「人間とは、子どものことである」について。

ほぼにちわ。

11月3日は文化の日で祝日でした。
お休みの日はいつもちょっと読者の数が少なめで、
そのためメールも少なめなのですが、
この日の「今日のダーリン」は
多くの方の心に響いたようで、
感想がたくさん届きました。

その内容は、
「じぶん」とは「子どものじぶん」で、
「大人のじぶん」は、「じぶんがつくったじぶん」、
と断言しよう‥‥というもの。

だから「大人」って、難しかったんだ‥‥。
みなさんのメールから、
そんな声が聞こえてきそうでした。

では、その「今日のダーリン」と
みなさんのメールをご紹介します。

・大人になってから、
 大人としてやるべきことを、
 しっかりやることは、
 大人の快感かもしれない。

 ただ、それは、
 子どものじぶんを静かにさせて、
 しっかりやったということではないのかな。
 静かにさせられた子どものじぶんは、
 押し入れの中で、うらみがましい目で、
 大人のじぶんを見ているかもしれない。

 断言してみたい。
 じぶんとは、子どものじぶんである。
 大人のじぶんは、じぶんがつくったじぶんである。
 つくったじぶんよりも、
 じぶんのほうが、よっぽどじぶんのはずで。
 押し入れに閉じこめられても、
 さるぐつわをかまされて黙らされても、
 そいつは生きて足をばたばたさせている。

 よし、言おう。
 言ってしまおう。
 人間とは、子どものことである。

・ぼくは、いろんな大人たちのことを理解するために、
 彼らひとりひとりを、
 想像上の中学の教室のなかに置いてみます。
 そうすると、いるんです、中学生の彼や彼女が。
 理屈の得意なおじさんは、
 口を尖らせて大声を出して笑われているやつだったり、
 気取った女性は、見栄っ張りのおませさんだったり、
 なんか中学生の姿で見えてくるんです。
 いいやつもいるけれど、たいていは、
 たいしたやつじゃありません。
 むろん、じぶんも含めて、たいしたもんじゃない。
 たいしたことない中学生が、武器や飾りを身につけて、
 ちょいとえらそうにしてるだけです。
 笑っちゃいます、よくがんばってるんです、それだけ。

 (2010年11月3日「今日のダーリン」より)


メールアイコン 今日、この文章を読むことが出来て、
すごく良かった。
私は今主婦ですが、
明日からパートとして働きます。
結婚して1年半、専業主婦として
やってきましたが、はたらくということが
自分にとって何なのか、
ずっと考えていたような気がします。

仕事が決まって、働くまでの間、
そう今、緊張と不安で息苦しい。
自分に何かがとりついているみたいで、
好きなことをしていても、家族と話していても
上の空。体全体が痛い。

きっと、大人のじぶんになろうといま、
必死なんじゃないのか。
なぜ、働くのか。私はなぜ、働くのか。
大人のじぶんになりたい。
大人のじぶんになったら、今よりもっと
呼吸がしやすくなると思った。変わりたい。

でも、子供のじぶんは私に胃を痛くさせたり
おなかを下したりして、必死に抵抗する。
こんな自分見たくないのに、
子供のじぶんはもう見たくないのに。
私は変わりたいのに。

仕事が決まってからの間、テレビを見たりして、
ことあるごとに泣いているのも
きっとそのせいなのかな。
大人のじぶんと子供のじぶんのが今、
戦っているんじゃないのか。
何なのか分かっていたけど、
どうして今苦しいのか分かっていたけど、
言葉にできなかった。
今、すごく嬉しい。
じぶんのことが少し分かって嬉しい。
子供のじぶんがちょっと可愛い。
(s)



メールアイコン 子どものじぶん、いますね〜。
猿ぐつわで押し入れ、という程ではないですが、
隣の部屋で寝っ転がって漫画読んでる感じです。
子育てしてると時々出てきて、
ふすまをちょっと開けて見てます。怖いです。

「大人は子どものリハビリ期間」なのかなと
思います。
子ども時代についた傷を治して克服して、
子どもから大人に成長するのではなく、
傷はあるけど社会生活に
慣らそうと工夫するのが大人で、
一生それが続くのかなと。
傷というのは子ども時代に受けた
刺激全部の事で、痛くないのも含みます。

今42歳ですが、最近これを思いついて、
それで今日の
「大人のじぶんは、
 じぶんがつくったじぶんである」
という言葉に大きくうなずきました。
(あま)



メールアイコン 11月3日の今日のダーリンに心を打たれました。
私はいま23歳です。
毎日、アルバイトではありますが、
仕事をしています。

思えば、いつもいつも、
「大人になる」ということを
うまく理解できないままで、ここまで来ました。
それは23歳になった今も同じです。
小学校から中学校へ、中学校から高校へ、
高校から大学へ、その節目節目のなかで、
まわりがぐんと「大人っぽく」なることに
ついていけずに、1人取り残されたような
気持ちになっていました。
特に、高校から大学へ進学した時の
まわりの変化がいちばん強烈で、
この変化の源は何なのか、
どうしたらみんなと同じように大人っぽく、
いや、「大人」になれるのか、
わからないままどうにかやり過ごそうと
したものの、何だかどうにもならなくなって、
大学は半年でやめてしまいました。

その時の、やり過ごそうとしていた自分を
思い返すと、まさしく糸井さんの
おっしゃっていた通り、
「さるぐつわをかまされた子供の自分」が、
押し入れで暴れていたような感じでした。

今はもう自分とうまく付き合えるようになって、
仕事をするなかで、前のように苦しさに
まわりが見えなくなることは少なくなりました。
けれど、私にとってはちょうどいい状態の
「自分」が、世の中の「23歳の女性像」と
いうものと、ずれている気がしています。

多分、私にとって、ちょうどいい自分というのは、
子どもの自分なんだと思います。
うまく言えないけれど、あの頃に
心地よかったもの、大切だったものが、
いまの自分にとっても、心地いいし、
大切なんだと思います。
うまく言えないけれど、子どもの自分を
はっきりと意識したことで、
いまの自分がすっと見えた気がします。
(そらみみ)



メールアイコン とってもよく届きました。
私も、よく自分の根本的な部分は
中学生くらいの頃と変わっていないような
気がすると思っていました。

「じぶんがつくったじぶん」と「じぶん」と
毎日闘っているんだなと。
押入れにいるバタバタしてる自分の存在のことも
気づいてはいるんですが
そいつに出てきてもらっては困るんですよ‥‥
大人なのでね。

でも、笑っちゃいますね、
よくがんばってるなぁ、大人のじぶんよ‥‥
と思うと、少し気が楽になりますね。

毎日楽しみに拝見しております。
これからも、ずっと応援してます。
(ほとほと)



メールアイコン 子どもの頃は、
大人は大人なんだと思っていたけれど、
大人になってしばらくは、
自分も大人になっていくのだと
思っていたけれど、やっぱり子供のままです。

スキップしたくなるのや、
口を尖らせたくなるのや、
頭をなでてもらいたくなるのを、
必死に隠している、いい大人です。

「何でそんなことできるの?」と思う時、
「この人も子どもなんだなぁ。」と思うことが
年々増え、最近は、疑問もないままに、
ほとんどが子どもに
見えるようになってきました。
よく分からない政治家さんなどの言動も、
子どもの言動として見れば、
良いのか悪いのかは置いておいて、
理解はできます。

子どもだから、武器や飾りを身につけただけで
えらそうにできちゃうのでしょうね。

逆に、いわゆる子どもっぽい人、
つまりえらそうにできない人は
(例えば糸井さん)、
分別のある子どもというか、
子どもがそのまま
グレードアップしたかのように見えます。
きっと、自分の中の子どもと付き合って、
上手に育ててきたのだろうなぁと思います。
(Sarah)



メールアイコン 「今日のダーリン」を読んで
とても同感しました。
今自分は社会人2年目で、
上司と合わなくて悩んでいます。
「人間とは子供の事である」
‥‥まず自分がその通りなのです!
いつまでも子供のままの自分は、
社会人という大人になるために、
すごく背伸びをしているように
感じているんです。
そして中学のクラスに置き換える‥‥
そう考えると、たしかに自分はもちろん、
上司も大した事ないのかもしれない‥‥。
そう考えてみる事で、
少し気が楽になった気がしました。
これからはこの考え方をたまに思い出して
頑張ろうと思います。ありがとうございます。
(やそ・25歳・女)



メールアイコン はじめまして。
すっかり40もなかばのいい大人(女)です。

今日のダーリンは、泣けました。
なんで泣いてるのって
自分でも突っ込んでしまいますが、
ダンナが単身赴任で、
この春から環境も仕事も激変したので‥‥
なれない仕事をするのも、
新しい人間関係作っていくのも、結構大変です。
着慣れてないし、趣味も合わない、
おまけに窮屈っていう服を着て
過ごしている感じ。
頑張って精一杯の大人を演じている、
ホントの「子どもの自分」がそろそろ
しんどくなってきているかもしれません。

「子どもの自分」を許してあげて、
少し小出しにしていかないとなって思いました。
(M)



メールアイコン 私は、子供の自分が大部分いて、
周りの人が、大人のふりをしているのに、
違和感がずっとあります。
大人でも、ちゃんと自分が自分でいなかったら、
楽しくないし、周りの人との関係も
どれが本とか、わからなくなります。
ほんとに、大人は、子供とつきあうより、
めんどくさいし、回りくどいです。
もっと、受け入れキャパを大きくしたら、
みんな自分のまま、それでも、
楽しくやれるはずなのに。お互いに。
と、思います。
私も、すぐ、いろんな人を見て、
教室にいるその人を思います。
私は、教師です。
毎日中学生とつきあい、
今日、読ませていただいたことと、
同じことを感じています。
(m)



メールアイコン ちょっと違うかもしれませんが、
「今日のダーリン」に出ていた、
「大人を中学生として見る」みたいな事、
私も良くやっていました。
仕事をしていて、
怖そうなお客様がいらっしゃった時、
その人を自分の同級生だと思うように
していました。
今は怖そうでも学生の頃はちょっとやんちゃ、
ぐらいだったのかなって思うと、
人間対人間として落ち着いて
応対出来たように思います。
(あらら)



メールアイコン なるほど、そういうことかぁと思いました。
私の場合、すごくメリハリが
はっきりしています。
頑張ってちゃんとしている場所は会社。
それ以外では、人に迷惑や
不愉快な思いをさせない程度。
許される場所では思いっきり小学校なみ。
自分では病気かって思うくらいでしたので、
ちょっと安心しました。
で、会社で思いっきり小学校レベルの人がいて、
まぁホントの自分を
さらけ出してしまっているんでしょう。
時に非常に不愉快になるんですよね。
やっぱり大人することも大切なことですよね。
今日は妙に納得しました。
(mo)



メールアイコン 私も子どもの自分が一番自分らしいと思うし、
なんだかんだいって一番好きです。
でも、そう思えるのも
たまに頑張って着飾った大人の自分が
いるからですよね?
大人の自分に疲れて、
自分を見失いそうになった時は
一度その着飾ったものを
取り外してみようと思います。
(t)



メールアイコン 自分自身の精神年齢のことは、よく思います。
どう見積もっても幼稚園に
入るか入らないかのあたりなんです。
小さい子がはしゃぎ回っていると、
まったく同じようにはしゃぎ回りたくなります。
むずかしいことや強制的なことには、
もちろん我慢して生きていますが、
その鎧を取ってしまうと、
はしゃぎ回りたい子供がいつも待期しています。
いまの社会生活はそれを許さないのでしょうが、
縄文時代の人間のころは、
結構素直に出せていたのかも知れないって
思います。
(arhat52歳)



メールアイコン 『大人になってから、
 大人としてやるべきことを、
 しっかりやることは、
 大人の快感かもしれない。

 ただ、それは、
 子どものじぶんを静かにさせて、
 しっかりやったということではないのかな。』

という文章に共感し、
手帳に書き込んでしまいました。

就職活動をしているいま、
上の言葉を実感するシーンばかりで、
何かにつまずいてへこんだりする度、
“こんなに子どもっぽいのは、
 自分だけなのではないだろうか”と、
いたずらに不安になったり。

それでも精一杯
“社会の一員となるひと”の顔をして、
やっていくしかなくて。

こう書くと変かもしれませんが、
ちょっと“ほっ”としました。
(agasa)


みなさん、ありがとうございました。

どんなに完璧に大人としての判断や
振舞いができているように見えるひとでも、
あんがい、その「大人のじぶん」をつくった
「じぶん」が、どきどきしながら
その様子を見守っているのでしょうね。

よろしければまたいつでも、
この「今日のダーリン」やみなさんのメールに
ご感想などお寄せください。

それでは、また。

2010-11-07-SUN

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