そのおかげで、もうあったりまえなぐらいに、
私は便利なサービスを受けてるんですよね。
夫の実家から届く、食料の入った
でっかくて重い宅急便。
大雨で暴風の日でも、電動リヤカー(?)に
乗った女性の方が届けてくれます。
感謝感謝。
な〜〜んてことを思い出した本日でした。
(y)



メールアイコン 当方、四国の小さな島に暮らしています。
小さなフェリーで車と人が運ばれる離島です。
郵便局以外の配送だと、たとえそれが
繊細な食料品であっても、
そこそこ高価なものであっても、
温度が大きく変わったり、
人がだれでも送り状や中身表記を確認できる
フェリーの甲板に荷物が放置されて、
結構はらはらします。
そんな中ヤマト便さんは、
いつも元気に手元まで運んでくれます。
フェリーの時間の関係で指定時間を守れない事を
わびてくれたのもヤマト便さんだけでした。
そんなところにこの連載です。
あの寡黙でありながら圧倒的な、
ガレキの中を走るトラック写真は
何度みても胸が熱くなります。

離島。
医療からも取り残された年寄りばかりの島に、
ヤマトさんは遠く離れた家族からの
気持ちのこもった荷物を
毎日確実に届けてくれます。
これからもがんばってください。
これからもよろしくおねがいします。

(N)



メールアイコン わたしは3ヶ月前から、
クロネコヤマトの仕分けのアルバイトをしています。
場所は都内の小さな小さなセンター。
朝、3時間程度ですが、毎日毎日、
荷物はこんなにも流れ、
そして季節や世相を反映するものなのか、と、
第二次産業の本質的な濃さというようなものに
感激していました。

クロネコで働きたいと思ったのは、
自分が差出人になった時も受取人になった時も、
クロネコが一番安心で気分がよかったからです。
なので、一日ほんの3時間でも働けて
ラッキーと思っていました。

今回、連載を読みながら、自分が客として
気分がよかった理由がわかりました。
よくできたシステムやマニュアルだけではない、
知恵と情念が深くあったのだということ。
客はその表面をさらうだけですが、
それでも、伝わるものなんだということです。

朝のアルバイトの面接の折、
「地味で、きつい仕事ですよ」と言われました。
確かに今は、お米や水など、
自分のカラダの左側から右側に動かすだけでも
一苦労するものが多いです。
軽度とはいえ肉体労働は
初めてなのでなおのこと。
けれど伝票に記された情報を読み取りながら
荷物を分けてゆく作業は、
地味で、きつくて、おもしろい仕事でした。

被災地で、自分も被災者でありながら
「なんでもやる」と名乗り出た方々は、
毎日の仕事で獲得した自分の力を、
ただ心の底から提供したいと思ったのでしょう。
報酬やシステムや、ボランティアという言葉で
括ることのできない、役に立てることがあれば、
という人間の基本的な衝動。
それは毎日働いていたから生まれたのでしょう。
できることがある、という真剣な喜び。

ちなみに、わたしが働いている毎日の現場は、
今回の対談の行間から発せられている、
「クロネコ、とってもいいカンジの会社!」
ではありません。静かで、緊張感があります。
現場に、“ウチは良い会社!”という
主張はありません。それは職場として健全で、
幸運なことだと思います。

(i)



メールアイコン 私は宮城県の気仙沼に住んでます。
私の車も津波で車が流され
毎日片道一時間を掛けて歩いて
職場のヘドロ掃除に向かっていたのですが、
停電も続き携帯も繋がらず、
町には瓦礫とヘドロだらけで、
その道路を歩いている時に
クロネコヤマトの車が走っているのを見た時、
ああ助かった!と心からホッとしました。

日常的にいつも走っていた
クロネコヤマトのトラックが
走っている姿を見て、
少なからず日常が取り戻せるんだという
安心感というか希望のようなものを感じて
道ばたで泣きながら
ヤマトさんのトラックを見送りました。

そのトラックには支援物資を運んでいるという
白い布が張られていて、
本当にありがたくて心強くなりました。

そして、私の知人は気仙沼の
クロネコヤマトさんで働いています。
クロネコヤマトの気仙沼のセンターは
川沿いにあったので、川を逆流してきた津波で
センター自体もかなり大きな被害を受けました。
それでも、配達はできないけど
取りにいけば荷物を渡してくれるということで、
遠方に住んでる友人から送ってもらった物資を
受け取りに何度もそのセンターに
足を運んだのですが、辺りは瓦礫と潰れた家屋、
津波で流された車が散在したままの
とても凄まじい光景で、
それでもクロネコヤマトの職員さんは
痛々しい津波の傷痕の残るセンターの中で、
一生懸命に荷物を探しては
引き渡してくれました。

その職員さん達も
自宅が津波の被害に逢った方々も
たくさんいて、そこで働く私の知人も
やはり自宅が津波で流されてしまったそうです。

それでもその知人がセンターで働いていたのは、
やはり気付いたら職場に向かっていたそうです。

でも、知人が頑張れたのは、
他にも理由があったとのことです。
それは震災からまだ間もない頃、
道路がまだ瓦礫やヘドロだらけだった中を
クロネコヤマトの社長さんが
気仙沼のセンターに来てくれたそうです。
それで私の知人も他の職員さんも
「社長がこんな中に来てくれたんだから、
 自分達も頑張らないと!」と
感動と気合いが湧き出たそうです。
私もその話しを聞いてたまらずに
涙してしまいました。

(Y)



メールアイコン あの広告をつくられた方にお会いできるなんて、
‥‥一方的にですけれど(笑)、
思ってもいませんでした。感激です!

4月11日、ヤマトさんの新聞広告を前に、
涙とふるえがとまりませんでした。

あれほど、自分のすみずみにまで染み込んでくる
文字のひとつひとつを(その言葉や想いを)
それまで経験したことがありませんでした。

震災にかかわることだけでなく、
自分が生きていく姿勢としても
忘れずに、見失わずに、
心にとめておきたいと思いました。

その一枚は、いまも手元にあります。

(J)



メールアイコン 私の主人、クロネコヤマトのドライバーを
もう25年やっております。
1日も休むことなく朝早くに家を出て、
帰りも遅い毎日です。
父不在の日々に子供たちもいつか慣れ、
寂しがることもありませんでした。
でも おかしなもので、あのヤマトの
ユニフォームを見かけると誇らしくて
嬉しいのです。
あのユニフォームがお父さんに見えるのです。

連載をずっと読みました。
お父さんの会社、すごいです!
自慢したいくらいです。
主人が会社に尽くす理由がわかりました。
感謝します。本当にありがとうございました。

(岐阜 主婦50歳)




メールアイコン 3月11日の午後は、
夫が同僚の女性陣の
ホワイトデー用にと頼んでいた
六花亭さんのお菓子が届くはずの日でした。

地震の後は、それどころではなく、
荷物のことも、すっかり忘れていました。

週が明けた14日の月曜日、
見慣れたヤマトのドライバーさんが、
「宅急便です」と。
驚いて受け取る私に、ドライバーさんは、
「遅れて申し訳ありません」と
頭を下げられました。

道路はズタズタ、
崩れた塀や屋根瓦も道路にまだ残る中、
荷物が届くとは、思ってもみませんでした。
かえって、こちらが恐縮です。
感謝、感謝です。

そして、六花亭のお菓子を配った女性陣には、
「ホワイトデーなんて、忘れてた〜!」と、
非常に喜ばれたそうです。
(夫はローカルTV局に勤務し、震災直後から、
 怒濤の時間を送っていました)

(m)



メールアイコン 木川さんのお話ほんとうに感動しました。

3月17日、ヤマト運輸がいち早く、
仙台地域への宅急便の配送が可能になりました。
23日の段階で、営業所止めで受け取りにこられるなら
配送が可能ということでした。
私の恩師へ、食料や水、日持ちする野菜などを
たくさん箱に詰めて早速、
集荷の方を呼びました。
「いつ到着しますか?」という質問に、
「2日後です」ときっぱり答えられました。
「そんなに早く着くんですか?」
「はい、営業所まではそうなっています。
 先方のご連絡がとれるお電話番号を
 書いててください。
 この地域は配送できないこともないので、
 営業所に荷物がついたら先方にお電話します」

九州のこんな遠くの集荷のお兄さんまで、
何日かかるか被災地の各営業所が
どうなっているか、きちんと情報が
フィードバックされていることに、
とても驚きました。
そして、「一番近い営業所が機能してなくて
すみません。」って‥‥。
荷物は、きちんと2日後に到着しました。

あの日の、ヤマト運輸さんの対応は、
今でも忘れられません。
思いを込めた荷物、喜んでくれた恩師、
素晴らしいヤマトさんのお仕事、
あの感動は、ずっと胸に残っています。

今回の、木川さんのお話を拝読して、
すべてが納得できました。

(はるこ)



メールアイコン 「クロネコヤマトのDNA」、
没入して読んでいます。
わたしの姉は、クロネコヤマトの社員です。
36歳、となかなかいい歳ですがもう14年くらい
ドライバーとして働いています。

デスクワークの私から見ていると、
毎日ホコリだらけになって運転して働いて、
夏には日焼けでそばかすが増えてしまい、
今は私の美白クリームを一生懸命使って
そばかすを減らして‥‥などなど、
女性としてもそう簡単にできる仕事でもなく、
筋肉もついて(30歳のころ、
おなかが割れていました(笑))しまって、
体力も使って大変なのに、
なぜそこまでして続けるのか!?
と本当に不思議でした。

同じ支店の方々も退職されないし、
会社内の雰囲気が良いのだろうなとは
思いましたが、今回のこの連載コラムで、
会社としての思想が姉や働いている方々の
モチベーションになっているのだ、
とあらためて理解しました。
その思想がしっかりと現場に伝わっていること、
それをしっかり受け止めている姉も
すべてがすごい!と思いました。

そういえば、毎年姉が誕生日に
ホールケーキを持ち帰ってきていました。
私はてっきり、支店の方達から
いただいているのだと思っていましたが、
なんとヤマト運輸からのプレゼントでした。
全社員の誕生日に、ホールケーキが
プレゼントされるそうです。
あれだけの規模の会社で、
全社員の誕生日にケーキって‥‥!
なかなかできることではないと思いました。
本当に日本の誇れる会社のひとつだと思います。

姉にこの連載の話をしたら、
読んだようでとても喜んでいました。
企画していただいた方々に感謝!です。

(つちや)



メールアイコン 目から涙が。止まりません。
明日も仕事だから大泣きしたくないんだけど。
かっこいいなぁ。ヤマトのひとたち。

こないだね、職場の先輩の知り合いの方で、
ふだんから金銭的に恵まれない
母子家庭の方々などの支援活動をしている女性を
紹介してもらったんです。
ええと、衣類を無償で提供する活動を
されているんです。
その方のところへ衣類を送ると、
必要とされるものは、欲しい人がもらい、
必要とされなかったけど、
商品としていけるものはリサイクルにまわり、
そこでも行き先が決まらなかったものは
海外での衣類支援にまわる、という、
すんごいことをしている方を、
紹介してもらったんです。

あったんですよ、たくさん。
もう体が大きくなってしまって着られないけど
モノはいい。
だから惜しくてもっていた服がね、
たくさんあったの。
それを、2箱、送ったんです。
その方、盛岡なのでね、伝票を書くでしょ。
(もちろん近所のヤマトの営業所に
 ダイレクト持込です。早く届くから。)

そしたらね、2こ1パックっていうのがあるの。
2箱でも伝票は1枚でいいのね。

書いて、渡すと、おばちゃんが言うの。
「中身なんですか?」って。
「衣類です。」っていうと、こう、
ぐっと瞳が輝くんですよ。深い深い色になるの。
あたし、もうそのとき泣きそうだった。
おばちゃんは言ったよ。
「明日届きますからね!」って。
かっこいい笑顔で。

もうさー、思い出すだけで涙出ちゃうよ。
前日の夕方の6時だよ? 伝票書いたの。
なんで明日届くんだろう。とか
いっぱいここから支援物資を
発送している人がいる。
とか思うんですよ。
ともかく、ヤマトのひとたちは、かっこいい。
営業所のおばちゃんも、配達のおにいさんも。
みんな、かっこいい。

送った衣類はもちろんきちんと届き、
お手紙もこっそり同梱したので
紹介された女性から、
おはがきをいただきました。
それが、勿忘草の絵葉書でねー。
また泣きました。

(連絡係☆)



最後に、「福島の特別な夏。」です。
たくさんの方の応援を、ありがとうございました。

メールアイコン 福島県在住の者です。
「福島の特別な夏。」を
毎回とても興味深く読ませていただきました。
この連載終了にあたり、一福島県民として
どうしてもお礼を申し上げたく、
メールいたしました。

ご存知のように
福島県は原発事故後に発生した
様々な問題を抱えてしまい
その問題に正解はあるのかないのか
あの日からずっと悶々とした日々を
送っております。

こんな福島に来ることを敬遠する方もいるのに
直接福島にお越しいただき
県内くまなく取材していただいたこと
そして、動物たちの救助活動まで
本当にありがとうございます。

会社からの帰り道
聖光学院のグラウンドの照明が目に入ります。
今日も照明は煌々と輝いておりました。
思えばこの数年、あの照明に
励まされていたような気がします。

いつか、この特別な夏を乗り越えた
福島の球児たちが
磐城高校の記録を超えられたら、最高です。

この夏、福島を気に留めていただき
本当にありがとうございました。

(H)



メールアイコン 「たのしいから」という言葉が、
とても心に染みたのでメールします。

ボランティアは全くやったことがないので、
その活動をすることが
「たのしい」と思っていいんだと
はじめてほっとしました。
なんとなくですが、
ボランティアをすること自体が僭越というか
どういった気持ちでやるのかわからずに
怖気づいていたことに気づきました。

なにかやりたいなと思っていても
やれそうな活動は知っていても
踏み出すきっかけより先に、
気持ちがついていってなかったです。
もっと気楽にやれそうです。

(F)



メールアイコン 私は双葉町に家があり、現在避難中の身です。
一人娘が高3(転校前は原町高校でした)なので
今年の高校野球は例年以上に関心がありました。
聖光学院、双葉高校、昌平、
同級生や娘の幼馴染が出ていました。
福島の結果は残念だったけど、
その精神力に勇気をもらいました。

うまく言えないのですが
「福島の特別な夏。」とても嬉しかったです。
最近のツイッター等を読んでいると、
福島県がまるで魔物のように扱われて
正直うんざりします。
すごく素直に福島のことを
見て下さっていることと、
その表現に癒されました。
読みながら、何度も泣きました。
本当にありがとうございます。

警戒区域にも入られたんですね。
きっと胸が痛んだことでしょう。
私も毎日いわき市から警戒区域に通っています。
最初は悲しかったけど雑草だらけの
人の居ない風景にも随分と慣れてきました。

姉から、友森さんのお名前を
うかがったことがあります。
姉は両親と犬と一緒にいわき市のホテルに
避難中で、友森さんと親交があるようでした。
友森さんのご活躍は色々聞いていて、
その熱意に感動しました。

震災後こういうことになって、
日本にはまだまだ大きな愛が溢れていることに
気付かされるなんて。
先が見えないので笑っていないと
押し潰されそうになるのも事実ですが、
支援して下さる方のお気持ちを
無駄にしないように、強く生きていこうと
私自身は思っています。

(n)



メールアイコン 聖光学院の1回戦を一塁側で観戦してきたとき、
ベンチ最前列でひときわ
背伸びするように身を乗り出している
選手がいました。

攻めてるときは味方の打者に、
守ってるときは味方の野手に、
もうすっかり潰れて枯れた声を、
それでも張り上げる。
ピンチのときもチャンスのときも、
グラウンドの仲間を鼓舞し続け、
ベンチの仲間とはハイタッチを交わす。

味方打者の打ったバットを取りに走っては、
戻ってきてやっぱりハイタッチ。
攻守交替のときには、グラブをもって
走って外野手とのキャッチボール。
そして守備から戻ったナインが
ベンチ前で円陣組むときには、
必ず監督の真正面に立って、
誰よりも真剣に指示を聞く。

有力なエースや四番打者、
グラウンドに出ている9人がいるだけでは、
野球はできないんだなぁと、
改めて実感させられた選手でした。

甲子園での2試合、
18番を背負った控え選手は
打席に立つこともポジションにつくことも
なかったけれど、伝令としてグラウンドに
全力疾走していくシーンがありました。

宇佐美優介くん、3年生。

チームの中でも人一倍戦っていた彼は、
スポーツ紙の記事によると金沢戦後、
担架で運ばれたようです。

(とらちゃん)



メールアイコン 他の方からメールが来てるかもしれませんが、
準決勝に登場した小高工業高校のことが、
今朝の毎日新聞の17面に書いてありました!

鎌田實先生がお書きになっている
「さあ、これからだ」です。

読み始めて、とてもびっくりしました。

震災の後、みんなバラバラになってしまって
甲子園の予選前にみんなが集まって練習したのは
たった1回だそうです。
しかも、大雨になってしまったそうで。

予選で勝って震災後、みんなそろって
初めて校歌が歌えて
うれしかったんだそうです。

なのに、「きっちり送る」バントができる
高校だったんですね!

(A)



メールアイコン わたしは、特に野球に興味があるわけでは
なかったのですが、写真と文章でつくられる、
程よいテンポに惹き込まれました。

ルールや技術のことは
ざっくりとしか知らないのですが、
毎回毎回、前のめりになって読み込み、
泣いてしまいます。
それぞれのまっすぐな思いが伝わってきて、
泣いてしまいます。
悲しみや感動とは違った感情な気がします。
ことばでどう表していいのか、
わからないのですが。

「福島の特別な夏。」
とても、とてもいい企画だと思います。

わたしは東京に住んでいます。
今回の地震を体験して、
改めて、自然災害の怖さを
知ったにもかかわらず、
わたしの中の被災地福島、
宮城は被災地のままで止まっていて。
ニュースで見る福島、宮城の映像は、
避難所ばかりで、同じ日本なのだけれど、
どこか実感がなかった。
あの地震はテレビの世界で起こった出来事と
無意識に思い込もうとしていたと思います。
この「福島の特別な夏。」を読んでいて、
今さらですが、実感がわいてきました。
読み進めて行くうちに、じわじわと。
地震の残した爪痕は大小あるとは思いますが、
今までと何かが変わった日常が戻ってきている。
そこで生きている人たちがいる。
ということを知ることができました。
しっかりと受け止められた気がします。

気がします、ばっかりで、伝えたいことが
まとまっていないような気もするのですが、
「福島の特別な夏。」から
なにか受け取りました。
ありがとうございます。
以上です。

(きのした)



メールアイコン いつも楽しく読んでいます.
印象深かったところを列挙します.

#07相双連合対喜多方高校
素敵なところはいっぱいありますが、
私は最後の服部監督から
選手たちへの言葉が印象的でした.
服部監督
「今日できねぇのは、明日やればいい、
10年後やればいい。
そういう気持ちを持って。
これからな、苦しいこと、
いっぱい待ってます。」
立派な監督さんですね.

#06開会式
岩渕賢美さんの一節は、
肝が据わっているというのか、
覚悟と想いがすごいですね.
「もとより、高校生の未熟なプレーに、
福島県民を勇気づける力などはありません。
しかし、感謝の気持ちを胸に、若者らしく、
はつらつと、爽やかに、謙虚に、
礼儀正しく戦う姿は、必ず見てくださる方々の
心に響くものと信じます」

#05南会津高校
素敵な写真をありがとうございます.
会津の田舎はこんな雰囲気ですよね.
永田さん、実は写真がうまいですよね.

#04相双連合
服部監督
「で、まずは校旗を
どうしようかと思ったんだけど、
富岡高校さんは、学校、入れないのでね。
部室にあるけど、
取りに行ける状態ではない、と」
永田さんが書くまで、
私も部室に入れないに気づいていませんでした.

(けいたろう 会津若松市)



メールアイコン こんにちは。京都に住んでいる大学生です。
京都の大学に来ているものの、
私は宮崎の出身で、
ですから、聖光対日南の試合は
もうどうにもならない気持ちでみていました。
どっちにも勝ってほしいのです。
結果、どのイニングも
両方応援することになり、
さけび、手をたたき、大忙しでした。
最後、日南の選手がファーストでアウト、
試合が終わった時に膝をついて立ち上がれず、
チームメイトが起こしにいく場面で、
不覚にも目頭が熱くなりました。
この連載で試合の記事を見ただけで、
もう、胸が苦しくなります。

こんなに甲子園をどっぷりみるのが楽しいとは
思わなかった! ありがとうございました。
それだけではなく、福島の今を見つめること、
そのことも教えていただきました。
このことを言いたいがために
長いメールになってしまいました。

エンディングのスライドショー、とても素敵でした。
栄冠は君に輝く、それがBGMだと分かった時、
ぼたぼたぼた、って涙がこぼれました。
目頭が熱くなる涙とは違って、
ぼたぼたぼた、って
自然に流れてきたからびっくりしました。
たくさんの悲しみと、すべての球児への敬意と、
そんなものが全部交じっていたみたいでした。
この夏を忘れてはいけないと思うし、
忘れたくないと思います。
(r)



メールアイコン ずっと読んでました。

近くで行われている高校野球も
この連載をきっかけに観に行きました。
それで高校野球ファンにもなりました。

また、こんな大変な事が、
この福島で起きているんだということを、
再び実感できました。

そしてなにより、
「特別な夏」を、
全国の方々に広めてくださった事に感謝です。
なかなか前向きになれない
私たちへのエールだと思っています。

連載が終了してしまうのはさみしいですが
いつまでも、いつまでも
今年の夏を忘れないようにしたいです。

永田さん。
ほんとうにありがとうございました。

(K)


みなさん、たくさんのメールをありがとうございました。
タイプの異なる3つのコンテンツですが、
心のいろんなところをマッサージするような
力を持っていたのだろうな、と思いました。

それでは、また。

2011-09-04-SUN

postman@1101.com宛てのメールは、
乗組員みんなで読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
乗組員一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
なのでぜひハンドルネームを記入してくださいね。
また、掲載されては困るメールには、
「載せちゃイヤ!」と書き添えてください。

ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等の著作権は
翻案権を含んでほぼ日に譲渡されたものとします。
ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等は、
使用する場合に
編集等をすることがあるかもしれません 。

最新のページへ