第19回
今日のこのコーナーは、セイヒロー多忙につき、
もぎ(ウッキィ〜〜)カエル部長が、お送りします。
さて、今回は、メールの紹介ではなく、
「ほぼ日」スタッフが
クリスマス・イブをどのようにすごすつもりでいるかを
取材してみました。
では、まずは、ダーリンさんから。
コメントをどうじょ。
夕方、翌日のプレゼンテーションの準備でミーティング。
そこから、いつもの「ほぼ日」仕事にもどって、
夜は最近にはめずらしく妻と食事ですね。
もちろん、大好きな寿司やに。予約も入れました。 |
次、キヨタさんはバイトだって。
そして、
サイトウさん、西田部長、ダイニング部長は?
当然テレビで、「眠れる森」でしょう!
こじゃれたイタリアンレストランで、
乾杯しているカップルの耳もとで、
「今日、最終回じゃなかった?
ビデオなんかにとってる場合じゃないでしょ。」
と、ささやいてやりたいくらい!!。 |
とのことです。
さてじゃあ、セイヒロー氏はというと。
え、イブになにしてるって?
そんな急にきかれても・・・。
僕は、社会人なわけで・・・ほぼ日なわけで・・・、
モモンガ部長や、もぎカエル部長と
年末年始の仕込み中なので、僕は、
今夜、空気中に放たれるであろう無数の生命に、
南無阿弥陀仏をとなえようと、思うわけで。
(北の国からのジュン風に音読していただきたい) |
んで、まあ多分上にあるように、
モモンガ部長はというと、
少し早めに来て、
スターバックスでアイストールラテを買いますね。
ふだんはショートラテなんですが、
この日ばかりは自分に気持ちばかりのプレゼントをします。
それから通常どおりの業務に就いて
ほぼ日の校正なぞをしますね。
そのあとは、セイヒローさんと
縄(チャリで探る地球・12-04を参照)で
男どうしのムサイ昼食をとって再び業務に戻ります。
夕食は出前で済ませて、そして深夜にいたります・・・。 |
何きどってんだよ!
ただの日常じゃないか!!
って、まあワタクシめはというとですね。
似たりよったりです。
昨日すでに、アッキィさんがかいてくれた
クリスマス用の扉ページのアイコンを作っている時に、
超ハイになってしまいまして、
幸せなクリスマス気分を味わってしまったので、
あとは、どうでもイイです。
たぶん、あしたのためのアイコンつくったり、
ページつくったり。
あ、でもチョットだけ、ビールでも飲んで。
友達に、メリメリクリスマスなメールでも出してと。
そんなところで、「ほぼ日」スタッフは、
至ってノン気に、世紀末のクリスマス・イブを
すごさんとしているところです。
ということで、
メリー・クリスマス!
と、ここでセイヒロー登場だぜ。
オレが多忙だって? じょうだんじゃないよ。
らくしょ〜、らくしょ〜、年末年始も毎日更新だぜ。
ブヒョッ!
そんなオイラのイブの楽しみは、
職場の窓から見える東京タワー。
イブだけに、きっとなにかやってくれるにちがいない。
照明がクリスマスバージョンになるくらいじゃ
おどろかないよ。
てっぺんから紅白餅まいてくれるんじゃないかって、
期待してますぜ。サーチライトに照らされて、
はるか上空から降ってくる紅白餅。ロマンチックね。
脱衣場のカゴもってキャッチしに行きますぜ。
ところで、クリスマスといえば、サンタさん。
サンタさんにまつわるメールが届いたので、
今回はメール紹介なしという予定を変更して、
ドカンと紹介してみましょう。
「サンタクロースってほんとにいるの?」
ときかれたら?
職場のPCでいつも「ほぼ日」楽しんでいます。
(自分ではPC持っていないもので・・・)
今も勤務中なのですが、いてもたってもいられず、
仕事以外の用件で初めてメールを送ります。
昨夜新聞で、
「ある大学教授の書いたコラム」を読んだのです。
以下は、その要約です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、8歳になる自分の息子が、
「サンタはほんとうにいるのか」悩んでいる。
子どもは世界中にいるのに、
なぜ自分の望みを知る事ができるのか?
一晩で世界中の子どもにプレゼントを配ることなんて
出来るのか?
自分の家に煙突はない。
どうやって「密室状態の室内に侵入」できるのか?
などの「どれもしごくまっとうな疑問」を抱き、
どうやら「サンタ=両親説」に傾きつつある。
この話題になると、美談としてよく語られる話がある。
アメリカのラジオのDJが、子どもからの質問に
「サンタは君の心の中にいるんだよ」
と答えた、という話である。
しかし、こんな「欺まん的な答え」では、
子どもはますます混乱するばかりである。
子どもをばかにしている。
これでは、せっかく芽生えた子どもの知的好奇心の芽を
摘み取ってしまう。
「教育的にマイナスの効果」しかない。
そんな大人の理屈を言うより、せめて、
「君の両親が君のために
そっとプレゼントを置いてくれているんだよ。
すてきなご両親だね。」
くらいの答えができないか。
こんな話をもてはやす大人が多いとは、
信じられん!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
といった内容でした。
これを読んで、もう、叫びたくなりました。
こーの、ボケナスおやじっ!!!
子どもをばかにしているのは、おまえの方だっっ!
「知的好奇心」大いに結構。
それも、確かに子どもの成長の証です。
種明かしするのもひとつの答え方でしょう。
「サンタはほんとにいるのかな」
という疑問を持ったときから、その子どもはもう心から
信じることが出来なくなっているのかもしれないから。
でも、だからといって、
「サンタは、君の心の中にいるんだよ」という答えを
「欺まんだ」と言いきれるの?
このコラムで「美談」といわれている話は、実話です。
多分『サンタクロースはほんとにいるの?』という本
(正確な書名はわすれてしまいました。すみません)
になっている話のことだと思います。
この本を読めば、リスナーの女の子からの質問に、
DJがどんなに心をこめて返答しているか、よくわかります。
「難しい話になるけど、
君を一人前の人間と思って一生懸命話すからね。」
という前置きの後、このDJがする話は、
ほんとに感動的です。
(昔に読んだ本なので、
以下、記憶違いが多いかもしれません。
確認する間がなかったので・・・)
「君は、サンタがいるのといないのと、
どっちがいいと思う?
きっと、いる方がいいと思うだろう。
そう思う子どもがいる限り、
サンタクロースはいるんだよ。」
(これを読んで、大好きな
レイ・ブラッドベリの短編「亡命者」を思い出しました。
ファンタジーやホラーの本が焚書に、
クリスマスもハロウィーンも禁止という未来世界で、
ポーやディケンズなどの作家やその登場人物たちが
火星に「亡命」する話。
最後の一冊が世界から消えてしまうと、
それを書いた作家も消えてしまう。
その存在を信じている最後の子どもがいなくなったとき、
赤い服のサンタが、静かに消えていく場面があるのです)
DJはまだまだ語ります。
人間には「心」という素晴らしいものがあること。
夢を信じる心が、この世界を変えてきたのだということ、
この世界を明るくするのだということ。
「だから、君がサンタがいると信じるなら、
サンタクロースは確かに君の心の中にいるんだよ。」
これがどうして、子どもだましの欺まんなんでしょう。
これは、テツガクです。
そして、「祈り」だと思います。
(「夢のヒヨコ」ですね!)
確かに、子どもには少し難しい話です。
尋ねた女の子には、理解できなかったかもしれません。
でも、DJの誠意と祈りは通じたと思いたいのです。
「教育的効果」なんて、
子どもをいつも「教育してやらなければいけないもの」
としかみない大人の思い上がりだと思いませんか?
わたしは、少し前まで小学校の教員をしていたのですが、
この時期になると、決まってだれか聞いてきます。
「せんせい! サンタさんはいるよね?
○○ちゃんが、いないって言うんだよ。」
すると、
「サンタじゃなくて、
ほんとはお父さんとお母さんなんだよ!」
と誇らしげに口を出してくる子がいます。
いまどきの子どもでも、3年生になっても、
こんな会話はあるのです。
わたしが、
「サンタさんがいるのといないのと、どっちがいい?」
ときくと、サンタいる派の子
「いるほうがいい−!」(即答)
サンタいない派の子
「(しばし間)・・・いるほうがいい・・・」
「サンタはほんとにいるのかな?」
という疑問で子どもが悩むのは、
「いないんじゃない?」
というちょっと大人の自分と、
「いてほしいなあ」
という自分がいるからなんだと思います。
わたしはいつも、
「先生も、いるほうがいいと思うなー」
と言って、サンタいる派の子の味方をしていました。
いつかは誰でも大人になって、答えを見つけてしまいます。
でも、「いてほしいなあ」と願う気持ちは
かけがえのない大切なものだと思うから、
その気持ちをいつまでも大事にしてほしい、
そう願うことが、どうして「欺まん」なんでしょう。
「教育的にマイナス効果」なんて、
なんだか悲しいじゃないですか。
書いているうちに、熱かった頭が冷えてきました。
(なにしろ、仕事の合間に書いているものですから、
朝書き始めて、今はもう6時をまわりました。)
新聞を読んだときは、
悲しいのか、くやしいのか、もうなんだかわからないけど
むしょうに「ちがう!」と言いたくて。
こんなことでそんなにむきにならなくても・・・
という人もいるでしょうが、
ほぼ日をつくっている皆さんなら、
耳をかたむけてくれるのではないか、
と思って書きました。
長いメールになってしまってすみません。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
できたら、このことについて
他の人の考えも聞いてみたいです。
たきの
タイムリーなメール、どうもありがとう。
オイラもいつからサンタさんのことを
気にしなくなったのか考えてみました。
小学校の低学年までは、信じてたのかな。
枕もとに靴下置いて寝てたのは確かです。
あのウキウキ高揚感は、信じていればこそだよね。
プレゼントくれる人=親と知ってから、
3人兄弟の長男なアッシは、ねだるのをやめました。
子供心にも遠慮したんですね。かわいくないヤツ。
でも、それとサンタクロースいるいないは、別です。
やっぱ、いたほうがいい。
サンタクロース=プレゼントくれる人、じゃないからね。
サンタはサンタ。
と、オイラがまとめてもしょうがないやね。
東京タワー、やってくれよ、期待してるぜ。
というわけで、みなさん、ごきげんよう!
メリークリスマス! ブヒョッ!
じゃーん! そこにまた割り込んできたdarlingだよーん。
思い出したんだよ、サンタクロースのことをさ。
書かしてくれよ、おいらにもよー。
みんな若いから、自分のこどものころの思いでを語るだろ。
ところがね、自分が親になってからのクリスマスが、
もっとたのしいんだよ。
当然、こどもは信じてますよ、サンタクロースを。
でも、歩けもしないうちから信じちゃいネェってガキも、
いっぱいいるわけです。教育方針でしょうか。
それはそれでかまわないんだけれど、
幼稚園あたりで、「いない派」のこどもが、
おとなぶって講釈をたれるんだ。
そっちのほうが妙にリアリティもあるし、強いんだな。
で、うちのこどもは、きっちりだましてあげたかった。
だから、11月頃からすこしずつタネをまきはじめるんだ。
一緒にクルマに乗ってる時とかに、
d「あ、あれ?? 見た?」
「えっ? なに?」とこども、聞くでしょう。
d「すっごい大きい袋を背負った、まっしろいヒゲの人が、
いまあっちの角を曲がっただろ?
見なかった?」
「えーっ! どこどこ!?」
d「なんだろう? あの人。よく探してごらん。
まだそのへんにいるかもしれないから」
「いないみたい」
d「そっかぁ。なんか見たことあるような人でさぁ・・・」
「それ・・・サンタさんじゃないかなぁ、パパ」
d「ええっ?! そうかなぁ、そういえば??」
「ヒゲ、白かった?」
d「うん。すっごい長いヒゲ」
「サンタさんだよ、サンタさんが来てたんだよ!!」
d「そうかもしれないね。また、このへん通るときに、
注意してみるよ」
というような会話をしておくわけです。
その後、クリスマスが近づいてきた頃に、
出張の機会があったら、またやります。
ぼくの場合は香港からでしたが、
絵はがきを出すわけですよ。
『○○○ちゃん、元気ですか。
ぼくも元気です。
ところで、今日、たいへんなことがありました。
こないだ、表参道で、ヒゲのおじいさんを見たじゃない?
あの人が、なんと、香港にいたんだよ!
パパはこんどは歩きだったから、
急いで追いかけたね。
だって、こんどはさー、赤いぼうしをかぶってるんだもの。
かなりアヤシイじゃない?
でも、口のところは、すっげえでかいマスクをしてるんで、
ヒゲが見えなかったんだよ。
でも、ちょっとはみだしてたんだよね。
あわてちゃってさー、走っていって、
聞いたんだよ。
「サンタさんですか?!」ってさ。
そうしたら、逃げていったんだよ。
「ち、ち、ちがうんですう」って言いながらね。
その時、マスクから、ヒゲがでちゃったのよ。
あれは、やっぱり、アヤシイよ。
いいいいいっぱいおもちゃを買って、持ってたもん』
そこには、こんな絵も描いておく。

帰国してからも、「やっぱり、そうかなぁ?」と、
親のぼくのほうはやや懐疑的な姿勢のままをキープ。
「絶対、そうだよ、パパ。サンタさんだよ」
と、こどものほうは、ますます確信を深めていく。
と、ね。
そういうことをやっていたんですよ。
ああ、いま思いだしてもたのしくてかわいかった。
サンタがいないということを、
徹底的に知ってしまったおとなにも、
「いないけどいる」んですよ、サンタクロースは。
こどものこころのなかに映っているサンタを、
のぞいてみることができるんですから。
おとなになったり、親になったりするってのも、
ほんとにいいもんですぜ。
|