POST
postman@1101.comから。

第98回 「通俗的」について。

こんにちは。ひさしぶりーのあややです。

月曜日の「今日のダーリン」の
「通俗的」ということについてを受けて、
本当にたくさんのメールありがとうございました!!
そんなわけで、本日はみなさまからいただいた
「通俗的について」の特集です!

その前に、月曜日の「今日のダーリン」を
見逃してしまったという方のために、
まずはこちらからどうぞ。

---------------------------------------------

1/15日 「今日のダーリン」

「通俗的」ということばは、
あまりいい意味で使われていない。
俗でないと自分のことを思っている人は、
通俗的なものごとを下に見て馬鹿にするだろうし、
開き直って商売に徹した人たちは、
「どうせ、人間なんて俗のかたまりなんだ」と、
唾を吐くように言ったりするものだ。
だけど、しかし、だ。
通俗的ということばは、英語になおせば、
popularということになるのではないだろうか。
popular musicのpopularだし、pop artのpopularだ。
大衆的とも、有名とも訳せるかもしれない。
キッチュとかキャンプとかいうような
俯瞰的に見た悪趣味の復権みたいなことでなく、
ごくあたりまえに、大多数がごく自然に欲しくなるもの、
そういう目で「通俗的=popular」をとらえたら、
もっと自由になれるような気がする。
エルビス.プレスリーも、ビートルズも、
通俗的にデビューして、通俗的に流行して、
通俗的にいまでも世の中のお楽しみとして
生き続けている。
インターネットが、パソコンを触るという
めんどくささを通過してきた
「選ばれた人々」のものでなくなる時代が、
もうはじまっている。
だとしたら、ネット上に、悪趣味だの、下品を超えた、
素敵に通俗的なものが、
もっともっと現れてきてもいい時期だ。
今年の「ほぼ日」は、本気で通俗的を意識したいなぁ。
ご意見あったら、ぜひ、ください。
タイトルに「通俗的」って書いて、いつもの
postman@1101.comに送ってください。
ほんとにみんなの考えを知りたいです。

---------------------------------------------

これに対して、みなさんからのご意見が
さっそく、ぞくぞくと寄せられたんですよ!!
同じ「通俗的」というテーマで、
派生する意見は人それぞれで、
ほんとうに面白いくらい異なるものでしたよ!!

その中からまずは、
自分がいいと感じるものがいいのだと言える
「自由さ」についてのメールからどうぞ。

---------------------------------------------

いつも楽しみに読ませてもらってます!
初めてメールします。

「今日のダーリン」を読んで、いつもながらに
ううむと考えさせられました。
僕自身、今まで「通俗」と「反・通俗」との間で
随分悩んだり考えたりしてきたように思います。

例えば、
夏は湘南海岸、冬は苗場スキー場。
ヒットチャートの音楽を聴いてCDを買い、
ベストセラーリストを見て本を買う・・・
いや、そのこと自体は別に悪いことじゃないのでしょう。
ただ、それらがまるで大勢の人たちによって
「当然そうするべきこと」のように行われてしまうことに、
僕はとても居心地の悪さを感じてしまう。
自分の頭ではあまり考えずに
「右へならえ」でただみんなと同じことをする、
そういう意味での「通俗性」に対しては
やはりなんとも言えない違和感を感じてしまいます。

でも、最近はもう少し違う考え方も
できるようになってきました。
つまり、考えてみればそう言う僕だって
当然のように毎日通勤電車に乗り、
吉野屋やマクドナルドに入り、
「もののけ姫」や「タイタニック」を観ては
しっかり涙腺をゆるめ、
ユニクロを着るのに特に抵抗も感じない、
どっぷりと俗世間にはまって暮らす
凡庸な「町人」のひとりなわけです。
(あ、ビートルズは今でも特に大好きですね)

だから、「通俗=popular」なのでは?
というdarlingの考えには
とても共感を覚えます。
メディア操作などによってではなく、
ただ自然発生的に大衆が好きになる対象って、
確かにありますよね。
(ほぼ日読者にとってのほぼ日って、
 そういうものなのでは?)
自分もそれを好きになったからと言って、
それは自分がいわゆる通俗的な人間だということには
ならないと思います。
むしろ、「通俗的だから」という理由だけで
例えばハリウッド映画のようなものを
全て否定してしまうのって
妙な観念に縛られていてすごく「自由」じゃないですよね。
メジャー、マイナーを問わず、自分が好きだったり
「いい」と感じられるものは
とにかくいいのだ!と言い切れる「自由さ」は
自分から奪いたくないよなあ、と思ったりします。

長々と失礼しました。
これからも愛読していきますので、
がんばってください!

だいすけ

---------------------------------------------

何となく今って、
「通俗」だって別に悪いコトじゃないモン、
みたいな流れがあるように感じます。
リラックスした市民権を得てませんか、もう。
そんな言葉、最近使わないよって言っちゃうと
ミもフタもないんですが。(笑)

通俗的って言葉が
悪しきものというイメージを持っていたのって、
いわゆる中流って言葉があった時代だと思うんです。
その時って、そういう中流な人たちが一番通俗的なくせに、
そこを越えたい、自分は越えているんだという
「もがき」があった気がします。

今の人たちって、もっと自由ですよね。
競争しないっていうか。
競争しない世の中には、
きっと通俗って概念はないんだと思います。
所得の差って、きっと昔よりもあると思うんだけど、
何て言うか、フラットですよね。

ネットの普及なんていうのも、
やっぱりそれとシンクロしていると思う。
ネットの世界ってかなり完全に平等じゃないですか。
それってスゴイことだと思います。
自己満足や、内輪ウケを越える時期が、今だと思います。

僕自身、沖縄でグラフィックデザインをやって
食べているのですが、
いかにもデザイナーらしいサイトを
2年間くらい運営していたんですよ。
日記とかもほぼ毎日更新したりして。
でも、単に自分の自己満足で
サイトを公開するんじゃなくて、
もっと普遍性のある、みんなで楽しめることを始めたくて
閉鎖しました。
そしたら、イトイ新聞でこんな話題。
自分が考えているのもそれだぁ!と思って
メールを書かせてもらっています。

僕もなんかやりたいなぁ、また。
イトイ新聞を見ていると、そういう気持ちになります。

通俗化、大いに結構だと思います。
僕も今世紀は通俗的になります。(笑)
あと、偶然なんですけど、
イトイさんもおっしゃるように、体力づくり。
これから大事なのって、やっぱり体力ですよ。

ということで、沖縄在住グラフィックデザイナー、
OKA(30歳)でした。
読んでくれてありがとうです。


---------------------------------------------

「私はこれがいいと思う」と堂々と言える自由さと、
そこからさらに同じように感じている人が
あつまってできる空間が実現したら
すごいことですし、うれしいですよね。

お次は、「通俗的なもの」とは?
ということについてのご意見です。

---------------------------------------------

はじめまして。
通俗的について何となくですが、
私なりに考えてみました。

私は大学4年で、この前卒論を出したんですが
通俗的、について考えてみたとき、
友人の卒論を思い出しました。
友人はインドの説話の訳や、
解説を主にやっていたのですが
インドの話ってほんとにおかしいらしいんです。
宗教的なものって神聖なイメージがあったんですけど、
友人の話を聞くと、
結末で盗まれた方が悪いと言いきってたりとか、
女神が分裂して小さい神が生まれたりとか・・・。
私はこういうこと、つまり、清濁併せ呑むみたいなことが
通俗的なんじゃないかと思ったんです。
インドに行ったこともないし、よく分からないけれど
やっぱり、きれいなとこだけよりは
両方あったほうが面白いと思うし、
心に入りやすいと思うんです。
日本の昔話とかは、教育的配慮みたいなことで
濁の部分を取り除いてしまったから
廃れてしまったんじゃないでしょうか。

ほぼ日を毎日楽しみにしているのですが
それはやっぱり、料理ネタがあったり、
松本仁志さん、井上陽水さんも登場したり、
みたいな色々な要素があるからだと思います。
だからこれからも、
一貫したトーンみたいなものはありつつも
色々な要素を盛り込んでいってほしいなと思っています。

うまく言えていないような気がしますが、
これからも「ほぼ日」を楽しみにしていきたいと思います。

それでは。

トクヒロ


---------------------------------------------

実際には善悪・裏表どちらとも言えないことが多くって、
またそういういろんな要素が含まれているものにこそ
惹かれる気持ち、なんだかわかるような気がします。

お次は、たくさんある情報を
どう扱っていくかについて触れているメールを3つほど。

---------------------------------------

初めまして。used-kと申す者です。

(省略)
今日のダーリンの中で

『インターネットが、
 パソコンを触るというめんどくささを通過してきた
 「選ばれた人々」のものでなくなる時代が、
 もうはじまっている。』

これはすでに、ネット自体が
通俗的になってきたって事ですよね。
どんどん、どんどん人と人との繋がり方が
変化してきている。
インターネットという「公海」は
色々な海流が混じりあう場所なんだと思います。
そんな中で、通俗的になれるという事は
世界で通俗的になれるという事だと僕は思うんです。
(大規模な通俗的ですね。)
そうなると、通俗的という考え方も
ワンランクアップした通俗になるんでしょうね。

よく悟りを開く人とかは、
俗世間を離れて修行をした、とか言いますよね。
でも、なんで俗世間を離れる必要があるんでしょうか?
人が集まっている所が、俗世間なんですから
そこで何かを得られなければ
悟りを開いても活用する先が
無いような気がしてならないんです。
やっぱり、物事は人が集まる場所から
始まると思うんです。

しかし、糸井さんのような
「通俗的」に対する考え方の人が多ければいいのですが、
全員が全員、そのような考え方を受け入れるには
無理があると思います。
過ぎた技術が楽しい夢だけを与えてくれるとは
思えないのです。
僕の好きなスタートレックの惑星連邦の規則に
「他の文明に干渉しない」があって
これから考えるのは、
やっぱり技術を使う人間の精神が、
それを使うに相応しいレベルまで達していないと
悲しい事になるから、
このような規則があるんじゃないかなと思います。
今、インターネットもそれを考える過渡期に
差し掛かっているような気がします。
だから、糸井さんはそれを敏感に感じ取って、
ちょっと先の通俗的を
目指そうとしているんじゃないでしょうか?

あー、また訳のわからない文章になってしまいました。
言いたいことはもっと明確にあるのに言葉に出来ない、
この歯がゆさ。
やっぱり、使う人間に能力がないと
テクノロジーがかわいそう(笑)

それでは、糸井さん、編集部の皆さん、
寒波で寒くなっております。
風邪を引かないよう体に気をつけて、
これからもナイスで通俗的なエンターテイメントを
世に送り続けてください。

used-k

---------------------------------------------

はじめまして。
奈良は法隆寺の近所に住んでおります
木下(33歳 男性)と申します。
いつも昼食後の職場から、
楽しく拝見させて頂いております。

糸井さんに共感しまくりです。
「そのとおりっ!」とおもわずひざを一発叩きまして
お茶をずずーっとすすってから
メール送らせてもらいました。

大衆から、いい意味であれ悪い意味であれ、
評価を得ているものは
絶対的な価値を持つものだと思います。

批評家のような人がさも大上段に
「通俗的だー!」と語ってしまうのは
商売だから仕方ない(?)かも知れませんが
僕からしたら「もっと言ってみろ−」を通り越して
「もっと言ってくれ−」って連呼しちゃいたくなります。
だって、思わず評価ってゆうか
あれこれ言ってみたくなるところまで
ある意味昇華されたものだと思うからです。

インターネットで表世界も裏世界も
みんなやってこいっちゅうねん。
そのかわりそれが問題で
犯罪OR犯罪まがいの事が起っても
何もゆうたらあかんで。
絶対犯罪起こってから
インターネットのせいやって騒ぎはるねんから。
発信者に問題はとりあえず無いとしたいのです。
だって犯罪をおこす起こさないかは
読む人(受信者)の判断(選択)に
かかってると思うからです。

木下

---------------------------------------------

糸井様、こんにちは。
少人数の職場で、イトイ新聞を
同僚との会話のように楽しみ、
励まされるように拝見している、
化粧品メーカー勤務会社員です。

早速ですが、「通俗的」に関して
私が感じている事をメール致します。

糸井さんが書かれているように、
インターネットが
「選ばれた人々」のものでなくなる時代が来ることで、
特定の技術や、モラル・情報のすき間を
「知っている」ことが、
優位性ではなくなくなってくると思います。

ですから、これからは、持っている情報量ではなく
それをどう使いこなせる人か?ということが、
より重要になるんだろうなとも思います。

単なる印象でしかないのですが、
ここしばらく、すきまを見つけて「出し抜く」事が、
進むための条件だったのが、
これからは、きちんと正面に立って、
相手を動かせるかということが
大切になってくるような気がします。
また、そうやって沢山の人を動かせる物が
「通俗的」なものと呼べるような気がします。

少し話が変わりますが、
年末年始のテレビ番組は、
通俗的であることを目指しているんだろうなと
思うのですが、面白くなくて、弟などは、
「また年末のひとりよがりテレビが始まった・・・」
と言います。
ニュース番組でも、極端に簡単な事に説明が入って、
いらないんじゃないかなぁと思うこともあり、
通俗的なものを作るのは難しいなぁと思います。
本当に通俗的なものができたとしたら、
それはもしかしたら、
新しいモラルみたいなものかなとも思います。

Sumi

---------------------------------------------

「きちんと正面に立って相手と向い合うことが大切」
ということは、いつもみなさんからのメールを読んでいて
実感することでもあります。

お次の方は、「創意工夫」という観点から
「通俗的」を語ってくれています。

---------------------------------------------

ほぼ日編集部のみなさま、
この前まで成人を祝っためでたい日にこんにちは。
23才、大学生のはしくれです。
今日のダーリンコラムについて、
ちょっと私見を述べさせてくださいな。

最近、「通俗的」という言葉のニュアンスに
少し変化が起きているのではないでしょうか。
以前、その言葉は「画一的」って言葉と
仲良しだったと思います。
今はどうもそんなことはないようです。
個人的に感じるその変化とは一体なんなのでしょうか?

たとえば近ごろの通俗的なモノの代表、ユニクロ。
彼らは国民の制服になると意気込んでいます。
もうこの国のほとんどの人が
一着は所有しているんではないでしょうか。
彼らは大量生産を武器として、
驚異的なセールスを実現しています。
これだけ巷にはびこると、
普通は画一的が顔を出してきますよね。
けれども、この頃のしなやかで工夫をする人達は、
それを用いて各人の外見をバラエティー豊かにしています。
それはただ単にpopularなものとして、
私はこう使おうという工夫をもたらして、
すごく自由に多くの人から親しまれていると思います。
通俗的はダーリンのおっしゃるように、
英語のpopに寄り添ってきていますね。

そういった各人の創意工夫を促してくれる商品が
通俗的になれば、世の中なかなかおもしろくなりますよ。
ビートルズがそうでしたよね。
大好きな彼らを商品として捕らえたくはありませんが、
確かに大衆の創意を刺激して
一大ム−ブメントを巻き起こしましたから。
彼らがそんなアイデア促進商品の
はしりだったのではないでしょうか。
これからは、めんどくささを廃したインターネットが、
正にそれでしょう。

ボクは日本ではその中心にほぼ日があると
本気で思っています。
今まで新聞も雑誌もテレビもなし得なかったこと、
作り手と受け手の正直なリンクができつつあると
感じるからです。
読者数が増えて、それを背負っていくことは
骨の折れることでしょうが、
このままずっと正直で通俗的であってほしいと
願っています。

最近は十人十色という言葉が、
一層現実味を帯びてきている気がします。
とても良いことですね。
けれど、十色じゃもの足りないです。
もっと色数を増やしましょうよ。きっと綺麗ですよ。

長々と失礼しました。
なんだか寒さのピークのような日々が続いていますが、
湯たんぽを頼りにしのいで下さい。
またお便りしたいとおもいます。

Aki

---------------------------------------------

お互いの創意工夫を促すような刺激を与えあう関係って
とても魅力的な関係ですよね。

最後は、ネットにつながっている
ひとりひとりの存在の大切さについて
改めて感じるメールを2つほど。

---------------------------------------------

通俗的についてのコラム、読みました。
この世の中の大多数の人たちが
「よし」とか「いい」というものは、
とっても普遍的でかけがえのないチカラを
持っていると思います。

日本国民総評論家とムカシ聞いたことがありますが、
みんな、自分だけは、いろんなコトを考えて、
いろんな苦しみを味わってるんだと(勝手に)思いこんで、
他人と差別化したがる
(早い話がオレはイチバン偉いんだぞー的な)
傾向があるんじゃないかと思います。ぼくも含めて。

でも、でも、ですよ。
ほぼ日を読み続けて良く分かったことは、
ミンナそれぞれが深くじっくり物事を考えてて、
他人との誠実なつながりを夢見て、
ぼくとつに真摯に頑張って生きてるんだ、ということです。

つまり、ポピュラリティなものが
いつの時代にも世の中を動かし、変え?
生きる原動力をぼくたちに与えているんだと思います。

それがネットという道具によって、
目に見えるものにまで浮上したんでしょうね。

一人のチカラはめっちゃ小さいけれど、
その小さなチカラがポピュラリティなネットを通じて、
じわじわと静かに、でも確実につながりつつあるんだと、
この肌で、ひしひし感じてます。

ネットという乗物、毎日使うたびに、
一つの道具であるという感覚と、
ネットがもっている潜在的な能力を
恐ろしいまでに感じることがあります。

ネットが、未開拓発展途上の道具だから、
だからこそ、通俗的なものにがっちりリンクして、
予想不可能なチカラをはなって、
これからの世の中を確かに変えていくんだと、
予想してます。

底なしの楽しい活動、お互い、続けましょうね。

小松正史拝


---------------------------------------------

ネットで通俗的、ポップなものっていうと
出会い系サイトとかエロ画像の配信を
思い浮かべるんですが、
いまひとつ生まれてくるものがない気がします。
「出会い」って言っても
結局はごく個人的なまとまりになっちゃいますし、
チャットにしたって座談会とおんなじで、
発するエネルギーはなんだかんだ輪に向かってしまうし、
人数も限られちゃう。

オークションやショッピングサイトにしても
色々と金銭的なトラブルがあったり、
やっぱりこの目で見なきゃどんなもんか分からんわけだし。
気に入らなければ返せるぐらいのものなら
「こりゃエライもんだわ」
と、利用します。
でも自分の気持ちの中で、
そんなこんなの不便を乗り越えてまでネットを使うのは、
ちょっと不自然ですよね。
いつまで経っても
「ネット」ショッピングって言ってなきゃならない。
「イギリスが生んだアイドル・ビートルズ」
とは言わないのが通俗なんだと。
ビートルズが一つのジャンルみたいになってはじめて
ポピュラー。

朝起きて一番に新聞読むっていうのも
生活スタイルとして通俗だと思うんですね。
でも、この通俗は今世紀中には
無くなってしまうんだろうな、と予感できます。
ただ、今の大手のネット新聞は
本来の新聞が本体としてあってこそのものなんで、
そうやすやすと無くなりはせんだろうなと思う。
鳥越さんがNYタイムズ・ネット部門のリストラを
取り上げていたように、やっぱり採算合わんのですね。

でも、あえて「紙」はもういらん。
面白くないです。
いわゆる新聞記者の仕事のマンネリ、
新聞社の構造疲労とでも言うのか、
「もういい加減どいてくれよ」と言いたい。
「ネットで新しい新聞のスタイルやりたいんだから、
 邪魔せんでくれ」
って。
「ほぼ日」もひょっとして
そんな姿勢あるんじゃないですか?
ぼくは「読みたい新聞」から「書きたい新聞」づくりを
目指したい。
もちろん読むのがメインではあるけれど。

潜在的に「書きたい人」はたくさんいる。
諦めて忘れているだけで。
主張できるのは声のでかい奴だけじゃないんだ、
曖昧な考えを表現する方法だってちゃんとある、
ってことを気付かせてあげると
みんないっぱい主張したいことあると思うんですよ。
で、ほとんどそういう人の集まりでしょう、社会って。
でも新聞はそんな人たちを無視してきた。
また、せざるをえない。
いろんな立場で「強い」人ばかりを取り上げた。
たくみな文章のトリミングで
現実とは印象の違う記事を載せ続けた。

文章って誰が書いてもいい。
パソコンと同じですよ。
難しいと思わせたい人間が多いから難しいだけで、
そういう人間を無視しちゃえば何だってできる。
音に音符があるように文字は記号ですから。
自分の伝えたい感情にしっくりくる音を
組み立てていくだけですよね。
それに気付いてもらいたい。

で、ネット上の新聞づくりに挑戦したいんです。
まだネットのこと何にもわからん素人だけど。
地域限定にします。
よく「世界に向けて発信できる」と言います。
当然そこがすごい!というニュアンスなんでしょうが、
避けられない宿命でもある。
世界に向けてもしょうがない情報だってあるし、
別に日本中に公開する必要ない、などと。
グローバルから一種の鎖国主義へ。
趣向の枠で狭いものはいくらでもあるけど、
地域の範囲で限定されたものってどうなんでしょう。
あるんですかね?結構ないと思う。
分からんですけど。

なんで地域限定かっていうと、要するに
「遠くの親戚より近くの他人」
の発想。
近くの他人同士が集まる場にしたいのです。
僕の考えなんですけど、電話にしろメールにしろ、
そこでのやりとりはコミュニケーションではないと
思うんです。
人と人って会ってなんぼでしょ?
それはもう会うための口実、きっかけづくりであると思う。
コミュニケーションの前段階。
「ああ、会いたい」と思うための。
遠距離恋愛もロマンスとして
雰囲気に飲まれるのが楽しいけど、
やっぱりコミュニケイト不足なわけです。
他国の人とメールやってても
どんな人なのかおそらく全く分かってないはず。

近くの他人同士ならすぐ会うことになるのかといえば、
そうでもないんでしょうが、
同じ地域にいるっていう事実があるのとないのとで
意識の違いは生まれてくると思う。
会おうと思えば会える距離感。
仲間意識みたいなものが芽生えてくれば、
ちょっぴりでも地域社会が変わるんじゃないかと。

肝心の「通俗的」っていうことでは、
ぼくは「地域で通俗的な新聞」をつくることを
目指している。
ネット社会のポピュラーなんて
たいそうなものは僕の弾ける音階の数を超えているので
分かりません。
せいぜい、ぼくの考える地域づくりの手法が
通俗になるほどの成功を収められれば良いなあと、
夢見ているだけです。
期待したいのは「ほぼ日」が、
既存の新聞や雑誌に変わる
通俗的な活字メディアの先駆けとして
今まで以上に突っ走って欲しいということです。
それで本当に世の中の構造、
ちょっとでも変わると思います。
いつでも応援してます!


---------------------------------------------

今回ご紹介できなかったメールも含めて、
みなさんからほんとうにたくさんの、
そして真剣なご意見をいただいて、
そこからいろんなことを思い、
画面の向こうのひとりひとりの存在の大きさを
改めて感じることができました。
いまさらながらですが、
こういう読者のみなさんからまいにち刺激を受けながら、
「ほぼ日」は歩きつづけているんだなあと
再認識しましたっ
ありがとうございました!!

それでは今日はこのへんで。

あややでしたっ



postman@1101.com宛てのメールは、
編集スタッフ全員が必ず読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
スタッフ一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
掲載されちゃ困るメールには、「載せちゃイヤ!」と
書き添えてください。逆に「載せて!」と
書いてくれるのもけっこうです。

◆あと、無理じいするつもりはありませんが、
「ほぼ日」編集部内では、顔文字禁止です。
どうしても使いたい人に「やめろ」というつもりは
ありませんが。
(darling)

2001-01-17-WED

BACK
戻る